六話

 どうやら彼女……小坂井せつなは、普通に料理が得意なタイプの人間らしかった。

 まず卵巻きぐらいしか作ることが出来なくて、揚げ物とか作るときには、家が火事になる事を覚悟しなきゃいけない程度には、料理下手な雨夜からすれば、それは渇望というか、羨望の眼差しを向けたいところだったのだが。


「うまい!」


 と、素直に称賛の声をあげた直後、髪の奥で「ニヤリ」と笑っていた小坂井を見てしまい、なんだか褒めづらかった。

 なにごとも謙虚なのが一番なのだ。

 そんな朝食の後は予定通り、小坂井に関する情報を集めに街に繰り出したのだが、その時にも一悶着があった。


 冷蔵庫の中身をまた荒らされたくないから外に連れて行こうと言う雨夜と、狙われている事を前提に、街を一緒に歩いていて見つかったりしたら危ないから家に置いていこうと言う汐崎の間で、ちょっとした言い争いが起きた。

 結局、公正なじゃんけん勝負の結果、雨夜の意見が通り、三人は街に繰り出して、小坂井の素性調査をしている……はずだったのだが、しかしどうしてか、雨夜はビルの壁を這い上がっていた。


 地上十二階建てのビル。

 その壁に指を喰い込ませるようにして、走るときとほぼ変わらない速度で這い上がっていた。

 ぱっと見、まるでゴキブリのようだ。


「雨夜ー、速く行かないと飛んでっちゃうよー」

 ビルの根本で泣いている女の子をあやしながら、汐崎はゴキブリみたいに這い上がっている雨夜に忠告する。


「りょーかいッ!」

 十階辺りまで這い上がっていた雨夜は、窓のさんに足を乗せて、跳んだ。

 いや、駆け昇った。

 足の握力にものを言わせ、靴底を壁に張り付けつつ一気に駆け昇り、屋上まで到達すると、屋上の端に足をかけて跳躍──女の子がうっかり手を離してしまい、ふわふわと空に飛んでいった風船を掴んだ。


「よっし……ッ!」

 十二階相当からの落下。

 それは体に凄まじい衝撃とダメージをもたらすが、しかし人形である雨夜にとって体へのダメージは特に気にする必要はない。

 骨にヒビが入ったとしても雨夜の体は至って問題なく、稼動する。


「ッッッ〜!」

 着地。

 衝撃が体中に駆け巡り、脂汗を垂らしながら目を見開く雨夜だったが、風船だけはしっかり放さずに、声にならない悲鳴をあげながらそれを汐崎に渡す。

彼女はそれをそのまま泣きじゃくっていた女の子に手渡した。


「はい、風船。今度は手を離しちゃダメだよ」

 目尻に涙を残しながらも、風船を受け取った女の子は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう、お姉ちゃん!」

 今度は離さないように、しっかりと赤い風船のヒモを握って、空いている腕を大きくぶんぶんと振って帰っていく女の子の視線に合わせるように、しゃがみこんでいた汐崎は、控えめに小さく手を振り返した。


「うん、良い事した。それじゃあ続きを……どうしたの雨夜?」

 のびをしながら立ち上がった汐崎は不満げな表情の雨夜に気づいて、首を傾げた。


「いや別に? 委員長は人助けが趣味だってことは知ってるし、良い人だって事も重々理解しているつもりだよ。たださ、今僕たちはやることがあるんだからさ、そっちを優先しようぜ」

「えっと、じゃあ雨夜は女の子の風船が空高く飛んでくのをただ見ておけと、あの子が泣いているのをそのまま置いておけって言うの?」

「い、いや別にそういう訳じゃないけどさ」

「でしょ? それに雨夜だって、風船が飛んでいるって、私が言ったらすぐに取りに行ったじゃない。きみだって、お人好しの癖に私だけに文句を言われても困るよ」

「うぐっ……」


 それを言われると反論できない。

 雨夜は若干不服そうに顔をしかめた。


「それと、どうしてきみは自分で風船を渡さなかったの?」

「……僕はヒーローには向いてないからな。お礼なんて言われても困る」

「全く、へんに拗ねているよね。雨夜は」


 目を逸らしながら言う雨夜に、汐崎は呆れたようにため息をついた。

雨夜と汐崎は少し離れた場所にいる小坂井のもとに向かった。


「ごめんね小坂井さん、少し待たせちゃって……?」

 その小坂井はというと、呆けたような表情で、建物と建物の隙間から見える空を仰ぎ見ていた。


「どうしたんだ、あれ?」

「多分この街が予想以上に『街』らしいから驚いているんじゃない?」


 雨夜が不思議そうに呟くと、汐崎はそう返した。

 確かにこの街は、嫌われ者たちが身を隠す為につくった街だ。

 しかしその街並みは、まるで、それなりに成長している街を切り取って、そのままこの山奥に置いたように、ある程度は完成されていた。

 実際、この街にやってきた欠陥能力者たちは総じて、その街並みを見て小坂井と同じように驚いたりしているのだが、交友関係が狭く、少ない雨夜は知らない話ではあった。


「小坂井さん、おまたせ」

「あ……」

「驚いた? 思ったよりも『街』って感じでしょ?」

 笑いながら言う汐崎に対して、小坂井は素直に頷いた。

「この街はね、はじめはたった五人から始まったんだ」


 汐崎は街の事を話しながら歩きだす。

 この素性調査は、雨夜の家の冷蔵庫の補充ついでなので、三人の足は街にあるスーパーに向かっている。


「その五人が、この街の大まかな部分を作った。彼らは今は、街の自治会のリーダーを務めてるよ」


 もしもここに住むつもりなら、一度挨拶にいかないとね。と汐崎は言った。

 その自治会には、雨夜の数少ない友達の内の一人がいるので、それは雨夜も知っていた。

 この街を作った最初の五人。

 それは今も『五人議会』を名乗り、街のリーダーとして、この街の運営をしている。


「それで、その次にここを訪れた十五人が街の形を作った。そして少しずつ集まってきた二千人と二百人が、こうして街を象った」

 人がいないと、街は街として機能しないからね。と、山の向こうを見るようにして、汐崎は言った。

 その山の向こうには、人がいなくなって街として機能しなくなった街が、幾つも存在している。


「電気は、どうしてるの……?」

「電気系統の能力者たちが協力して、蓄電池に電気を溜めてもらっているんだ」

 今日は確か、轟さんの当番だったかな? と汐崎は言う。

「物資は小坂井さんみたいに、外で暮らしている欠陥能力者と結託して、時折輸送してもらったり、森のなかで農業をしたり、辺りにある誰も住んでない街に繰り出して、まだ使えそうなものを掘り出してそれを直したり……せっかく二千三百人も能力者が集まってるんだ。有効利用しない手立てはないよ」


 とは言っても、最初の数年かは小坂井さんの予想通り、貧窮問答歌で歌われそうな、そんな状態だったらしいけどね。

 と、汐崎が纏めたそのタイミングを、まるで見計らっていたように、人影が三人に近づいてきた。


「よう維月。久しぶりに見たと思ったら、またなんか面白いことやってるな」

 年は三十ぐらいだろうか。

 プロレスでもやっていそうな見た目の、巨躯の男がいた。

 高坂鋼屋こうさかこうや

 雨夜の数少ない友人の一人だ。


「お、丁度いい所に来たな、高坂」

「丁度いい所? ん、あれ。誰だ、その青髪?」

「迷子。もしかしたら知り合いがこの街にいないかなと思って探してる所」


 高坂が差し出してきた手にハイタッチを交わしながら、雨夜は言う。

 二人の関係は中々良好のようだ。


「小坂井、こいつは高坂鋼屋。さっき言った『最初の五人』だ。元は建築士をやっていたから、この街の見た目を作った。後、俺のアルバイト先」

「今度また新しい建物を作るから、招集かけると思うぞ」

「お、ありがたい。今金欠なんだよ」

「それにしても、お前は友達が少ない癖に、その友達には美少女が多いよな。ラノベの主人公かよ」

「僕の数少ない自慢の一つだ、羨ましいか?」

「いんや、俺はお姉さんキャラが好きなんだよ」

「お前みたいな歳の奴が言うと、ただの熟女ずきにしか聞こえないな」

「そうなんだよなあ……本当、いい人いねえかなあ」

「あの、その話はどうでもいいんで、本当に高坂さんは彼女の事を知らないんですよね?」


 脱線しかけていた話を、汐崎は慌てて元に戻した。

 高坂は前髪で隠れている小坂井の顔を覗き込みながら、あごをさする。


「ああ、全く知らない」

「……!!」


 そんな高坂の目が恐かったのか、小坂井は小さく悲鳴をあげて雨夜の後ろに隠れてしまった。

 高坂の心が壊れた音が、確かに聞こえたような気がした。


「これで八十人ぐらいに聞いたことになるよね」

「そうだな、多分それぐらいに聞いて回ってる」


 そして誰もが小坂井に関する情報を知らなかった。

 二千三百人中八十人。

 その殆どが汐崎が聞いて回っていて、雨夜が聞いたのはその中の二人だけだ。

 まだ聞き込みは始まったばかりだけれども、はやくも諦めムードが雨夜の周りを取り囲んでた。


「あ、でもよ」


 高坂は思い出したように呟く。


「青髪なら、ちょっと噂が広まってるぞ」

「噂?」


 田舎……というか狭くて小さな集団になると、人の噂というのは一気に広まる傾向がある。

 この街も例外ではなく『誰と誰がくっついている』なんて下らない情報でも、二日もあれば住人全員の耳に伝わってしまう。

 ただ口伝えの情報が殆どのせいか、正確な情報が広まる事自体珍しく、噂は噂らしく信憑性というのが薄い。

 だから雨夜自身、その噂話なんてものを信じている訳もなく、一応聞いておくか。という保険的な意味だったのだが、高坂の口から出てきたその情報はそういう風に、捨てておくことが出来ない情報だった。


「山から青髪の女子が逃げてきたのを見たって奴がいるんだよ」

「ちょっとその話詳しく教えてくれないか?」

「ん、お前噂話とか好きなタイプだったっけ?」

「いや、そういう訳じゃねーけど」


 はっきりしない雨夜の言動に、高坂は不信感を露にするも、しかし、意地悪せずに教えてくれた。


「昨日か一昨日かの話なんだけどな。山からボロボロの青髪の女子が街に入ってきたらしいんだよ。髪の色からして同族ではあると思うんだけどな」


 一昨日といえば、小坂井が雨夜の頭上に落ちてきた日だ。

 青髪は、小坂井の髪の色だ。

 小坂井の風貌は、ボロボロだった。

 噂話の情報と、小坂井の情報が一致する。

 似ているとかじゃなくて、一致している。


「へ、へえ。どこかでこの街の噂でも聞きつけた奴じゃないか?」

 焦る心を隠し平静を装いつつ、雨夜は高坂に話の続きを促す。

「まあ多分そんなものだろうって俺も思ってたんだけどな、厄介なのは次だ。どうやらその子、追われてたみたいなんだ」


 雨夜の思考は止まった。

 ゆっくりと振り返ると、小坂井が『それ見たことか』と言いたげな顔をしていた。


「誰に?」

「さあな、噂によるとそいつは赤髪らしいぞ」

「赤髪って事は、じゃあそいつも同族なんじゃないか?」

「くいついてくるな維月」

 いつもなら適当に流すくせによ、と高坂は訝しみながら、疑問を口にする。


「まさかその子が、その噂の子だったりしないよな?」

 半分冗談のつもりで言ったのだろう。

 笑いながら言った高坂だったが、雨夜と汐崎が神妙な顔つきで頷いたのを見て、固まるというか、唖然とした表情で二人を見た。

 汐崎は高坂に誰にも言わないでくださいね。と釘を刺してから、昨日あったことを高坂に話した。

 女の子が空から落ちてきたとか、それが誰かに狙われていて逃げているとか言ってるとか、そいつを追っている奴が超能力者らしい。とか。

 全部聞き終えた高坂はふうん、と唸る。


「つまりお前が言っている事を全部統括すると、また厄介ごとに首を突っ込んでいるって事だな」

「二度と失敗したくないからな」

「二度と失敗したくない、な」

「なんだよ」

「いや、別に人の思想主義にとやかく言うつもりはねえが、少しは自分の体を労ったらどうだ。例えばさ、風船一つにあそこまで体をはる必要はねえだろ」

「……ご忠告どうも」


 年上からの忠告に、雨夜はふてくされたように呟いて、踵を返した。

「けど頑張らないと、僕はダメなんだ。頑張らないと……」

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