白、黒、ところによりグレー

帰りのバスの中はとても居心地が悪い一時間となった。

それは煙草とコーヒーと酒のトリプル口臭を持っていたオッサンと隣り合わせになったからではなく、或は化粧直しをしようとポーチを取り出した美しい女性が実はアイプチで二重を作り出すその一部始終を私だけが衝撃的に目撃してしまい、彼女が鏡から顔を上げた瞬間に目が合って、舌打ちをされたからでも、はたまたドラッグストアで爆買いをした中国人観光客に占領された爆音のようにやかましい車内で日本に居るのによそ者感を感じていたからでもない。


私には顔を合わせるのが気まずい友人がいる。とは言うものの、かれこれ1年以上も都合を合わせて会うことも無いわけだから友人と言えるのかは最大の疑問点だと言っておこう。

彼女からの誘いを1年以上、適当な理由づけて断り続けていたある日、ついに詰問を受けることになってしまった。

「この間、話していた洋服はゲットしたの?」とりとめもないラインが届く。

「買ってないよ。」それ以上に加える言葉などない。

「最近冷たいじゃない。」

「そんな事ないと思うけれど・・」

そんな事、実は大ありだけれど、自分が思っている事をところてんが押し出されるように理路整然に曝したところで、ところてんに納得し食されることはない。現実は喧嘩別れになるのが関の山。仲良く互いに「ごめんね」とハグし合って仲直りするなんてことは映画かドラマの中でしか起こらない。

だから、私は黙っているのだ。しかし、彼女の追及は止まらない。

「私がしたことか、何かしたことに怒っているのに違いない!」スマホのスクリーンに熱を帯び出したのは私の機種が古くバッテリーがフル稼働しているせいではなさそうだ。

「最近LINEもくれないじゃない。こっちは映画にも誘ってあげて、会う努力をしてやってるというのに!」

そう言う言葉は恋人同士の喧嘩と相場が決まっているのに、同性の友人から言われるとちょっとしたホラーだ。迫り来るように次々と浮かぶLINEの白い吹き出しを読むと言うより、視界に入れているうちに、怒りというより、それを制止したいという思いから正直な気持ちが返信の形に顔を出す。

「LINEでこんなこと話するの止めませんか?」締める文章の末尾が距離をとりたいと言う私の素直な気持ちで沸き上がる怒りを抑える私なりの大人力を表す。

「文字で話すとあらぬ方向に向かって、お互いに嫌な思いをすることになると思うので・・・。」

・・・。に彼女がこちらの気持ちを汲んでくることを期待するが、非難の白い吹き出しは止まらない。

オセロが白黒でなく、白と緑ならば、開始3分で完敗だ。

私は通話をタップする。電話とは違う通話音。トゥルルルル とぅるるるるに代わりポップな通話音が聞こえる。これから何年も経ち、LINEがもっと定着した頃には、この通話音が当たり前になり、恋人に別れ話をするために通話する重い気持ちの時も、誰かの不幸を知らせる時も、この音、不謹慎じゃないですか?なんて思う人も居なくなるのほど当たり前になってしまうのだろう。そのポップに聞こえる通話音を何周聞いても相手の声は聞こえず、私は通話を中止した。

「あんたと話をするムードではありません。」

「いつか話ができるようになったら連絡ください。」


彼女とは以前にも同じような出来事があった。

私の別れた恋人の情報を、要らぬと言うのに逐一知らせてくれ、挙句の果てには、彼に新しい彼女ができたとわざわざお相手のFBの写真をスクリーンショットして寄越してくれるという徹底ぶりだ。

私にしてみれば振れられた相手ではないから未練も何もないのだけれど、頻繁にそれが続くと私の堪忍袋の紐は線香花火のようにチリチリと燃え始めるのだ。

火の玉になる前にパチパチと小さな手を出して反撃に出る。

「それをわざわざ私に連絡というより、報告する意味が私には分からない。」

「良いじゃない。もう別れた男なんだから。どうして気にするの?ただの興味本位だったんだけれど、気に障ったんだったら謝るわ。」と彼女は言うけれど、その興味本位での行いに新たに抱えさせられた不安が彼女との距離を一定のモノにするのだ。


すると、「最近冷たい。私と友達でいたくないのなら結構です。お元気で。さようなら。」

線香花火の赤い玉がもう少し手が出るか、どうかと、チリチリするように返事を出すか考えるのだけれど、こうなると返信するのも面倒くさい。

堪忍袋の緒という線香花火は力尽きて灰になりポトンと地面に落下した。

「あっちゃん。キライ。絶交!」なんて、宣言するのは幼稚園児だけがなせる業。大人になって「離党します。」などと絶縁宣言が許されるのは政治家と相場は決まっている。



止まることのない高速を走るバスの中で、私の気持ちだけが一進一退する。

体裁上、正面からお互いに顔を合わせるとき、無視しあうのも何だか大人げない気がして挨拶はするものの、遠くに前方に相手が居るときや背後から相手が来るのを知っているときは、それに気づいているにも関わらず気づかないふりをすることが中途半端な私には非常に心苦しく感じるのである。


スケールは極端に小さく、もしかすると例えが極端に偏っているかもしれないが、世の中の幸せを意図も簡単に手にできる人間というのは、「これ!」という自分の欲しいものがハッキリ分かっている人間で、私のようにあれも欲しい、これも欲しい。いくら「これ!」があったとしてもその為と言っても妥協できない部分を多かれ少なかれ持っている人間は半永久的に幸せを手に入れることは不可能なように思う。


私の周りにいた同僚や友人で結婚したいと思い、それだけにまっしぐらだった人たちは愛よりも結婚という事実を手に入れた。そういう人間は「これ!」を前に驚愕するほど白黒がはっきりしている。

そして、そういう人間は諦めと切り替えの速さがお買い得商品のように必ずと言って良いほど同居しているのだ。

現に、そんなに好きと言うわけではないけれど、結婚したかったから結婚したと言う友人を男女問わず何人も知っている。その後幸せにしているかどうかは別として「結婚」を獲得したと言う点で「これ!」を目前に白黒がはっきりしているのだろう。


顔を合わせると気まずい相手に会った時、この人はもう私には縁など全くないと割り切ることができる人間か、どちらが悪かったとしてもこちらから声をかける事ができる人間、つまり白か黒、どちらかきっぱり決めることができれば止まらぬバスの中で1時間も気まずい空気を吸う必要はない。


「このバス、WIFIの調子が悪いみたいなんだけれど、あなたのスマホのインターネット共有させてもらえないかしら?」隣に座り合わせた白人の若い女性が自分のiPhoneを右手に持ち、私のiPhone を左手で指さした。

英語のニュアンスから言うと、英語圏の出身ではなさそうだ。

急を要しているのならば、インターネットではなく電話なり何なりするだろう。無料WIFIを探すだけの余裕が気分にあるのだから、この場合この彼女は何か緊急なことがあるわけではない。

無料を乞うために「そんなことを聞いたら図々しいだろうか?」などと考えることはこの種の人間にはない。お願いしてみてダメだったらそれはそれでよい。聞いてみることもまた無料なのだから、失うものはない。むしろ聞かないで使わせてもらえるかしらどうかしら、と考え続けるよりも、早い時点で答えを出してしまった方が無駄がない。

聞くか聞かない。白か黒。

「ごめんなさい。それは出来ません。」

白人の若い女性は「お~」とため息のような声を出し、肩を少しすくめてスマホをよく使い込まれた茶色の小さなポシェットにしまい、窓の外に目を向ける。

左後ろに気まずい相手がいる私は左を見ることも右を見ることができず、

かと言って、インターネット共用を断ったiPhoneを使い続けるのも気が引け、スマホを握りしめたまま目を閉じた。


「すみません。」

スマホを握りしめたまま私はどうやら眠りこけていたらしい。

「すみません。」隣でさっきの白人の女性が中腰になっている。

どうやら、眠っている間にバスは到着していたらしい。

「あ、ごめんなさい。」

慌てて立ち上がると、満席だったバスは私と彼女がほぼほぼ最後の降車客だった。前方のたった一つの出口に気まずい相手が消えて行く。

2段のステップを降りながら、彼女は私をちらりと振り返り、目が合った。彼女も気まずいと思いながら座っていたのかもしれない。その中で、声をかけないと言う選択で彼女は彼女の白黒をつけた。

いや、もしかすると彼女もどうしようか迷ったままグレーを結果的に選ぶことになっただけなのかもしれない。

「WIFI使えなかったけれど、急用だったんですか?」

バスの出口に向かいながら振り返って白人女性に聞いていみた。

「ノー。」彼女はさっきと同じように肩を少しすくめた。「FBをみたかっただけ。」

「ああ・・・。」彼女にとってFBの重要度がどれくらいなのか分からないけれど、私にしてみれば。インターネットの共用を拒んだことを少なからず申し訳なく思っていた私は心の中で呟く。

「良い旅行を!」

「アリガトウ。」


バスを降りると、気まずい相手の背中が遠くに見えた。

グレーを選んだことは私だけが知っている。彼女からすれば私もまた私なりの白黒をつけたと思っているのかもしれない。

ヒトの心中なんて他人ヒトから見れば白黒がハッキリしているように映っても、実は他人には推し量れないだけで、案外本人の中ではグレーだらけのことが多いのかもしれない。

白、黒、ところによりグレー。
















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