第6話 博士、絶対絶命のピンチに陥る《前編》

 花は、右腕を失ったままの状態で、ボクと母の元に駆け寄ってきた。

 ボクは母を護るように、抱きかかえる。


 抱きかかえたのだ。護るように。


 デューイの言葉に、狼狽えていた。

 自爆、という言葉が霞むほど。『国山好海を殺せ』という命令を、最優先の命令に書き換える、ウイルス……という言葉に。


「好海様、立てますか」


 優しい声が聞こえた。ぐっと目を閉じて、最悪の覚悟を決めんとしていたところに、いつも通りの花の声。え……、とボクは呆けた顔をし、彼女を見る。


 目は、まだ赤いままだ。母の最優先命令『この子達を護って』は、有効の状態なのだろうか。


「ここから離脱します。あのアンドロイドの自爆機能を確認。通常、四十秒で起爆、半径五メートル程度のものは、全て吹き飛ばします」

「え、ちょっ……マジで」

「あのアンドロイドの自爆は、それ自体にあまり意味をなしません。あの霧コントロール・スパイスの散布拡大の為の、起爆装置と推測」


 花は、ボクの躰を左腕で軽々と持ち上げる。


「行動不能であればこのまま持ち上げて待避しますが」

「……ボクはいい。母さんを」


 母を花に預け、廊下に出る。

 玄関を飛び出すと、かなり大勢の野次馬が、ボクの家の周囲に集まりだしていた。それはそうだろう。


「逃げなさい!!!!!!!」


 花が、鋭く通る声で、周囲に命じた。

 しかし、事態が飲み込めない野次馬達の中に、美湖とえりるの姿が少しだけ見えた。ボクも、痛めつけられた躰で必死にダッシュする。


 玄関から踏み石を抜け、門を潜る。

 助かった!そう思った次の瞬間だ。


 物凄い轟音と共に、リビング部分が爆発した。威力は当然、二階部分にも及ぶ。

 爆風に吹き飛ばされた屋根や建材が、頭上に舞い上がった。

 ヤバいぞ、あれは。


 玄関部分にいる僕らより、野次馬達の方に向かって、落ちようとしている。

 声にならない。そもそも言葉に出来ても手遅れだ。


「雨を確認。『傘』を展開します」


 自分の命を最優先に考えてしまったボクとは違い、花はとてつもない判断能力を見せつける。機械だからできるのか。花だから、そうするのか。


 母は、ボクの足元に寝かされていた。ボクにできる事は、「救急車ぁ!誰か救急車を!!!!」と叫ぶ事ぐらいだった。


 花は、左腕を変形。円形の盾のような、彼女の言葉を借りるのならば『傘』のような形状になった。落ちてくる瓦礫、建材を、まともに受ける。野次馬達はパニック状態で、頭を抱えて蹲っているだけだ。


 ドガガガガガガガ!!!!!


 かなり大きな『傘』ではあるが、全員を無傷で守り切る事は

不可能だった。それでも、被害は最小限に食い止めた。


 我先に、逃げ惑う人達の群れ。

 暮色に暮れかかる町に、悲鳴と怒声が響き渡る。


「何なんだよ、これぁ!」

「痛い! 血が出てるのぉぉぉ!」

「ふっざけんなーーー!」


 ボクは母さんを抱き上げ、抱き合って呆然としている美湖とえりるのところに近づいた。


「あ、兄貴。ど、どうなってるの。何が一体、どうなってんの……」


 強気な妹の、こんな弱々しい声は、聞いた事がない。

 目から涙が溢れ出ている。唇が震えていた。


「か、母さん! 怪我! 血がいっぱい……!!!」

「えりる、救急車呼んで。早く」


 えりるは凄い。美湖の頭を撫でながら、こくんと頷いてくれた。

 強い女の子だね、相変わらず。


「泉は」

「……まだ帰ってない。まだいないの、あいつめ」

「無事ならいいよ。連絡しといて」

「何て言えばいいのよ??」

「……家族は全員無事。全員ね」


 花が、左腕の変形を解き、『傘』をしまった。

 ボク達のところに戻ってくる。


「花! アンタがやったの、花!」


 美湖がえりるから躰を離し、筋違いも甚だしい事をまくしたてた。

 おいおい、何を言ってんたよ、とボクは流石に驚いた。


「私、知ってるんだから。父さんと母さんが話してるとこ、私聞いてんだよ、花!」

「……おい、やめろって」

「兄貴は何にも知らねえの? こいつ、元々は壊さなきゃならない、危ないアンドロイドなんだよ!」


 美湖はヒステリックな声を上げる。周囲がざわつき出した。


「やめろって。意味がわからない」


 いや、意味自体は何となくわかる。

 あの、デューイというアンドロイドは普通ではなかった。りんご、と呼称された方もそうだ。人間を伴わず、命令者がいないまま、二人組は実に人間臭い行動をとっていた。

 ……それも、人間に被害を出す事に、一欠片の躊躇もなく、だ。

 そんなシステムはあり得ない。アンドロイドは、人間に危害を加える行為をとれない事を、最優先に設計される。それは、世界共通の決まり事であるのだ。

 それが壊れたアンドロイドは、機能不全に陥った、ただの欠陥品。

 即時廃棄が、大前提になる。


 あの二人に関して言えば、それは欠陥品とは言えない。

 目的の為に、どんな卑劣な手段でも自在に選択できる、人間以上の能力を有した存在。そう考えれば、彼等がどれだけ厄介な相手かわかる。

 そんな連中であるにも関わらず、花はそれを圧倒した。

 文字通りの圧倒だ。

 なぜか。それは一体、何故なのか。


「好海様」


 食ってかかる美湖を、赤いままの目で悲しげに見つめながら、花が言った。   

「美湖様の仰る事は、理解可能。『フロイラインFわたし』は、廃棄されるべきモデルです」

「……君がいなければ、ボクも母さんもきっと、助からなかった。そんな事

言わないでくれ」

「いいえ。『私がいなければ、そもそもこんな事にはなっていない』が、正しい認識です好海様」

「そうよ! アンタが疫病神なんだよ!」


 美湖の言葉は、尖りすぎだ。言っていい事と悪いことの見境がなくなり過ぎている。さすがにボクは聞き流せない。


 パァァァン!


 え……???


「いい加減にして。ここで揉めても、何にもなんない」


 えりるが、美湖を頬を平手で打った。


「えりり……」

「ごめんね。でも、落ち着いてよ。花の事、ずっとそんな目で、見てたの? 違うよね? 私は、知ってる。みんなで逃げるって、さっきのメールに、花も含めて考えていた美湖の気持ち、あれ全部嘘って事なの?」


 美湖は、俯いて黙りこんだ。

 唇を尖らせ、気持ちを押し殺している。


 小さく、かなり小さく、頭を横に振った。


「…………嘘じゃない」


 小さい声で、美湖が言った。


「……でも、母さんに何かあったら、許せるわけない」


 抱き上げているボクの腕はもう、限界だった。ボクは片膝をつき、母を安静にしつつ、路上の先、微かに聞こえる救急サイレンの音を聞きつける。


「大丈夫。僕らの母さんは、強い人だから」


 大丈夫だ。大丈夫……。ボクは心の中で幾度も、繰り返す。


 その時だ。

 野次馬で集まった人達の間から、「おい、どうした」とか、「ちょっと、帰るって言ってんでしょ?」とか、「勝手にそっち行くなって! おい!」と、やけに騒がしい事に気がついたのは。


 アンドロイド達だ。主人の隣にいた者達が、主人の命令を一切拒絶。

 ……ボクのところに、ゾンビのように集まり出している。


青白い霧コントロール・スパイスを検知、拡散を確認」


 花が、冷静に報告する。


標的ターゲットは好海様です」

「最悪だね、それは」


 周囲にいたアンドロイド、ざっと視認できる限り、二十体はいる。

 さきほどの騒動、ほとんどの住人達は、アンドロイドを伴って見物に来ていたようだ。

 爆発があってパニックになった。真っ先にその場を離れようとしたものの、普段は従順な彼等、彼女達が、言う事を聞かなくなっている……。


「あれ、ちょっと何よ、あいつら」

「……なんか様子がおかしいよね……」


 えりると美湖も、異様な動きをみせるアンドロイド達に、気が向いた。


「花、……君は平気なの」

「私も浸食ハックを受けていますが、私の防壁は敦也様によって、城塞になっています。ですから、あの者達よりも、長く耐えてはいます」

「それってつまり……」

「根本的な解決は、浸食ハックされた者達を完全に破壊、廃棄処分にする事

です。もとより、人間に危害を加える命令を実行してしまった時点で、我々はこの社会から退場しなければなりません」


 ボクは言葉を失った。

 花の動きに変化が見られなかった事で、デューイの言葉がただの『脅し』であるという、一縷の望みを持っていたボクの気持ちに陰が差し込む。


「それはダメだ」

「理解不能。好海様の安全が最優先です」


 花が、決然とした声で言った。


「戦闘モードの活動限界まで、十二分です好海様。

 私のバッテリーの消耗の限界がその理由です。

 私が青白い霧コントロール・スパイスの浸食から、機能

を護りきれる時間は、およそ三十分程度。電源を失えば、一方的な浸食を受けます。抵抗する術はありません」


 花は、自分事ではないように、淡々と説明をする。


「それまでに、脅威を排除。撲滅します」


 花は、片腕を変形、今度は右腕と同様に、鋭い細剣の形状である。


「限界まで排除を優先。現在、最優先の命令者は、国山好海様。

 十一分後、私の廃棄プログラムを、実行してください」


 廃棄プログラム……??


「できる訳ない」

「ちょっと、この子何言ってんの!」


 ボクと同時に、美湖が叫んだ。


「ボク達の家を壊したアンドロイドが、花達をコントロールするウイルスを拡散させたんだ。ネットワークじゃなく、霧状に散布した。さっきの爆発でそいつが外に吹き出した。

 その霧が付着すると、そいつの断末魔の命令を、『どんな事でも最優先に実行するウイルス』が発動する。脅しかと思いたかったけど、……マジみたい」


 嘘! 美湖が叫ぶ。


「私達の事、狙ってる……??」

「その場にいて、無事だったのはボクさ。ボクは、そのアンドロイドの片棒を、(不意打ちに近いけれど)倒した。だから、狙われたのはボクだけだ」

「良かった~」

「……良くはないよね?」

「冗談だよ、兄貴。だったら早く逃げてって!」

「わかってる。……美湖、母さんを頼むな」

「兄貴も! 家族全員、無事だって泉に言うからね! 私、言っとくから! 嘘つきにさせんなよ! それから花!」

「はい」

「…………兄貴の事、護って。頼りなくて情けねえヤツだけど、一応その、……私の大事な人なんだ」

「理解可能。美湖様、それは私にとっても同様ですから」

「……ホント、頼むわ」と、美湖は泣き声混じりに言う。

「はい」

 

 泣くな、妹よ。

 泣きたいのは、ボクの方だぞ。


 あたりは、アンドロイドだらけだ。

 内部のシステムは、例の青白い霧コントロール・スパイスとの攻防を続けている。だから、動きがゾンビのようになっている。実行させようとする悪の命令を、抵抗する一部機能が、足を摺り足にさせ、動きを緩慢にさせている。

 その中にあって、一部モデル(欧州製か、米国製)の連中は、以外に抵抗力が弱く、脆かった。

 いや、脆いというか、デューイがそのモデルに近い相手だったので、防壁を破る手段を近いところで知っていた、とも推測できる。


 欧米勢モデルが、ゾンビ状態から解放、急襲してきた。

 花は、赤く光った目を夕闇に溶け込ませる。


「排除します」


 きらりと閃く白刃に、アンドロイド達が次々に切り刻まれた。

 同時に、一体百万円以上する、高価なモデルを失った、持ち主の悲鳴がさんざめく。


 ボクは母を美湖とえりるに託した。


 眼前に迫るアンドロイドを六体、完全に破壊した花が、「廃棄プログラム実行の手順を、教えます」と、他人事のように言った。


「ボクがそんな事、できるわけないじゃないか!」


 霧の拡散は、ボク達の予想を遙かに超えて、拡がっているようだ。

 家の中にいたアンドロイドの様子すら、変化が起こり出している。


「外に出るな、彩!」「なんで? なんで言う通りにしないのこの子!」

「……殺すって? 何言ってんのダメに決まってんだろ!!!」


 各家庭で、パニックも拡大している。

 くそ、軽く見積もって考えれば、各家庭に一台、アンドロイドが普及している。

 この住宅街の戸数は、ざっと百世帯。

 ……それが全部、侵されたとしたら。


「花、……ボクはどうすれば」


 さらに三体のアンドロイドが、暴漢のように猛り狂って襲いかかってきた。

 花は、微塵に切り刻む。一切の容赦がない。


「私が機能停止に陥るまでに、全て破壊します」

「無茶だ。絶対に無茶だ」


 花は、ボクを見る。


「廃棄プログラムを、覚えてください好海様」

「それはもっと嫌だから!」

「私が浸食を受けたら、抵抗できる者などいなくなります。

 それだけは絶対に避けなければならないのです」


 花の赤い目が、潤んで見える。

 内部では、決死の防衛が繰り広げられているのだ。

 デューイの思惑に、悔しいが弄ばれている。


「電源を失い、浸食を受けた後の私は、私ではなくなる。

 彼等のように、忌まわしい命令に従わざるを得なくなる。


 これを阻止する為に、私の機能を完全に破壊する事が必要になるのです」


 再び電源を与えられ、動けるようになった花は、今、ゾンビのように集まり出している彼等の誰よりも、恐ろしい『敵』に成り代わる。


「もし、好海様に危害を加えるような事があれば、私は……」

「そんな事、絶対にさせないから。ボクがさせないから」

「不可能です。貴方では……」

「見損なわないで。ボクは博士だよ、花」

「博士ですか。その呼称は、どんな根拠で名乗られているのか理解不能なのですが」


 ぐぐ、痛いとこを突いてくる。

 ボクは、できるだけ国山家から離れようと、花と共に南東方面に逃げている。

 ゾンビアンドロイド達は、見えない統率者に率いられているように、次々に集まり、密集し、後を追ってきていた。


 それでも、次第に動きが良くなってしまっている。

 花は、それらを次々に切り刻んだ。だが、赤い目が、次第に薄まりかけている。

 戦闘状態を維持している為に、高出力モードを展開している花の躰は、かなり高温になっていた。普通、軍事用に向けて作られたモデルでも、燃費の問題がかなり大きな問題になる。

 内部の部品が、悲鳴を上げだした。静音状態だった稼働音が、耳障りなノイズを出し始めた。関節部分から、嫌な音も出ている。


「……博士と呼称すべき人は、私達の起こすトラブルを全て、想定しておかねばなりません」


 目の前に、マンションが見えた。

 そういえば、新築工事が終わって、入居者が入りだしていたっけ。

 確か、全戸売約済み。

 忘れてた。そんな事、意識する事なんてまったくなかったからだ。

 八階建ての、高級マンションで、確か、一フロア当たり十五世帯が入居できる。

 高級マンションって事は、入居した家族は、それなりに裕福だ。

 アンドロイドを、複数所有している事も、ある筈だ。


「やばい。こっちはセレブだ」

「汚染域内です」


 エントランスに、大混乱が起きている。

 路上に出ているアンドロイドの数より、そこから押し寄せてくる数の方が多いようだ。まるで朝の通勤ラッシュのように、ゾロゾロと、アンドロイドが束になって出てこようとしている。


 ボク達は、後方に百、前方に二百弱の、アンドロイドの群れに挟まれている。


「活動限界まで、あとどれくらい!」

「四分です、好海様」


 さすがセレブ。欧米製の超高級モデルばっかりだ。

 高機動ゾンビになった彼等が、エントランスから飛び出してきた。


 花が迎撃に出る。


 もっと日本製を買おうよ、とボクが叫んだのも無理からぬ事だろう。

 別に、好きにすればいい事だけれど、ここまで人気がないと腹が立つ。


 あと四分。カップラーメンが、ちょっとのびて出来上がる程度の時間しかない。

 

 さすがに、これはもう、ヤバイかもしれない。

 美湖、ごめん。母さん、すいません。

 諦めたくはないけれど。ボク、さすがに万事休すみたい……。

 

  

  

  


 



 


  



  



 

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