ワールズ・エンド

 永遠に人が死に続けるかと思われたあの永く忌まわしい戦争は、たったひとりの独裁者の気まぐれで始まったのだった。

 独裁者のその正体は、ごく一部の側近しか知らない。だれも信用せず、暗殺をきらったかれは、だれにも正体を明かすことはなかったのだ。絶世の美青年とも噂されたし、醜い怪物だともいわれた。結果としてその神秘性こそが、独裁者をいっそう神に近づけたのである。

 独裁者の命令は、すべてラジオ放送で流された。国民たちはみな、ラジオにかじりつきながら、かれの声を待った。新興宗教の信者が、教祖の託宣に耳を傾けるような面持ちで。

 独裁者の声は、やさしく、力強く、耳に心地よかった。その抑揚は旋律のようで、どんな屈強で誇り高い人間の魂にも直接訴え従わせる、魔性の魅力を持った声だった。

「みんな――いまから、戦争をしよう」

 まるで遊戯を提案するかのように、独裁者は宣言した。荘厳な、音楽のような美声で。

「すべての敵に死を!」

 狂信的なおびただしい怒声が、独裁者の呼びかけに応えた――それが惨劇の始まりだった。



 その日のうちに、国じゅうの爆撃機が夜空に向かって飛び立った。周辺国に無差別に、ありったけの爆弾をばらまいたのである。多くの都市が破壊され、罪もない市民が血を流し、多くの文化遺産や価値ある美術品が灰燼に帰した。ちっぽけな島国が、世界を相手どって、孤立無援の無謀な戦争を仕掛けたのである。

「斯様な宣戦布告は、自殺行為といっていい」

 この楽観的な国際世論は、まもなく裏切られることになる。

 独裁者は交感神経に作用する特別な薬物を兵士たちに投与し、恐怖も、疲れも、痛みも、眠りも知らない不死身の軍隊を作りあげた。人心を捨てた兵士たちは髪をふり乱し眼を爛々と光らせ、野に放たれた狂犬のように二十四時間休みなく暴れ狂うことができた。連合国側が物量で圧倒しだすと、それを見越したように開発が完了していたロボット兵士が落下傘により投下された。八本足にマシンガンを積んだ機械仕掛けの蜘蛛たちは、戦場をさらなる混乱に陥れた。最前線では狂戦士とロボット兵士の悪夢のような同士討ちが、幾度となくくり返されたからである。大勢の民間人が、戦闘の巻き添えになった。それを庇いながら戦う連合国側もまた、望まざる窮地に追いこまれた。やがて、民間人の体内に爆薬を埋めこんだ「人間地雷」が投入されると、戦場から民間人を保護しようとした連合国側は壊滅的な大打撃を蒙るはめになる。

 小国側の悪夢じみた戦いぶりは、異常というほかなかった。敵も、味方も、皆殺し。軍属だろうが、民間人だろうが、眼についた者は皆殺し。戦力や物資で圧倒的に勝る連合国側も、この狂態にはおおいに士気を挫かれた。連合国側に、小国の戦略の意図は、まるでわからない。とうてい理解など、できるはずもない。それは戦争というよりは、敵味方の区別もない、虐殺だった。

 得体の知れない敵に恐れをなした連合国側は、無惨な退却にまた退却を重ねた。世界を相手に、小国は互角以上の戦いをやってのけたのである。

 だけどそれは、不毛な戦争だった。もっとも、有意義な戦争というものがあったとしての話だが。それでも今回の戦争の不毛さは、目を覆いたくなるものだった。互いに疲弊し、消耗しあうだけの泥仕合だった。そこにはひとかけらの大義もなく、ひとりの英雄もいなかった。多くの人びとがただ破滅し不幸になるだけの、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 ただひたすらに人が死んだ。撃たれて死んだ。毒ガスで死んだ。焼かれて死んだ。吹っ飛んで死んだ。飢えて死んだ。伝染病で死んだ。同士討ちで死んだ。敵を道連れに死んだ。できあがった屍体の山の上で、なおも兵士たちは戦いつづけ、そしてまた互いに殺しつづけた。戦う理由など、もはや問題ではなかった。

 しかし最終的には――国力の乏しい小国の悲しさ、国そのものが力尽きてしまった。小国は、ついに敗戦した。連合国側にとっては、間一髪だった。というのも、小国では独裁者の特命で極秘裏に新兵器の研究が為されていたからである。戦局を覆す新型の核兵器なのか、あるいは無限の増殖をみせる生物兵器なのか、冷徹で残酷な化学兵器なのか。情報規制のために詳細は不明だが、敵味方の区別もなく世界じゅうの広範囲に死をもたらす前代未聞の大量破壊兵器であるとだけ、伝えられた。

世界の終わりワールズ・エンド」と名づけられたそれは、完成まであと一歩まで迫っていたという。



 世紀の大戦犯として国際法廷に出廷した独裁者の姿に、世界は驚嘆した。独裁者の正体は、美麗の青年でもなく、醜い怪物でもなかった。何処にでもいるような、平凡な――あどけなささえ残る、痩せた青年だったのである。その卑屈なまなざしからは、凶行のかぎりを尽くした罪業など、微塵も感じることはできない。

 裁判長は、残忍で冷酷な独裁者に問うた。

「貴公はなぜ、あのような不毛な戦争を?」

 若き独裁者は、内気そうなまなざしを、そっ、と上げた。

 そして、滔々と、語り始めたのである。

「ぼくが彼女と出会ったのは――そう、でした。彼女はいつも、独房の隅っこで膝を抱えて震えていました。華奢な少女でした。美しい少女でした。だのにじぶんのことを醜いと思いこみ、病室の外に、一歩も出たがらないのです。彼女は人が怖いのだ――と、看護師は憐れみながら教えてくれました。世界が怖いのだ、生きていくのが怖くてしかたないのだ――そう教えてくれました。ただ、ちいさな肩を震わせながら、毎日泣いて暮らしているのだ――と。

 胸が痛みました。きっと彼女は、精神病院の外で、たくさん悲しい思いをしたのでしょう。くわしいことは、わからない。彼女の口から、ききたいとも思わない。だけど、ぼくには想像もできないようなことが、きっとあったに、ちがいないんだ。ぼくは彼女に、独房から出てきてほしかった。いっしょに話したり、笑いあったりしたかった。朝陽の温かさとやさしい風の涼しさを、その白い肌で感じてほしかった。世界は美しいって、生きるってそれほど悪くないんだって、そう思ってほしかった。自分のことを、少しずつでも好きになってもらいたかった。そしてできうるならば、ぼくのことも、好きになってもらいたかった。。世界から人間がすべていなくなれば、彼女はだれも怖がらなくて済むじゃないですか。だれの眼にも怯えなくて済むじゃないですか。独房の隅っこなんかじゃなく、世界の真ん中で、お陽さまの下を堂々と、闊歩できるじゃあないですか。だれからも傷つけられたりせず、だれも傷つける心配もない、そんなたったふたりだけの世界を作るために――だからぼくは、戦争を、始めたんだ。世界じゅうの人間すべてが死んだって――それはとても気の毒なことだけど――彼女が笑ってくれるのなら、惜しくはないと思ったんだ。

 みなさん、ぼくは処刑されるのでしょう? できることなら、最後にどうか彼女に伝えて――ぼくは自分のやったことを、ひとつも後悔なんて、していないんだ。だけど、ついにきみを笑顔にできなかったことだけが、ほんとうに、ほんとうに心残りだ。ずいぶん、遠まわりをした。ひどく、長い時間をかけてしまった。取り返しのつかない過ちを、犯してしまったのかもしれない。だけど、ぼくがきみに伝えたかったことは、ひとつだけ。たった、ひとつだけ。話したこともないけれど、心からきみを愛している。どうか、どうか、どうか、どうか、幸せになってくれ。それで、ぜんぶだ。それで、ぜんぶです。みなさん、ありがとう――ぼくの話を、きいてくれて」



 世界は夜のような静寂に包まれた。悪名高き独裁者はその日のうちに絞首刑に処された。だけど、取り返しようもなく傷ついた世界は、少しも晴れやかではなかった。

 たくさんの新聞社やテレビ局が、独裁者のたったひとり恋したという少女を捜索した。だけどけっきょく、独裁者の最後の伝言が、彼女に届くことはなかった。

 精神病院の病室で、少女はすでに人知れず、首を吊って死んでいたのである――たった、ひとりぼっちで。それは、戦争が始まるよりも、ずっと、ずっと前のことだった。


(了)




2010年、原稿用紙換算7枚

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