第二章 いざ、修行開始っ!

一、美沙ちゃん

「ただいま」

 俺は自宅のマンションのドアを開けた。

「遅かったわねぇ」

 母、美沙子が化粧台の鏡越しに声を掛けた。

 三二歳の母親は同級生の父兄よりもかなり若い方だ。

 職業は夜の蝶。

 年齢は六歳はサバ読んで銀座で働いている。

 童顔のせいもあってか特にバレてないようだ。

 父親は知らない。

 俺がもの心ついた時にはいなかった。

 街をいっしょに歩くと必ず親子と言うより姉弟に見られることも多い。

 小学校の授業参観の時なんかは、いつも姉が来ると思っていた同級生もいたくらいだ。

「うん、ちょっと友達の所に寄ってて」

「あら、珍しい。直人が友達の話するなんて」

「そうかな」

「そうよ。小学校の時はまあ遊びに来てくれた子もいたけど。引っ越して今の中学入ってからは全然だったじゃない」

「全然ってわけじゃ……」

「女の子でしょ?」

「え?」

「やっぱり。彼女出来た?」

「そんなんじゃないって」

「いいじゃない。別に隠さなくったって。なんて子?」

「道場の子だよ」

「どうじょう?」

「そう。合氣道」

「あいきどう?」

「習ってもいいかな?」

「それって武道なんでしょ? 危なくないの?」

「そりゃあ。全然って事はないけど。ちょっと月謝とかかかるからさ」

「月謝? いいのに、そんなの気にしなくて。直人、部活も入ってないからいいんじゃない? いい運動になって」

「ありがと」

「良かった」

「何が?」

「最近、元気無いみたいだったから。もしかしていじめとかに遭ってたりしてるのかなぁって」

「そ、そんな事ないよ」

「何かあったらちゃんと言うのよ」

「うん」

 メイクが終わった母、美沙子が振り向いて立ち上がった。

 あんまり派手ではないお化粧。

 ナチュラルメイクって言うんだっけ。

 少し茶色の肩より下の長い髪。

 薄いピンクのミニのスーツ。

 薄い白系でシルク調のストッキングをはいてる。

 まるでファッション誌のモデルさんみたいだ。

 自分の親ながら意外とイケてるかも。

 母は俺の前ではそんなにド派手なカッコとかメイクをしたことがない。

 もちろんお店の中ではドレスアップしてるんだろうけど。

 だから小学校の五年まで俺は母の職業をちゃんと知らなかった。

 母なりに俺に気を使ってくれてたんだよな。

「じゃあ、あたしお仕事行ってくるから。イイ子にしてるのよ!」

「なんだよそれ。美沙ちゃんさ~。俺もう中二なんだぜ。ガキ扱いすんなよな」

 そう、実は俺は母親のことを“美沙ちゃん”と読んでいる。

 もちろん学校のみんなの前では“お母さん”だけど……。

 店のお客さんには子持ちだってことはもちろんナイショ。

 だから、普段から名前で呼ばせてると街中でお客さんとバッタリなんて時には都合がいい。

 そんな時は俺は一応年の離れた弟ってことで……。

 あとは本人が若くいるためにもそう呼ばせているんだよな。

「な~に生意気言ってんだか。ガキんちょが」

《チュ》

 美沙ちゃんが俺の頬にキスをした。

「わっ、やめろよ」

「ご飯、カレー出来てるから。じゃね~」

 若くて綺麗な部類に入るであろう自称二六歳の母は玄関を開け夜の街に飛び立って行ったのだった……。

 ……なんてね……。

 俺は小学校迄は千葉に住んでいた。

 だけど母親が銀座に『就職』したのを機に引っ越した。

 中学はもちろん都内のに進学した。

 入学早々、知っている仲間もいなかった。

 一人でいる事は別に苦じゃなかった。

 けど、いじめをする奴らは得てして俺のような『ひとり者』を狙うらしい。

 最初は抵抗したり、うまく切り抜けようとしていた。

 たけど奴らは諦めずに俺にちょっかいを出し続けた。

 まあ、最初はからかう程度だったけど、それが段々エスカレートして……。

 中一の二学期。

 俺は、大隈亮達三人にリンチされた。

 理由はあいつらが話しかけた時無視したってことで。

 理由はなんでも良かったんだろう。

 あいつらはただ単にカモを探していただけ。

 俺はそのカモにされたんだ。

 毎日、サンドバック変わりに蹴られ殴られ、プロレスの技の実験台にされた。

 見ようによっちゃじゃれてるようにも見えなくはないのかも知れなかった。

 だけど、知ってる奴は知っていた。

 決してじゃれあってるわけじゃないってことを……。

 担任もなんとなく気づいていたようだが見て見ぬ振り。

 結局俺は中一の間じゅういじめを受け続けた。

 母親には言えなかった。

 心配を掛けたくなかった。

 小学校の時からも片親だの水商売だのと、他の父兄から言われていたのを知っていた。

 母親も新しい店に入ったばかりで色々と大変な時期だった。

 俺もまだ我慢出来ると思っていた。

 二年になればクラス替えがある。

 そしたら奴らとも離れられて、いじめの対象から逃れられるだろうと思っていた。

 だけど、それは甘い考えで奴らとはまた同じクラスになってしまった。

 また地獄のような毎日が始まるのかと思った。

 始まりかけた。

 そんな時上杉愛氣に出会った。

 俺は、その晩中々眠れなかった。

 合氣道……。

 愛氣……。

 世の中にあんなに凄い武道が有ったなんて。

 俺はベッドに入り天井を見上げた。

 寝返りをうとうとする……。

「イテッ」

 道場で虎蔵じいさんに投げられた感覚がまだ背中に残ってる。

《ガチャ》

 母、美沙子が玄関のドアを開ける音を微かに聞いかたと思うと、俺は少しづつ眠りに落ちていった……。

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