第16話僕らの主従関係
一人部屋に戻った僕は、考え事をしていた。
英雄王と蜜柑の事だ。
英雄王の精神的危うさは異世界にきてから顕著になっていた。
それは初日から常々気づいてはいた。
けど、無視できる程度の問題かと思っていた。
今日までは。
鎌瀬山の模擬戦を聞いた時、蜜柑に問い詰められた時、その時に見せた英雄王のその様は異世界に呼び出される前には想像が付かないほど、酷く可笑しかった。
日本にいた頃はどうでもよかったが、こっちの世界であれでは困る。
僕の計画上、英雄王にはこれからやってもらわなければならない大事な事があるからだ。
次に蜜柑だ。怒りに満ちた蜜柑の声、聞いたのは久しぶりだった。あの子はあの手の―――。
ドアを軽く叩く音がきこえ、思考が中断される。
異世界に来てから良く僕の部屋に人がくるようになったな。
「少し良いですか?」
外から聞こえてきた声は淡々とした抑揚のない声。
蜜柑だ。
けど、何処か普段より覇気がない。
「蜜柑か。開いているから入ってくれていいよ」
「はい、失礼します」
ガチャりと扉を開け、部屋に入ってきた蜜柑はやはり何処か元気がなく表情も暗いようにみえる。
彼女のこの様子はさっきの英雄王との言い合いのせいなのは分かっている。
「遅くに失礼します」
「いいよ。まだ起きていたからね。用件は.....さっきのことかな?」
「はい、そうです」
「そうだね、さっきの事は蜜柑らしくも.....いや、普段の蜜柑らしくもなかったね」
蜜柑らしくもない怒りに満ちた声、普段の蜜柑しか知らない彼等からしたらさぞ驚いた事だろう。
「申し訳ありません。これから行動を共にしなければならない彼等と口論になってしまいました」
「別に口論するのを悪い事じゃない。寧ろ普通の事だよ。だから、気にする必要はない。それに、今回の件で英雄王の精神的危うさを理解出来た。そこは行幸だった。あれでは、突け込まれる隙が有りすぎて不味いと言うことが分かったからね」
「.......」
「.......話はそれだけかな」
「いえ.....。あの、その、私は太郎様からの期待に応えられていますか?」
彼女の不安そうにぼそぼそと聞いてくるその様は、僕と始めて出会ったときと酷似していた。
相手の顔色を伺い、媚びへつらい、捨てられることに怯えている目だ。
「期待.....?」
蜜柑の求めている事は分かりきっている。
かつて親に捨てられた彼女が求めるもの、それは承認欲求だ。
他人に必要とされていないと、認められていないと、不安になる。
人としてそれは普通の事だ。
蜜柑は、それが幼少期のせいで人よりその傾向が強いだけだ。
だから、あえて、答えるのを焦らす。
「あ、あれです。命令されたことを全うできてますか私は?」
得られると思った答えが直ぐに返ってこず、緋色の瞳が揺れる。
手に取るように蜜柑の心情がわかる。
「ああ、そういうことね.....」
「はい」
答えを急かすように速い返事が返ってくるが、僕はゆっくり落ち着いたまま逆に問い掛ける。
「蜜柑はどう思ってるの?」
「え? 私、ですか?」
流石に逆に質問されるとは思っていなかったようで戸惑った様子を見せる。
「そう。蜜柑自身はどう思っているか。僕は知りたいなぁ」
「そうですね。私は、」
白々しくも畳み掛けるようにもう一度言うと、蜜柑は少し迷う素振りを見せつつも抑揚のない声で喋る。
が、動揺を隠しきれなかったのか少し言葉が詰まってしまう。
きっとそれは無意識の内に本当に出来ているのか不安がっているからなんだろう。
「で、出来ていると思っています」
僕はそれを気にした様子もなく、ただ優しく語りかける。
「そっか、蜜柑は出来ていると思っているんだ」
僕のその言い方はまるで蜜柑の所感を否定するかのように聞こえるだろう。
勿論わざとそう言っている。
これからなんて言われるのか不安を煽り、思考力を奪う。
現に蜜柑は僕の言葉を聞いてさらに不安気な顔をしている。
「え、あの、私駄目だったでしょうか? 確かに今日は」
「どうかな。確かに今日は良くなかったかもね。いきなり蜜柑が怒るから皆驚いてた。けど、それはさっきも言った通り大した問題じゃない。でも蜜柑、どうしていきなり怒ったんだい?」
話を別の話題にまで広げ、最初の質問の明確な答えを僕はあえてまだ言わない。
「いえ、その。英雄王さんが、私たちの事を信頼していないと知ったとき、昔の、事をふと思い出してしまい頭がカァーとなってしまって」
分かりきった事を質問し、分かりきった返事を聞く。
けど、それを僕は今気づいたかのように振る舞う。
「そっか。昔の事をね」
「はい」
「.....だから蜜柑は今そんな顔をしているんだね」
「えっ」
「さっきから酷い顔をしているよ」
「......かもしれません」
「最初の質問は僕の信頼に応えられているか、だっけ?」
「はい....」
緊張した様子で顔が固い蜜柑、それと対称的に僕は柔和な笑顔わ浮かべる。
「ねえ蜜柑、期待や信頼ってのはどうやって生まれるか分かる?」
「期待や信頼は無から生まれる事はありません。日々のその人の行動、先祖の偉業から実績が生まれ、そこから信用、信頼、期待が生まれます」
僕の言葉に間髪いれずに返したそれは模範解答に限りなく近いモノだ。けど、僕の考えとしてはそれに正解をあげる訳にいかない。
「そうだね。信用、信頼、期待、どれも得るには自分を構成する要素が残してきた結果から生まれる。それは間違いじゃない」
1拍あけて、落ち着いた声音で蜜柑に質問する。
「蜜柑は、昔の事を覚えてる? まだ、蜜柑が来たばっかだったときの事」
「そこまでは......」
顔をしかめながら応えた蜜柑の答えは予想通りのモノだった。
もう、10年以上前の事だ。忘れていても無理はない。
それに、蜜柑にとっては小さい頃の記憶は余り思い出したくないものでもあるだろうし。
「そっか。まあ、ぶっちゃけるとね。うちに引き取られたばっかりの蜜柑はそりゃあ酷かったよ。洗濯も出来なければ掃除も出来ない、僕の髪をとかすのも出来なかったし、料理も出来なかった」
「そうだったかも知れません......」
苦い顔を浮かべる。
僕に言われて昔の事を少し思い出したのかもしれない。
「紅茶をいれるのも遅いし下手だし、覚えるのも遅かった。僕が何回蜜柑に煎れ方を教えたと思う? 34回だよ」
はっきりいって蜜柑の従者としてのスペックはそこまで高くもない。なぜなら、そもそも彼女自身が余り要領が良い方ではないからだ。
覚えが悪い従者とはそれだけで使い物になるものじゃない。
「はい.....」
しょぼんとした様子で元気なく返事を返す蜜柑。
それをみて、僕は更に畳み掛けるように事実を告げる。
「蜜柑は僕の期待に応えられてきたつもりだったかもしれないけど、僕からしたら君が残してきた結果は大してないよ」
僕の言う言葉は暗に信頼していない。期待していないと伝えているのと同然だ。
現に彼女は僕にそう言われたのだと悲しそうに俯いてしまう。
「そう、ですか.....」
小さく縮こまってしまった蜜柑。
僕はその小さな肩にそっと触れる。
「ッ.....」
ビクッと蜜柑は身体を震わせ、俯いた顔を恐る恐る上げる。
瞼には僅かに涙が溜まり、捨てられた子どものように不安そうな表情を浮かべていた。
その表情は何処か嗜虐心を煽り、扇情的にもみえた。
けどやはり、その表情、仕草は子どもの頃の蜜柑と綺麗そっくりに重なってしまう。
父上の後ろに隠れ、怯え、震え、縮こまっていた。その姿が思い浮かぶ。
上位者に媚びるように上目で僕を見てきて、此方の顔色を浮かべるように歪な笑みを浮かべていた。
会場で彼女が気持ち悪いといったのはもしかしたらかつての自分を彷彿させられたからなのかもしれない。
人は変わる生き物だなんて言うけれど、本質は、根っこはそう簡単に変わるものでも変われるものでもないみたいだ。
蜜柑は小さい頃の蜜柑のままだ。
けど、僕はこのままで良いと思っている。
無理して変わる必要なんてどこにもないのだから。
だから、彼女に言ってやるのだ。
甘い言葉を、耳元で優しく囁いてやるのだ。
それで、蜜柑が更に僕に依存することになろうとも。
「でも、僕は蜜柑を信頼してるよ」
「へっ?」
今までの結果だなんだといった話の流れをぶったぎり、否定し言ったその言葉は蜜柑にとって予想外の事だったからかきょとんと驚いて口を呆けるように開けてしまっている。
「何故だか分かるかい?」
「え、いえ」
「蜜柑、確かに残した結果から、人は信頼を生む」
「けど、実績、いや、信頼とは結果からしか得られないモノじゃないんだよ。社会や世間ではそうかもしれない。でも人と人の繋がりはそんなじゃない。理屈じゃないんだよ」
「結果? そりゃあ大事さ。けどそれ以上に何かを為そうとして努力したその思いも過程も大切なんだよ。蜜柑は僕の期待に応えてこれなかったかもしれない。けど、答えてくれようとしてくれた。必死に。必死に。だから、その過程にあった思いは無駄なものじゃなくて信頼に値する大切なものなんだ」
これは全ての事にいえる。
そう、結果だけ追い求めて何が楽しいのか。
結果なんて勝手についてくる。
だから結果に至るまでの過程を如何に楽しむか。
それが、人生を最大限楽しむ方法なのだ。
「太郎様.....」
「だから蜜柑は安心して僕の言葉に従ってくれ。君がそうであるなら僕も主人として君を信頼し続ける」
これは呪縛だ。
僕が昔から少しずつ蜜柑に仕込んできた呪いの言葉。
「はい、分かりました太郎様」
安心したように肩を落とし、蜜柑は笑みを浮かべお辞儀をする。
僕はそれに満面の笑みで返す。
なんて良い主従関係なんだろう。
まあ、嘘だけど。
僕が信頼するのは『僕』だけで、そこに例外は存在しない。
英雄王も同じだ。
彼が信頼しているのは彼自身だけだ。
僕らは互いに人を信頼することが出来ない人間だ。
だけど、彼と僕には決定的に違う点がある。
僕は決して、相手にその事実を気付かせない。
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