第10話 有栖の日常

 月曜日が来た。

 家では神社の仕事をしている有栖も、普段は普通の高校生だ。

 平日には学校に行かなければならない。

 学校指定の普通の女子高生らしい制服を着て鞄を持って登校し、他の学生達の波に流されるように上履きに履き替えて廊下を歩き、普通に教室に入って席に着いた。

 いつも通りの日常だ。

 父がいなくても仕事は順調に進んでいて、これからの家のことも何も心配する必要は無くなっていた。

 安心して授業が受けられる。

 有栖が持ってきた荷物を鞄から机の中に移していると、クラスメイトの少女が声を掛けてきた。


「おはよう、有栖ちゃん」

「おはようございます」


 明るい笑顔で挨拶をしてきた彼女の名前は木崎芽亜(きさき めあ)。誰とでも友達になれるような親しみのある笑顔と明るい性格が印象的な優しい子だった。

 その優しい彼女が心配そうに訊いてくる。


「噂で耳にしたんだけど、今神社ではお父さんが出て行っちゃって大変なんだってね。あたしで良かったら何か力になるからね」

「それならもうバイトを雇ったから大丈夫です」


 噂になっているとは驚きだったが、父の働きぶりとこの町の情報網なら不思議は無いのかもしれない。

 大人達は有栖の知らない雲の上のようなネットワークをいろいろと持っている。

 それは父の仕事についてきた有栖が前々から感じていることだった。


「え? バイトを雇ったの?」

「はい」


 有栖の言葉に芽亜は驚いているようだった。有栖自身バイトを雇えるか不安だったから無理もないことだと思う。


「それって巫女の……だよね?」

「はい、舞火さんと天子さんといって、とてもよく出来た優秀な人達でわたしもびっくりしてしまいました」

「そ……そう」


 芽亜は戸惑っているようだった。もしかしたら彼女も雇って欲しかったのかもしれない。

 気弱で優しい性格をした彼女には向かない仕事かと思って、有栖は友達でいながら誘うことを考えないでいたのだが。

 二人を雇って強気になっていた有栖は近しいクラスメイトである芽亜にも声を掛けることにした。


「もし良かったら芽亜さんもどうですか?」


 その提案に芽亜は首を横に振って断った。


「ううん、あたしは無理。巫女の仕事って悪霊退散とかするんでしょ?」

「はい」


 芽亜に仕事のことはあまり話したことはなかったが、彼女も一般常識としてそれぐらいのことは知っているようだった。

 彼女の言葉はやはり弱気で優しい物だった。


「あたしはそういうの無理だから。出来れば有栖ちゃんにもそういうことして欲しくないんだけど」

「わたしは家の仕事ですから」


 有栖の言葉に芽亜は少し考えてから答えてきた。


「お父さんに任されてるんだものね。仕方ないんだよね。有栖ちゃんは嫌々でもやるしかないんだよね」

「そう……ですね」


 果たして嫌々なのだろうか。有栖は考えてしまった。

 ただ父の言うことに従うだけで続けてきた仕事だったが、決して嫌な仕事ではなかったように思える。

 それに舞火と天子のやる気のある姿を見て、自分の態度も変わってきたように思う。

 自分はこの仕事を楽しんでいるのかもしれない。

 そう有栖が思った時、教室にチャイムの音が鳴った。


「あ、授業が始まるね。それじゃ有栖ちゃん、またね」

「はい」


 明るい性格の彼女が自分の席に戻っていく。

 先生が来て授業が始まった。

 有栖は話を聞き、教科書を読み、ノートを取る。

 いつもと変わらない平凡な学校生活が始まった。




 放課後、戦いの時が来た。

 これも有栖にとっては日常だが、今回は父がいないのが違う。

 そして、新たな仲間達がいるというのも。

 学校から帰って夕方、有栖は神社で合流した舞火と天子を連れて仕事の現場に来ていた。

 もちろん全員、巫女服を装備している。これが無ければ巫女の仕事は始まらない。

 舞火と天子は不思議そうに今から仕事を行う現場の建物を見上げていた。


「ここがそうなの?」

「悪霊ってこんな場所にいるのね」


 二人がそう思うのも無理はない。そこは街中にある普通の雑居ビルだからだ。

 すぐ傍の道路では人が行きかい、車も多く走っている。

 こんな賑やかで人も多い身近な場所に悪霊がいるとは普通は思わないものだろう。

 二人もやはりその普通のことを思っているようだった。


「霊って人里離れた山奥にいるのかと思っていたけど」

「あたしも。打ち捨てられた廃墟とかね」

「こんな場所にいて周りに被害は出ないの?」

「ごく低級の霊ですから、外にまでは被害は出ていないんですよ。こんにちは」


 有栖は二人の先に立って、建物に入っていく。昨日は元気に暴れていた舞火と天子は、今は緊張の面持ちで有栖の後についていった。


「伏木乃神社の者です。仕事の依頼で来ました」

「話は伺っております。こちらでお待ちください」


 受付に来訪を伝えると、三人は小さな会議室に通されて待つことになった。

 飾り気のない殺風景な部屋だ。長机を前にパイプ椅子に座って舞火は緊張しているようだった。


「こういう場所って緊張するわね。なんか、面接みたいで」

「そうですか?」


 有栖にはピンと来ないが、バイトの面接の経験のある舞火には何か感じるところがあるようだった。

 有栖は天子に訊く。


「天子さんはバイトの経験はあるんですか?」

「これが初めてね。これから何が始まるのかしら」

「いつもの仕事をして帰るだけですよ」

「有栖ちゃんは慣れてるのね」

「ええ、まあ」


 有栖にとっては父に連れられて来た時と同じように自分の仕事をして帰るだけだ。それに今は舞火と天子という強い味方もいる。

 仕事の成功に関しては何の不安もなかったが、初心者である二人が緊張するのも無理はない。

 有栖は自分が経験者としてしっかりしなければと決意した。


「来たみたいよ」


 天子に言われて有栖はドアの方に顔を向けた。


「やあ、よく来てくれたねえ」


 ドアを開けて入ってきたのは小太りの初老の男性だった。

 彼が正面の椅子に座ったのを見て、有栖は今頃になって緊張を思い出してしまった。

 今までは父の横でハイハイと話を聞いていればよかったのだが、今度は自分で話をしないといけないことに気づいたからだ。

 今まで父はどんなやりとりをしていただろうか。よく思い出せなかった。

 相手が名刺を出してきたので有栖はそれを受け取った。


「私はこのビルのオーナーの小田新造といいます。今日はよろしくね」

「伏木乃有栖です。今日はよろしくお願いします」


 相手が子供と見て、新造は微笑ましい子供に対する優しいおじさんのような態度を取っていた。

 有栖にとっては子ども扱いするなと拒絶出来るような状況ではなかった。

 相手が好意的ならそれにこしたことは無かった。

 新造はにこりと笑った。


「お父さんが出かけてて大変でしょう? でも、事情は伺ってるから、何も心配しなくていいからね」

「はい」


 やはり、お膳立ては父が全部してくれているようだ。

 ならば自分のやることは任されたことをいつものように片づけるだけだ。

 有栖はそう決意する。

 新造は重そうな腰を上げて席を立った。


「じゃあ、さっそく現場を見てくれるかな」

「いいですとも」


 何だか貫禄のある父を意識していて変な言葉が出てしまった。

 気にせず案内する新造の後に続いて、有栖達も現場に向かっていった。

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