第2話 博士、出禁を食らう

 ボク、国山好海はプロフェッサーを名乗り、破廉恥な行動に出た。

 事実としてはそうだ。アンドロイドの女性の服を、押し倒した後に、脱がそうとしたのだから。


「……くっくっく、お前、ついにやらかしたかよ」


 ボクは、座れば壊れそうな椅子に座り、目一杯の渋面である。

 弁解はしたくない。だけど、きっかけを作った張本人にからかわれては、立つ瀬がないんじゃないか。


「茂樹さんが、体内の部品の写真を撮ってこいって、言ったからでしょ」

「そりゃあそうだけど。押し倒せとは言ってないぜ、青少年」


 叔父の、国山茂樹。ボクの父さんの、弟だ。

 寡黙で頑固なボクの父、国山敦也に比べると、性格も容姿もまったく違う。

 髪は金色に染め上げて、肩に掛かるほどに伸ばしている。顎には髭をたくわえている。中肉中背の父と違い、躰は少しだ引き締まっている。

 性格はこの通り。四十を越えても独身で、ボクの知る限り、女性関係にだらしない。


「なあ、お前が俺にそうされたら、どうするよ?」


 茂樹さんは、アンドロイド用のカスタムパーツの販売、メンテナンス業を営んでいる。あまり詳しく聞いたことはないが、昔は父と同じ、新モデルの開発に心血を注いでいたようだが、今は場末のジャンク屋の親父、という感じだ。

 『国山オーダーズ』という店の看板は、立て付けがガタガタだ。去年の台風で壊れかけたものを、まだ直していない。


 店の奥で在庫整理をしているアンドロイドが、ボク達の方に視線を向ける。 

 店自体は古いが、掃除は行き届いている。それは、この健気なアンドロイドの女の子、日本製の『ナデシコJ』の少女型、深雪のおかげだ。


「茂樹がそうしたいのなら、好きにすればいい」


 銀色の髪に白い肌。まさに雪のような外見だ。ツナギの作業着を着て、決められた事をきっちりと果たす。さほど興味もなさそうな表情で、黙々と仕事を続けている。


「こいつの持ち主は俺で、あいつにとって俺の命令は最優先。

 服を脱げと言われれば脱ぐ。まあ、人を傷つけろ、って命令だけは、基本設定の時に、使えなくされるんだがな。

 お前は、花にとって最優先の持ち主じゃない。あくまで、兄貴のもんなんだ。

 まあ、お前が焦ってるのもわからんでもないがね」


 腹、減ってねえか、甥っ子。

 茂樹さんはそう言って立ち上がり、来客用の応接セットの側に置いてある冷蔵庫から、タッパーを二つ、持ってくる。


「仕事周りの後、お前の家に寄ってきた。

 落ち着くまで、しばらくはいていいぜ。まあ、部屋は相変わらず、あのまんまなんだけど……」


 『国山オーダーズ』の二階は居住スペースになっている。

 深雪に掃除をさせると、落ち着かなくなるとか言ってきかず、部屋は雑然としている。

 三つある寝室の一つは、昔からずっと、空き部屋だ。

 そこだけは、何か時間が止まっているかのように、整然としている。

 叔父さんは何も言ってくれないが、母は少しだけ事情を知っているようだ。

 父方の祖父母はもう他界してしまっているが、以前はここに住んでいた。

 

 父さんは、親の家の側に家を買っていたので、家業も含めて叔父さんが、仕事も家も継いだのである。

 祖父は、田舎によくある電気屋さんだった。

 面倒見の良い人だったようだし、地元の高齢の住人が、長年愛用している骨董寸前の家電を、器用に修理、補修していた。

 時代の流れで、電気系の仕事はアンドロイド専門の補修、メンテナンス、パーツの販売などをするようにはなっているが、家自体は昔から変わらず、細かいリフォームなどをして、住み続けている。

 水回りが特にヤバいんだよなあ、と愚痴るわりに建て替える気は微塵もないようだ。古いものと付き合って、愛着を持って生きる。乗っている車も、かなり古いタイプのバンである。


 ……あのとき、何があったか少しだけ補足する。


 双子の妹に、『現場』を抑えられたボクは、まず母親に説教された。


 彼女の事を、そんな目でみてはいけないのよ、好海。彼女はあくまで、私達の生活を支えてくれるパートナーのようなものだから。


 激しく怒る事がないぶん、ボクは背筋を凍らせる。母の叱り方は昔から、理路整然と外堀を埋める、という実に逃げ道のない手段をとる。


 なにも、彼女が嫌いになって、そうしている訳じゃない。

 でも、そうしなければならない理由が、あるの。


 そんな理由を、理解しろって言うのか。ボクは、自分でも抑えきれないぐらいの怒りと悲しみ、その他諸々弾けるような気持ちが混ざりあい、素直に謝るつもりはなくなっている。


 お父さんもそろそろ帰ってきます。

 しっかりと話し合いなさい。


 双子の妹達は、少しだけバツの悪い顔をしながら、遠巻きに様子を伺って、時折二人で顔を近づけては小声でやりとりをしている。


 花は、充電用の椅子に座らされて、スリープモードになっている。

 同席は許されていなかった。


 父さんはボクと話し合う気なんて、ないじゃないか……。


 独り言のように呟いたつもりが、静かなリビングに響くほどの声量になっている。花は、まだ枯れてない。気持ちを励ますように、今度は心の中で繰り返す。


 それから、ボクは生まれて初めて、感情的な口論をした。


「ちょっと兄貴、それ言い過ぎだよ」

「何開き直ってんのさ、お兄! マジで意味わかんない」


 双子の妹達は母の側につく。今回の問題で反対をしているのは、ボクだけなのだから当然か。

 ボクは、全身の震えが止まらなかった。怒りはすでに峠を越えて下り坂、今は何もかも嫌になりかけ、ヘソは曲がっておさまりが悪い。

 花はボクが護る、そんな勇ましい言葉は空回りして、ボクに無力だけを教える。

 父さんの説得には、母の加勢が必要だ。あの人は母には弱いから。

 だけどそれ以上に、母は父さんに甘い。

 ボクは、ついに何かが弾けた。ヤケクソに火がついて暴発した。


「花を捨てるなら、ボクも捨てたらいいよ。そんなに簡単に、家族を切り捨てられるなら、できる筈でしょ……!」


 パァン!!!!!!!!!!


 頬に痛みを感じる。一瞬、何が起こったのかと思った。

 妹達の顔も、時間が止まったかのように固まっていた。

 ボクの視界に、目に涙を溜めた母の顔だけが映る。


「フロイラインは、もう稼働させません。もう二度と」


 ダメだ。こんな事で、彼女を失うなんて、ダメだ。


「……絶対許さないよ、そんな事は」


 ボクは、花の元に駆け寄ろうと、リビングを出ようとした。

 美湖、双子の姉が、ボクの躰に飛びつく。


「バカ兄貴! 今すぐ母さんに謝るんだよっ!」

 美湖は、激しく怒っていた。ボクも同様だ。

 さすがに女の子の力で、高校生であるボクを止める事はできない。すかさず、二人目の妹、泉が足元に飛びついてくる。


「絶対、離さないから!」

「それに絶対、許さないかんな!」


 家族に目の敵にされる。そんなに花が、憎いのかな、三人とも。

 十年間、一緒に暮らしてきた家族で、彼女は献身的に、生活を支えてくれたじゃないか。それを、あっさりと見切りをつけて捨てるなんて。


 最低なのは、お前等の方だ。


 ボクは、二人の妹をあっさりと引きはがす。


「なんで、兄貴が泣いてんの。意味わかんない。泣きたいのはこっちの方!」

「もうー最悪。母さん! お兄最低! 今、お腹蹴ったの!」


 二人の妹に、凄い剣幕でまくしたてられる。耳が痛い。いや、何もかも痛い。


「出てく。ボクは、この家を、……出てく」


 母と視線を交わした。

 何も、言い返してこなかった。


 それが、数時間前の出来事である。

 行くあてもないままに、私物をバックの中に詰め込む。

 着替えも、数着は詰め込んだ。

 黙々と作業を続ける間、母も妹達も、何も言ってこなかった。


 どうせ、しばらく時間を潰せば、降参して帰ってくるでしょ。


 双子達は、二人で使っている部屋で、いつものように話し合っているようだ。その声だけは筒抜けに、ボクの耳に飛び込んできた。


 バカにするな。ボクの気持ちを、バカにするな。


 玄関には誰も出てこなかった。

 ドアが閉まる音が、やけに無機質に聞こえる。


 夕暮れが迫っている。週末の土曜日だ。

 明後日の学校は、どうしよう。

 いや、今はそんな事を考えるよりも、大事な事があるじゃないか。


 ボクは、あてもなく歩き回る。日は暮れて月が出ていた。

 気がつけば、二時間ほど、ボクは歩き続けていた。


 携帯電話の着信が鳴ったのは、妙案もさっぱり浮かばず途方に暮れて、日頃の運動不足に悲鳴を上げた足を休めに、公園のベンチに腰を下ろした時だった。


 連絡は茂樹さんからで、多分、母あたりから電話が来たのだろうと推測できる。

 この辺りに住んでいる親戚は茂樹さんだけだし、息子が学友の家に潜り込む事など、世間体から考えても、許せないのだろう。


 世間体という言葉を、悪意を込めて考えたボクの顔は、どんなものだったんだろう。茂樹さんのバンが、公園側に停車した時、ボクはどんな顔をしていたんだろう。仕事の途中だからと、茂樹さんはまず、ボクを『国山オーダーズ』に連れていった。暫く、頭を冷やしとけ、と軽口を叩かれ、肩を揉まれた。


 食事の支度を、なぜか茂樹さんがやっている。


「外でメシでも食わそうか、と思ってたんだけど、こいつは旨そうだ」


 冷蔵庫から出したタッパーには見覚えがあった。


「今日、煮付けだったんだとよ」


 旧式の炊飯器が、メシが炊けたぞ、とばかりにピピピピピ……と喧しく音を出す。やかましくて仕方がない。

 ナイスタイミング。偉いねえ。

 炊飯器を褒めながら、なぜか応接スペースの側にある食器棚から、手際よく茶碗

を二つ、取り出す。


「これ、アニキが使ってた茶碗だ」


 茂樹さんは、二階で滅多にご飯を食べない。

 一階には、深雪の充電用の椅子がある。一緒にメシ、という具合に、二人で食卓を囲むのだが、料理は当然、一人分だけだ。どら焼きはいらない。

 アンドロイドは電気さえあれば、いい。


「腹が減ってると、考えもひもじくなるって、昔から相場が決まってんだ」


 ボクは、抵抗する事もなく父の茶碗に盛られたご飯を食べる。

 母の味そのものの煮付けを食べる。目頭が熱くなる。


「そうだ、美湖も泉も、相当お冠だったぜ」


 茂樹さんは、大盛りの茶碗を持ちながら、行儀悪くメシを口に入れたまま喋り出した。


「玄関に、『アニキ、出禁!』なんて貼り紙してんの。悪いけど、笑っちまった」


 別に、いいですよ。ボクはそう言いたかったが、不服そうな芝居をする。


「そんなに怒んな。後で、コンビニにデザートでも買いに行こうぜ。何なら、エロ本も買って良い」


 ボクは、下品な冗談を言う茂樹さんをさらりと無視して、煮付けを食べる。


 相変わらず、ご飯が止まらない味だった。

 


 



  

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