ヤンクのボロ宿
「一部屋、頼むよ」
「とっとと中に入れ」
ヤンクは仏頂面で中に入るよう促した。
「おっ! ウェイルじゃねーか! 久しぶりだな、おい!」
「出張鑑定か? プロ鑑定士ってのはたんまり儲かるんだろ? 今日は奢れよ!」
中に入った早々、顔なじみの常連から声を掛けられる。
これも毎回お馴染みであり、適当に手を上げて応じながらカウンター席へ腰を下ろした。
「一泊いくらだったっけな」
知らない訳がない。
だがあえてこう聞くのがここのお約束なのだ。
「一泊80万ハクロアだ」
「おいおい、それだけあればこの店ごと買えちまうぞ?」
『ハクロア』というのは、アレクアテナ大陸で最も流通している貨幣単位の名前だ。
ハクロア貨幣の発行は、アレクアテナ中央部最大の都市である『王都ヴェクトルビア』が行っている。
他にもレギオン、リベルテといった有名な貨幣単位もあるが、それらの中でも最も価値があるのがこのハクロアである。
また価値も非常に安定している為に信頼が厚く、資産を貯蓄する際は
ちなみに1万ハクロアあれば、二週間は遊んで暮らせる。
80万ハクロアというのは、冗談にしてもあまりに法外な金額だ。
「高すぎて払えん。少しまけろ」
「嫌なこった。払えないなら他の宿に行くんだな」
「それが無理なんだよ」
「何故だ?」
お約束のやり取りを聞いて、周りの常連は笑いを堪えている。
「俺は埃まみれの小汚い宿じゃないと眠れないんだ」
「そうか、なら仕方ない。今回に限り、特別に一泊あたり500ハクロアで勘弁してやる」
「そうかい。そりゃありがたいこった」
しばらく睨みあう二人だったが。
「「――……プッ!」」
二人は同時に堪えきれず吹き出し、そして周囲にも釣られるように店内に笑いが広がった。
「ガハハハハハッ!! よく来たな、ウェイル。三年振りだ! 元気そうで何よりだ!」
ヤンクは先程の仏頂面とは打って変わって相好を崩した。
「そっちこそまだ生きていたのか、ヤンク」
「ガハハ、まだまだ死ねんわい! サスデルセルでの仕事は久々か」
「ああ、そうだな。ここで仕事をするのは久しぶりだよ。ヤンク、お前も相変わらずで何よりだ」
「もうステイリィには出会ったか? あいつ、ウチに飲みに来る度にウェイル、ウェイルってうるさいからな」
「さっき会って来たよ。あいつも相変わらずだ」
何せ到着早々、あの破天荒っぷりを見せつけてきたステイリィだ。
むしろ以前の彼女と全く変わっていなくて逆に不安になるほどだった。
「もう会ったのか? 何かあったのか」
「まあな」
ウェイルは先程汽車の中であった詐欺事件についてをヤンクに話す。
「ははぁ、到着早々大変だったな。しかし鑑定士っていう職は本当に忙しいんだな」
「ああ、忙しすぎて三年もこの宿に来られなかった。寂しかったか?」
「枕が涙とヨダレで濡れる位だ。ステイリィのな」
「あいつは冗談じゃなくて本当にしていそうだ……」
「お前さんもプロになって結構経つし、そろそろ弟子でもとってみたらどうだ? 鑑定助手がいれば幾分楽になるだろう?」
プロ鑑定士にもなると、あまりの仕事の多さから弟子をとることが多い。
確かに細かい雑務などを弟子にやらせれば鑑定の仕事もグッと楽にはなる。
弟子としてもプロになるためのノウハウを学べるため、希望する者は結構多く、募集を掛ければすぐにでも集まるほどだ。
しかしながら、ウェイルは弟子が欲しいと感じたことは一度たりともなかった。
「弟子をとる暇すらないよ。最近本当に忙しくてな。どこもかしこも詐欺、贋作だらけで」
「そうか。まぁ、うちにいる間くらいは仕事を忘れてゆっくりしていけよ。こんなボロ宿にわざわざ泊まりに来るのは、お前とステイリィくらいなもんさ。……いや、最近はそうでもないな」
「何かあったのか?」
「明日からラルガ教会の『降臨祭』が開催されるんだ。他都市から信者らが集まってきているんだよ」
『降臨祭』とは、神が信者の元へ帰ってくるとされるラルガ教会最大の儀式であり、同時にお祭りでもある。
年に一度開催され、開催に合わせて多くの信者が集まるのだ。
「降臨祭ねぇ……」
しみじみと呟くウェイルだったが、その事の異常さに気付くのに時間はあまり掛からなかった。
「待てよ? 降臨祭だと!? このサスデルセルでか!?」
「ああ、このサスデルセルで、だ」
「そりゃ凄いな……」
ウェイルが驚くのも無理は無い。
この教会都市サスデルセルは、その名の通り様々な教会が集まり出来た都市だ。
他の教会との兼ね合いを考え、またつまらない揉め事を避けるため、ほとんどの教会はサスデルセルでの祭り事を遠慮している。
つまりそんな教会間のしがらみを無視できるほどの力を、ラルガ教会は持っていることになる。
「ここ最近のラルガ教会の影響力は、他を圧倒しているからな。信者の数も最近になって倍増したと聞く。おそらくあの噂のせいだろうがな」
「……あの噂? 何かあったのか?」
ウェイルが尋ねたその瞬間、酒場の扉がバンと勢いよく開かれた。
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