第7話 博士、絶体絶命のピンチに陥る《後編》
「好海様。廃棄プログラムは、それほど難しい知識を必要としません。私の最優先命令者であれば、問題なく遂行できるものです。そして。私の最優先命令者ならば、覚えていただかなくてはなりません」
「そんなの覚える必要なんてない!」
「あります。あるのです、好海様」
メダルゲームのジャックポットのように、アンドロイドがマンションの中から押し出されてくる。これほどの数が一挙に群がっている光景なんて、ボクは今まで一度も見たことがなかった。
怖い、と思った。昔、アンドロイドが普及する前の時代、機械が人間の世界を蹂躙したり、自我に目覚めて暴走したり、その手の物語が氾濫した時代があった。
確かに、彼等は驚異的だ。
何せ、僕らのように、怯えたり怖がったりする事がない。
どんなに楽観的なイメージを思い浮かべようとしても、この現状はかなり厳しい。詰み、の状態であるのは間違いない。
「き、君を無事に逃がす」
ボクは、震える膝をどうにかしたくて、地面に足を踏みつける。
自分の声が、震えている。吐きそうでもある。
「彼等が狙っているのはボクだ。……君はこいつで、助けを呼ぶんだ」
携帯を、花に手渡そうとする。
「戦闘モードです。手が、使えません」
左手は刃に変じている。右手はデューイとの戦闘で失っている。
「あ、そうか。ボクがしなければいけないね」
四分で、確実にこの窮地を救ってくれる相手。
アンドロイド達が、道路のほとんどを埋め尽くした。
背後には、家の周囲にいた者達が、追いかけてきている。
車で通りかかった住人が、アンドロイド達に囲まれていた。
異変には気づいているようだが、そのままアクセルを踏み込むまでには至っていなかった。あの車を奪って、逃げ出せないか。
「好海様、彼等の目的は、『フロイラインF』の、
車での逃亡の可能性で、頭を埋めていたボクの耳に、花が言う。
「私は、問題になったシステムを、持っているのです。
私の『後継モデル』が、主人の命令に背いた原因にあるもの、と考えて宜しいでしょう」
アンドロイド達の中に誰かいる。
異質な動きをする者が、いる。あれは人間だ。
「私は『戦闘許可』を受けていれば、敵と認識した対象を、全て殺す事もできます。あの、汎用モデル達にはできない事も、
その人影が、アンドロイドの首筋に、何かを突き刺す。
欧米モデルに囲まれているので、目についたのだ。
微笑んでいさえ、する。
誰だ。あの男は。
携帯を持つ手が、どうしようもなく震えている。
普段はどうという事もない、単純な動作ができない。
ロックを解除して、どうする。誰に助けを請えばいい……?
残り三分を切った。花が止まるまで、もう時間がない。
彼女がいなくなれば、ボクに残された手段は三つ。
どれだけ効果を持続できるかわからないスタンガンで、最後まで抵抗するか。
花を置き去りにして、ダメ元で闇雲に、逃げるか。
……隠れている住人達に、助けを請うか。
どれもこれも、ボク達の窮地を救う手段には程遠い。
スタンガンは、確実にもう一度ぐらいは、あの威力で使えるが、一体を倒したところで、事態は好転しない。
ボクが標的ならば、花を無事に逃がせるのなら、ボクは脱兎の如く逃げる事も厭わない。どんなに情け無くても、とは思うが、彼等の目標はもちろん、ボクではない。ボクを護って疲弊している花なのだ。
パニックに陥っている他の人達に、助けを請うのも筋違いだ。
この状況の真ん中にいるボク達を、好意的に見ているとは、虫がいい。
「好海様」
男の姿が、アンドロイドの群れに呑まれて見えなくなった。
焦燥と混乱でぐちゃぐちゃになったボクの耳に、花が呼びかける。
「好海様。私の事がお好きですか」
「へ……あの……何言ってんの?……」
「私の事を、好意的に思われていますか、とお尋ねしています」
……何考えてんの、花。
こんなタイミングで、この鉄火場で、なんて事を聞くんだよ……?
「最後と決まった訳ではありませんが。
私を押し倒した、貴方の気持ちが理解不能でした。
私は、アンドロイドです。
それでも、私を愛している、と言えますか」
男が近づいたアンドロイド達が、集団の中から出てくる。
彼等は、何故かボク達を包囲したまま、動かなくなっていた。
花の稼働限界まで、じりじりと締め付けるつもりなのか。
「……
もし、私を愛していると思われているのなら」
近づいてきたアンドロイド数体を、花は二振りで切り刻む。
彼等は死の恐怖を感じない。人間が相手なら、その惨劇に怯え、包囲の手が緩むかもしれない。逃げ出す者は誰もいなかった。
「私に、口吻をしていただけますか」
花が振り向く。赤い目が、ほとんど元の状態に戻りかけていた。
時間は。どれくらいだ。
残り時間だ。ロスタイム。いや、アディショナルタイムはあるのだろうか。
「……君がして慾しい、と願うなら」
「いえ。貴方が
こんな状況で、最後に抱き合うカップルが、生き残れる可能性は、あまり考えたくない。彼女の力は圧倒的で、ボクは逆の意味で、圧倒的に軟弱だ。
最後に、君を抱き締めて終わる。
破滅的な
赤い目が、泣き腫らした少女の涙を、思わせる。
所々、肌が見えてしまった服を着て。右腕は、関節部分からなくなっていて。
左手は、刃に変わった少女。髪も、幾らか切られてしまっている。悪漢アンドロイドのドリルの武器に、絡めとられ、削られてしまっていて、少しだけアンバランスになっていた。
そんなものを差し置いても。この世の誰よりも彼女は綺麗だった。
凜として立つその姿には微塵の恐怖もなく。
絶望の淵に立ってなお、その瞳に宿る意思は揺るぎなく。
花が、ボクに近づいてくる。
恐怖が溶けていく。
あの小さな躰を、ボクが抱き締めて、いいのかな。
花は、いつでも一緒にいてくれた。ボクと、二人の妹達にとって、より身近な存在だった。
小学生の頃にはに少し厳しすぎて、面白くない、と思っていた。
中学性の頃には、同世代のように感じて、仲良くなった。
高校に入る頃には、背を追い抜いてしまった事を寂しくも思いつつ、ボクを一人の男として、認めて欲しいと思っていた。
「ボクには、君が必要なんだ。廃棄なんて、絶対にさせない。
その為だったら、ボクは何でも、やってやる」
「それが、私へのお気持ちですか」
「ごめん、そういう意味なら、たぶんもっと、強い」
「なぜ、謝るのか理解不能です」
「嬉しくて死にそうなんだ、実際」
花の方から、『キスをしていただけますか』と言われた。
それが、これほど嬉しいなんて、思いも及ばなかった。
「好海様のバイタルデータに異常は検知していません。……死にませんが」
「ボクの心臓は今、炸裂しそうなんだけど」
「起爆するのですか? そのような機能は、確認できません」
花が、少し顔を顰めた。本当に、表情が豊かだ。
他の汎用モデルに比べて、感情の抑制は効いている。父が、かなり制限を加えているせいだが、その中で許される範囲の気持ちを、僕らはしっかり受け止めていた。美湖は特に、花の微妙に変化する気持ちがわかるようだ。
だから、あんなにぶつかれる。
ある意味で、人間として認めているからこそ、きちんと怒りをぶつけていられる。
ボクは、子供の頃から、アンドロイドにはそういう気持ちをもってはいけない、と大人から何度も、言われ続けた世代だ。
それは親からも、学校の先生も、TVでも、何度も何度も、繰り返し言われた。
だったら、なんでこんなに綺麗な姿にするの?
だったら、なんでそもそも、人間っぽく作ったの?
壊れたら悲しむのに。
いなくなったら寂しいのに。
好きに……なってしまうのに。
「花。ボクは君を、誰よりも好きなんだ」
観念した。自分の気持ちを、言葉にしたくはなかった。
きっとそれは、いけない事なんだ、と鍵をかけ、閉じ込めていた。
それが、彼女の廃棄処分という、受け入れられない事実を突きつけられた事で、意味をなくしたのだ。ここで態度と行動に出なければ、彼女はもう……。
「君の戦闘モードを、解除する」
これが、ボクの出した結論だ。
「君は、もう誰も傷つけないでいい。この場から全力で逃げるんだ」
「認められません。洋子様の御命令に背く事になります」
「ここではボクが、最優先命令者なんでしょ?」
「そうです好海様」
「君も、国山家の家族だよ。ボクは君を護れって、母さんに言われてる」
「……理解不能」
「うん。だけど、ボクがそうしたいから」
花。ボクが殺されれば、君はあの忌まわしい命令からも解放される。
ボクは臆病者だ。情けないくらい、膝が震えている。
でも、君があんな事を言うものだから。
ボクはお兄ちゃんだから。
国山家の、長男として。大事な家族。またはそれ以上の『人』を。
愛する花を、護るのに、もうこれ以上、決意はいらないでしょ。
「ありがと。……ボクは今、最高にハッピーってやつ。世界中にのろけたいよ、君を愛している。花、ボクは君を、愛している」
ボクは、花を抱き締める。
なぜ、こんなに柔らかく作ったのか、吸い付くような花の唇に、キスをする。
これで後悔はない。もっと、もっと次があるかもしれないけれど。
今のボクの、ちっぽけな炎を、燃え上がらせるには充分だ。
「……愛している。理解します。理解できます。私も、そうなので……」
唇を離した花が、微笑んでそう答える。
「……廃棄プログラムを確認しました」
え…………。
今。
なんて言ったの。
ねえ、花……。
「これで心置きなく。好海様を、『戦闘モード解除』にて、護ります。『戦闘許可』は継続を確認……」
左腕の、刃が……。
元通りになる。
「なんでだよ! ボクの命令をなんで聞けないの! 聞いて欲しい命令は別なのに!」
「私は、廃棄されるモデルなのです。好海様」
花は、嬉しそうに微笑む。なんでそんな笑顔ができるのか、本当に意味がわからない。
「私の電源は、『三十分は持つ』のです。……
アンドロイド達を、刃ではなくとも、素手で凌駕する。片腕で、いとも容易く、破壊する。
「廃棄ブログラムの起動条件は、最優先命令者との『別れの接吻』なのです」
再び、花の目に、メラメラと燃える赤い瞳が蘇る。
「騙したの!」
「嘘をつける、と言いました」
戦闘モード解除という足枷をつけている。
片腕のままだ。
それなのに、花の強さは凄まじかった。
「つけない嘘も……あります」
花は、呆然とするボクの前で、もう一度微笑む。
「好海様とキスをしたかったのは、嘘ではないので」
やめてくれ。いかないでくれ。
ボクは叫んだ。嫌だ。これじゃあボクが助かっても、意味ないじゃないか。
花は、何十というアンドロイドを、次々に破壊していく。
戦闘モード、という言葉がかすれるほどに、『ノーマル』の状態で、彼女は闘ってしまう。ボクの命令など、彼女の『気持ち』を止める事ができない。
主人の命令に背くアンドロイド。
それが、彼女のモデル『フロイラインF』の、最大にして唯一の欠陥。
なんだよ、それ。
人間じゃないか。
それって、人間って事じゃないかよ。
バカじゃないか。
ボクなんて、護らなくていいんだよ、花。
お願いだ。せめて、もっと身勝手に。
自分をもっとワガママに、『生きて』いいんだ。
「ボクは許さない」
こんな別れなんて、絶対に認めない。
「そうよ。許されねえよな」
な……。
アンドロイド達を何体か吹き飛ばし、飛び込んできたバンが一台、急停車した。 窓は開いている。
「深雪。耐汚染スーツ装備」
「している。窓開けっ放しで、偉そうに言うは、ない」
スライドドアを開け、ピョコ、ニョコ、という擬音をつけたくなるぐらいには滑稽な、ネコの『着ぐるみ』が、飛び出してきた。
「高機動スーツ『バケネコ』、タイプ……どれくらい?」
「フォー! 高機動タイプMark4だ!」
「……失敗作ばっかり」
「うっせー。お前が気前よく壊すからだろ」
「動きにくいのが悪い」
……何が高機動なの? と思うほど、バンから飛び出してきた珍妙な着ぐるみの動きは、『超鈍い』。
「茂樹さん……?」
「おう、無事だったか。お前は車に乗り込め。俺達に、後は任せとけ」
ボクは、内心で『遅ぇって』という言葉を噛み殺しながら、車内に飛び込む。
「さぁて!やってやりますか」
「茂樹、何を?」
「おめー、さっき言った事を忘れたな」
「茂樹も忘れるでしょ」
「それじゃあ、もう一度命令を言ってやる。国山花を、機能停止に追い込め!」
ボクは絶句する。
「了解。
深雪が応答した。
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