第36話魔族研究所2


「どうですか?カナリさん。我が研究所の研究成果である『魔導式強化兵』の出来は。通常の人間と比べても破格の反応速度と腕力を持った精鋭。それに加え三属性以上の魔術を操ることも出来ます。これを見た以前のSランク冒険者様『菌氷』のククラマセスも酷く驚いていらっしゃいましたよ。Aランク冒険者にすら匹敵する強さと」


「そうかよ」


昨日の研究員とは違う、この研究所の所長と名乗った男の話を興味の無いように鎌瀬山は聞き流しつつ、眼下に広がる光景を眺める。


幼く、齢8~10歳程の少年少女が武具をその手裸同然の恰好で打ち合い特訓をしている様。

大きく目を引くのは少年少女等の胸部。

そこには紅く輝く心臓ほどの魔核が埋め込まれており、それが動作1つ1つに連動するように胎動し淡い光を映し出していた。


これが、乳児の時より魔核をその身に取り込ませ人工的に造り出した強化人間。

孤児を、捨て子を、奴隷同士で孕ませた子を、帝国中からかき集めた乳児。

そこに多くの失敗作として幼い屍を築きながら、進めてきた人の道を外した人体実験の末生まれた僅かな成功例であった。

その数にして50人程。


その成功例達が武器を打ち付け合い、魔術を行使し合う様は洗練されておりとても幼い年齢の子供には見えなかった。


「我らの研究が進歩すれば、いずれは乳児ではなくとも魔核の移植ができるかもしれません。そうなれば人族の勝利は間違いのないものとなるでしょう」


「もう人族には勇者がいるぜ?」


鎌瀬山はそんな言葉をつい漏らしてしまう。


「帝国勇者の行動を聞く限り、我々の代の勇者はハズレでしょう。このことから王国勇者に対してもあまり期待はできません。彼等は確かに破格の力を持ちますが人格がねじ曲がっています。それに、勇者クラスの実力を持つとされる7人しかいないSSランク冒険者、それに皇帝陛下、熟練度の高い帝国騎士団が居ることにより彼等には私個人ではそこまで期待はしていませんよ。あとは我々の研究成果で戦力向上が出来れば勝利は盤石なものとなるでしょう」


目の前の冒険者が実は勇者などとは露知らず、勝手な持論を捲くし立てる所長。

何故、派遣されてきた中立の冒険者にここまで内情を赤裸々に語っているのか。

彼にしてみれば、この研究所に送られてくる冒険者は帝国の息の掛かった冒険者ギルドより送り込まれる高位冒険者しかいない手筈になっており、鎌瀬山の前任者であり魔族討伐へと向かっている『菌氷』のククラマセスもまた帝国の域のかかった冒険者であった。


ならば、と。


新しく派遣されてきた鎌瀬山……冒険者カナリも同じく帝国側の冒険者だと信じて疑わず、ガイ・ウラモからもそう報告された上で所長は冒険者カナリを受け入れた。

初日の研究員との争いも、話を聞けば冒険者カナリが同伴させてきた魔族の少女を実験体に使わないかと問題発言を行ったせいとのこともあったことから特に疑問を持つこともなかった。


「はッ、そりゃ違いないな」


深くかぶったフードから表情は覗けないが、鎌瀬山の口元は若干上ずっていた。

帝国勇者が馬鹿にされているのは気分が悪いものではない。

それと同時に、笑いがこみ上げる。

この研究成果、Aランク程度の人材を作り上げるのに少なく見積もっても10年は費やしているだろうこの研究を見て、いずれは乳児以外にも埋め込めたらなど理想を持ち上げるその所長に。


一体その理想にこれから幾千幾万の人体実験を繰り返すのだと。




「この成功例もまだまだですがねぇ。いずれは勇者クラスを即座に生み出す技術が欲しいところですよ。そのためにはこの成功例も犠牲にしもっと高めるつもりですよ。より成功に近づけるために、こいつらはその前座に過ぎません!まだまだ、魔核には利用価値があり、いずれ魔族から人類を救うことになるでしょう!!」


気味悪く浸ったように表情を歪めながら呟くその所長を視界から外して、鎌瀬山は小さく舌打ちをした。


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二日目、鎌瀬山は施設内を歩いていた。

その魔族研究所内の施設はどこを見ても彼の気分を悪くさせた。


至る所に有るボードに張られた報告、成果。

通り過ぎる研究員の顔は全て同じに見えた。まだ幼いスラム出身と思われる汚い布だけを身につけた少年少女を引っ張りながら連れて行く。

この研究所では乳児に魔核を埋め込む実験とは並列して、乳児以外への魔核の埋め込みの研究や魔族同士や魔族と人の結合、融合など多岐に渡る研究が行われていた。


ある時は、多くの血を流しながら、担架に乗せられて運び出される上半身が人間で下半身が魔族のモノや。

泣き叫びながら、連れていかれるのを拒む少年を暴行し無理やりに引きずり、実験室と思われる部屋に押し込む研究員。


陰鬱とし微かににおう鉄臭い臭気が鼻を掠め、至る所に有る拭き取れない血痕が視界にチラつく。


俺はこんなところで何をやっているのだろう。


鎌瀬山は思う。

冒険者ギルドのギルドマスター、ガイ・ウラモに言われ訪れたここは、胸糞悪くなることしかない。

冒険者とはこんなものだったのか?と不満が募る。


人を人とも思わず、命を命と思わない実験に加担することが勇者として、冒険者としてやらなければならないことなのかと。

人々の安寧と平和の象徴。いつか人類を救う希望の担い手である勇者が人体実験に加担する。


「はッ。正義にバレたらぶん殴られんなこりゃ」


鎌瀬山は自嘲気味に笑う。

脳裏に同じ勇者である英雄王正義を思い浮かべる。


彼なら。

この現状を見たなら、即座に行動しこの研究所自体を閉鎖に追い込もうとするはずだ。


東京タロウなら?


一種の難敵を思い浮かべ、鎌瀬山はそれを直ぐに消し去る。

自分程度がアイツの行動が読めるんであれば、アイツを恐れたりはしない。


事実。

鎌瀬山は英雄王の様には動けない、動かない。

彼にはそんなことをしてもメリットは自分にはないと。そう思ってしまうから。

英雄王のように損得勘定なしで自分の信じた正義に素直に行動できるほど、鎌瀬山は素直ではない。


鎌瀬山は捻くれ、捻じれてる。

だからこそ東京タロウの力を量ることもできずに無謀にも勝負を仕掛け、無様に負けた。


今、自らがどうするべきか。

鎌瀬山は迷いながら、照準しながら、目的もなしに通路を進む。

視界に写る光景を背景と認識しながら、進んでいく先に。


「……アイツは」


一人の少女がいた。

8~10歳程に見えるその少女は、深く染まった紅の手入れもせず無造作に伸ばしきった髪。

それと呼応するかの如く深紅に染まった瞳は特徴的で、その瞳は鎌瀬山のことを視界に捉えていた。


その身には申し訳程度にしか布をその身に巻いているだけで、心臓がある左胸部は晒され、紅く淡い輝きを放つ魔核が埋め込まれていた。

その少女は所長と共に見た50人いた内の成功例の一人であった。


「新しい冒険者さん!!」


その少女は鎌瀬山を見つけると、ニコっと満面の笑みを浮かべて小走りで走ってくる。


「えっとね!いつもの冒険者さん、えっと、ククラさんは?」


「ククラ……?」


「ククラマセスさん!!えっと……『菌氷』?あだっけ、えっとえっと」


少女の発言に鎌瀬山は首を傾げるが、ふと、ガイ・ウラモとの会話にも所長との会話にも出てきた『菌氷』のククラマセスの名を思い出す。


「あぁ、そいつなら今日は来てねぇよ。魔族討伐に行っちまってな。その代わりに俺が来たんだよ」


「そーなんだ!!えっとえっと、なら……新しい冒険者さんわたしとお話しよ?」


「お話?俺とか?」


「うん、いっつもね、ククラさんからお外のお話聞いてたの!!だからね、えっとえっと……聞きたいの!!」


見た目通りの言葉足らずな少女は先ほどの俊敏な動きを思い出させない程、普通の少女に鎌瀬山は見えた。

その左胸に光っている魔核を除けば、どこにでもいるただの幼い少女に違いは無い。


キラキラと光る期待に満ちた少女の瞳に凝視され、鎌瀬山には選択肢が残されていなかった。

彼本人としては、今の気分は憂鬱であるし断りたい気分で満載であったのだが、純真無垢に鎌瀬山を見つめる少女の瞳を裏切るほど彼も薄情になりきれず、話を聞くところ前任のククラマセスがしょっちゅう少女と話をしていたのは明白なのだろうし、これも任務の一部なのだと割り切った。


「はぁ。構わねぇよ。面白い話なんざできないけどな」


「やったー!!じゃあ、えっと、わたしの部屋でお話しよ!!」


鎌瀬山の返答に喜びに満ち溢れた声で飛び跳ね、鎌瀬山の手をとって引っ張る様に進みだす少女に連れられて鎌瀬山もため息をつきながら歩を進めた。


連れられた少女の部屋についた鎌瀬山はその部屋内を見て目を疑った。

驚くほどに何もない、質素な部屋。


ただ、部屋の隅に寝床のように積み重ねられた藁、それだけがあるだけで他には何もない独房のような部屋。


「ここ!!えっと……わたしの寝床で汚いけど、ここ座っていいよ」


鎌瀬山は少女の案内通りに藁の上に腰かける。

同じように、その少女も隣に腰かけ鎌瀬山を見上げるとにっこりと笑みを浮かべる。


「わたしはね、えっと、27って呼ばれてるの!!冒険者さんは?」


「俺は鎌瀬……いや、カナリだ」


「カナリさん!!えっと、きっとこれからここに来るんだよね?ククラさんみたいに!!」


「あー、それはわからねぇな。俺はそのククラマセスの代理ってだけだからな。そいつが帰ってきたら俺は来れなくなるんじゃねぇかな」


「そーなの?えっと、えっと、でもお話しよ?わたしお外のこと知りたいの!!」


「外?」


「うん!!わたし生まれてからここのことしか知らない……でもね!!ククラさんにいっぱいお話聞いて!!ここよりもおっきな建物とか、すっごく美味しい食べ物とか、見渡す限りの水の大地……海っていうのがあるって!!他にも他にも!!」


陽気に少女は語りだす。その光景に、彼女の表情に鎌瀬山も次第に表情は変わり微笑みのようなものも生まれてくる。

彼女の話を聞いていく内に陰鬱としていた感情も大分溶け出し、心もいくらか楽になってきた。


「学校っていうのに行ってみたくて!!えっとえっと、そこはお友達とかたくさんできて楽しいところだってククラさんが言ってたから!!だからわたしも行ってみたくて!!お外にはたくさん楽しいことで溢れてるんだってククラさんから聞いてね、えっと、えっと、わたし楽しみなんだ!!」


「そっか。そうだな、俺はここらの学校には行ったことはないけど楽しいことばかりじゃねぇ……けど、お前ならどこ行っても楽しめそうだな」


「えへへ。えっとね、ククラさんにもそういわれたよ!!27はきっと外に行ったら楽しめるって」


「27……か」


「うん?どうかしたのカナリさん?」


番号で自分を呼び、それをあるがままと受け入れる。

ここでは、成功例達は特に疑問に思わない行為だ。その番号が自分の名前にして識別番号。

人のように扱われなくとも、そもそも人としての扱われ方を知らない彼女たちは何の疑問も持たずにこの研究所の彼女たちに対する扱い方をさも当たり前のモノのように受け入れる。


それが、実験動物に対する行いだったとしても彼女たちは何も疑問に思わず。

名前ではなく番号で区別されても彼女たちは何も反抗することは無い。それが彼女たち成功例の普通というものなのだから。

だからこそ。この研究所では実験体に対して名前を付けることを禁止している。

それは冒険者も言わずもがな。実験体に人としての感情を植え付けてはいけない。実験体は今の自らの状態が普通なのだと、当たり前なのだと、番号で呼ばれモノとして管理されるのが当たり前で普通なのだとその認識を変えさせてはならない。

だから、ククラマセスも27番に名前をつけることはしなかった。いくら親しくなろうとも、話そうとも、それでも名前をつけなかった。


でも。

鎌瀬山にはそんなものは関係ない。人を番号で呼ぶ習慣などもなくモノで扱わなければならない道理など無い。

だから。


「ニーナだ」


「え?」


「俺は人を番号で呼ぶ趣味なんざねぇからな。ニーナ。お前のことはこれからそう呼ぶ。短い付き合いかもしれねぇが、いつまでもお前呼びってのはどうにもな」


「名前?ニーナ……えっと、わたしの名前?」


「あぁ。俺が呼びにくいんだよ。嫌だったら……」


「嫌じゃない!!」


少女は、ニーナは大声で鎌瀬山の言葉を遮った。

何事かと、鎌瀬山はニーナを見て、彼女は自分が大声を出してしまったことに恥ずかしくなり頬を真っ赤にして俯いた。


「嫌じゃない……えっと、わたしは、ニーナ。ありがと、カナリさん!!ニーナ嬉しい!!」


「あ、あぁ。喜んでもらえたんなら何よりだ」


「ニーナ、ニーナ……えへ、えへへ」


名前など、自分にはそんなものはつくことは無いと思い、日々を過ごし、いつか夢見る外の世界への旅立ちだけを夢見てきたニーナにとって、名前をつけてもらうなど、想像もしたこともないことだった。

それだけに、今ニーナの胸中に渦巻くその幸せは計り知れない。

ニーナは満面の笑みを浮かべながら、頬に手をやり嬉しさを最大限に表現していた。その目じりには嬉し涙が浮かび頬を伝う。

それに気づいたニーナは涙を拭い


「カナリさん大好き!!」


鎌瀬山の腕へとその小さな身体を絡ませて抱き着いた。

自分に名前をつけてくれた存在、それは一種の刷り込みにも等しい行為には違いないのだが、鎌瀬山は当然ながらそれを理解することは無い。


「えっと、えっと。ニーナ、お外に出たらククラさんとカナリさんと冒険したい!!あとね!!勇者様にあってみたい!!ククラさんから聞いたの。勇者様はニーナたちを救ってくれる、助けてくれる存在だって!!ニーナね、お礼を言いたいの!!それでね、えっとね、一緒に戦いたいの!!一緒に世界を救いたいの!!」


満面の笑みで理想を、想像を、空想を、妄想を、想願を言葉にするニーナを見て、鎌瀬山はの脳裏にある言葉が浮かぶ。


『そのためにはこの成功例も犠牲にしもっと高めるつもりですよ。より成功に近づけるために、こいつらはその前座に過ぎません!まだまだ、魔核には利用価値があり、いずれ魔族から人類を救うことになるでしょう!!』


先ほど、聞き流していた所長のこの言葉が脳裏を掠め、ニーナのこれからを、これから彼女に起こりうる未来とその結末が想像できてしまう。

モノのように扱われ、酷使され、摩耗され、そして願いは叶うこともなく彼女の夢は潰える。


『勇者様はニーナたちを救ってくれる』


その少女の言葉は嘘だ。

勇者はニーナを救うことは不可能だ。このままなら、人族は救えてもニーナたちは救えない。

ニーナたちは、より強い戦力を生み出すための材料として使われることが決まっているのだから。

勇者に彼女たちは救えない、そして、勇者にはニーナにお礼を言われる資格など無い。


「……叶うと、いいな」


「うん!!」


奥歯を噛み締めながら、拳を固く握りしめながら、鎌瀬山は呟いた。

このままなら叶うことのない願いを。

鎌瀬山はわかっていた。

その願いを叶えられるのは、英雄王にすら不可能だ、幼女≪おさなめ≫にも、洲桃ヶ浦≪すももがうら≫にも、タロウにも。

その願いを叶えられるのは、勇者・鎌瀬山釜鳴ただ一人だけなのだから。


その翌日も、更に翌日も。

鎌瀬山はニーナの元へ通っては色んな話をした。時には、バレないように、東の方にある国だとごまかしながら元いた世界のことも聞かせた。

せがまれ、付きまとわれても、見せてくれる笑顔のせいでそこまで悪い気もせず。

元より、女の子に甘い鎌瀬山はニーナに話を聞かせることが日課になっていた。


魔族研究所の護衛任務5日目。

魔核の移動実験。

人の身体に馴染んだ魔核を成人を超えた人間に埋め込み拒絶反応が出ないかを調べる実験が行われることを所長に告げられ。

当然、身体と同化し、心臓部位にも等しい魔核を取り除かれた側がどうなるかなど簡単に予想が出来る。

そこに待つのは……死だ。


そして、同時に。


その実験に使う魔核がニーナのモノだということを、聞かされた。


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「顔色悪い。何か、あった?」


狼の獣人に特徴的なその白い毛に覆われた耳をダランと力無く伸ばし、小人族特有のちいさな身体をベットに目一杯広げてくつろいでいるクルムンフェコニは呟く。

彼女自身、ここについてから鎌瀬山の命でこの部屋以外に出ることを禁じられていたため特にすることも無くこうやって自堕落に寝転ぶことしかしていなかった。


研究所滞在5日目。

ニーナとのここ数日の日課に行く気もせずに、ニーナに見つからないように部屋に戻った鎌瀬山は疲れたような顔でクルムンフェコニの寝転ぶベットへと腰かける。その反動でベットが揺れ、クルムンフェコニの身体が一瞬飛び跳ねた。


「あぁ。ちょっとな」


「ん」


鎌瀬山の返答に、鎌瀬山が話す気が無いことをなんとなく感じ取ったクルムンフェコニは適当な返事をして寝返りをうつ。

そっけない対応と思われがちだが、鎌瀬山にとってもこの何とも言えない胸中をクルムンフェコニに語ることは出来なかったため彼もそこまで気にしていない。

むしろそのそっけなさが心地良いまでに感じていた。


彼自身。

この自らの中に渦巻く感情がわからない。


自分が何をしたいのか、自分がどうしたいのか。

その判断がつかない。


ニーナのことを思い浮かべる。今日、たまたま会って、少しの間話をしただけだ。

自らの扱いに疑問を持たず、叶うことのない、けれども大きな夢を持っていて。

名前を付けられただけで喜び、そして、勇者と共に戦うことを夢見る少女だ。


どこにでもある夢を掲げた、どこにもいない少女。

そして何よりも、勇者が自分を救ってくれると信じて疑わない少女。


ふと。


小さな手が、鎌瀬山の頬に触れそのまま横に倒される。

頭に当たる包み込まれるような柔らかい感触。自分の肩にかかるクルムンフェコニの綺麗な銀色の髪。

鎌瀬山の頭を抱きかかえるように、その小さな体を使ってクルムンフェコニは鎌瀬山を後ろから抱擁していた。


「クル子、一体これは……」


「いい」


クルムンフェコニはただそう告げて、慈愛の籠った笑みを浮かべながら鎌瀬山の頭を撫でる。

何も言わなくていい、と言葉ではなく態度で告げる。


「私は、わからないから」


告げる。


「釜鳴は、勇者で。その重み、私には想像できない。だから、辛くなったら。甘えて」


撫でながら、優しい声音で。母親が子供に、姉が弟に。言い聞かせるように、耳元で囁く。


「私は、釜鳴よりお姉さん。いつでも、だから……甘えて。私は……こんなこと。ぐらい。しか」


初めて会ったガリガリにやせ細ったクルムンフェコニではなく、獣人だからか、食べ物を多く食べたら数日で戻った肉付きの良い身体になった。

健康的な腕に抱かれ、肉付きの良い身体に頭を抱きかかえられ、耳元で囁かれる。


「私は、釜鳴に。救われたから」


慈愛に満ち溢れたクルムンフェコニの声音を通じて、鎌瀬山も次第に身体を彼女に任せ全身の力を抜く。


「……クル子。勇者ってのはどんな存在だ?」


「救ってくれる、人。弱い者を、守ってくれる」


「……だよな」


鎌瀬山の脳裏には英雄王正義が浮かぶ。

それは正義を体現した存在で、誠実で。いつか憧れた背中で。

誰もを救うために、自分の損得を考えずに。

皆を守る為に、自分一人で全てを背負い込もうとし。


英雄王正義なら。

きっとこの場にいたのならニーナを助け、他の成功例達も助け、きっと、実験体にされているあの掃き溜めに居た魔族たちも助ける筈だ。正規の手段を使って、自らの持ちうる手段をすべて使い、不正を暴き、論理感を解き、非人道的なこの行いを頓挫に追い込む筈だ。

英雄王はそういう男だ。彼は、いつだって正義の味方で、それでいて、弱い者の味方だ。


憧れた背中を。

きっと。

今、追いかけるべきなのだろう。


らしくないことだとはわかってる。

そもそも、これは独りよがりの偽善なのだと。そんなこともわかってる。


「あぁ、そうだった。俺の行動原理はただ一つ」


気に入らないから、東京タロウに喧嘩を売った。

気に喰わないから、九図ヶ原戒能に喧嘩を売った。


「この施設は、気に入らねぇし気に喰わねぇ」


いつか憧れた背中を追い続け。

けれども自分にはその憧れは遠すぎる。

だから。追い続けながらも、自らの行動原理に基づいて鎌瀬山は行動する。


彼のようにはきっと救えない。全員が納得する形で、ちゃんとした手段をとって目的を達成することなんてできない。

やりたいようにやる。気に入らないから、気に喰わないから。


俺は正義の味方じゃない、だが、勇者は弱い者の味方だ。


憧れを追い続けながら、鎌瀬山はその憧れとは決別する。

結果は同じでも、過程は違う。


「憑き物が……落ちた、少し?」


クルムンフェコニのその囁きと共に。


「あぁ。やっと自分のやりたいことが、やっていくことが見つかったぜ」


鎌瀬山釜鳴は拳を握りしめ、笑みを浮かべた。


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