童貞裁判

 ちょうどその日はクリスマスで、窓の外には雪が降っていた。聖夜を共にした恋人たちは神のささやかな祝福に感謝しながら颯爽と街を歩いている。愛し合い、慈しみ合うその姿のなんと微笑ましいことか。それはまさに、人間の幸福の絶頂とも呼ぶべき光景だった。

「そんな世界じゅうのカップルを、ひとり残らず皆殺しにしてやろうと思ったのです」

 証言台に立った被告は、臆面もなくそう陳述した。

 傍聴席や陪審員席から、不穏などよめきが湧き起こる。

 そんな法廷の空気をみじんも読むことなく、被告は訥々と言葉をつぐ。

「ぼくは生まれて二十五年、女の子と付き合ったことがありません。なにを隠そう、童貞です。だけどそれは、別にいい。ぼくは五体満足だし、工場の仕事だってありました。豊かな先進国に生まれたのだって、幸運といえば幸運です。それになにより、ぼくには親友がいたのです。かれも、ぼくと同じ童貞でした。有体にいえば、不細工でしたが、とてもいい奴で、ぼくらはまるで兄弟のように、いつもふたりで遊んでいたのです。酒を酌み交わしギターを鳴らし、『リンウッド・テラスの心霊フィルム』を朗読したりお気に入りのロックのレコードを聴かせ合う。それはぼくらにとって、掛け値なしに楽しい時間でした。その筈だったんです」

 被告はふうと息をついた。痩せっぽちな体、気弱げな童顔。とても世間を騒がせた凶悪犯とは思えぬ風貌である。

「だけど、そんな愛すべき親友は一カ月前、エレキギターの演奏中に感電死するという非業の死を遂げたのです。警察は事故死と断定しました。かれらにとっては、童貞ひとりが死んだところで、野良猫が死んだのと大差ないから。だけど、あれは事故死じゃありません。自殺だってことが、親友であるぼくには、すぐにわかった。理由は明白です――かれの大事にしていたジョン・レノンやチャック・ベリーのベスト盤、ジョーイ・ラモーンの『Ya Know?』、ポーグスの『堕ちた天使』のレコードが、叩き割られていましたから。クリスマス・ソングが収録されていたレコードばかり――つまり、かれはきょう、クリスマスという日を迎えるのが、怖かったんですよ――!」

 被告は憐れを誘う卑屈な目つきを陪審員席にそっと上げた。

「人が自分を不幸だと思うのは、いつでしょうか。自分より幸福な人びとを目にしたとき初めて、人は自身の惨めさに気づくのではないでしょうか。一年でクリスマスに最も自殺が多いのは、そのためです。聖夜を待ちわびる恋人たちの笑顔を目の当たりにした親友は、ふと、自身の孤独に気づいてしまった。嗚呼、ぼくには痛いほどわかる。かれは恋人たちの独り者への無自覚な嘲笑に傷つけられ、今まで楽しく過ごしていた日々がすべて錯覚だったと理解してしまったんだ。そしてかれは死んだ、童貞を苦に自殺したんだー!」

 被告の語調はしだいに荒ぶっていた。逆に法廷は、あまりに意表をついた陳述の連続に、みるみる凍りついていく。

「これというのも、恋愛至上主義者どもによる、童貞への苛烈な迫害が元凶です。アイ・アム・アンチ・クリスチャン! ぼくはもう二度と世界じゅうの惨めで孤独な童貞たちが自殺など考えずに済むよう、クリスマスまでに世界じゅうのカップルどもを根絶やしにすることをマリリン・マンソンのレコードに誓いました。さしあたり、アパートの隣室で同棲して毎晩喘ぎ声を響かせていた大学生カップルに大量のアルコールを振る舞って熱湯を張ったバスタブに沈め、なかよく溺死させました。嗚呼! ぼくはなんて恐ろしいことをしてしまったのでしょう! 罪悪感に震えながら、続いて夜の公園に駆けこんで、公然といちゃつく馬鹿カップルにガソリンを撒いて火をつけました。良心が痛みましたが、キャンプ・ファイアーみたいでとても綺麗だったです。貴い犠牲者たちの冥福を祈りながら、間断置かずさらにコンビニで避妊具を大量に買い占めていたピアスと指輪がじゃらじゃらの育ちの悪そうなカップルの後をつけ、夜道にまぎれて背後からギブソンのレス・ポールでメッタ打ちにしてやりました。水槽から引きずり出された金魚みたいに口をパクパクさせながら血塗れになって死にやがりましたよ愉快愉快! さらにその帰り道には自転車に二人乗りするけしからん高校生カップルを新型キャデラックで追いかけて地獄へ道連れ、そのまま轢き殺してやりました。そのときのかれらの恐怖に引きつる痛ましい表情は、今でも忘れられません。念のためバックしてもう一度タイヤでぐりぐり踏み潰しときましたよウヒャヒャヒャヒャ! このへんになるともう気分も乗ってきたのでひとっ走りラブホテル街に乗り込んでたまたま家にあったチェーンソーで死の乱舞、猪突猛進、獅子奮迅、幸せそうなカップルどもを二度と再生できないようにバッタバッタと片っ端から一六五分割×二の肉片に変えて――」

「もういい、もういい! たくさんだ!」

 たまらず検事が割って入った。

「検事になって十余年、これほどアナーキーな殺人犯は初めてです! 陪審員の皆さん、審議に入ってください! 厳罰を、いや、極刑、死刑を求刑します!」

「審議するまでもないだろう!」

 十二人の怒れる陪審員たちが一斉に立ち上がった。その瞳は、熱い正義と使命感に燃えている。彼らは被告に人差し指を突きつけ、声を合わせた。

「無罪」

「ええええええええええええッ!?」

 目を瞠り絶叫する検事をよそに、陪審員たちは我先にと被告に駆け寄る。

「わかる、わかるぞ、きみの気持ち! つらかっただろう、寂しかっただろう、だけど案ずるな、おれたちはきみの同志だ!」

 十二人の陪審員は被告の肩を叩き、手を握った。クリスマスに恋人と予定のある健全な一般市民は全員、この日の陪審員任命を拒否していたため、ここに集まった陪審員は奇しくも全員、童貞だったのである。

「こ、こんな審議が通るか! さ、裁判長! 裁判長―!」

 検事は必死に助けを求めた。

 ダン、ダン、ダン! 法廷内にいかめしい木槌の音が鳴り響く。裁判長のあふれる威厳に、場の破廉恥な騒ぎは一瞬にしてかき消された。衆目監視のなか重々しく、裁判長は判決文を読み上げる。

「無罪!」

 親指を立てウインクしながら、裁判長はそういい放った。なにを隠そう今年五十路、仕事ひとすじ、温厚実直な人柄で知られる裁判長もまた、童貞だったのである。

 傍聴席からワッと歓声が湧き起こった。見れば、さえない顔つきの若者ばかり。クリスマスにこんなとこに来る傍聴人どもも、当然童貞でないわけがない。かれらは証言台に乱入し、あろうことか、被告を胴上げしはじめた。

 勝訴の雄叫びは、法廷内に収まらなかった。その声は、全国の薄暗い部屋で裁判報道を観ていた夥しい数の童貞たちのハートに火をつけた。かれらは一斉に蜂起して、力強くドアを開け放ち、野に放たれた野獣のごとく街に向かって駆け出した。その数、実に五百万。独り身の惨めさからこれまで避け続けていた街に出る勇気を、かれらはこの童貞裁判から受け取ったのである。電飾に彩られた街は、恋人たちだけのものにあらず。何故童貞というだけで、肩身の狭い思いをせねばならんのか。イエスさまだって、童貞じゃないか。占拠された街を奪い返せ! 童貞を唾棄し、嘲弄し、ないがしろにしつづけた恋愛至上主義者どもの魔の手から! メリー・クリスマス!

 付記するまでもないことだが、大挙した童貞たちの手には金属バットに出刃包丁、バール、角材、防災斧、ゴルフ・クラブにトンプソン短機関銃と、各人思い思いの凶器が握られていた。

 雪がついにやんだ頃、街に悲鳴がこだまし始めた。(了)



2007年、原稿用紙10枚

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