この度無所属魔獣になりまして。
海産キクラゲ
第1話 リストラと邂逅
ー昔、昔。
よくある、始まり。
その中で、その物語は始まった。
いくつもの星に見守られながら、太陽が微笑みをその身に浴びながら、木漏れ日の囁きに耳を傾けながら。
その話は語られる。
聴衆も、語り部すらも想像し得ない物語が、存在していたかも不確かな伝説をもって。
その話は語られる。
ー昔、昔。
平凡な始まり。
平凡な道のり。
平凡な終わり。
全ての全てが丸く収まり、それで完結するはずだった物語。
その物語の上を、僕は、歩いている。
はずだった。
僕は、横になっていた。
窓から差し込む淡い黄色の朝日。キラキラと埃が反射している。
時計を見ていないが、中途半端な時間に起きてしまったと思い、足元に被っていた白い布団を肩まで上げる。
少しの身じろぎをし、再び目を閉じようとした時、影が、僕の頭を覆った。
「ー起きて、■■■。朝、なの」
もう、そんな時間なのか。
「お日様もすっかり起きてるの。■■■もちゃんと起きるの」
わかったよ。……もう少しだけ。
「眠いのは昨日夜更かししたから。自業自得なの。早く起きるの!起きて!!」
そんなに…急いで。今日何か……あっ…たっ……け……?
「えぇ…忘れちゃったの?きょ…は…た……に………」
……………………
夢の中で意識が海に沈んだと同時に、僕は目覚めた。
揺れる木々、煌めく木漏れ日、風の波。
柔らかい息遣いが聞こえる初夏のそれら。
汚れを流すようなその感覚に、僕は目を細めた。
覚醒し始めた意識を持ち上げ、立ち上がる。
全身を紫色の鱗で固めた僕の体は、木漏れ日を受けて煌めき、その下に潰されていた野草を伸びさせた。
それに倣うように、僕も伸びをする。
欠伸を交えたそれは完全に僕の意識を起こした。
ひと息つき、歩き出す。
真っ直ぐに伸びる道を、行くあてのない旅路を、目的(主)を失った、“魔物”の一生を。
数日前。
『クビ』
僕は突然魔王に呼び出され、そう言われた。
下を見、平服していた体勢から、弾かれたように顔を上げる。
『………え?』
何故、何が、何で。
単純な、同義の言葉のみが荒廃した心中に響く。
溢れそうになる驚愕を外に吐き出そうと喉を上下させるが、出てくるのは疑問に塗れた間抜けな嗚咽だけだった。
魂が抜けたようにあんぐりと口を開く僕を一瞥くれながら、魔王は王座の背もたれに触れる。
そしてまた、口を開いた。
『クビ。出て行け』
『そ…その…っ魔王様…。な、何故……で、しょう…か?』
やっと出てきた言葉。
語尾を震わせながら途切れ途切れに室内に響くそれは、何とも頼りなく、貧弱に聞こえた。
だけれど、やっと出たこの声を、言葉を、止めるわけにはいかない。
僕は震える喉を必死に動かし、続けた。
『恐れ多い…っです、が。ぼ…私、は今まで…魔王様のご命令に忠実に…っ従ってきた、つもりです…っ。……それなりにっ戦果っも……』
ぐずっている子供のように弱々しく、最後は言葉にもなっていない僕の必死の抵抗。
魔王は表情1つ変えず、僕のそれを打ち返した。
『……貴様が“いつ”、戦果を上げた…。貴様はこれまで“何を”してきた。“何を”しようとしてきた。……言えるか』
『………そんなもの…』
簡単だ。いくらでもある。
魔王の命令に背いた事など、ないのだから。
与えられた仕事を忠実に、誠実に、こなしたはずだ。
ーそのはず、なんだ。
『…………ぁ…』
目を見開き硬直した僕に、魔王はため息を鼻から漏らす。
違う、違うんです。
僕は…僕は…。
いくら弁明を叫んでも、開いたままの口内からは何も飛び出しはしなかった。
頭の中にぼんやりと浮かんでは消える映像。
それが何であるか、はっきりと僕はわかっていた。
だが、それが言葉となって、出てこない。
霞みがかったそれを説明する言葉を、僕は持っていない。
『……もう1度言う』
しばらくして、魔王は冷たい視線でもって僕を射抜き、また口を開いた。
『貴様は
この日、僕は職と住処を失った。
『じゃあ……元気で…な』
外からでも窺える人外の体内の闇は、どこか哀しみと同情に満ちていた。
『……何で、僕が…』
上から降ってきたその
だが返ってくる言葉がない事を察すると、魔王城に背を向けて、歩き出した。
そして、今に至る。
振り返っても、もうとうに魔王城は見えず、広がっているのは鮮やかな新緑と、土色の一本道だけ。
戻る事を許さないその道は、ただ“放浪”を僕に課した。
魔王は、この世を支配しようとしている。
それ《魔王》から産み出され、服従する僕ら魔物も同等に人類の敵。
これはこの世界に住む人間達の常識というか、“魔物”を定義付ける固定概念だ。
それを否定するつもりもない。実際、僕は何故か覚えていないけれど、ミノタウロスやオークを始め、僕ら《魔物》は人里を襲っている。
僕も、何人か殺したかもしれない。
今もどこかで戦争している隊がいるとも聞いている。
僕ら《魔物》は人類の敵。
それを駆逐しようとするのは当然だ。
だからこそ、僕に課せられたこの“放浪”がどれだけ危険であるかは言わずもがな。
満ちていた不安が溢れ出しそうになり、僕は慌てて首を振り思考を止めた。
結局、僕の何がいけなかったんだろうか。
思考を逸らすように、そう思いを馳せる。
仕事はしっかりとこなしていた、はずだ。
未だにその時の映像はハッキリとせず、記憶も曖昧だけれど、それだけは言える。
ならば、容姿の問題だろうか。
だがそれに関して言うのなら、そこそこ自信がある。
全身を鱗で覆い、四つ足の、犬のような体躯をしていながらも顔の両側につく耳は猿、もしくは人間のような形をしている。
口内にならぶ牙は犬よりも遥かに多く、鋭い。
他のどの生物にも明らかに当てはまらない僕の体躯。大丈夫。これには自信を持っていいはずだ。
自身を励ますように巡らされる思考。
その時、ピン、と頭の中で何かが炸裂した。
(そうだ…!!)
魔王は現在数万の
それらは実力のある魔物を筆頭に軍隊に別れ、それぞれの拠点を持ち全世界全大陸に散りばめられているのだ。
その規模はその軍隊の強大さに比例し、魔王の側近の軍隊などは数千にも登るのだとか。
その軍隊を、狙う。
末端の軍隊ならば、僕1人くらい簡単に入れてもらえるだろう。
それだけ泥臭い仕事をやらされるだろうが、今の状況よりも何倍もマシだ。
そこで功績を挙げればまた魔王城に戻れるかもしれない。
そう思い僕は軍隊の拠点を探す事にした。
上げられた視界に広がっているのは、蒼穹の空。
遮られるもののない陽の光は真っ直ぐに僕を射抜き、鱗の奥にある本体をジワリと焼く。
照らされた道は明るく伸びている。
それと相反するように、僕の足元の影はより黒くその色を落としていった。
半ば現実逃避するように景色を見ていた僕はそれを諦め、再び歩き出す。
陽気に歌う鳥の声に欠伸を返す事もなく、一心に。
どれほど歩いたかもわからないほど進んだ時、僕は意識を取り戻したように顔を上げた。
(…もう、夜……)
その頃にはもう、太陽は山岳の向こうへ身を沈めかけていた。
橙色の光が鬱陶しいほど僕を照らす。
今夜を凌ぐ場所を探すが、昨日のように身を隠せる草むらはもうなくなっていて、周りに広がっているのは背の低い草が繁茂する草原だけ。
この道の上で無防備な状態を晒すのは危険だ。
僕の野生の勘がそう訴える。
もしも人間がここを通り、僕を見つけたとしよう。
その人は間違いなく恐怖し、慌てて人里に帰る。
きっとその後大量の援軍を引き連れて僕を袋叩きにするのだ。
思わずそれを想像し、ブルリと身を震わせる。
なので取り敢えず僕は今晩の宿を探す事にした。
相変わらず地平線へ伸びる一本道を進みながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
(ない……なぁ。早くしないと、何も見えなくなる…)
魔王城周辺のこの土地は、夜になると極端に暗くなる。
まるで魔族の根城を隠すように、“何か”を守るように。
そうなってしまうと、人間は勿論、魔族の目でも進むのは困難だ。
少しの焦燥感を抱きながら進んでいると、草原にぽつねんと建てられた、小屋を見つけた。
木の板を張り付けただけのボロ屋。だが僕にとっては充分すぎるほどのクオリティだった。
もう辺りはすっかり暗い。
僕は駆け足気味に小屋へと近付いた。
開け放された扉の中を窺うと、案の定、様子がわからないほどの暗闇。
匂いを嗅ぎ、中の様子を探る。
(……変な匂いだ…。けど……よし、何もいない、な)
不信感を胸中に抱くが、生き物の気配がない事を確認すると、僕はそろりと中に立ち入った。
直後、体が何かにぶつかる。
質感から木製の椅子か何かだとわかった。
ガゴッと擦れる音と共に、突如、闇の中に気配が現れた。
「んにゅ……む……もう、夜ぅ?」
響く、細い“人語”。
語尾がだらしなく伸ばされたそれは、まどろみからまだ覚めていないように落とされた。
(っ!?人間が…っ!?)
突如として起こされた異常事態に、僕は身構える。
確かに異様な匂いはしていた。だが、少なくとも、人のものではないはずだ。
胸に渦巻く紅い焦りが、鱗に閉じ込められた身体にジットリと嫌な汗をかかせる。
動く、気配。
刻まれる等間隔の足音。
それの方に鼻を向けると、あの匂いはそこにいる人間のものだとわかった。
安易に入るべきじゃなかった!!
自身の行動への後悔と共に、湧き上がる戦意。
臨戦態勢へと入った僕は牙を剥き、動き続ける気配を睨んだ。
だがその戦意は、次の瞬間呆気なく折れてしまった。
止まった足音。
こちらに気付いたのかといよいよを持って戦意を爆発させようとした時、突如、橙色の明かりが室内を包んだ。
「……ふぇ?」
『……』
部屋の隅に設置された机。
その上に置かれているのは小さなロウソク。
火を灯したそれに手をかざしているのは、紫色の髪をした、少女。
透き通るような肌を照らすその少女と、目が合った。
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