時間の接着剤

突如、靴の踵に付きまとう何かを感じた。

ある日曜日、人混みがマックスの街を恋人と散歩していた時のこと、、、。異変を感じた。強力なチューインガムが10個ほどくっついているような、ビヨーン、ビヨーンという感覚。

足元を見ると踵が重く剥がれて、後ろから見ると、わたしの背後にいる全ての人間にあかんべえをしているようにもみえる。なんとも挑発的な背後だ。

そんな格好の悪いことによりによってデートの時にならずとも良いのではないかと思いながら、靴が壊れたことを彼に告げると、「新しい靴を買ってあげる。」と言うではないか。

きっとそれは彼なりの優しさなり、粋な計らいなのだろう。

若い女だったら「きゃ。嬉しい」なんてデパートの婦人靴コーナーに彼の腕にくるまってスキップしていくのだろうが、歳のせいか私にはそうはできない。

時間をかけてこの服に、この靴を合わせて家を出てきたわけだから、そんな容易に新しいものを迎えるわけにはいかない。

気に入ったこの靴のデザインはそうそう他人と重なるものではなく、サイズもピッタリな上に履き心地も抜群で、何より長く連れ添ったパートナーのように履き慣れている。

そう!履き慣れている。

履き始めの頃はどことなく違和感があったように覚えているが、時間を超えて、いろんな場所へ私を連れて行ってくれたこの靴には思い入れがあるのだ。

多少踵が剥がれ落ちたからといって、「ハイ!次!」と、新し靴を探す気にはなれない。

新しい靴を買ってやると言う恋人とは対照的に靴が壊れた時、私が1番に思った事は靴の修理屋さんはどこか?という事で、新しい靴を買ってもらうことではない。それに、靴くらい、自分で買えるし、どうせ買ってくれるならば、「買ってあげる」などと恩着せがましく言わず、選んだときにカードをサっと出してくれれば良いのだ。

スマートなのか、スマートでないのか、判断しかねる計らいは彼なりの愛情の表現だと思えばこそ潰しにかかる気持ちにもならず、若者をターゲットにした靴屋に立ち寄るも、ざっくり見回しても無料ただでも欲しいと思う物がない。

「新しい靴は要らないからさ、瞬間接着剤が欲しい。取り敢えず今日帰るまでその場しのぎ的にくっつくような。。。それで靴屋さんんに修理してもらうわ」

たかだか接着剤を探すのにハンズを二店舗周り、行き着いたハンズの工作コーナーに腰掛けた。

私が手に取った瞬間接着剤は子供の頃からコレと決まっているのに、まったくそれは壊れた部分を修繕してくれない。

「このタイプの接着剤じゃつかないんだよ。」彼が接着剤コーナーに姿を消した。

万能の神のように私が信じて疑わないその神の糊は、「皮の裏側などには使えない。」と但し書きがされていた。

「バカだな~。もっと頭使って接着剤付けないと、指についちゃってるじゃん。コレじゃないと!」俺がいないとダメだなと言わんばかりに、新しく購入した接着剤を手に帰還した彼が無惨な形になった私の靴を取り上げ、丸いスチール製の椅子に腰をおろす。

言葉とは裏腹に、彼はとても優しい目で私が履きならした靴に接着剤を付けだした。

私は彼のこの手が好きだ。

正確に言えば彼の手も好きだ。

男っぽい手の割には手のひらは猫の肉球のように柔らかく、彼自身を表している。


ある外国のドラマのワンシーンにこんなセリフがあった。

大きくすれ違った夫婦がいて、夫がやり直す為に妻に言う。

「愛してる。キミ無しでは生きていけない。」

男前の男性に言われればどんな女性でも考えずに「私もよ!」と言いそうなセリフだ。

しかし、主人公の妻はこう返した。

「私も愛してるわ。でも貴方無しでも私は生きていけるの。」

えーーーー?気は確かですか?とテレビの前で私は仰天した。一呼吸おいて彼女が続ける。

「でも、貴方なくして生きて行きたくないの。」

いやーーーん。私はソファーに踏ん反りかえして足をパタパタした。


貧乏性なのかもしれないけれど、何かが壊れたときに直ぐに捨てる気になれない。同じものが手に入るとしても、自分が使っていた愛着もあるし、できるだけ修理し、ボロボロになって役目を果たすまで、私なりに大切にして使いたいのだ。

ヒトは、新しいスマホやPCが出れば直ぐに買い替えたくなり、まだ袖も通したことのない洋服が箪笥で出番を待っているのに、新しい服を買ってしう。

人間関係も、少しの口論でブロックしたり、別れたり、向かい合って話し合えば修復可能だったかもしれない物を、安易に手放してしまう。


それ無しで生きていけないことなんて、ほとんど無い。

それ無しで生きていきたいか、生きていきたく無いか。


捨てること、手放すことはいつでもできる。

だからこそ、もう一度考えて欲しい。

買った時のワクワク感。それを履いて行ったいろんな場所や時間、楽しかった思い出を。



「くっついたんじゃない?」

裸足になった私の左足の前に靴を置いた。

素人のその場凌ぎ程度に市販の接着剤で修理されたその靴は、

茶色のレザーの部分に付着した接着剤が乾燥して白い汚れになってしまい、多少不細工になったものの、きちんと靴として復活していた。

「履いて、ちょっと足踏みしてみたら?」

そう言いながら後片付けをする彼の指先にも私の指先にも接着剤が付いてガサガサだ。

「日曜の昼間に、靴修理してる俺等って面白いね」

接着剤を求めてハンズを二軒もハシゴするなんて些かバカバカしいけれど、彼なりの「俺がサポートしてやる」という他の人に分かりにくい姿勢だ。

「デートではなかなかないコースだね。」なんだかおかしい。


ちょっと不細工になった靴も、そんな物語を授けてもらったと思うと、なんだか味のある靴となり、ますます愛着が出た気がする。

人間関係も、壊れた物を廃棄して次を探すのではなくて、

互いに修復する心を持てば、汚れも傷も愛おしく、関係そのものも味が出る。

なにより、「あの時、ハンズを梯子してまで接着剤探し、靴修理したよね。」なんて、未来の話のネタになるはずだ。

問題発生はうまく修復すれば未来との接着剤になるんじゃないかな?なんて思うのです。















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