三、道場へようこそ!
その後の授業中に愛氣の発作が起こる事も無く一日が過ぎた。
よく今まで誰にもばれなかったなと思う。
きっと本人も注意してたんだろうけど。
「稽古は五時半からだからこのまま道場に行っちゃおっか」
帰り道、愛氣が隣を歩いている。
「大丈夫なのか?」
「何が?」
「だから、その……」
「喘息なら気にしてもしょうがないわよ。つき合い長いしなれてるから」
「だけどさ……」
「直人こそ人の心配してるヒマなんてあるわけ?」
「え?」
「亮の奴、あれで意外と合氣道結構強い方だったのよ。今はあんなだけどちゃんと修行しないと勝てないわよ」
「分かってるよ」
「だったら、早く行くよ。強くなりたかったら人の何倍も頑張らないと」
言いながら愛氣は走り出した。
「あ、ちょっと待てよ」
俺は、愛氣の後ろ姿を追いかけて行った。
合氣道『妙心館』道場の平日の稽古は火、金、日曜日。
日曜日は朝九時から午前中いっぱい。
平日の稽古は午後四時半から始まる。
五時半迄は小学生迄の小さい子供のためのクラス。
五時半から六時半までは中学生。
七時から八時半までは高校生から大人。
と、言った風に分かれている。
俺がこの前虎蔵じいさんに投げられた時は火曜の大人クラスの時間だった。
金曜の今は子供クラス。
小さい子達が道衣に黒帯、黒袴の女の人の指導で楽しそうに稽古していた。
「あ、愛氣。今日は遅かったね」
その女の人が入り口の俺達を見つけるとこっちに来た。
自然な感じの薄く茶色がかったサラサラのセミロングの髪。
濃い茶色の大きな瞳。
線の細い色白のちょ~美人だ。
「うん。ちょっとホームルームが長引いちゃって」
「そう。その子? カレシって」
「!?」
「ち、違うわよ」
確かに違うけど……。
「もぉ、おじいちゃんね」
「ふ~ん。でも可愛いコよね」
ドキン!
そのお姉さんは俺をじっと見つめて来た。
「ちょっと、亜美
「直人くんって言うんだ。わたしは愛氣の『はとこ』の清水亜美。いっしょにお稽古がんばろうね」
「は、はい。よろしくお願いします」
綺麗なお姉さん……亜美さんがニッコリと微笑んだ。
《ドン!》
「イッテッェ!」
愛氣が俺の足を思いきり踏んづけた。
「ほら、すぐに次のクラスだから早く着替えて」
「足」
「え?」
「踏んでるって」
「ごめん。気づかなかった」
愛氣は俺の足から踏んづけていた自分の足を離した。
気付かなかったって、そんなわけねぇだろ。おい。
愛氣は女子更衣室のある奥の部屋にさっさと行ってしまった。
わざとだよね。
絶対、わざとだよね……。
俺は男子更衣室で体育の授業で使っている柔道着に着替え、白帯を締めると外に出た。
「直人着替えるの遅すぎ」
更衣室を出ると着替え終わった愛氣がドアの所で待っていた。
「それに道衣の
「え?」
「いい? 道衣を着る時は右手が
言いながら愛氣は俺の白帯を取ると袷を直してくれた。
「そ、そうなんだ」
「そうよ。ちゃんと柔道の授業で習わなかった?」
「そう言えば習ったよ~な気がするけど、そんな深い意味までは……」
今度は愛氣が俺の腰の後ろに手を回したりして、帯を締め直してくれている。
てゆーか愛氣、近すぎなんですけど。
これじゃあ、なんか抱き合ってるみたいじゃんかよ……。
愛氣の前髪が顎に当たってくすぐったい。
「はい、終わり。次からはちゃんと自分でやるのよ」
やっと愛氣が俺から離れた。
「あ、ありが……と――!」
改めて愛氣を見た俺はハッとした。
愛氣は白いTシャツの上に白い道衣の上、白い道衣ズボンの上に紺の袴を穿いている。
ただそれだけなんだけど、その姿がちょー決まっている。
この前来た時も愛氣はこの姿だったはずだけど。
その時は虎蔵じいさんの凄さに圧倒されて、ちゃんと見てなかった。
着こなしって言うのかな。
まるであつらえたみたいに愛氣にはぴったりな衣装に思えた。
それはただ単に長くやっているからと言うだけでは説明出来ない輝きを放っている。
『美』
まさにその姿は頂点をなぞると二等辺三角形にも見えるこの漢字のような立ち姿。
正直、中学のセーラー服だと、普通の女の子にしか見えない。
だけど、こうして合氣道衣姿になると断然存在感が違う。
こんなにシンプルな着こなしが、こんなに似合うコがいるんだな。
「ちょっと、帯キツすぎたかな?」
「あ、いや、そんなことないよ」
「そう?」
「うん」
「あたしはちょっとキツめに締めちゃうから。じゃないとなんか氣が締まらなくて」
「俺もユルいよりは少しくらいキツいほうがいいかも」
袴に半分以上隠れて良く見えないが愛氣は茶色の帯を締めている。
「あのさ、愛氣はまだ初段とかじゃないの?」
「え? ああ、うちの道場では黒帯は高校生にならないと頂けないのよ」
「でもあいきねえちゃんには、くろおびのせんせいだってかなわないんだぜ」
不意に下から声が聞こえてきた。
黄色い帯を締めた小さな男の子が、俺を見上げている。
「こら、真悟。ダメでしょ。ちゃんと稽古しなきゃ」
愛氣が優しく真悟と呼ばれた男の子の頭に手を置いた。
「だってさ……」
「分かってるって。真悟は愛氣の事が好きなんだもんね。愛氣が他の男の子といるのが嫌なんでしょう?」
「ち、ちがうよ」
子供って正直だな。亜美さんの言葉にあきらかに動揺してるじゃん。
「よし、真悟。お姉ちゃんと稽古しよっか」
「うん! おれ、おっきいまえまわりうけみできるようになったんだぜ」
「へぇ~凄いじゃん。それじゃあ、前方投げするからカッコイイところ見せてよ。さあ、突いてきて!」
「うん!」
言うなり真悟はいきなり愛氣に向かって拳を突きだした。
それを愛氣はヒラリとかわすと真悟の伸びた腕を軽く持つ。
そして、そのまま真悟が前回りをしやすいように導いてやった。
真悟の小さな身体がコロッと畳に転がって、立ち上がった。
へぇ~、小さいのにうまいもんだな。
「あの子も、もう入門して二年位なのよ」
「そうなんですか」
側に来た亜美さんからほのかに甘いシャンプーの香りがした。
「そう、九級。愛氣は一応一級。でも実力はもう黒帯よね。直人くんも知ってるでしょ?」
「ええ」
知ってるどころじゃない。
亮達が投げられたあの日、最強の女の子に出会ったんだ。
真悟は楽しそうに愛氣に掛かって行ってはコロコロと畳に転がる。
「あれはね 投げられてるんじゃなくて。自分から受け身をとっているのよ」
「自分から?」
「そう。合氣道には試合がないのよ。だから、受け身を取っても負けじゃないの」
「武道なのに?」
「そう。合氣道って、相手と比べて強いとか弱いってことにこだわってないのよね」
そう言えば、柔道だと体育の授業でも勝つことに一生懸命だ。
だけど、今目の前にいる愛氣や子供達は投げる方も投げられる方もなんか楽しそうだ。
合氣道……。
色んな意味で不思議で、奥が深い武道なのかも知れない。
「直人くんも体験してみる?」
優しい声と共に亜美さんが俺の右手を握って来た。
「え!?」
体験ってナンすか?
長尾直人、中二にしてついに大人の階段を……。
「――!?」
ぬわっ!
亜美さんの右手が優しく俺の右手を撫でたかと思うと、手首に激痛が走り俺はその場に崩れた。
「あ、ごめん。痛かったよね?」
はい、とっても。
俺は痛みをこらえながらなんとか立ち上がった。
「ごめん、ごめん。手加減したつもりだったのに」
そう言いながら亜美さんは俺の右手首を優しくさすってくれた。
いやあ、もうこんな事なら手加減なんてしてもらわなくっても大丈夫っすよ。はい。
あれ?
でも不思議だなあ。
亜美さんにさすってもらってると手首の痛みがホントに治まってきた。
「――!?」
って今度はなんだよ!
何かが両肩に触れたと思ったら――。
俺はいきなり後ろにバランスを崩して尻餅をついてしまった。
「どう? 体験出来た?」
愛氣、いつの間に。
「なにすんだよ」
「直人がぼ~っとしてるからでしょ」
「してねぇよ」
「してた」
「ちょっと技を教えてもらってたんだよ」
「どんな?」
「どんなって――」
「こんな感じ?」
愛氣が俺の右手を握って来た、かと思うと――。
「!?」
ぬわっ!
またもや俺はその場に片膝をついて崩れた。
「交差取りの二教って言うのよ。今度から道場で女の子と手をつなぐ時は氣をつけるのね」
にきょう……。
どうやら手首の関節をきめる技の名前らしい。
「愛氣、本氣できめたらかわいそうでしょ」
「なによ、亜美姉こそ先にやっといて。綺麗な顔してSなんだからさ」
そうなんすか!? 亜美さん。
「あたしはちゃんとケアしてあげたもの」
「言っとくけど、あたしは亜美姉みたいに優しくないからね」
「あいきねえちゃんおこらせると、たいへんだぞ」
「え?」
「まっ、そのきのつよさがいいんだけど」
真悟が俺の脇腹をつついてきた。
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