深夜の悲鳴

 ――シン……。


 突如として訪れる静寂に、周囲の客も酒を飲む手を止める。

 夜の酒場に響いたフレスの発言。

 そして放たれ始めた強烈な殺気。

 このフレスの言葉の持つ意味は、フレスとそれ以外の者では、大きく見解がずれていることだろう。

 次第にあちこちから「この幼女好きロリコンめ」という身も蓋もない批難中傷の声が上がった。

 そして批難の声のボルテージに比例するかのように、ウェイルの肩を掴む力の出力も高まっていった。


「イデデデデデデ!! ステイリィ、何しやがる!? 手を離せ!」

「何しやがるって、それはこっちの台詞です! 誰なんですか、この子は!? 私という者がありながら! この浮気者!!」

「勘違いされるような事を言うな! 俺とお前はいつからそんな関係になったんだ!?」

「これからそうなる予定なんです!!」

「そりゃおかしくないか!?」


 ウェイルは助けてくれと言わんばかりに、ヤンクとフレスの方に視線を送る。

 だがその肝心な二人はというと、ウェイルのことなど目もくれず聞き捨てならない会話を弾ませていた。


「全くお盛んだな! 布団ならすぐに用意してやるよ! そうだ、嬢ちゃん。今日寝るつもりはないんだろう? ほら、コーヒーだ。眠気が吹き飛んで精力が出るぞ? もちろん俺の奢りだ、気にするな!」

「本当!? ありがとう!」


 ヤンクはそそくさとコーヒーを二つ用意する。

 その際にこちらをチラリと一瞥してくるところ見ると、ヤンクはこの状況を楽しむ気らしい。

 第一ヤンクは、ウェイルはコーヒーが苦手だと言うことを知っている。

 意図的な行動なのは明白だ。

 ヤンクの台詞と行動の意味を理解していないフレスは、


「わーい、いただきま~す」


 と、素直にコーヒーをご馳走になっている。


「お前は飲まんのか?」

「このクソジジィめ……!!」


 いやらしい笑みを浮かべるヤンク。

 助けるつもりは皆無の様だ。


「アデデデデッ! 止めろ、ステイリィ! いいから手を離せ!」

「ウェイルさんはバカです! 私という美女をたらしこんで、次は幼女ですか! 馬に蹴られて死んでしまえばいいんです!」

「それ少し意味が違う気がするんだが――って、イデデデデデデッ!?」


 肩を掴んでいた腕は、いつの間にか首周りへと移動し、首を絞めていた。

 怒りで加減が出来なくなっているステイリィは、いよいよウェイルの臨界点へと手を伸ばそうとしていた。

 視界がぼやけ、天に身罷る寸前のところでヤンクがステイリィに静止を求める。


「おい、そろそろ止めとけよ。愛しいウェイルに引導を渡す気か?」

「何を言っているんですか。ウェイルさんが死ぬ時は私も一緒に死にます! ……って、あれ? ウェイルさん? お~い。……あれれ? 意識がない? ちょっと、しっかりしてください!! ウェイルさん、かむばーっく!!」


 ようやく殺人罪一歩手前で自分の力加減に気がついたのか、ステイリィは、動転しながら手を離した。

 だが長い時間首を絞められていたウェイルには、重力に逆らうほどの余力はすでに残ってはいない。

 身体を翻すこともままならず、受け身も取れずにそのまま顔から床とキスすることになった。


「ぐはっ! ……ハァハァ、死ぬところだった……」

「ごめんなさい、ウェイルさん! 私ったら、つい!」


(つい、で殺されてはたまったもんじゃないぞ……)


 と、ツッコミたかったウェイルだが、あの世とこの世を行き来した代償は大きく、今は床に転がり呼吸を整えることで精一杯だった。


「ウェイル! ウェイル!」


 そこへピョコピョコとフレスが憂いた顔でウェイルの元へ駆け寄ってくる。


(師匠を気遣うなんて、なかなか見上げた弟子だ――)


「ウェイルのコーヒーも飲んで良い?」

「…………」


 驚愕で言葉が出ないウェイル。

 絶句してしまったのは本日二度目である。

 もっとも、一度目のは絵画を見た時の感動の絶句であるが。


「コーヒー、冷めちゃうから飲んじゃうよ?」

「勝手に飲め!!」


(俺は本当にこいつを弟子にしていいのか?) 


 そんな疑問が頭を過ぎるのも本日二回目だった。


「ねぇねぇ、なんでこんなに騒いでるの? ウェイル、なんで苦しそうなの?」


 この期に及んでそんな事を聞いてくるとは、フレスはある意味大した奴だ。


「はぁ、はぁ……。そりゃお前が俺と一緒に寝る、なんて言うからだろ!?」

「それのどこがいけないの?」


 ウェイルは、ここで初めてフレスは龍だと確認できた気がした。

 龍に人間の常識は通らない。

 これは非常に厄介な問題である。

 フレスに最初に教えること。

 それは人間の常識だと悟った。


「あのな、いい歳して、男と女が同じ布団で寝るのは、まずいことなんだよ」

「そんなこと、気にしないよ。だってボクとウェイルの仲じゃない」

「まだ出会って二時間だろ!?」

「やっぱり、ウェイルってツッコミ得意だよね」


(そ、そうかも知れん)


 フレスといると、どうも調子が狂う。


「ほら、布団を用意したぞ。持ってけ」


 ヤンクが奥の倉庫から布団を持ってきて、フレスに手渡した。


「うわぁい! ありがとう!」

「悔しいぃぃぃ!! 私だって!! 私だってウェイルさんと一緒に寝たいのに!! チキショー!!」


 フレスは飛び切りの笑顔をヤンクに支払い、その裏ではステイリィの恨めしそうな表情がウェイルに支払われていた。


「おい、ウェイル」


 ヤンクにちょいちょいと指で招かれる。


「なんだ?」


 そして耳元で一言。


「あれくらいの歳の娘にしか無い良さってのはあるよな。俺にも判る」

「ほっとけ! というか判ったらまずいだろ!?」


(今日だけで一生分のツッコミを入れたのではないのか?)


 おそらくそうに違いない。

 自身の記憶を辿ってみても、ここまでツッコミを入れた思い出はない。


(いや、一生分ってのは正しくないな……。どうせこれからもするんだろうしな)


 環境が変われば、自分の形振りも変わる。

 パートナーが出来たという実感は、変なことだが、こんなところで感じてしまっていた。


「じゃあウェイル、お布団持ってね」

「自分で持て」

「ボクとウェイルの仲じゃない」

「だからっ! ……おっと、危うくツッコんでしまうところだった」

「流石に同じツッコミは飽きるよ?」

「やかましい!!」


 二人の様子を見て、ヤンクどころか店中の客が爆笑していた。当然ステイリィを除いて。

 面白い夫婦漫才だとヤジを飛ばした客に、ステイリィの首絞めが炸裂していた。

 本当に難儀な事この上ない。

 さっさと部屋に戻って寝てしまおう。


 ――そう思った時だった。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「うわあああああああああああああああああっ!!」


 宿の外から突如として甲高い悲鳴が聞こえた。


「悲鳴!?」

「な、何事だ!?」

「もしかして、噂の悪魔なんじゃ……!?」


 その悲鳴に、酔いつぶれていた常連客達の間で動揺が広がる。


「ウェイル、今のは!?」

「ああ、何かあったようだ」


 ヤンクも酔いは完全に消し飛んだようで、すぐさまポケットに入れていたラルガポットを確認していた。


「噂に流されるのは癪だが、命には代えられん」

「別に何も言わないさ。それよりも外だ。声は結構近かった」

「そうみたいだね。二人、いや、三人の声が聞こえたよ。どうする?」


 フレスにそう聞かれ、ウェイルの判断は――


「助けに行こう」


 ――ノータイムでそう答えた。

 もし本当に悪魔が現れているのであれば、これは噂の真相を確かめる絶好のチャンスだ。


「じゃあボクも行くよ」


「お前は危ないから部屋に戻っていろ」

「……えーっと、あのさ。ボクから言わせると、ウェイル一人の方が危ないよ?」

「……そ、そうかもな」


 フレスの正体は龍だ。

 神と同等の力を持つとされる存在。

 もし悪魔と遭遇したところで、彼女に言わせれば大したことはないのかも知れない。

 しかしウェイルの妙なプライドなのか、どうも少女に戦わせるということに抵抗を感じた。

 その姿が妹弟子と重なるところがあるのも、その原因の一つ。

 またフレスが龍であるという証拠は確認したが、龍の実力を実際に確認したわけではない。

 伝説や伝承は全て嘘で、本当は弱いという可能性だって無きにしも非ず。


「それにボク、絶対行くからね。お師匠様に付いていくのは弟子の役目だもんね」

「判った。ついてこい、弟子!」

「がってん、師匠!」


 色々と考えを巡らせた後、ウェイルはフレスの同行を許可した。

 どうせフレスに引き下がる気は皆無だろうし、ここで口論して無駄に時間を割くのも馬鹿らしいと判断したのだ。


 それにもしかすれば龍としての力を、少しでも垣間見ることが出来るかも知れない。


「危ないですから、皆さんはここで待機して下さい! 後は治安局と私の旦那にお任せください!」

「おい、どさくさに紛れて嘘を付くな!?」


 願望が入りまくっているものの、たまには治安局員らしい姿を見せるステイリィ。

 顔は酔いのせいで赤いが、行動は迅速だった。


「俺も行こう。悪魔のせいで客が減るのは困る。だが何よりウェイルに女が出来たってのが無性に腹が立つ!! 憂さ晴らしだ!!」

「出来たのは弟子だっての。それに本音を漏らしすぎだ」

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