第2話 歌われる鼻歌

 橙色にその頬を染めるその人。

 火の元にできた影の中にいる僕。

 人影の照らされた片目、紫の瞳は確かに僕の目を射抜いていた。

お互いが何者なのかを探るように、濃厚にジッと見つめ合う。

その人は瞳と同じ紫の髪を腰まで伸ばし、ボロボロの布の服を着ている。

少しの身じろぎで太もも辺りでヒラヒラと踊る裾だけが、僕らの間に流れる時間を象徴していた。

 彼女は無言で僕を見続ける。

「……」

「……」

 互いが互いを見つめ続ける。

すると徐に彼女は床に膝を付けた。

「おいで、わんちゃん」

『……?』

僕は身構えたまま鱗の奥にある瞼を上下させた。

彼女は依然としてわんちゃん、と僕を呼び続けながら、手を叩く。

 「わんちゃん、おいでおいで」

『……』

呼びかけても微動打にしない僕の様子を見て、やがて彼女はハッと何かに気が付いたように立ち上がると

 「ここあなたのお家だったの?ごめんなさいなの。今出てくね」

そう言いながら、そそくさと歩き出す彼女。

僕の横をすり抜けようとした時、彼女は細い指が僕の頭に触れた。

毛とは違う、その硬い感触に彼女はその足を止める。

「モフモフしてないの……」

 今の感触を確かめるように自分の指先を見つめる。

流石に犬ではないと気が付いただろうか。

もしこの場で僕が魔物とわかり、襲ってくるのならそれに応える。逃げるのなら、人を呼ばれる前に……。

 その準備をするかのように僕は後ろ足に力をこめた。

 彼女は不思議そうに瞼を瞬きながら外へと出る。

ロウソクの明かりが届かない所まで出たところで、彼女は突然止まり空を見上げた。

「…星、綺麗なの」

呟くようなその言葉を夜空に響かせると、彼女は徐にこちらを振り返る。

「わんちゃん、お空とっても綺麗なの。見よ?」

 人間を襲う凶悪な存在に気が付かない彼女は僕を夜の闇へ誘った。

「…お星さま嫌なの?……暗いの、怖い?」

 後手を組み、首を傾げる彼女。

穏やかに、暖かに伸ばされるその言葉に、敵意を感じられなくなった僕は尻を床につけ、犬のように座る。

それを見た彼女は何を思ったのか、こちらへ駆け寄ってきた。

そしてまた僕の目の前で床に膝を着くと

「暗いの怖いなら、一緒に寝てあげるの」

と言いながら微笑み、僕の頭に手を乗せる。

ゴツゴツとしたその感触に彼女はやはり不思議そうに首をかしげた。

 自分の腰程まである体高の僕を抱き上げ、彼女は部屋の隅へと運ぶ。

戦意を完全に失った僕は抗う事もなく、ズリズリと床に引きずられる足と共に彼女の意思に従った。

部屋の隅には木製のベッドが設置されていて、白いシーツが敷かれていた。

その上に、僕を抱いたまま横になる。

「暗いのは、怖いから。明かりつけたまま…寝ようね」

彼女は僕を胸に抱き、目を瞑る。

しばらくすると、彼女の小さな口は子守唄のような鼻歌を歌い始めた。

記憶を探るようにたどたどしく紡がれるそれを僕は綺麗だと感じた。

 今更湧いてくる疲労。

歩き続けた体を休ませるように、僕は目を閉じる。

耳元で歌われる子守唄に、意識が段々と溶かされていく。

最初に抱いた戦意が嘘のように、僕の体は説明できない安心感を抱いていた。

この感情が何者なのか考えるよりも先に、僕の意識は完全に途絶えた。

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