分かりにくい2人

この人と話していると、どうもかみ合わない。

そんな人、周りに居ませんか?


最近まで私のごく近くに一人いました。

過去形にしてしまったのだから、その人は私の人生に今は居ない。

この地球上のどこかで、毎朝起床し、夜就寝しているんだろうけれど、

私の毎日にも、携帯にもその人は存在しない。

その人の存在自体がなかったと思いたい。


その人はもしかすると、ガラスよりも繊細な心を持っていたのかもしれません。

衝撃で割れるのではなく、音波で割れてしまいそうな心を持っているのだろうと思う。



「なんか、怒ってるの?」

まだ何も言葉を交わさないままに、その人は私にそう聞く。

「どうして?」

「いや、なんだか、怒ってるように見えたから。」


確かに、私は笑い顔ではない。黙っていると怒っているように見えるのかもしれない。


「なんか、怒られてるみたい。」

一言弄れば、攻撃されていると思うその人は、もしかすると、自尊心の塊で、それとは裏腹にコンプレックスのようなものを持ち続けていたのかもしれない。


そういう人に限って、自分が言ったり、することが他人を傷つけてるいるなんて思いもせず、自分が傷つけられたことだけを主張する。


どうして、人間は、自分がされたことを主張して、自分が相手を傷つけただろうことを一歩下がって全体像を見ることができないのだろう。


その人との折り合いをつけたくて、仲良くしていきたくて、私は自分の息を殺して生活していることに気が付かなかった。

その人と一緒に居るのは愉しいけれど、同時に治らない軽いやけどが心の表面に出来ている感じで、何があっても過剰に反応してしまう。

「その服良く似合ってるね」褒められるたびに裏があるように感じる。

「電話してもいい?」悪い知らせをするため?

「仕事が終わらないから、今日はごめんなさい。」仕事という嘘の言い訳。

その人と一緒にいた期間とき、自分を好きになれなかった。

醜い自分も、ダメな自分も、どうしちゃったの自分?と思うような自分、いろんな自分に出会うことが『恋』だと思っていた。

でも、それは大きな勘違い。


『恋』というのは、会えない時間にため息を数え、一緒にいた時間を思い出しては余韻に浸り、また逢う日の事を想像して心に蓋をする。

また会えるのかを心配し、考えるだけで不安になる心に蓋をしてカギをかけなければいけないのであれば、それは恋じゃない。それは執着。


貴方の恋は執着じゃないですか?










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