第4話 放課後

その日、舟吾は学校中の視線を独り占めした。


転入生が来たといっても、それが「ごく普通の人」だったの場合、ここまで注目される事はないだろう。

芸能人であるとか、二度見してしまうほど奇抜なファッションをしているとか、何か特別な事がない限りは……



体育館に集まった生徒達の多くは、舟吾を目にした時、そのままやり過ごすということができなかった。


「あんな人いたっけ」

「何年生だろう」

「かっこいい」

「かわいい」

「肌きれい」


彼らは舟吾に対してそれぞれに反応を示したが、不思議な事に、それらは総じて肯定的なものであった。優れているが故に生じてしまう妬みや中傷の類いも、彼らの心の中に芽生える事は無かった。

中には積極的に彼に話しかける上級生などもいた。彼は体育館のステージ上で自己紹介をするまでもなく、瞬く間にその存在を学校中に知らしめたのであった。




                 ***




「なっちゃん、もう帰る?」


「うん、一緒に帰ろう〜」


始業式の後、クラス毎のHRを終えると、新学期初日はそれで終了となった。

相変わらず生徒達に囲まれている舟吾を尻目に、凪月達は教室を後にした。校舎を出て、正門へ向かう。ほとんどの部活動は明日から始まるので、外は下校する生徒で賑わっていた。


「すごい人気だよね、鈴木くん」


「……ホント。すごいかったね」


「でもさ、鈴木くんって」


結芽が言いかけたところで、後ろから野崎亜里沙が二人を呼び止めた。


「凪月、結芽!」


「あ、亜里沙ちゃん!」


「久しぶりー! 亜里沙、焼けたねー」


「遊園地のバイトでねー。超忙しかったよホント」


亜里沙は凪月達とは違うクラスだが、友人の友人という感じでなんとなく知り合い、今ではすっかり親しい仲となった。すらっとしたモデル体系の美人でありながら、内面は竹を割ったような性格で、おっとりとした癒し系タイプの結芽とは対照的である。



「ねえ、二人これから暇?お昼食べに行かない?」


「いいねー、行く!」


「なっちゃん、今日はおうち大丈夫なの?」


「うん。お姉ちゃんがまだ大学休みで、家に居るから」


凪月の母・雪子は、看護師として大学病院で働いている。

結婚後は専業主婦をしていたが、隆夫が亡くなった後すぐに復職をした。

それから、娘二人の協力が不可欠となったのだ。

凪月は家事をするために、放課後はすぐ帰らなければならない日もある。そのため、部活動などはしていない。

しかし、姉の双葉とやることを分担し、今日のように友人と遊びに行く事もできるので、それを不満に思うことはなかった。



「久々に、マカロニハウスは?」


「私もそれ考えてたー!」



「凪月」



名前を呼ばれて振り向いた先には、彼が立っていた。



「……舟吾くん?」


周囲の視線が一気に集中するのを感じ、凪月はたじろいだ。教室の取り巻きからいつの間に抜け出してきたのだろうかと、不思議に思った。



「これから帰るの?」


「うん。……でもその前に友達と寄り道していこうかなって」


「どこに?」


「えっと、駅前のファミレス」


「なんてお店?」


「……マカロニハウスっていうとこ」


「ふーん」


「あ……もしかして何か用事でもあった?」


「ううん。気をつけていってらっしゃい」


そう言うと、舟吾はくるっと背中を向けて、南門の方へ歩いて行った。

訳が分からないままぽかんと口を開けている凪月に、結芽や亜里沙をはじめ、一部始終を見ていた女子達が一斉に凪月に群がった。



「え、凪月、鈴木くんと知り合い?」


「う、うん。まあ……」


「しかも『凪月』って呼び捨てだったじゃん!」


「そういえばそうだね……」


「どこで知り合ったの?」


「昨日うちの隣りに引っ越してきて……」


「ウケるー、超偶然じゃん!」


「え、じゃあ今度皆で行こうよ! 鈴木くん家!」



凪月は駅までの道すがら、ひたすら舟吾について質問攻めにあった。

「昨日キスされそうになった」なんて言おうものなら、袋叩きにされるんじゃないだろうかと思うほどの熱狂ぶりだった。凪月は慎重に言葉を選びながら、余計な事を口走らないように努めた。自分も彼に翻弄されている身でありながら、気が付けば彼女達と舟吾を繋げる橋渡し役のような立ち位置にされていることに、釈然としない心持ちであった。





                 ***





「(やば、もうこんな時間じゃん)」


久しぶりに再会した凪月達3人はすっかり盛り上がってしまい、ブランクを埋めるかのように話に夢中になった。マカロニハウスで延々無駄話をした後、駅ビルでウィンドウショッピングをし、またカフェに入って話し込み、ようやく解散する頃には、外はすっかり暗くなっていた。


凪月は楽しいひと時の余韻に浸りながら一人電車に揺られ、自宅の最寄り駅である橋田駅に到着した。改札を抜け、北口のバスロータリーに出たところで、彼女は思わず目を疑った。




「舟吾くん……!? どうしてここに?」



舟吾は、バス停から駅の入口へと続く雨よけの天蓋の柱に寄りかかり、凪月に向かって手を振っていた。そして、呆然と立ち尽くす彼女の傍にやってきて、笑顔でこう言った。



「遅かったね」



胸の奥がぞわりと毳立ち、凪月の顔が引きつる。


「舟吾くんもどっか寄ってたの……?」


「うん、ちょっとね」



そうだよね……偶然だよね……



家が隣同士の二人は、自然と一緒に帰ることになった。

彼らの住む賃貸は駅から徒歩で15分ほどかかる。駅前の大通りを抜けて住宅街に入ると、徐々に外灯が減っていき、辺りがしんと静まり返る。凪月は沈黙を避けるように、明るいトーンを心がけて適当な話題を振った。



「学校、どうだった?」


「うん。とりあえず、やっていけそうかな」


「皆、舟吾くんに興味津々だったよ」


「そう……それはよかった」


まるで他人事のように、彼は言った。あれだけ周囲に騒がれていながら、彼にとってそれは特別でもなんでもないかのようだ。「別世界の人だ」と、凪月は思った。




「凪月、あのさ」


「ん?」


「僕のこと、好き?」



「……えっ!? えっーと……」


昨日と同様、舟吾は至って真面目な顔で、突拍子もない質問を投げかけてきた。真意の全く分からない彼の言動に、凪月はますます混乱する。昨日の一件といい、照れも躊躇いもなくこんな事が言えるなんて、からかっているに違いないと、心の中で予防線を張ってみても、高鳴る鼓動をごまかすことはできない。


好きじゃない、というのも変だ。どう答えれば正解なのか、見当がつかない。数秒の間に色んなことが頭の中を駆け巡り、自分でも思いもよらなかった言葉が凪月の口からこぼれ落ちた。



「……う、うん。好き…かな……」




凪月は慌てて自分の口を手で覆った。

息が荒くなり、体温が急上昇して、耳まで熱くなるのが分かる。一瞬にして、今の発言を取り消したくなった。



「ありがとう」


そう言うと、舟吾は立ち止まった。凪月も、今すぐここから逃げ出したい気持ちをなんとか抑えて、彼と向かい合う。

月明かりに照らされた彼の、優しくて、どこか寂しげな微笑みに、心を奪われそうになる。舟吾は凪月の頬に手を添え、そっと囁いた。



「凪月。僕は絶対、君を守ってみせるよ」



その瞬間、凪月は不思議な感覚に囚われた。







――あれ……? なんだろう……。なんか懐かしいような……






ズドンッ







突然鳴り響いた轟音に、凪月は肩を飛び上がらせた。



「え、な、なに…!?」


高ぶっていた感情が急激に凍り付き、背中に冷たいものが走る。凪月は咄嗟に音がした方へ目をやった。


道路を渡った先の右手側に広がる大きな児童公園。その中で、何かが揺らめいている。よく見ると、敷地内に植えられている木のひとつが倒れ、そこから土煙がもくもくと立ち上っているようだ。



「何、あれ……カミナリ…?」




舟吾は凪月を庇うように彼女の前に立った。


「凪月、さがって」


さっきまでの彼とは別人のような鋭い声色に、凪月は身を固くした。


一体今何が起こっているのか、彼女には全く分からなかった。


ただ辺りに漂う不穏な空気だけが、ひしひしと伝わってくるのだった。


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