心は雨色

朝から一日中、頭の中で徳永英明のレイニーブルーが流れている。

壊れかけのレディオではなく、電池が続く限りの壊れきったラジオのように何度も何度も、流れている。

沢山の歌手がこの曲をカバーしているにも関わらず、私の頭の中で止まることなく流れ続けるのは徳永英明のそれ。

今朝の情報番組で「雨」と言われて思いつく曲は何ですか?というインタビューで世代を超えてこの曲が選ばれたと言っていたこともあるのだけれど、この曲が流れたときに思い出さす人がいたからだ。


彼がその曲を歌っていた日の事を思い出し、いまは幸せにしているのだろうかなどと考えては時間が経ち、一日が終わろうとしている今も口ずさんでいる。


この曲が流行った時代の連絡手段の主流が電話。

それが家の固定電話だった頃から比べると、メール、LINE、フェイスブック、ツイッター、何なりとあり、ダイアルをひとつひとつ押す、あるいはダイアルをひとつひとつ回し、ダイアルが元の位置に帰って来るのを待つじれったい気持ち、急くあまりダイアルが戻る時間も惜しくて指を突っ込んだままダイアルを戻すもどかしさを味わうこともなく、気軽に相手と繋がることができる。

安易にブロックしたり解除したり、どんな思いで想いをふっきろうとしているなどお構いなしで「元気?」などと連絡を寄越して心を揺さぶられることもある。


ある時、ある人に紹介され、ある男性と大人のお見合いをした。

大人のお見合いとは、紹介人が同席せず直接本人が会うこと。いわばブラインドデートだけれど、ラインのプロファイル写真がお互いに顔写真だったので、ブラインドではない。


待ち合わせた有楽町の改札へ小走りにやってくる背の高い眼鏡の彼がその相手だった。都内は梅雨明け宣言が出され、夏が季節のバトンを持って走り出そうとしている。

そんな時期に婚期を優に超えた私たちも走り出した。

可もなく不可もない。世間一般的にいうと、有名大企業に勤めて、優しく温厚な彼は結婚相手には申し分のない男性。

何度会っても、前進するわけでも、後退するわけでもない。

今まで経験したことのない平凡なことが何となく心に座り始める。


「本当に?本当に吉野家の牛丼食べたことないの?」

「そんなに変かしら?今度の日曜のデートには吉野家、人生初体験に付き合って欲しいの。」

「良いよ。他は何かしたいことある?」

「スカイツリーに登ったことないの。高いところは、登っておかないとね。」

「それは、僕も経験してないですね〜。」


次の日曜、スカイツリー前の改札口で、背の高い眼鏡の彼が私を見つけるなりニコニコしながら手をあげる。

「上出来。空子ちゃん、今日は迷わずに来れたね。」

前回のデートで私は待ち合わせ場所を見つけられず、「何が見える?そこを動かないで、僕が行くから」という彼に見つけ出してもらった。

それを踏まえて、私が待ち合わせ場所に無事に到着したことを驚いている。

「上出来でしょう?」

「上出来です。」

優しさに包まれる。それをきっと幸せと言うのだろう。

「僕さ、早めに来てスカイツリーの入場券を買いに行ったらね、5時入場のチケットしか買えないって言われたんだよね。」

自分のことをオレとは言わず、「僕」と呼ぶ彼は、優しいと真面目を絵に描いたような人だ。

「マジで?」

時計はまだ12時も指さない。

「どうしよっか?5時入場券の整理券はもらってきたよ。」

「スカイツリーは10年先もあるから、人が少なくなった時に出なおしますか?」

と言ったものの、出会って2か月も経たない私たちが10年先も一緒にいるなんて保障なんてどこにも無い。

結婚を前提に紹介され合った中年の男女だけれど、まだ手にも触れたことのない相手。そんな相手に、さらりと出た言葉は、この穏やかな「普通」が緩やかにこの先も続かせたいと思う私の気持ちなのかもしれない。

「そうだね。じゃ、スカイツリーは先にして、人生初体験の吉牛にご案内いたします。都内で一番おいしい吉牛に。」

「吉野家に味の甲乙あるの?」

「ありますよ~。」

「先に来て、スカイツリーに行ってたって、いったい何時に来たの?」

「ん?1時間前。それでも、5時だもんね。いや~、甘かったね。」

昨夜も接待で遅かったはずなのに、そんな風に努力してくれることが嬉しい。

彼は絶対に私を裏切らない。

梅雨の後には夏が来て、太陽の光りが作物を実らせ、収穫の秋がやって来る。

命の再生に欠かせない冬を呼び、冬が息吹の春へとつなげ、命に欠かせない雨を降らす。

そうやって当たり前の周期が、約束されたようにやって来る。そんな安心感を彼は私に与えてくれるだろう。


学生の頃に、先輩から、「女は吉野家には行ってはならない」と言われたことが何となく頭にあったのと、牛丼よりも親子丼が好きな私は、敢えて吉野家に行く必要が今まで無かったのだ。

経験したことのない理由なんて、得てして単純かつ、そこに大した拘りなんて何もない。

「高くとまった女だから、吉牛に行かないと思ってたんでしょ?」

「いいえ。そんなことはないですよ。でも、そんな理由だったとは思わなかった。」

彼の言葉の最後には音符がつきそうなくらい、私と話をするときに優しさを醸し出す。

「空子ちゃん、ほら、変化球で紅ショウガを載せて。」彼がニコニコしながら私の人生初体験を見守る。

「どうしてここが一番美味しい吉野家なの?」

「どこの吉野家も同じ味ですよ」

彼が自分の丼に紅ショウガをのせる。

「人生初の吉野家を一緒に食べるから、東京で一番美味しいですよ。」ニコニコしながら紅ショウガをのせた牛丼を頬張る。


「空子ちゃん。スカイツリー!」彼が指さす。

吉野家を出ると真青な空の中にスカイツリーが10年先も居るからと言わんばかりに立っている。

「私たちのデート日って、雨、一度もないよね。梅雨時期でも梅雨の合間の晴れ間だったしね。」

「そうだね~。」

こんな晴れがずっと続くと思えること、それが結婚相手には向いているのかもしれない。

「吉野家。どうだった?空子ちゃんのお口には合いましたか?」

「美味しかったね。想像した通りの味だった。」

そうですか。とニコニコしながら彼は私を見下ろした。


そんな、快晴で爽やかな付き合いが半年続いた。

季節はバトンを次々回し、木々は枯れ葉すらも失った。

私たちだけがバトンを回すことも無く、テレビでは箱根駅伝のタスキは2日にわたり繋げられ、ゴールをとっくに迎えた。


「空子ちゃんと来年も変わりなく過ごせることを僕は願ってる。」

年末年始の休暇をバックパッカー旅行で過ごす彼から、日本を出発する前に届けられたLINEに私は何も返事を返すことができなかった。


普通なら誰も飛びつくような暖かい幸せを私は幸せと感じられない。

激動を求めているわけではない、ドラマがないと生きていけないわけでもない。

でも、何となく暖かいこの幸せは、なんとなく私の幸せだとは思えない。

もしかすると、私の選択は間違っているのかもしれない。

地球上に命を与えられた全ての生き物は、息吹を感じる春を、命に必要な雨に沢山恵まれる梅雨を、暑い日差しの中で栄養を得るために大きく葉を広げる夏を、実を付け、種となり、地に帰る秋を。それを見届けるように枯らした葉が優しく養分となるべく地の上に落ちた種を暖かく包むみ、息吹くために冷たく寒い冬を迎え、また春を迎える。

春だけでも、夏だけでも命は成立しない。

もしかすると、彼と10年後にスカイツリーに向かう頃には四季を何周もして、それでも変わらぬお日様のような笑顔で私の右横にいるのかもしれない。



「デートをし出して、6か月が経ち、私たちは結局、何も無かった。

次の6か月の間に、何かあるとは思えない。つまり、ご縁がないという事じゃないかな、って思っています。」

私が返した答えだった。


あれから、6か月経ち、彼に出会った時のように、梅雨の合間の晴れ間が広がっていた。当たり前のように時間は経ち、同じ季節になったけれど、彼との関係に終止符を打つ必要があったのか分からない。

だから余計に、今朝、レイニーブルーを耳にしたとき、それを歌っていた彼を思い出し、一日中、想っていたのかもしれない。


レイニーブルーの歌詞のようにダイアルを回して、手を止めるような時代じゃない。

連絡先が私の携帯に入っていなかったとしても、他の手段で直ぐに連絡を取ることができる。

過ぎるほどに容易な時代だ。

もどかしさや、切なさを感じた昔の電話のダイアルを回す短い時間は、

ファイナルアンサーとみのもんたの声が聞こえて来そうなほどに最後の考える時間を与えてくれた。

この電話が彼の新しい生活の邪魔になるんじゃないか?

やっとの思いで振り切った想いを揺さぶることになるんじゃないか?

少なくとも徳永英明のレイニーブルーの世代の人たちは、ダイアルが元に戻る短い時間の中で、思い直したり、次のダイアルに指をかけられなかったり、電話ボックスの中で立ち尽くしたなんて思い出が1度はあるだろう。


もしかすると、そんな大げさな話じゃないかもしれない。

今まで私が吉野家に行ったことがなかったのは「そんな理由だったんだ!」というつまらないレベルなのかもしれない。

でも、相手のこれからの人生を考えたときに、枯れ落ちて地に埋まった種に暖かくかぶさるように、距離を保つことが思いやりで、人との出会いと別れの完結型なのかもしれない。

共に過ごした時間は互いのこれから先の人生の養分となり、再び顔を合わすことが無かったとしても、新しく芽吹く命にそれが生かされていく。


『レイニーブルー

終わったはずなのに

レイニーブルー

なぜ追いかけるの』


それにしても、今朝の情報番組のインタビューの統計の取り方には私は疑問のあまり唸ってしまった。

10代20代がひとくくり。30代以上がひとくくり。

20代までのベスト5の5位に「レイニーブルー」

30代以上のベスト5の5位は「長崎は今日も雨だった。」、3位くらいが「レイニーブルー」。

40歳になったばかりの私が属するその30代以上のベスト5が発表されたとき、私は前のめりに「えーーーー!」と唸ってしまった。

「長崎は今日も雨だった」が悪いわけでもないし、それを知らないわけでもないが、少なくとも私の世代を飾った曲ではない。

私がそう思うのだから、30歳で30代以上に属してしまった人たちはテレビの前でひっくり返ってしまったのではないかと思う。


『貴方の幻、消すように、私もそっと今日は雨。』


耳にするたびに思い出すことは、晴れの日差しが見えるまで、心に雨を降らせて過ごせば良い。

誰かの心にも雨を降らせるのではなく、私の心だけに。

再び光が差した時、きっと優しい気持ちになれるはずだから。




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