第7話 庇われる魔物
「おお、こいつ、帰る途中で見つけたんだ。食おうぜ!」
そう言うと、僕を掴む男は体を大きく揺らしながら室内に入った。
その左右の揺れに従うしかない僕も、同じ様に動く。
「ああ、そうなの。じゃあ私ステーキが……ってそうじゃない!!」
椅子を倒す勢いで立ち上がっていたエンはそう言うと僕の前、もとい、男達の前へと歩み寄る。
昼の裸体はもう黒い、肌に密着するような服の内側に押し込められ、健康的なラインを見せていた。
「シューテインあんた…この時間まで何してたの」
「魔王の居所を掴むための…情報収集を少々……」
「な・ん・で、それがこんな夜更けまでかかって!なんであんたは酔っ払ってんのよぉ!!」
床を蹴りながら檄を飛ばすエン。
その声色と形相に気圧されたのか、
『シューテイン』と呼ばれたその男の横をすり抜け、もう1人の男が部屋の奥へと歩いて行く。
その姿を初めて見た僕は、瞠目した。
膨大な筋肉で固められた、その体躯。
ミノタウロスと比べても見劣りしないのではないだろうか。
そのくらいの威圧感と強大さを持って、その大男は僕の視界を横切っていった。
そして椅子を引き、深く腰掛ける。
その間も繰り広げられているエンの説教を一瞥し、その男はゆっくりと口を開いた。
「………こいつ、は…街の、娼婦館に入っていた」
「なっ!おいこら僧侶!!お前俺を売る気か!」
「しょ・う・ふ・か・んんんんん!!???」
「お、落ち着け…エンゼ…。ほ、ほら、怒ってるとよ…シワが増えるって…聞いたぜ?」
怒りに顔を歪め、声を震わせながら
男の足は詰められていく距離に後退を余儀なくされる。
そして、背中がもう1人の男によって閉められた玄関の扉に触れた。
それが、開戦の火蓋となった。
「このくされオヤジがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ぐぶっへぁぁっっ!!??」
この日聞いたエンの怒声の中で、1番の勢いを持って放たれたそれ。
その声量に僕は動けないながらも心臓を跳ねさせた。
その声と共に、ゴン、という鈍い音が僕の耳に届いた。
一瞬の浮遊感が、僕の体を持ち上げる。
だがそれはすぐに、地へと落ちた。
膝から崩れ落ちるシューテイン。
床に叩きつけられる僕の体。
筋肉が程よく付いたエンの両脚の奥、椅子に座っている大男。
そのさらに奥にある暖炉の炎は今もなお燃え盛っていた。
「ド、ドラフの
「ふーっふーっ……。で、肝心の情報収集はどうしたのよ?僧侶」
倒れた僕とシューテインに背を向け、エンは奥にいる大男の方を振り返る。
大男は机に手を置き、また静かに、口を開いた。
「………魔王、は、この大陸には……いない、そうだ」
……は?
心臓が、渾身の力を込めてドクン、と揺れた。
この大陸にはいないって…じゃあ、僕は、今、どこにいるんだ?
大陸を越えて、来たっていうのか?
たった3日くらい歩いただけで?
ここから魔王城までの道だって覚えている。
この家のすぐ隣にある森を抜けて、道なりに進んで、小屋を経由して……。
経由……して………。
ぼやけていく、映像。
魔王(主)に呼ばれた時と同じような、この現象。
それを説明しようとすればするほど、それは霞んでいく。
(…僕……は?)
動揺で呼吸が荒くなる。焦点が定まらない。
麻痺に震える体は、ジットリと冷や汗をかいていた。
「はー…またハズレね…。ま、これからの事は
ため息混じりに落とされるエンの声。
それに思考を遮られ、我に返った直後、また僕の体は持ち上げられた。
た、べる?
目の前に現れる、黒い双丘。
「…あれ、こいつ起きてるけど」
「………“麻痺”を付けてある。……だが、そろそろ切れる」
僕の顔を見下ろすエンの背中に、大男は静かにそう返した。
それを聞き、エンは「あ、そ」と短く漏らすと、僕を持ったまま暖炉の側まで来た。
その脇に置かれていたのは、銀に縁取られた、剣の鞘。
その出し入れ口からでているのは、同じく銀色に装飾された、剣の柄だ。
それを掴み、現れるは装飾とは純度の違う金属の煌めき。
完全に引き抜かれ、その姿を露わにしたその
「僧侶。“祈祷”の準備」
「……わかっている」
全身をスッポリと覆う深緑のローブを翻し、大男は床に胡座をかく。
そして目を瞑り、何かの言葉を紡ぎ始めた瞬間、床に緑色に輝く円状の模様が現れた。
その内部は複雑に入り組み、文字のような、図のように床を這っていた。
『!?』
突然始まった“何か”に、僕は今動かせる数少ない箇所の瞼を仕切りに瞬かせた。
「それじゃ、あんたの肉いただくわよ」
エンの声と共に尻の方からハッキリと聞こえる、刃が空気を裂く音。
その時になって、僕は初めて、自分が今向かっている運命を覚った。
僕は、これから、食われるのだ、と。
目を、閉じる。
精一杯、精一杯、力を込めて、精一杯。
来るかもわからない痛みを迎え撃つために、必死に。
僕にできることはそれくらいしかなかった。
が、僕が暗闇の中で怯えていると、突如としてバタン、音が鳴り響いた。
「あっ!!マス!帰ってきてくれたの!?」
声。
その、声。
僕が1歩を踏み出した、声。
僕は弾かれたように瞳を開く。
その声は背中に迫る刃を止め、辺りを静まらせた。
タタタと裸足で床を蹴る音が近づいて来た。
そして、ヒョコッと濡れた紫の髪が僕の顔を覗く。
「おかえり、マス」
破顔する、イリー。
(イ、リー……)
この時、僕の瞳からは涙が溢れそうになっていた。
「あれ?エンとジャン君、もうマスの仲良くなったの?良かったね!マス!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。な、何?“マス”?魔物に名前付けるなんて、ついにどうかしちゃったの?」
そう言いながら、僕の体を抱こうとするイリー。
エンは僕をより高い所へ持ち上げそれを阻止しながら、笑い混じりに驚きを口にした。
「マ…マスは魔物さんじゃないよっ!」
「魔物じゃないのどう見ても!!」
語尾を強めたイリーに、また、エンも声色を荒げる。
頑として僕の体を渡すまいと、背の低いイリーが届かない所まで僕を持ち上げた。
呻きながら、必死に跳ねる。イリー。
その瞳が段々と濡れていくのがわかった。
その時、不意に体が軽くなった。
(麻痺が…!)
状態異常が、治りつつあるのだ。
それがわかるやいなや僕の後ろ足はもがき、エンの手を弾く。
「ちっ…っ!」
拘束を逃れ、地面に落ちる僕を狙って舌打ちと共に剣が振るわれる。
僕は必死に滑る木の床の上でもがき、体勢を立て直そうとした。
が、完全に体から抜け出していない麻痺の余韻が、僕の脚を絡ませ、また床に顎を打ち付かせる。
迫る銀の声。
目を閉じる刹那すら生まれないその狭間を、影が、遮った。
「…イリー、あんた…斬られたいの」
「うぅ…ううぅうっ……」
僕とエンの間に割って入り、両手を精一杯に広げ首を振るイリー。
揺れる紫の髪に混じった透明な雫が、床に落ち、その色を黒く染めていた。
「うーうー呻いてるだけならどきな!
剣を構えたまま、叫びを散らすエンを前にしても、イリーはそこかはどこうとはしなかった。
「この子は…魔物さんじゃないもん…」
僕への殺気に満ちたその形相に、イリーは恐怖に体を震わせながらも、言葉を放ち続けた。
「この子は魔物さんじゃないもん!この子はイリーのお友達だもん!!この“人”は……」
「スルトは魔物さんじゃないもん!!」
「…スルト…?」
室内に高く響いたその余韻が切れない内に、背後から聞こえた、呻くような低い声。
それは誰に聞かせるわけでもなく、また、僕だけに届いているようだった。
「また訳のわかんない事を…っ。ああもう!知らないからね!!」
業を煮やしたのか、エンは最後にそう叫び、剣を振りかぶった。
その時、僕は横を駆け抜ける気配(人影)に気が付いた。
直後、ギィンと激しい金属音が耳を震わせる。
「エンゼ…剣を仕舞ってくれ」
「なっ…あんた…っ!?」
僕の前にいる、イリー。
それよりも前の空間に、横から割って入ったのは、僕を掴んでいた、男。
体を赤色に染めた、男。
いや、蒼い鎧を血に染めた、あの男だった。
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