バナナ・ショック

 スーパー・マーケットには、きょうもきょうとて不穏な銃声が鳴り響いていた。

 自動ドアは叩き割られ、フロアにはガラス片が散乱している。生鮮売り場は血の海で、お菓子売り場には巻き添えとなった子どもたちの死体の山が転がっていた。

 おそらく女学生であろう、まだあどけなささえ残るアルバイトのレジ店員たちが、短機関銃を手に暴徒たちの鎮圧に向かう。

 おれも彼女らの後を追い、主戦場たる青果売り場へ足を急がせた。おれの手には、リボ払いで買ったAK47自動小銃が握られている。

 青果売り場は地獄絵図だった。大勢の主婦たちが、怒声を上げて悪鬼の如く殺しあっている。弾が切れたのか、銃剣をふり回してなおも闘おうとする血まみれの女の顔は、少女の面影を残すほどに可憐だ。相対す老婆も、薙刀を手に老獪に応戦するではないか。

「フリーズ!」

 武装したレジ店員たちが短機関銃を構えて警告した。

 しかし、主婦たちは意に介さない。

「バナナをよこせ! バナナをよこせ!」

 口ぐちに叫ぶ主婦たちの形相は、エロティックなほどに本能的だ。さしものおれも戦慄を覚えたが、ここで引き下がるわけにはいかない。バナナのためなら、手足の一本も捧げる覚悟でここに来たのだから。

 世は空前のバナナ・ブームだった。嘘かまことか、どこかのテレビ番組が「バナナには脂肪分解酵素と代謝を上げる果糖が多く含まれ、ダイエットに最適!」と放送した直後、市場からバナナが消えて失せた。スーパーにはバナナを求め長蛇の列、ネット・オークションではバナナ一本数十万円で取引される異例の高騰ぶりをみせた。バナナ農家が一夜にして富豪になる一方、米軍がバナナの安定供給を確保するためフィリピンに侵攻、大規模な降下作戦を敢行したのも記憶に新しい。現代先進国ではやみくもに痩せたがる女性というのはかくも多勢を占めているのである。

 ブームは過熱の一途を辿った。食えば食うほどガンガン痩せる、便秘が治る、髪の毛が生える、果てはバナナの生命エネルギーで宝くじに当たる、意中の人と両思いになれる、株価も上昇、末期がんも治るなどなどなど、霊験あらたかなバナナの効能がまことしやかに噂され、ついにバナナを巡る殺し合いが日常光景と化したのである。

 そんな折、駅前のスーパーにたった一本、稀少なバナナが入荷された。市民はこぞって店に殺到、車で来店しようとしたマヌケどもは渋滞に巻き込まれ、辿り着いたのはママチャリを駆る主婦たちばかりというわけだった。運転免許を持っていないおれにとっては、千載一遇の好機である。

「ほーら、みんな、バナナだぞう!」

 コートの裏にダイナマイトの束のように隠し持っていたビニール製のバナナの玩具を、おれはそこらじゅうにばら撒いた。

「バナナ! バナナだ!」

 バナナに目が眩んだ主婦たちは、ビーグル犬のように玩具のバナナを必死に追いかけ奪い合う。ブームに乗せられる連中の知能なんて、所詮はこんなものである。

 その隙に乗じ、おれはバナナが鎮座する商品棚に一直線に歩み寄った。

 しかし、そこにひとりの女が立ちはだかった。

 地味なぼさぼさの黒髪に銀ぶち眼鏡、スーパーの二階で買ったような垢抜けない服装。それよりなにより、その腫れ上がったような頬はいったい何事だ。女はひどく肥えていた。きたるべき食糧難、核戦争にでも備えているのか、脂肪にまみれたその姿、まさに人面豚と形容するに相応しい。

「バナナはけっして渡さない……わたしはバナナで人生をやり直すの!」

 女は必死の形相で訴えた。

「デブを理由に、幼いころから苛められてきたわ。いつも日陰の道を歩んできたの。高校の文化祭でクラス演劇をやったときは、題目はサロメなのにわたしの配役はどういうわけか豚の役だった。三十歳もとうに過ぎたというのに、恋人のひとりもできたことがないの。就職の面接だって、門前払いだった。面接官には、食欲を抑えられない人間は理性が足りない犯罪者予備軍だとか、アフリカ難民に土下座して謝れとまで罵られたわ。路往く人にまで指をさされ、わたしはついに引きこもるようになった。テレビを観て、ご飯を食べるのだけが楽しみの人生。おかげで肥満は、ひどくなるばかり。でも、わたしは宣言するわ。きのうまでの惨めなじぶんに、さよならするって。わたし、勇気をふり絞って、十年ぶりに部屋から外に出たの。いままでわたしを嗤ってきた連中を、見返すために。そう――幸せになってやるためにね! このバナナこそ、わたしにとっての最後の希望――だから、だれにも譲れない。絶対、わたしのものなのよう!」

 女は涙を流し、鼻水を垂らしながら泣き叫ぶ。おれは返答がわりに自動小銃をぶっ放した。踊るような銃声に乗って、脂肪の塊は血を噴きながらすっ飛んでいく。こんど生まれ変わったら、痩せて生まれてきなよ、ベイビー。

 商品棚の上には、バナナが一本、まるで世界の王のように悠然と横たわっていた。おれはうやうやしく、その黄色い果実を手に掴んだ。なんたる神々しさ、まさに、木になる黄金である。

 ついにやったぞ――安堵したその刹那、背後に無数の殺気を感じた。

 ふり返ると、じぶんたちの追いかけていたバナナがビニール製の玩具だとようやく気づいたアホ主婦どもが、おれの周りをまるでブチハイエナの群れのようにとり囲んでいた。


        ☆


 体じゅうの傷口から、とめどなく血が流れ落ちる。

 病院に入ると大勢の看護婦が駆け寄ってきた。おれはそれを無視して、冷たい階段を必死に踏みしめていく。看護婦どもなぞに、用はなかった。ましてや、医師の世話になるつもりも、毛頭ない。

 やっとの思いで辿り着いた病室をのドアを開ける――ベッドには、長い髪に白い肌、美しい女が華奢な上体を起こしていた。

「バナナを、買ってきたよ――」

 おれは愛する妻の前にひざまずき、血に濡れたバナナをそっと捧げた。

 妻はか細い指でそれを受けとり、おもむろな動作で皮をむいた。まるで、天使の吐息のような甘い香りが、病室いっぱいに広がっていく。

 そして、うつろな眼つきのまま、妻は淫靡な舌使いでひとくちそれを口に含んだ。

 その瞬間、おれの目には涙が溢れていた。妻は、拒食症である。もともと痩身にも関わらず、痩せなければだれにも愛されないという強迫観念にとり憑かれ、ある日からまったく食事を受けつけなくなった。みるみる彼女は痩せ細り、ついに病院に運びこまれた。病院食にも、当然、彼女は手をつけなかった。むりに食べさせようとすれば、舌を噛んで死ぬ、というのである。

 日に日に衰弱していく彼女に対し、おれはなにもしてやることができなかった。そんなある日、彼女は病室のテレビでバナナ・ダイエットを知った。健康食であるバナナを食べれば、むりせず痩せられるというのだ。彼女は途切れ途切れの言葉で、弱々しくおれにこういった――「バナナを食べたい」と。

 おれは大学で分子ガストロノミーを専攻していた。だから、テレビで喧伝されるバナナ・ダイエットが嘘っぱちだなんてわかっていた。バナナにかぎらず、フルーツに脂肪を分解する酵素なんて含まれていないし、果糖が代謝を上げるだなんてきいたことがない。そんなことは、わかっていた。最初から、わかっていたんだ。

 それでも妻が食べたいというなら。バナナなら安心して食べられるというなら!

 バナナを手に入れるため、おれは勤めていた食品会社も辞めて、日本じゅうを奔走してきた。そしていまついに、彼女のささやかな望みを、叶えてやることができたのだ。

 やっと、やっと食事を摂ってくれた。これで彼女は元気になってくれるはずだ。

 さあ、微笑んでくれ。美味しいといってくれ。おれは祈った。ただ褒美を待つ、犬のように。

 しかし、彼女はおれになぞ目もくれなかった。その視線はおれの想いなどお構いなしに、テレビに釘づけになっている。

『いやーお歳を召されてもお美しい。美容の秘訣はいったいなんですか?』

 液晶画面のなか、インタビュアーが媚びた声で問うた。

『ワニです』

 ベテラン大女優はにこやかに答える。

『ワ、ワニ? えーと、ワニってあの――』

『ええ。ワニ肉はとってもヘルシーなの。カロリーは牛サーロインの半分以下。牛肉、豚肉、鶏肉のどれよりも高タンパクで、コラーゲンもたっぷり。味だってあっさりして刺身で食べても火を通しても美味しいの。お勧めは、そうね、南米産のクロコダイル……』

 じぶんの顔からみるみる血の気が引いていくのがわかった。おそるおそる妻に目をやると、彼女は潤んだ瞳でおれを見つめ、こともなげに最悪の予感を的中させた。

「ワニ、食べたい。南米産の」

 ナイフみたいな鋭い牙にコンクリートみたいな堅い鱗、爬虫類特有の冷たい眼つきが頭をよぎる。おお、ハニー! アメリカワニは全長六メートル、人をもバクバク食うんだぜ! ワシントン条約で保護されてる稀少種だし、ちょいとばかし難易度高すぎやしないかなあ!

「食べたいな……」妻はもう一度、そう漏らす。

 泣きながらおれは自動小銃を手に取った。わかった、行く、行きますよ。だって、世界じゅうの誰よりも、きみのことを愛しているから!

「ワニはヘルシー! ワニはヘルシー!」

 病院の外には異様な無数の掛け声が響いていた。窓を覗くと、道路は車で埋め尽くされ、クラクションが怒号を散らしている。散弾銃で武装した主婦たちが、嘲笑うようにその脇をママチャリで駆け抜けていった。双眸を血走らせ叫ぶ誰もが、国際空港をめざしているのは明らかだ。気の毒だが、南米には、もはや草一本残りそうにない。

 やれやれ、こいつは大冒険になりそうだ――おれは憂鬱の溜息を、ひとつ漏らした。


(了)



2008年、原稿用紙換算13枚

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