それは何かと尋ねたら

繋 り た い よ う で、繋 が り た く な い。

べんべん!

繋がりたくないようで繋がりたくない。

べんべん!それは何かと尋ねたら・・・・。


生誕300年記念の展覧会が開催されている上野の美術館へ行ってみようと、わたしは支度を始めた。

美術館を回るとき、足元は疲れにくいものが良いものと決めているが、

その日の夜に男友達と久々に会う約束をしていたので、仕事帰りでカチッとした格好で来るだろう彼に合わせると、ただの友人であってもスニーカーでは相手には失礼だろうと思い直し、パンプスを探した。箱に入ったオープント―のウェッジソールのパンプスは去年購入したのに一度も履かれることがないどころか、箱を開けられることもなく、薄手の白い紙が片方ずつに丁寧に掛けられ箱の中で手に取られることを信じて眠っていた。

「そうや。こんなん、持ってたな~。」

忘れられた存在だったにも関わらず、靴は不平一つ溢さない。

独り暮らしが長いと、所かまうことなく独り言が呼吸のようにスルリと口から出て、外耳を通って自分に戻り、再び吐き出す息に言葉が便乗し、合いの手を打つ。

「ええやん。この服になかなかピッタリですな。これにしよ!」

もしかすると、独り暮らしが長いからではなくて、歳を取ったせいかもしれない。

「そうかも」心の声なのか、実際に声にしているのか、時々混濁する。そうなるとやはり歳のせいなのかもしれない。

姿見に映った自分がまだおばさんに見えないことを確認して、部屋を出た。

では、おばさんになったら外に出ないのか?そんなこと現実的にありえないし、堂々と道を歩いているおばさんに喧嘩を売っていることになってしまうじゃないか。おばさんになってしまったら、おばさんならではの愉しさを見つければ良いのだ。


買ったばかりではないけれど、おろしたての靴を履くのは気持ちが高揚する。

靴ずれを心配した踵の内側にはワセリンをたっぷり塗り込んだ。

パンプスなどの革靴の裏側にワセリンを塗っておくと、潤滑になり皮も柔らかくなる。

40歳前から値段やデザインの次に必ず素材を確認する癖がついた。セーターならばカシミヤが良い。

洗濯表記に手洗い可能と記されていれば120点だ。

加齢臭がするのは男性だけではないように思うから、頻繁に洗える方がありがたい。

どんなに可愛らしいデザインでも履き心地や着心地が合わなければ、長いお付き合いにはならず、全てが無駄になるということを経験値が教えてくれた。

どんなにピッタリで店頭での試し履きでも履き心地が抜群なものでも、新品であれば卸したて当日は違和感を感じるけれど、ワセリンを塗るなどの方法で多少の違和感が緩和されるならば許容範囲と言う事も年齢値から心得たつもりだ。


最近、ペタンコ靴を履くことばかりだったので、久々にヒールを履いて駅のホームで電車を待つ垂れさがりつつある私のお尻を支える太ももの後ろ側の筋肉にエールを送る。

おばさんだと分かっていても、おばさんになりたくない。小さな、隠れた努力。「地道な努力、ご苦労さん。」と言わんばかりにホームに入る上野行きの電車が作った風に労いを受けた。

小さな努力に反して、電車に乗った瞬間、空いた席を探している自分に方向性の無さと矛盾点とどっちつかずな弱い意志を認めざるを得ないのだけれど、上野までの長い道のりを考えると若かろうが老いていようが、1時間も立ちんぼするよりも座らせてもらった方が美術館で疲れ無しに満喫できるのではないか、と言い訳に近い、言い訳そのものの釈明会見を頭の中で開く。

腰を下ろして、向かいに静かに座る知らない人は会見の聴衆者。

「好きにしてよ」と言わんばかり、無関心にみんな下を向いている。


1時間近く電車に座っていると、単行本を読むことに時折飽きては人間観察をしてしまう悪い癖が私にはある。

多くの外国人の同僚や友人が驚いたように話してくれる電車の中での日本人の様といえば「日本人は本を読むか、寝るのが好きだ。」と相場が決まっていた。

スマホが主流になる前の日本の電車と言えば、手に持つ四角いものと言えば単行本か少年ジャンプだったように思う。

隣の大学生らしき女子が指先で弾いているのものはフェイスブックのツイート。反対隣の外国人観光者は熱心に誰かとメッセージを送り会っている。

学生の頃は、同じ時間に乗り合わせる電車の彼に恋をして、意を決して告白する友人を、まるで自分が告白するかのように緊張しながら待ち伏せをするなんて青春話もあったけれど、この時代にそういう事は起こり得るものなんだろうか?


もしかすると、フェイスブックの友達の友達の友達の投稿に恋をして、メッセージを送ったりするなんて事があるのかもしれない。

実際、フェイスブックの友達の友達という繋がりが始まりで結婚したという同僚もいるけれど、どうも現実味がないように思えるのは私がおばさんになってしまったからと言えばそれまでなのかもしれない。


今の時代に待ち伏せをすればストーカー、少し褒めればセクハラ、小言を言えばパワハラ。

それらを気にしすぎるばかりに何も言えず委縮している人間は何ハラに侵されていると言えば良いのだろう。

もちろん、ハラスメントの被害にあっている人間には申し訳ないと思うけれど、一方でハラスメント被害を装って善良な人間を餌食にする輩があいるのも事実じゃないか。

便利さの追求とはあらたな厄介ごとを産出する。その度に人間はその攻略法、打開策、回避策などに頭を悩ます。

そう考えると、生活なんて多少不便、不憫な方が大きな意味で気が楽なのかもしれない。

持ったら持ったで悩み。無けりゃ無いでこれまた悩む。

でも、無けりゃ無いで死ぬほど困る物など、この世の中にそうそうないだろう。

「便利」が厄介を産出するくらいならば、不憫でも、やっぱり無い方が良いじゃないか。


まるで梅雨を通り越して真夏がやってきたかのように暑い平日の昼下がりにも関わらず、若冲展は入場180分待ちというプラカードを掲げて入館を整備していた。

時計は3時30分を少し回ったところ。

入館に180分並んだところで6時30分、食事の約束7時には間に合いそうにもなく、私は渋々絵画鑑賞を断念した。

係員の男性が「遠方からお越しの方や、早朝から並んで居る方がいらっしゃるので」とは言っていたものの、拝観したいという気持ちにどこから来たとか、何時から並んだといって長蛇で入館困難なことを納得しろというのは私には解せない。もちろん、係員の男性には何の罪もないし、悪くもないのだけれど。。。

観てみたかったけれど、観られない。ベンベン。


時間までカフェで読書をしながら過ごし、待ち合わせの場所に向かった。

私は、病的に方向音痴で、地図が読めない。

グーグルマップで目的地まで7分という場所でも、30分かかり、到着するまで、不安と焦りで脇汗が流れ出し、大変なことになることが多い。

この日も、グーグルマップを開けたスマホを片手に迷っていた。

「すみません」

背の高い、仕事帰り風のサラリーマンの中年男性が私の右横で並んで歩いている。

私に道を聞くなんて、この人は完全にアンラッキーな人だ。

朝の情報番組の星座占いランキングで最下位だったでしょ?

憐みのまなざしで男性を見あげた。

「怪しいものではないです。」怪しいものではないと言われて、「安心しました」などと言う人間残念なことにはいない。

警戒心の強い私は、何かの押し売り??と思い無視を決め込んだ。

「良かったら一緒に飲みに行きませんか?」

嗚呼。ナンパ?40になって、太陽もまだ沈み切っていない夕方にナンパされるとは思わなかったので、少し唖然とするものの相変わらず無視を決め込んで歩き続ける。

「待ち合わせにふられまして」男性は構わず話しかけてくる。

「それは残念でしたね。」妙に返してしまうのは私の良いところでもあり、悪い癖。

「良かったら飲みに行きませんか?」

「無理ですね。私も待ち合わせなんで」

「一杯だけ」

「無理って言うか、嫌です。すみません。」吐き捨てるように言って小走りに陸橋の登り階段に逃げた。

いい歳して、会社帰り、シラフの路上でナンパができるサラリーマンの中年男に声をかけられるなんて、私は隙だらけなのかもしれない。


到着した待ち合わせのバルは、仕事帰りの男女で満席だったけれど、どのテーブルも見事にオトコと女子会に別れている。

各々の紅白に分かれたテーブルからちらほら聞こえてくるのは「良い人居ないですかね?」という男女の声。

少し遅れて到着した友人が、置いていたワインリストから目を外して私を見て「嬉しいものなの?」。

さっきのナンパの話に興味があるらしい。

「どうだろね。相手とロケーションによりけりかもしれないけれど、声かけられないよりは良いのかもしれないよね。。。」

「そんなもんなんだ。」

「どう?そちらは良い出会いありましたか?」離婚してから随分経つ彼からの答えは「出会いを探してはいるんだけれど、なかなか見つからない。」


世の中の人間は人と繋がりたくて仕方ないのに、夕方のサラリーマンのようにドラスティックに生きないのだ?


「いっぱい、オンナのヒト、店内にいるじゃん。声かけてあげようか?」

「いやいや・・・」断る声は穏やかだけれど、目は真剣に止めろと言っている。


「life is short」なんてみんな言うけれど、私はある大きな事故を二度経験して、「life could be so sudden」だと思うようになった。

迷っている暇など無い。明日ではなく、この次の瞬間に、店にトラックが突っ込んできて爆破して命を落とすかもしれない。

店を出た瞬間に転んで、頭を強打して死んでしまうかもしれない。

その瞬間、もしかすると、あんなことしておけばよかったとか、コレをあの人に伝えておけばよかったなんて、後悔する暇すらどこにも無いかもしれない。

非科学的なことを言ってしまったら、幽体離脱みたいになって、自分が死んだことすら気づかない状態で天国に行かなきゃならないかもしれない。

だとしたら、欲しいと思ったことは、多少ドラスティックでも、搾取のために実行してしまった方が良いに決まっている。

夕方に私にナンパしてきたサラリーマンの男性のように。

迷っている暇はない、後悔している暇はない。

life is suddenだから。

愛している人には、自分が、相手がこの世にいる間に、惜しみなく愛を伝えた方が良いに決まっている。

誰かを傷つけて、けんかして後悔しているのであれば、自分が、相手が生きている間に、悪かったと伝えてしまった方が良いに決まっている。


繋がりたいようで 繋がりたくない。

繋がりたくないようで、繋がりたい。

それは何かと聞かれたら?


自分とヒト。心と心。と答えて欲しい。

みんなそれを欲しているのだから。


目的地を探すときは、地図を見て、迷ったらヒトに尋ねてみよう。

もしかすると尋ねたヒトと思わぬ繋がりを持つことができるかもしれない。

電車に乗ったら、周りを観察してみよう。

もしかすると恋が始まるかもしれない。

人と繋がること、心と心が繋がること、そんな可能性があるかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る