第6話 麻痺する僕

 暗闇からゆっくりと起き上がり始める意識。

黒から灰、白へと移行していく瞼の裏を僕はゆっくりと開いた。

(……茶色)

開いた視界を隙間なく埋め尽くしていたのは、薄暗い土と砂利。

その自然が作り出した光景に対を成すようにブラブラと揺れる僕の両前脚。

後ろへと流れていく土色の地面を捉えようと、それらを動かそうとするが、2人はただ無言を貫いて振り子のように揺れていた。

後ろ脚……も動かない。

だが、僕の体は今地面の上を進んでいる。

歩いている振動も身体に響いてくる。

おかしい。覚醒始めた意識はその確かな不自然さにまず気が付いた。

 その時、声。

「いやぁ〜すっかり暗くなっちまって……。飲んだなぁ!おい、僧侶。え!?」

「……エンゼ…が、怒るぞ」

「偶にゃいぃぃんだよぉ!俺ぁゆーしゃだぁ!日夜まおー討伐の為に汗水鼻水小便(しょんべん)出して闘ってんだぞぉ!」

2つの低い声。

1つは静かに、呻くように。もう1つは大声で、騒がしく。

対称的なそれらが耳に飛び込んできた時、僕の意識は完全に目を覚ました。

戻る感覚、遡る記憶。

その機を見計らったように、頭を一斉に駆け巡る寸前までの記憶達。

それを裏付けるように僕の後頭部はズキ、と熱量を持った痛みを訴えた。

頭の痛みと共に飛び込んでくる、後ろ脚の感覚。

両脚を纏めて掴まれている。

あれ?今の僕の体勢、どうなってるんだ?

少し視界を前に戻せば、逆さまの森、草。

下に向ける、もとい、見上げれば、月。

(…あ、なるほど)

僕は今、この男に後ろ脚を掴まれて逆さに宙吊りになっているのか。

そうか、そうか。

事態を飲み込んでも、僕の体に抵抗する力が湧き上がってくる事はなかった。

その代わりに湧き出すのは、焦りと恐怖。

パニック寸前の頭を必死に落ち着けながら、揺れる前脚を凝視するが全く、動かない。

(麻痺…っ!?)

力を入れる度にピクピクと細動する前脚を見て、僕はその状態異常を確信した。

間違いなく、殴られたのが原因だ。

唯一動く口で歯嚙みをし、僕は流れ続ける地面を睨む他なかった。

 だが突如、持ち上がる体。

視界の高さが一気に上がり、背中に生暖かい息を感じた。

「…んま、エンゼのご機嫌取るために魔物も仕留めたし、そこまで怒らねぇだろ」

そう言い、ブラブラと僕の体を揺らす男。

僕で『ご機嫌を取る』とはどういう事だろうか。

最近の人間は魔物をペットにでもするのだろうか。

 そういえば、と僕はハッとする。

この人間達はどこに向かっているのだろうか。

街の臭いから遠ざかっているのだけはハッキリとしている。

そして、僕を掴んでいない方の人間の臭いは、森の中で捉えたそれだ。

この人間2人は仲間、そして街からあの家までは1本道。

答えはもう、何を見るより明らかだった。

いや、でも、と僕は自分自身に抗議を持ちかける。

あくまでそれは予想だ。まだ決まった訳じゃない。

だが、気休めにもならない程のそれは呆気なく打ち壊された。

「…お、やっと見えてきた」

地平線へ伸びる道の脇、森の入り口付近。

明かりの灯った、レンガ造りの小屋。

それが“あの”小屋である事は、空気中に漂うイリーの臭いが告げていた。

 相変わらず無言を貫く僕の体。

あっという間にそれは小屋の前に辿り着き、扉の裏側から漏れる明かりに鱗を煌めかせた。

「おーう!ただいまぁ!」

「……今、戻った」

“あの時”と同じ様に、開かれる扉。

「おっっそい!!!昼には帰るって言ってたじゃない!!!」

“あの時”と同じ様に、響く怒声。

だが、1つだけ明らかに、絶対的な差を持って“あの時”とは違う時が流れ始めていた。


「……ん?そいつ、魔物?」


頭の両側に角を生やした、灰色の髪の彼女と、目が、合った。

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