第3話 博士、不審者になる
ボクがアンドロイド『フロイラインF』モデルの女の子、花を
押し倒し、強引に内部パーツの交換を計画してから、既に一週間が経過していた。
「やだ、ホントに家出してんの、好海のやつ」
ボクは、茂樹さんのサングラスと帽子を拝借し、ついでにジャケットとズボンと靴まで完全レンタルして、我が家の塀から、庭の様子を伺っている。
リビングの窓から、椅子に座って待機状態の彼女……花の様子が見える。
台所では、エプロン姿の母の後ろ姿があった。
土曜日の夕方。いつもなら、花は母の料理の手伝いなどをしている時間だった。
見た目には、普段と変わらない国山家の日常そのものである。
父の姿が見えない。先週は仕事だったが、いつもならソファーで難しそうな洋書の小説などを、穏やかな表情で読んでいるのが国山敦也の週末の過ごし方である。
父からの連絡も、ついに一週間、何もなかった。
「マジでガキ過ぎ。母さんの気も知らないで、いい気なもんよ、あの
玄関の方から、美湖の声が聞こえる。もう一人の声は、改めて誰だ、と迷う必要もない。幼稚園の頃からの幼馴染み、福見えりる。間違えようがなかった。
「えりり、アニキ、学校でどんなん?」
えりるは、高校までも同じである。さすがにその次はないだろう。
「うーん。別に変わらない。変わらず地味で、根暗だね」
あっはっは。内弁慶にも程があんよねー。
グサグサと刺さる見えないナイフが、何十本と出現して、次々に刺さる。
三文字に一本ぐらいのペースで、ボクの心を貫いてくる。
「でもさ、あいつのすっくないすっくない友達の一人で、樋口ってヤツがいんだけど、そいつから聞いたの。実は好海君、家出しているらしいんですよ、ってさ」
樋口。君を信じていたのに。ボクは、確かに彼とあと一人ぐらいしか、親しく付き合っていると確信できる友達がいない。それは確かだ。
「まあ、昔っからの付き合いには変わりないし、久しぶりに美湖と泉の顔も見たくなったしね。で、ちょっと顔出したわけ」
えりり、超キレイになったよね。モテんでしょー?
「何言ってんの。隅に置けないのはアンタの方でしょ。美湖、ウチの弟、フッたんだよね?」
えりるの弟、福見謙太は、美湖達と同級生である。
「えーあーまあ。そんな事も、あった、……かな」
美湖が珍しく言葉を濁していた。何故かボクは、その一部始終を目撃している。 よりによって、我が家の玄関先で、謙太は告白したからだ。
ボクは帰宅する寸前だった。角のところで「待てって!」と謙太の声が聞こえた。鈍感には定評のあるボクでも、さすがに足を止めるほど、真剣な声だった。
そんな事いいじゃん! ちょっと話題それてるって。
美湖は、あのとき「泉のかわりになんて、私なれない。なりたくない」と、そう言った。謙太にも聞けないし、美湖にも聞きたくない。ボクは駅前まで戻って、適当に本屋に行って、買い忘れていた漫画の新刊などを買って戻った。美湖は部屋着を着て、ソファーに寝転がっている。
その様子は、いつもと変わらなくも見えた。
母は珍しく外出していた。朝にお金を渡されて、外食でもしてきて、と言われていた事を忘れていた。その時、確かボクは「ピザでも食いたいんだが、お前どうする?」なんて珍しい提案をし、「採用。トッピングかましちゃって」と、美湖が答えたはずだ。
それから少しして、泉がテーブル並んだピザの山を見て、「なになに! なにこれちょっと何?」と大袈裟な声を上げた。ボクと美湖は調子に乗りすぎて、母から預かった一万円札を、数百円の硬貨に変えてしまったのだ。
ピザパだよピザパ。泉もはよ、パリ~。
母に、みっちりと叱られたのは、この数時間後の事だ。
二人で正座して、静かに怒る母のお説教を聞きながら、ちょっと笑いを堪えていた事を思い出す。ボクは、妹が少し元気になった事が素直に嬉しかった。
妹は、普段はろくに面白い事もしない兄が、珍しくハメを外した事に驚いて、ニヤリと笑い、面白がって共犯者になったのだ。
お金、使っちゃう? いいもん食べちゃう? と。
「花、ホントにいなくなっちゃうの。私もちょっとショックかな……」
アンドロイドは、主人と散歩に出掛けたり、一緒に買い物をしたり、旅行に出掛けたりと、かなりアクティブな行動もとれる。
だから、町中を歩けば、すぐにそれとわかる形で寄り添っている二人組、アンドロイドと人間が、仲睦まじく歩いているその姿は、さほど珍しい光景ではなくなっている。
だが、我が国山家のアントロイド、花は、父から外出を禁じられている。
昔はそれが不思議とも思わなかったが、それから十年、彼女は国山家の敷地から外には、一歩たりとも出ていない。
えりると謙太は、子供の頃ボクの家によく遊びにきていたので、花の事をよく知っている。ボクと妹達の間に割って入り、『花』と命名したのが、他ならぬ福見えりるなのである。
「私ん家も、去年買い換えたんだけどね。相変わらず、英国製『オードリー』ってやつ。
私は同じ英国製の『ジェームス』ってイケメンタイプが良かったんだけど。
昔から使ってるタイプの、成長型の方が、なんか良いよねって感じで落ち着いた。オードリーの少女タイプから、淑女タイプに変わった。
まあ、なんだよね。女っぷりが半端ねえって感じ。
ウチのパパなんてさ、デレつきがやべー。ママも呆れてる。
謙太も、ガチで惚れそうだもん。
容姿も性格も完璧超人。男の理想の塊って感じで、私はあんま好きじゃないけどさ。見習わなきゃなあ、ってちょっとは思う」
「えりり、名前は変わらないの?」
「うん。名前は変わらない。私のお姉ちゃんになるはずだった人の名前」
福見家に授かった初めての命。
ボクも含めて、アンドロイドに向ける気持ちは、家族によって様々である。
「今度会わせてよ、新しいあいりちゃんに」
「いいよ。謙太が嫌がるかもだけど」
えりる、という名前が、あいりから引き継がれている、という事は、彼女自身から子供の頃、聞かされた話だ。愛理と書いて、あいり、と、えり。愛理になる、って意味なんだって。意味わかんないけど。子供の頃は、そんな事をいってえりるは笑っていた。
一人だけ、男性タイプの『ジェームズ』を推した、とえりるが言った。
それでも、見習わなきゃ、とも言った。
アンドロイドに名前を預ける。授けるのではなく、預ける、という意味合いの方が、ボクにとってはしっくりとくる。そういう名前もあっていい、と思う。
花は確認できた。合い鍵はある。来週はズル休みして、日中に家に帰ろう。
ボクは、今週は意地でも学校に通うぞ、と息巻いていた。
母に対する意地だった。普段通りを貫くことが、反抗になる。
ボクは健全な立場で、両親とぶつかりたい。
そういう育てられ方をしていたのだ、というのは、親がいない状況になって初めて気づく。決まり事が、自然とおさまりがつく形で残っているのだ。
朝、必ず決まったところに行く。遅刻せず、休まず、気持ちが冴えなくても
、体調が少しだけ悪くても、登校の支度を始める自分が、当たり前にいた。
花ともう一度、きちんと話したい。
両親の決定に従う、という設定を、どうにか変えたい(ボクも含めて)。
できうるならば、ボクを第一位に、して慾しい(設定として変えたい、とは思えない)。
深呼吸した。久しぶりに花の姿を確認できた事に、気持ちが随分と軽くなっている。彼女はまだ、壊れてはいない。むしろ、壊れるのなら、最後まで看取りたい。 ボクは、彼女と過ごした思い出を、ただの機械と人間の間にある、執着とか愛着という言葉で、片付けたくはないんだ。
その時、ボクの携帯が鳴った。
バイブ設定にしてた筈だ。あれ、おかしいな。
求めればー君のー懐かしい思い出がーーーー。
ひとつーーーーーひとつーーーーーーなくなりーーーーそうでーーーーー。
設定したメロディーが、大音量で流れる。
なんで? うそでしょ……。
「うわ、びっくりした」
美湖の声が聞こえる。やばい、バレたか。
「あ、父さんからじゃん」
ボクは、着信音を慌てて切っている。ボクは画面を凝視した。
『今すぐ、そこから避難しなさい』
メールの着信設定は、別の音にしていた筈だ。
しかし、問答無用で、電話の着信音が流れた。
なんで? ボクは、メールの受信画面を見る。
『フロイラインは、家から出すな。母さんと美湖、泉に連絡し、即刻家から避難させるんだ。いいか、今すぐに』
ボクが、メッセージの意味を掴みかねていると、美湖の声が聞こえた。
「家族みんなで、家を離れろ。……なにこれ意味わかんない」
同様のメッセージを、同時に送信したらしい。
「花は置いて……? はあ? それなら一緒に連れてくに決まってるじゃん」
花、と呼んでいる。みんなで、家族として、決めた名前を。
「そうだよ。国山花、なんだ」
ボクはサングラスをとる。帽子も脱いだ。
家族だろ、彼女は。
ボクが彼女の『廃棄』を、止めたい理由の全てが、そこにある。
「ボクの言った通りじゃないか!」
玄関の前に立つ、えりると美湖に、ボクは叫んだ。
その時だ。
ボクの家。国山家の二階。ボクの部屋と、妹達の部屋の窓が、パリン、と割れた。次の瞬間、室内に溜まっていた炎。黒煙も含めたそれが、吹き上がって夕暮れの空に吹き上がった。
「え………?」
家が燃えている。燃え上がっている。
現実感がない。なんで? どうして?
「えりり、離れて!」
美湖が叫び、ボクは意識を取り戻す。
「兄貴! クソ兄貴!」
何故か罵倒されている。
「お母さん、まだ中に!」
そうだ。そうだよ。
「ボクに任せろ、美湖」
一階のリビングの窓も割れた。
「泉は?」
「どうせデート! 帰ってきてない」
「母さんは?」
「だからまだ中にいるの!」
ボクは、花の事を考えている。
母さんも、花も、ボクが助ける。歯を食いしばれ。兄貴なんだ、ボクは!
「ボクは逃げない!」
玄関を開けると、火の海だった。
ジャケットを脱ぎ、火の勢いを殺しながら、ボクは走る。
リビングだ。二人を、外に。
ボクはいい。二人を、無事に。
ただそれだけを考えて、ボクはリビングに飛び込んだ。
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