第1話 ファーストコンタクト
彼がやってきたのは、夏休み最終日の午後だった。
「……おはよー」
前日深夜までゲームに没頭していたおかげで昼過ぎに起きてきた凪月は、寝間着姿のまま、数年前に亡くなった父・隆夫の仏壇に線香を上げた後、キッチンでカップラーメンの容器にお湯を注いでいた。
「凪月、そんなんで学校始まったら起きられるの?」
リビングのソファに座り、新聞を広げている雪子が、最近の決まり文句を口にする。凪月は夏休みに入ってから、この言葉を何回聞いたか分からない。
「へーきへーき。洗濯当番の時は早く起きてるもん」
「その後二度寝してるから意味ないけどね」
雪子の横でノートパソコンを広げ、大学のレポートに取りかかっている双葉のもっともなツッコミに、凪月は「バレた?」とおどけてみせた。
すっかり定番となったこのやりとりも今日で最後かと思うと、凪月は少し寂しくなる。長いと思っていた夏休みも、今思うとあっと言う間だったような気がしてしまう。
しみじみしながらカップラーメンが出来上がるのを待っていると、玄関のチャイムが鳴り響いた。
雪子はインターフォンの受話器を取り、一言二言返事をすると、受話器を置いて玄関に出た。
宅配便か何かだろうと、特に気にも留めずラーメンを啜り始めた凪月だったが、雪子は訪問者となにやら話し込んでいるようで、時折玄関から笑い声が聞こえてきた。
5分ほどして、雪子がリビングに戻ってきた。彼女は手に紙袋を提げていた。どうやら菓子折りのようだ。
「お母さん、誰だっ……」
雪子の後ろには、メガネをかけた華奢な少年が立っていた。
「こちら、お隣に引っ越してきた鈴木舟吾くん。なんでもこの年で一人暮らしだって言うものだから、一緒にお茶でもどうですかって」
「そうなんですかー。初めまして、長女の双葉です」
「初めまして、双葉さん」
凪月は固まった。
寝癖爆発のボサボサヘアー、スッピン、3年以上は着ているヨレヨレのクソダサいキャラTシャツ、スウェットズボン、という出で立ちでカップラーメンを啜るという、ファッション雑誌の『こんな女はモテない!』特集で見本にされそうな姿を、同世代の男の子に見られた――
一応年頃の女の子である凪月にとってこれは死活問題であった。
ちょっとは考えてよお母さん……
凪月は雪子の無神経さを呪ったが、こんな時間までこんな恰好でダラダラしている自分も自分だという自覚はあり、文句は言えなかった。
フリーズ状態の凪月に、雪子の一言はさらに追い打ちをかける。
「しかも舟吾くんは、明日から凛科高校通うんですって。凪月の同級生ってことね。すごい偶然じゃない!?」
――終わった。
凪月はそう思った。ついでにノーブラだったことも思い出し、無言で2階の自室へ駆けていったのだった。
*****
凪月以外の三人はすっかり打ち解け、気が付けば二時間ほど話し込んでいた。
「僕そろそろ帰りますね。紅茶ごちそうさまでした」
舟吾は丁寧に頭を下げた。
「すっかり引き止めちゃったわね」
「いえいえ。荷解きもあと少しなので」
「凪月、手伝ってあげたら?運動不足なんだし?」
「いやいやいや……」
雪子はすっかり上機嫌だ。よほど舟吾のことが気に入ったらしい。
確かに彼には、人を惹き付ける不思議な魅力があった。凪月もただ、元々の人見知りに加えて、あまりにも残念な姿を初っ端から見られて気後れしているだけで、決して彼に悪い印象を抱いているわけではなかった。
「そんな、いきなり初対面の人に荷物開けられるのなんて、嫌にきま――」
「じゃあ、凪月ちゃんお願いできる?」
「あら」
「!?」
冗談で言ったつもりだった雪子は、少しだけ驚いた顔をした。
凪月も彼が雪子の冗談に乗っかっただけかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
彼は凪月の返事を待っている。
凪月は、彼の屈託ない微笑みを向けられると、「断る」という選択肢はどこかへ吹っ飛んでしまうような気がした。
彼の言葉には、どこにも他意は隠れてなさそうだ。
純粋に手伝ってほしいと思っていて、承諾すればきっと心から喜んでくれるんだろう。
そう思えてしまうのだった。
「別にいいけど……あんま役に立たないよ、多分」
「ありがとう。助かるよ。すぐ終わるからさ」
期待通りに喜ぶ舟吾の顔を見て、凪月は悪い気がしなかった。
二人は玄関を出て、すぐ隣りの舟吾の部屋へ向かった。
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