現実から夢へ
小さい頃、夏休みになると母方の遠い遠い親戚に預けられることが多かった。
田辺という和歌山の南にあるこの町は弁慶のゆかりの場所で、
私が預けられる祖母の妹にあたる田辺のおばちゃんの家は、田辺駅から目と鼻の先の踏切のすぐ側だった。
東京のような大都会の線路事情と違い、1時間にせいぜい4本ほどの電車が通るくらいで、線路際と言うのに静かで、あえて言うならばチンチンチンチンと時折聞こえる踏切の音が長閑で、田舎の静けさをかえって飾っていた。
祖母の2歳下の妹である田辺のおばちゃんは、私の兄と同じ年になる息子のいる未亡人で、
考えてみると、昔の人にしてはかなりの高齢出産だったのだろう。
高齢出産、戦争未亡人、シングルマザー。おばちゃんはその時代の女性のホープだったに間違いない。
子供は息子だけだったので、たまに訪れる幼い女の子の私をいたくかわいがってくれた。
和歌山、殊、和歌山の南の夏は暑く、夜になるとクーラーを入れてくれた涼しいお部屋では仏壇のお線香と蚊取り線香がそこだけ時間の流れ方が違うようにゆらゆらと白い線を天井へを立て、空中のどこと決めないところで思い思いに線は消えていく。
畳の上に敷いてもらったお布団の上で、お風呂上りに大の字になっていると、昼間に遊びすぎた疲れから、まだまだおばちゃんとお話をしたい私をよそに、おばちゃんの声が向こうへ向こうへ、消える線香の煙のように遠のいていく。
私が遠くへ遠くへ行ってしまう。
「おばちゃん?おばちゃんの声がどんどん遠くになっていくわ・・・・。」
「はははは~。空ちゃんよぉ、いっぱい遊びやったからなぁ、寝よしよぉ。」
私の目は閉じてしまって、おばちゃんの表情は見えないけれど、声が優しく笑っている。
大阪の大学に通うようになったころ、和歌山弁は汚いとか、キツイと言われ、なんとなく大阪弁に矯正せざるを得なくなったけれど、
両親の実家が紀南ということで、夏休みなど、紀南の祖母の家や遠縁の親戚の家に預けられることが多かったせいか、和歌山の南の方の方言に馴染みがあるその和歌山弁はもともとおっとりしていて、耳に優しい。
現実から夢に入る瞬間は幸せだ。
渋みも酸味もない、みずみずしい和歌山、荒川の白桃のような匂いがしそうな優しい幸せ。
私を傷つけるものは誰も居ない、脅かすものは何もない、穏やかで、居心地の良く、安全な場所で眠りに着くのは幸せだ。
ご飯を食べさせてもらって、遊ばせてもらって、笑って話しかけてくれる大人がいる。
アカンことをしたら、アカンと、道理に添って叱ってくれる。
踏切が閉まる音が現実の世界遠くへと、踏切の開く音が夢の遠くから聞こえて来る。
大人になるにつれて、夢といえば夢が現実になる喜ばしい話か、夢が夢で終わる悔しい話ばかりが焦点になるけれど、子供のころは、ピーターパンの世界のように、現実が夢へとつながっていくことが多いように思う。どうしてだろう?
仕事の悩み、ぼんやりと抱える将来への不安、離れ離れになってしまった昔の恋人、もしかすると喧嘩中の恋人。
ベッドに横になれども、眠れずに考えることは夢に持ち越したくないから?
夢は夢で別の世界であって欲しいと思うからかしら?
夢にも現実でままらない事が出てきそうで怖くて、ますます眠れなくなる。
ちり~ん。
ベランダの大きな窓に掛けた銅製の風鈴が鳴らす。
ちりん。ちりん。りんりんり~ん。
今夜はあまり風もなく、静けさに優しい音が映える。
現実の世界が少し遠のき、夢の世界が遠くから私を誘う。
現実から夢へ入る瞬間。そのふんわりとした感覚を私はとても幸せに思う。
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