龍と鑑定士

教会都市サスデルセル

　――教会都市サスデルセル。

　この都市は別名『神の詰め所』と呼ばれている。

　何故なら、この都市一つに数多くの教会が、本部や支部を構えているからだ。

　そのため、過去には異教徒同士の争いが絶え間なく繰り広げられた時期もあった。

　聖戦と称し、サスデルセル内各地で大きな戦闘が繰り広げられたが、次第に戦局は泥沼化し血で血を洗う長期戦の末、全ての教会が停戦協定を結んだのだ。

　停戦協定成立後は、教会間の争いはほぼ消えてなくなった。

　当然確執が消えたわけではないが、互いに干渉し合わないように気を使うことで、現在では随分と平和な都市になっている。

　今回ウェイルに出張鑑定を依頼してきたのは、数ある教会の中でも、特に上位の影響力を持つ『ラルガ教会』である。

　ラルガ教会といえば『ラルガポット』という芸術品としても名高い神器を生産していることが有名で、鑑定士や神器コレクターの間でも、価値が安定している神器の一つとしてよく話題に挙げられる。

　何でもそのラルガポットには悪魔を祓う効果があるそうで、芸術的にも神器的にも、市場での人気は中々に高い。

　もっとも今回の依頼は、そのラルガポットの鑑定ではないらしい。

　――●○●○●○――

　駅から少し歩くと、程なくして大きな広場が見えてくる。

　そこからは都市中央部へと繋がる大きな道へ行くことが出来る。

　この道は『聖戦通り』と呼ばれ、その名の通り教会戦争時に戦争の最前線となった場所だ。

　特に戦争被害の酷かった場所であったが、今となってはその傷跡も癒え、この都市屈指の商店街となっている。

　商人の声が飛び交い、三年前に来た時よりも、さらに活気づいていた。

　ラルガ教会は、この聖戦通りを真っ直ぐ進んだ場所に教会を構えており、地理的にはサスデルセルのほぼ中央に位置する。

　このまま寄り道せずに歩いていけば、到着までおよそ１０分といったところだが、ウェイルは足先を別の方角へと向けた。

「仕事の前に今夜の宿を取っておくか」

　鑑定という仕事は、相当時間の掛かる作業である。

　美術品一つに丸一日以上掛かる、といったこともよくある話だ。

　成分分析まで行う精密鑑定となると、その数倍は掛かるくらいである。

　そこまで長い時間の必要な鑑定をするつもりはないが、鑑定品を実際に見てみないことには、それも判断は出来ない。

　鑑定が終った後では、今夜の宿の確保が難しくなる可能性もある。

　あの宿に限って泊まれないなんてことは有り得ないだろうが、用心に越したことは無い。

　そう考えたウェイルは、活気のある広場を背に薄暗い裏路地へと歩み始めた。

　――●○●○●○――

　裏路地を抜けた先。

　ウェイルはとある宿屋へと辿り着く。

「本当にいつ来ても変わらないな、ここは」

　掛けてある看板は、雨と風で風化して朽ち果て、壁の至る所についている傷は剥き出しのまま。

　廃墟と勘違いされても仕方のない外観の、汚らしい宿屋であった。

　そんな宿ではあるが、一階部分は酒屋になっていて、中からは賑やかな笑い声が漏れ出し、これまさに老舗宿といった風格も感じられる。

「相変わらず汚いな……」

「――大きなお世話だ、クソ鑑定士」

　思わず漏れた本音に対し、背後から乱暴な抗議が飛んできた。

「そんなとこにブスッとした顔で立たれていちゃ営業妨害だぜ？」

「そりゃ悪かったな。これは生まれつきの顔だ。それよりもまだ部屋は空いているか？」

　ウェイルは振り向かず、そのまま尋ねた。

「生憎だが部屋は全部埋まっているよ――」

「そりゃ残念だが、おめでとうとも言っておこう」

「――と、一度は言ってみたいものだ」

「なら少しは宿の手入れすることだな。そしたら客だって少しは増えるだろうよ。なぁ、ヤンク？」

　ウェイルが声の持ち主の方へと振り返る。

　そこには、白い髭を蓄えた大柄な老人が立っていた。

　まるで老人には似つかわしくない逞しい身体のこの男の名はヤンク・デイルーラという。

　この宿のオーナーであり、ウェイルとは古くからの顔なじみである。

　酒の仕入れでもしてきたのだろうか、その右肩には巨大な樽があった。

　酒の詰まった樽を軽々と持ち上げている辺りが、何とも常人離れしたヤンクらしい。

「ふん、これ以上客が来たら面倒で敵わん。来るのは常連だけで十分だ」

「商売する気あるのか？」

　一見、まるで商売に向いてなさそうな性格のこの老人だが、実は商売の世界で彼の名――もとい『デイルーラ』の名を知らぬ者はいない。

　アレクアテナ大陸で最も大きな貿易会社の名前であり、そしてこのヤンクこそがそこの社長であったからだ。

　現在は経営の全てを息子に託して一線を退き、趣味である宿を切り盛りしている。

　以前ウェイルは、ヤンクにどうして宿を営んでいるのかと問うた事がある。

　その時の答えが『金銭など絡まない人の縁が欲しかった』だそうだ。

　一階の酒屋には絶えず常連が集まり、話に花を咲かせているこの光景。

　これこそヤンクが欲して止まなかったものであり、そして手に入れたものだ。

　――幸か不幸か、ウェイルもこうしてヤンクの望んだ光景の一部になれているのだろう。