第二章 ヒーローの資格

一話

 重たい荷物は小坂井に預けて、雨夜は両手に袋を持って、家に帰っていた。

 一食一泊の恩義があんな卵焼き一つで済むと思ってはいけない。

 まあしかし、あんな小柄の女の子に多量の荷物を持たせれば、自然と歩くスピードも遅くなる。


 そんな彼女と、それと一緒に歩く汐崎を置いて、雨夜は先に帰っていた。

 ぎしぎしと軋む赤錆だらけの階段を壊さないように慎重に上がって、踏みしめると抜けるほど脆い廊下に出ると、雨夜の部屋の前に誰かがいた。


 一瞬赤髪かと警戒した雨夜だったが、しかしそこにいたのは赤髪ではなく茶髪だった。

 肩まで伸びたその茶髪は、少しカールがかかっている。

 年は雨夜よりも二、三歳ほど年上だろう女性。

 背は長身痩躯の雨夜と比べると少し小さく見えるが、同年代の女性と比べると高い方だろう。


「なんでこんな所に人がいるんだ? 僕以外ここに住んでるのいないよな。まさか、引っ越してきたとか?」

「あ」


 と、雨夜が一人ぶつぶつ言いながら首を傾げていると、彼に気づいたらしい女性は、雨夜の方に近寄ってきた。

 その勢いに、雨夜は一歩後ずさる。


「ねえ、そこのきみ」

「そこのって、僕……ですか?」


 雨夜は馴れない敬語で話しながら、自分の顔を指さす。

 知らない人と話すとき――特に年上だと思われる人と話すときは、自然と敬語になる。

 マナーがしっかりしている……というよりは、知らない人相手だとすぐに萎縮してしまう、なにかと気の弱い雨夜である。

 そんな雨夜に対して、女性はうんうん、と頷く。


「きみ以外に誰がいるの?」

「まあ、そうですね……」

「きみってさ、ここに住んでいたりする?」

「そうですけど……あの、もしかして引っ越してきた方ですか?」

「うん? ああ、違う違う」


 恐る恐る尋ねる雨夜に、茶髪の女性は快活に笑いながら、ないない。と手を横に振った。

 そんなに否定しなくても……と思ったものの、よくよく考えたらこんな所に住んでる方がおかしいのだと、雨夜は今更ながら気づいた。


「じゃあなんでこんな場所に?」

「人探しをね、してるんだよ」

「人探しですか?」

「そうそう、遠路遙々こんな所に来てまで、探し回っているんだよ。どうやらここら辺にいる。っていう事までは分かってるんだけど」

「はあ……」


 人を探し回った挙げ句、こんなボロアパートにたどり着く。というのも、中々どうしておかしな話ではあるけど。

 茶髪の女性は、そんな雨夜の疑問に気づいたようで、こう答えてくれた。


「いや、こんなボロアパート。誰も住んでないだろうから、潜伏先としては使えるかなーって」

「潜伏って……あ、そこの柱触らないでください。アパート壊れちゃうんで」

「あっぶなっ!?」


 例の柱に体重を預けかけていた女性は慌てた風に、その柱から距離をとった。

 なんだか楽しい人だ。強張っていた体は段々と柔らかくなり、雨夜は自然と笑みを浮かべる。


「でもまあ、人が住んでたんだね。当てが外れちゃったかな」

「こんなボロアパートでも、住んでみると意外と心地よかったりしますよ?」

「へえ、住めば都っていうやつ? 私には少し分からないなあ」


 女性は愛想笑いを浮かべる。

 まあ、よっぽどな人でない限り、こんなボロアパートを『都』なんて表現する訳がないか。


「まあ、ちょうどいいや。ねえきみ」

 茶髪の女性は頭を指差した。

 いや、これはどちらかというと、髪を指差した。の方が正しいだろうか。

 そのカールがかった茶髪を指差しながら、気のよさそうな女性は言う。


「青色の髪をした子を探してるんだけど、知らない?」

 雨夜の肩が、ギクリと震えた。

 青髪、追っている。

 小坂井あおかみ、追われている。

 まさか。


 ――い、いやいや落ち着け。

 とっさに攻撃をしようとした体にストップをかけて、雨夜は心の中で首を横に振る。

 ――まだこいつの探している青髪が小坂井だと決まった訳じゃない。早計すぎる。ここは一旦落ち着いて探りをいれるべきだろう。

 ――けど探りってどういれるんだ? 『青髪って、こう、視界を遮る程度の長さですか?』なんて聞けば、一瞬でバレるよな。なら逆に『僕ぐらいの長さの子なら見かけましたけど』と言えばいいのか? 駄目だ、なんかはぐらかしている感じがして怪しい。


 ――じゃあここはあえて知っていることは明かしてみたらどうだろう。

 ――つまりこう言う訳だ。『ああ、見ました見ました。確かあっちの方を歩いていましたよ』って、方向違いを指差すんだ。いや、これ出会したりしたらどうするんだ? 無関係ならいいけど、こいつが探している青髪が本当に小坂井だったらどうする?

 ――駄目だ、その場しのぎしか思いつかない。


 とまあ、あんまり使っていない脳をフル回転させて、様々な案を考えては否定していく。

 これがもし汐崎なら、きっとこんなに考えたりしないだろうに……今日ほど自分の頭の悪さを悔いたことはない。


「い、いや、知らないですね」

 色々熟考して、雨夜は女性の顔を見ながら言った。

「本当に? ありゃー、あてが外れちゃったかな」


 明らかに怪しいその口調も、最初から口ごもっていたのも幸いしてか、女性は特に怪しむことなく雨夜の嘘を信じ込んでくれた。

 雨夜はふう、と息を吐く。

 そして危機を脱せれたからか、つい調子に乗ってしまい、一歩先に踏み込んでしまった。


「あの、どうしてその青髪を捜しているんですか?」

 明らかに一歩踏み出しすぎな、行きすぎなその台詞に、しかし女性は特に怪しむ素振りもみせずに答えた。


「知りたい?」

「え、いや。特にそういう訳じゃあないんですけど……遠路遥々探しに来てるんですよね?」

「そうだよ、しかし知らなかったなあ。こんな辺鄙な場所に街があるなんて、ここって位置的には中国地方だよね? こんな山奥だとなんだか『隠れ里』って感じだよね。まるで外から隠れるためにこの街がある。みたいな。というか、さっきから気になってたんだけど、きみの髪の色、どうして灰色なの?」

「わ、若白髪ですよ!」


 更に一歩後ずさる。

 まずい、非常にまずい。

 このままだと自分が欠陥能力者だとバレてしまうばかりか、この街が欠陥能力者の街だとバレてしまうかもしれない。

 連続して起きる不幸。

 そして不幸なことに、不幸というものはどうしてか、連鎖する傾向がある。

 二歩後ずさった雨夜の視界の端には、赤錆だらけの階段が映っているのだが、そこを置いてきた小坂井と汐崎が、昇っていたのだ。

 しかもその階段は、歩く度にギシギシ音が鳴るような、ボロボロの階段で、今もギシギシと音が鳴っていた。


「ーーッッッ!?」

「あれ、他の部屋の人も帰ってきたみたいだね」

「み、みたいですね」


 目の前には超能力者(未定)。

 背後にはそれに追われているという少女。

 それを逃がそうとする事自体は、実行すること自体は意外と簡単だったりする。

 このまま階段を降りて、二人を上げなければいいのだ。

 しかしその場合、今さっき家に帰るために上がってきたばかりなのにすぐに降りていったという不信感と、上がってきていたはずの足音が一向に上がってこないという不自然さを見せてしまう。

 この場から逃げること自体は叶っても、まず確実に追われるだろう。

 あくまでもその場しのぎに過ぎない。

 後先考えない、その場しのぎ。

 基本的にそればかりで生きている雨夜だから、どれだけ迷ってもどうしてもそういった案しか思いつかない。

 どうする。どうする。


「それで、その青髪を探してどうするか、だっけ?」

 逡巡している雨夜に、女性は実にあっさりと、あっけらかんと、それを口にした。


「倒すんだよ。ぶっ潰すのさ」


 と、茶髪はあっさりと答えた。 


「……その青髪の子って、名前なんて言うんですか?」

「小坂井せつな、だけど?」


 決まった。

 もう数瞬の迷いもない。

 こいつは、敵だ。

 雨夜は両手に持っていた袋を相手に向けて、投げつけた。

 口を閉じてもないそれの中身は、投げられた途端に溢れでて、彼女の視界を阻むカーテンになる。


「委員長、後は頼む!」 

 階段を上がっていた二人に向けてそう叫ぶと、雨夜は駆けだした。

 壁を駆け上がれるほどの脚力は一歩進む度にボロい廊下の床板を踏み砕き、その木片を背後に蹴り飛ばす。

 それを推進力に雨夜の体は、さながらロケットのように彼女のみぞおち辺りに、体当たりを敢行した。ぶちかましを、かましてやった。

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