第8話 勇者の、元へ

 「勇…者…」

玄関に倒れていたはずの男の登場に、イリーは驚きに染まった呟きを落とし、床にへたり込む。

『勇者』

確かに呼ばれたその言葉に僕は聞き覚えがあった。

 勇者。

この世界に住む人類の中で、唯一魔王に対抗できる能力ちからを持った、人間。

今もなお魔王城を目指し、旅をしているという事、“精霊に見初められた人間”だという事。

総括して、僕の中にある辞書はこの存在勇者魔物僕らにとって最大で、最強の敵であると提示した。

その勇者が、今、イリーだけでなく、僕を、刃から守っている。

混迷を極めたこの状況に、僕は口をあんぐりと開いた。

 「…シューテイン。イリーを助けるならその子だけ持って行きなさい。あんたが持ってきた魔物食ってやろうって言ってんのよ?」

「……エンゼ・エッフェレーテ。頼む。剣を納めてくれ。……もう折れちまう」

「………どうなっても責任は持たないわよ」

外で聞いた声色とは、最早別人と言ってもいいようなそれに、エン…エンゼは渋々といった様子で刃を鞘にしまった。

フッと風が吹いたかのように消えた殺気を感じ取ると、勇者は体勢を直し、手から何かを捨てた。

床に音を立てて落ちるそれ。

それは、剣などではなく、金属ですらなく、小さな木片だった。

木片は何かを弾いたかのようにその一角が抉られ、確かな『異能の力』を僕に訴えかけた。

 麻痺が完全に流れ出し、立ち上がった僕に勇者は一瞥くれると、そのまま口を開いた。

「……イリー。こいつの名前、“スルト”ってのか?」

「…え?」

「それは、こいつの“産み親”が付けて、こいつはそれを名乗って生きてきたのか?」

僕と視線を交え、微動だにしない勇者の声に、イリーは慌てながら、それでも、懸命に答えた。

「ち、違うの…。“スルト”は…違う人のお名前なの。この子は…マスっていうの。私が…付けたの」

「……そうか」

未だ頬に残る涙の通り道をそのままに、濡れた瞳を勇者に向けるイリー。

それでも尚勇者の青い瞳は僕から視線を外さず、低く呻いた。

 不意に、勇者は何かを思い付いたかのように顔を上げ、エンゼの方を向く。

そして少し柔らかくなった声の色を放って、エンゼに告げた。

「こいつ、このパーティーに入れよう」

「…………は?」

「い、いいの!?勇者!!?」

「………」

勇者の言葉に、三者三様の反応を持って返すパーティー。

当の僕はというと

『………………』

エンゼよろしく、ひたすらに驚愕を顔に浮かべ、呆然としていた。

ピョンピョンと飛び跳ねながら、僕に抱き着いてきたイリーの衝撃に体を揺らしても尚、僕の口が閉じる事はなかった。

 「ちょ、ちょっと待って…私の頭が正常ならあんた、魔物こいつをパーティーに入れるって聞こえたんだけど…?」

「おう、まだ医者の厄介になる必要はねぇな」

「厄介になった方がいいのはあんたの方よ!!本当に気が狂った!?ついにボケ!?ボケが来たの!!??」

「なんだよ、お前さっき『どうなっても責任は持たない』って言ったじゃねぇかよ。俺の勝手にさせてくれねぇのか?」

「それとこれとは話が別よ!!」

僕に剣を向けた時よりも鬼気迫った表情で、エンゼは勇者に掴みかかった。

「わかってんの?こいつは魔物よ?魔王の、下僕。何されるかわかったもんじゃないわよ?」

「…落ち着いてよく見てみろ、エンゼ。“魔物嫌い”のイリーがここまで懐いてんだぜ?危険なんてあるわけねぇだろ」

「そういう、事を、言ってるんじゃなくてっ!常識的な事を聞いてんのよ!!」

イリーに抱き上げられ、振り回されている僕の方をチラリと見、勇者はエンゼにそう告げるが、彼女はどうしても納得できないようだった。

当たり前だ。僕は魔物だ。最大の敵から産み出された、人類の敵だ。

そんなものを傍に置こうだなんて、誰が聞いても気が違ったか、冗談としてしか受け取らない。

それでも勇者は笑顔を浮かべたまま、エンゼを説得していた。

「…じゃあこれでどうだ!俺ペットが欲しかったんだよ!」

「あんたそれ今考えたでしょ!!あんたの気まぐれに付き合ってる暇はないのよ!?」

「じゃわかったよ、こいつが暴れたら俺の首持って故郷に帰っていいぜ!」

「だ・か・ら!!問題が起きてからじゃ……。ああもう!!きりがない!!殺すわよ!こいつ!!」

勇者を押し退き剣を抜きながら、ドスドスと足音を立て僕の方へ歩み寄ってくるエンゼ。

だがそれを、勇者よりも低く、地に響くような声が止めた。

「……エンゼ…」

「何よ!あんたも止めようっての!?」

「………止める、つもりは、ない。……だが、聞いてくれ」

あの奇怪な円は消えていたが、床に座り続けていた大男は一拍置き、続けた。

「……俺は…街に出かける前、に…。“結界”を…張って…おいた。“魔物避け”の結界…だ。………部屋に寄り付く事は出来たとしても、入る事など……できない、はず、だ」

大男は口を閉じ、僕を見る。

そして訝しげに眉間にシワを寄せると、また、続けた。

「……何か特別な能力ちからを持っているか、どうかは…わからない、が、そいつが特殊なのは…確か、だ」

「だったら…っ」

今すぐ殺すべきだ、とエンゼは切られた語尾で訴えた。

そして、もう1歩を、踏み出す。

イリーは僕を力強く抱き締め、同じ方向を、エンゼの赤い瞳を、見上げていた。

 「…エンゼ。これは誰のパーティーだ?」

不意に、声。

背中にかけられたそれに、エンゼは振り返る事なく、答えた。

勇者あんたのパーティーよ。でも、ここにいるのは勇者あんたの言う事を全部聞く木偶人形じゃない。志半ばで死ぬなんて、まっぴらよ」

「まぁ、待てって…。何かあったら、俺が責任を持つ。俺は強い、知ってるだろ?」

「…何かが起きてからじゃ…」

「大丈夫だ、信じてくれ」

笑顔を浮かべながら、紡がれる勇者の言葉にエンゼは長い沈黙を続け、やがて、また長いため息を吐いた。

「……疲れた、もう1回お風呂入ってくる」

「ん、ありがとな。今夜は悦ばせてやるよ」

「殺すわよ」

剣を納め、踵を返して扉へ向かっていくエンゼ。

勇者はそれを見送ると、僕の前に立ち、しゃがんだ。

「…つーわけで、よろしくな!」

頭を乱暴に撫でられ、体の平衡が崩れる。

とりあえずは、助かったのだろうか。

でも、何か、とんでもない事態になっている気がする。

多分、誰よりも事態を飲み込めていないのは僕だろう。

それくらい、僕の頭はこんがらがっていた。

 でも

「マースー!良かったね!!」

今は、この細い温もりに、身を任せたい。

笑顔で語りかけるイリーの体に、僕は少しだけ身を寄せた。

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