第35話魔族研究所

浅く、湿り気のある空気が鼻を掠める。

ゴミを詰め、その上にゴミで蓋をしたような腐敗したような匂い。


汚物の混ぜ狂った狂気の臭いはその空間には充満していた。


手が無いと。

足が無いと。

身体が無いと。

顔の半分が無いと。


それ等は蠢いていた。

浅暗い深淵の中で。生きるためではなく、ただ、それは生きるしかないから生きているのだと。


死ぬことの無い永遠の牢獄を、ただひらすらに享受するそれ等は最早生き物ではない。


モノだ。


「胸糞悪いモン見せやがって」


柵越しの眼下に見えるその光景に、一人の勇者・鎌瀬山は顔を歪めて呟く。

目の前のそれ等は老若男女関係なく、すべてがそこに押し詰められ、モノとして扱われる。

生を受けた者としての権利が許されるはずもなく、ただ道具としてその生を扱われる。


老いた者も、若い者も。それこそ、いくつも年端も行かない者でさえ。


それ等は、否、魔族等は尊厳を剥奪されただの研究目的の為の実験動物としてそこに存在した。


『魔族研究所職員の護衛』


その依頼をギルドマスターであるガイ・ウラモから受け取った翌日。

鎌瀬山とクルムンフェコニは帝都を外れた先にある皇帝派であるプリアイ·パラカツの治めるカプリカ州に位置する魔族研究所へと出発し、1日の時間を費やし到着する。


カプリカ州と言っても、帝都近郊に位置する限りなく帝都に近い場所にあることから片道は馬車を用いて1日といった比較的少ない時間で行くことが出来、この依頼における魔族研究所への滞在は1週間に及ぶ。


ついた矢先、長旅の疲れを癒やす間も無く案内されたのが眼下の光景だ。


この光景を見せられて、一体自分に何を期待しているのか。

何を思ってこんな光景をわざわざ見せるのか。

そんな疑問が頭に過る。

ガイ·ウラモ。あの男はギルドマスターだ。

ならアイツはこれを知った上で勇者である俺に依頼したのだ。

何が狙いで俺にこんなものを。


鎌瀬山の胸中にはイラつきばかりが募る。




クル子を先に部屋へと置いてきて良かった、と。

到着直後、案内されたこれから1週間の間生活する部屋へと案内されたとき、長旅で疲れ眠そうだったクルムンフェコニを無理やり布団に押し込めた。

その行動が良かった、と反芻はんすうする。


クルムンフェコニは見た目や言動から忘れがちだが、あれでも鎌瀬山よりも幾何か年上なのだ。

しかし、勇者補正を受けている鎌瀬山とクルムンフェコニでは精神強度もそもそも違う。

特に、同族である眼下に広がる光景をクルムンフェコニが見た時のダメージは計りきれないだろう。


ここにあるのは、奴隷だとか、そう言ったレベルではない。

鎌瀬山のような優良な主人に会えば少しでも救われるとか、そんなものはない。


道具のようにすり減らされて、最後はゴミ同然のようにゴミに交じり棄てられる。

そこには生としての哀れみは無く、救いもない。

そんな希望の一塊もない光景だ。


「気に入りませんでしたかなぁ?」


鎌瀬山の背後で。

この光景を見せた研究員の一人は不思議そうに呟く。

名前を最初に名乗られた気がしたが、鎌瀬山はとうにそれを忘れていた、否、忘れた。

こんな人間の名前を覚える必要はないと。


「ここにいるのは帝国に巣くっていた無価値な魔族共です。そんな魔族を有効利用しようと設立されたのが当研究所でございまして……くふふ、そうです!冒険者様が隷属しているあの魔族もいかがで……ガッ!?」


気が付けば、鎌瀬山は研究員の胸倉を掴み壁へと押し付けていた。

死なぬよう、十分に力の加減をした為研究員はその命が散る事はなかったが、歪に曲がる右肩が骨を圧し折るだけの力を加えたことを物語る。


鎌瀬山は英雄王のような誠実な性格ではない。


眼下の光景を見て、不快に思いこそすれそれを理不尽だと、してはいけないことだと、正義感を振りかざすような人間性はできていない。

魔族と人族の中にどのような対立理由があり、どのような問題が生じているのかなど鎌瀬山は気にしたこともない。

ただ、対立しているだけなのだと、上っ面だけを見て中身を見ない人間だ。


だから、この不条理な行いを咎めるような人間ではない、が。

身内に手を出されるというなら黙っていられるはずが無かった。


「ぎあ……いた、ぐあ……」


ぎりぎり、と力を加えるごとに青くなり歪に歪む右腕を視界に捉えながら研究員は涙を流しながら呻く。

何故自分がこのような仕打ちを受けているのだとわからず、ただ、その理不尽な痛みに対して疑問を生み出しながら頭はパンクする。


その痛みに頭を殴打され、涙で霞む視界の中で、耳元で声がする。


「冒険者の魔族に手を出すなと全職員に伝えろ。何かしたらてめぇ等を死ぬより酷い目に合わせてやる」


怒りに満ちた声音。

そこに嘘は無く、ただ本心、明確な殺意が孕んでおり疑いようはない。


「ひ、ひィ!?わ、わかりました!!ぜぜぜぜ、全職員へつたえておきますすす!!!」


胸倉から手を離され、自由になった研究員は咳き込み、足りなくなった酸素を息を大き吸い込み吐き出す動作を繰り返し体内へと充填する。

そして、歪に歪んだ右肩の痛みなど無いかのように、痛みよりも恐怖がそれを上回って悲鳴にも似た叫びを上げながら震える足腰をフル稼働させよろめきコケながらも鎌瀬山から逃げ出しその場を後にした。


「チッ……胸糞悪いヤツラだ」


鎌瀬山は吐き捨てる。

眼下の光景は今もまだ、その地獄を写し出す。

多くの魔族が痛みに呻き、悲しみに涙を流し、ただ絶望の中をひたすらに生きる。


嵌められた魔隷の首輪はその命を絶つ事を禁じ、死ぬことも許されず。


一人の幼い魔族の少女が。

その顔は右目が無く、否、右目から右頭部にかけて存在せず。両足も左腕も無く、服を着てない腹部には槍で貫かれたような跡が残っていた。


生きていることが不思議な傷を負い、尚もその命を散らさないのは研究所での延命措置によるもの。

同じような傷を負いながらも、まだ生きている魔族は視界に入るだけで片手では数えきれない程に存在する。


その少女はたまたま上を見あげた。たまたま、その少女だけが鎌瀬山をその視界に捉えることが出来た。


少女は唇を動かし、鎌瀬山に言葉を伝えようとする。

研究所職員ではない出で立ちをした男に僅かな奇跡を願い、枯れた喉で出ない声を呟く。

その願いは、残酷であった。


『ころして』


と。


「……くそッ」


その唇の動きから言葉が読めてしまって。

考えることなく眼下を見てしまった自分を後悔し。


噛み締める奥歯、握りしめる拳から出る感情を押し殺して。

鎌瀬山はその手にジャポニカを顕現させた……が。


虚空に振るおうとしたその刃は次元の境界の寸前で止まる。

震える手がその先を行かせない。


助けを願うものではなく、殺しを願う。

その少女の絶望的な中で見出した一つの願いは、助かることよりも楽になることを選んだ哀れな願いを鎌瀬山では叶えることができない。


鎌瀬山を見るその少女の瞳には期待に応えてくれない失望など無かった。既に少女は締感しきっていたのだ。

少女は再び俯き生気のない人形のように変わる。


「くそッ……気に食わねぇな」


救おうにも救えない。

歯がゆい思いと自分の情けなさに唇を噛み締めた。



こんな時、アイツならどうするのだろうか。

そんな考えが鎌瀬山の頭中を過った。



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