転の二  止まれない風と校舎裏の天使


 公園に来た頃には薄明るい程度だった空も、今は青々と澄み渡り、穏やかな陽気が体を包む。

 僕は最寄りのコンビニで2人分の朝食を調達すると、公園で待つ明寺の元に向かう。


 明寺は公園のベンチに寝転がり、頻りに目を擦っていた。

 レジ袋を彼女の頭の横に置き、僕はその隣のベンチに腰を下ろす。


 先ほど送ったメールの返信が社長と偉皆の両名から来ていることを確認し、

 その内容に目を通していると、サンドウィッチを静かにパクついていた明寺が呟くように言う。


「で……これから鏡花はどうすればいいんです?」


 彼女の顔をまっすぐに見やる。

 目の周りは腫れていて、隈も目立つ。今も酷い顔だ。

 それでもその瞳には確かに闘志が、希望が宿っていた。


「君にはこれから二週間の間、午後の時間割を全て潰して特訓してもらう」


「授業潰すって、そんな事出来るんですか! 天国ですね」


 明寺は目を輝かせる。 小躍りでも始めそうだ。


「社長から連絡入れてもらったからね。出来るよ」

 

 FOOO!そんな歓声が上がる。


「後日まとめて補講だけど。」


 聞くや彼女の顔が自嘲気味に歪む。


「ええ、まぁ知ってましたよ。武専はブラック! ハッキリ分かんですね」


 その上、生徒の事情で余分に授業をさせられる教員はすこぶる機嫌が悪い。

 あの地獄の時間については内緒にしておこう。


「ていうか試合は二週間後ですか? 意外と時間がありますね」


「ランクのかかる公式戦だからね。学校側もメディアの方も準備に気合が入る」


 ホァッなんて素っ頓狂な声を上げて、明寺は疑問口にする。


「何で公式戦? 鏡花はランク外だから、ランク3位の副会長には得がないです」


 その通りだ。 副会長側には公式戦にする得がない。どちらかというと……


「これは明らかに君に得が多い勝負だ。だから君は受けた。

 そういうシナリオにしたいのさ、お相手はね。」


 こちらの会社に圧力をかけて、対戦を受諾させた。

 そんな事、邪推されるだけでも人気商売としては大きな痛手だ。


「狡猾ですね。それに舐めプされてる感が凄いです。」


「それにしては楽しそうだよ?」


 目に闘志を浮かべて、口角を上げていた明寺に尋ねかけると、満面の笑みを零した。


「だって勝ったらジャイアントキリングですよ。浅間真翔みたいでかっこいいです。」


 この子はまた唐突に恥ずかしいことを言う。

 照れた顔を茶化されるのも嫌だったので、明寺を背に立ち上がり、


「そういうことだから。また午後にな」


 そう言って車輪を転がす。


「分かりました……けどなんで鏡花のキックボード持ってちゃうんですか?」


「これは没収。 さっきあげたそれに乗って登下校してね。」


 はぁ? なんて明寺の抗議の声が響く。


「スケボー乗り方とか知らないんですけど。ていうか勝手に乗らないで下さい!」


 怒られてしまった。特別な愛着があったのだろうか?

 僕としても身長にあっておらず、実際乗り辛いのでおとなしく降りて、肩に担ぐ。


「いやそれはそれで腹立ちます。やめて! 鏡花の愛車をドナドナしないでぇ!」


 大分遠くでそんな叫びが聞こえた気がした。




 事務所にもどると、社長が電話に応じながら忙しくメモをとっていた。

 こちらを発見するとウインクをよこしてサムズアップ。

 僕の出した結論に満足してくれているらしい。


 僕は席に着き、明寺の対戦相手の情報を整理し始める。



 天野御使あまのみつき


 兼定の生徒会副会長であり、校内ランク3位の実力者。


 誰もが振り返る様な金髪美少年で、勿論人気は国内トップクラスだ。


 その母は彼が所属する大手事務所の社長で、祖父はその親会社にあたる銀行の頭取。


 この家庭で育てられた彼には常に結果と優美さを両方求められ、彼はその期待に応え続けてきた。


 そんな彼が明寺と対戦した理由は生徒会にスカウトするか迷うため、直に実力を見たいとの事だった。


 その試合に降参した天野に兼定報道部が直撃したところ、スカウトの話は白紙にすると言う。


 そして明寺の更なる躍進に期待するかという質問にはこう答えている。

 そんな残酷な事とても出来ない と。


 明寺のサクリフィーチョに気づいた事は疑いようがない。

 だが、それは大した問題じゃない。


 問題は、それを悟った上で自分の負けにして場を収めてくれる様な人格者が、再戦を申し込んできている点にある。

 事務所から間違いなく言われているはずだ。今度は何があっても負けるなと。


「どうしたもんかなぁ」


 頭を抱えて溜息をつく、それほどまでに彼の本気は底が見えない。


 ずっとここで呻っている訳にもいかない。

 時計を見ると既に昼、僕は昼食を十秒でチャージして兼定へ向かう。



 明寺を呼び出したのは私闘室前の廊下

 小気味良い車輪の滑走音を鳴らして明寺は現れた。


「どうです? 鏡花は今、風になってますよ!」


 高速でこちらに向かって来ながらドヤ顔で言う明寺。

 実際彼女はスケートボードを乗りこなしているように見え、素直に感心する。


「でも止まれないんで助けて下さい!」


 感心して損した。受け止めて停止させる。

 明寺は顔を真っ赤にしながら、頻りに頷き、流石だのまた頼むだのと言う。

 いや、止まり方は覚えろよ。


 僕が私闘室の戸に触れると明寺から質問が飛んでくる。


「私闘室ってランク30位以内の選手しか借りれないんじゃ?」


 確かに私闘室は、実力ある選手が周囲の視線を気にせず切磋琢磨出来るようにと設けられた部屋で、ランク外の生徒は部屋の使用許可が下りない。


「だから雇った!」


 そう言って扉を開ける


 中には一人の女生徒が微笑んでいた


 片手には大きな盾、片手にはブロードソード、そして背中には大きな翼を携えている。

 まるで天使の様な出で立ちだ。


「さぁ! 彼女で傾向と対策の研究といこうか」


 明寺は彼女の顔を見ると、小さく声を上げ、縮みあがる。


 昨日面識を持ったんだったか? 一体どんなやりとりがあったらこの子がこんなにも怯えるんだ。

 そんな訝し気な視線を投げると、


「きっと寒くて震えてるんですね。早く稽古を始めてあげましょう、兄さん。」


 偉皆は柔らかな微笑みをまるで崩さぬままに、そう嘯いた。

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