記憶=気を置く

「会うのはこれが初めてじゃないよ。僕たちは何度も前に会っているんだ。」

私はこの言葉を何度も人生の中で聞かされてきた。

長く付き合っていた彼にも私が初めて会ったと思った時に、

「さっきから何度もすれ違っているんだ」と、

数年前に別れた恋人にも初めて会った時「これが初めて一緒にする仕事ではない、たぶん、4回目・・・」

常連の顧客にも「これでお会いするのは3度目ですね。」

新しく入ってきた後輩にも「はじめまして!」と2度ほど挨拶をし続け、後輩から「これで3度目です」と言われたときには、自分に障害があるのかもしれないと思った。

そして、先日、最近初めて会ったと少なくとも私は思ったゲイの友人に「18年の間に、何度も一緒に仕事をしたわ」と言われた。

私自身の記憶力のなさと、他人に関する興味がないことには呆れるとしか言いようがないという終わりに達した。

他人に興味がない、つまり、他人を記録しておく意思が私にはまったくないのだろう。



人間とは、本当に気ままな生き物で、意思によっていろんなことを遮断することができる。その時の気分でいろんなことを選択して、自分が信じたように見聞きし、解釈しようとする厄介な奴らだ。


先週の金曜日、友人と散々美味しいものを食べ、楽しい時間を過ごした後、帰るにはまだもったいないと言う事で、カラオケに行くことになった。成田のような田舎では夜の9時も過ぎると、何もすることがなくなる、飲みに行くか、カラオケに行くというのが相場だ。

「いらっしゃいませ。」

アルバイトの若い女の子が出迎えてくれた。

「お二人様ですか?今の時間ですと、1時間待ち時間になります。」

私は待つことが大嫌いだ。Aということを待つくらいならば、プランBを選択する。たとえ、プランBが無くても。

連れの意見も聞かず「では、また出直します。」と踵を返す私に、

「空ちゃん。そんなに長く歌いたいの?1時間だったらいいんじゃない?」

「だって、1時間待ちでしょ?」

「違うよ、1時間しか使えないって言ってたよ。1時間だけサクッとストレス発散して帰ろうよ。」

「本当?1時間待ちって思ったんだけれど。。。」

「いえ、1時間の時間制限です。」女の子のアルバイトが振り返った私たちに笑顔で教えてくれる。

「じゃ~すみません。お願いします!」



人間は自分の置かれている立場や感情を基点に、外部からの情報を笊にかけ、自分が欲しいと思う状況、或は、欲しいと思った情報だけを取り込むきらいがある。

そういう事を「勘違い」、「聞き間違え」と言うのかもしれないけれど、私の場合はそれが病的に甚だしく、実際に起こったことも、自分なりの解釈で編集されて、「こんなことあったよね!」と言われても「その話、人違いじゃない?」と言ってしまう始末だ。

こうなると、痴ほうが始まった人間が、店の商品を持ち出して、記憶にないと言い張る事と変わりなくも思える。

とはいえ、私は至って健康である。

記憶するにあたって私は気を置いていないんだろうと思う。

フィットネスクラブのスピンを漕ぐように、つまりどこにも行かない自転車を全力疾走で漕いでいるように、私の頭の中は自分が言いたい事、自分がしたい事で一杯いっぱいで、またそれをつたえたいと言う気持ちで忙しく、情報を正しく受信することができなくなっているのではないかと思う。とどのつまり、極端に自分勝手な人間なのだ。

気を置く、記憶をきちんと心がけなければ、他人や愛する人との間にすれ違いや誤解を生じさせることになり、最終的に自分も悲しい思いをすることになる。


気を置いて記憶する。


カラオケの小さな部屋に爆音で音楽かかっていても聞き逃すことがない電話のベルが鳴り響く。

「お時間10分前です。宜しくお願いします。」

「10分ですね。了解で~す。」

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