第10話 化学弾頭

――2018年1月5日、10時15分、ホワイトハウス――


 前日の会議に引き続き、この日も閣僚たちがホワイトハウス西棟の地下に招集された。


「クレイブ、ギャビン、レポートの準備は出来ているわね?」

 ブレイクの言葉に、クレイブ・コレット国防長官とギャビン・ミラー統合参謀本部議長はおどおどとした目で頷いた。

「始めてくれ」

 カワード大統領が言った。


 コレットは手元のファイルを開いた。

「報告は大きく2つあります。まず一つ目は、ワシントンDCにミサイルを射ち込んだのは何者なのかという事。2つ目は着弾したミサイルの調査結果です」

 手短にレポートの内容を伝えたコレットは、ミラーに目配せをした。コレットに促され、ミラーは「ゴホン」と一つ咳払いをして、手元にあるコンピューターの端末に手を触れた。


「それではご説明を始めます。まずはこの軍事衛星の映像をご覧ください。昨年の12月24日、7時15分、バージニアビーチ沖300㎞のものです」


 全員が見つめる大画面プロジェクターは、深いブルーのグラデーション画面に切り替わった。その中央部が細長い楕円形で、次第にグリーンの色に変わって行った。

 画面が拡大されると、そのグリーンの細長い領域に、黄色い点が6つ現れて動き回った。そしてその点が消えたすぐ後に、そこには急速にオレンジからレッドのグラデーションが円形に広がり、その中央部がピンクからホワイトの色になった。


「ギャビン、この画面は何だ?」

 カワードが訊いた。

「ミサイル発射の瞬間を早送りしたものです。当時は現場に雲が厚く垂れこめていたため、映像は撮影出来ておらず、赤外線データのみが記録されています。

 ご覧の通り、バージニアビーチ沖に潜水艦が突然浮上し、近距離からミサイルを発射しています」


「随分と大きいな」

 カワードは画面の下部に表示されたスケールを見ながら言った。全長は120mを越えていそうだ。

「我が国の潜水艦で言えばバージニア級、ロシアではヤーセン型に匹敵します。戦略ミサイル潜水艦に較べると小さいように見えますが、攻撃型潜水艦としては最大級です」

「どこの国の潜水艦だ?」

「それが……」


「どうした、もう解析はできているんだろう?」

「実は、現在我々が把握している、どの国の潜水艦にも艦影がマッチしませんでした」

「どういう事だ? どこかで秘密裡に建造されたものだという事か?」

「そうではないようです。現役艦ではない過去の潜水艦を、分析官が一つ一つ、当時の写真や図面などから検証していったところ、唯一形状が合致したものがありました……」


「どこのものだ? 早く言え!」

「信じられない結果ですが、旧日本帝国海軍の伊400型です」

「旧日本帝国海軍? 伊400型?」

「そうです。伊400型は当時の日本の造船技術の粋を尽くした大型潜水艦で、弾道ミサイルを搭載する原子力潜水艦が登場するまでは、世界最大でした。

 無給油で地球を一周半航行でき、3機の水上攻撃機を積載できる、潜水空母とも呼べるものです」


「太平洋戦争時代の旧式艦を、日本がまだ運用しているとでも言うのか?」

「今の時点では謎としか言いようがありません。記録によれば太平洋戦争末期の日本で、伊400型は400から406までの7隻が建造計画にありました。

 終戦時点での内訳は、伊400、伊401、伊402の3隻は我が国が接収し、詳細な技術調査の後にハワイ沖で自沈させています。

 伊403は起工直後にドックで空襲に遭い破損、後にそのまま解体。伊404は竣工直前に空襲によって瀬戸内海で撃沈。戦後引き上げられて解体。伊405は戦局悪化により建造途中で工事中止、伊406は起工もされていません」


「つまり、該当する艦は、世の中に存在しないという事なのだな?」

「そうです。つまり誰がミサイルを発射したのかも分からないと言う事です」

 ミラーは歯切れ悪く答え、会議室には沈黙の時が流れた。

「2つ目の報告は、着弾したミサイルの調査結果だったはずね。そちらからは何か分からないの?」

 ブレイクが議事を促すように質問をした。

「実はそのミサイルにも、大きな謎が存在します」


「大きな謎? どういう事なの?」

「ミサイルが着弾したのは、チェサピーク湾に流れ出すプラム・ポイント川の河口付近の森林で、ワシントンDCの中心部から、南東に僅か40㎞の場所です。すぐにノーフォーク海軍基地からヘリが急行して、散乱した部品を回収しました」

「それで、結果は?」

「驚かないで下さい。ミサイルの正体は旧ナチスドイツのV2でした」

「V2ですって? ナチスと同型のミサイルを誰かが開発したって事?」

「いえ、部品は全て当時のもので、正真正銘、ナチスの純正なV2ミサイルです」


「第二次大戦終結から、もう70年以上過ぎているのよ。今になって日本帝国の潜水艦がアメリカ近海に浮上し、首都ワシントンDCに向けて、ナチスのミサイルを撃ったと言うの? 馬鹿げているわ。どういう事か説明して、ギャビン」

「我々にも見当が付かず、目下調査中としかお答えのしようがありません」

 ミラーは、お手上げとでも言うように、両手を持ち上げる仕草をした。


「バージニアビーチ沖と言えば、バミューダ諸島から北に500㎞だ。謎のバミューダトライアングルから、第二次大戦の帝国主義者とファシストの亡霊たちがやってきて、アメリカに報復に出たという事だよ」

 バウアー副大統領が会話に横槍を入れた。

「ふざけないで」

 ブレイクが放った一括に、バウアーは首をすくめた。


「実はもう一つ、不可解な事があります。V2ミサイルに搭載された弾頭がまた、特殊なのです」

 ミラーが話を続けた。

「特殊と言うと?」

「弾頭には45個の金属球が詰め込まれていました。一個が直径約320㎜で、それぞれに1.3ポンドの液体が入っています」


「それが意味するところは?」

「化学クラスター弾頭に間違いありません。我が国のM139弾頭に構造が似ています」

「そのミサイルは、化学兵器だったという事?」

「そうです。ただし弾頭に充填されていたのは、ただの蒸留水でした。要するに、化学兵器の空包を撃ったという事です」


「何故、そんな面倒な事を?」

「それこそが、本件の最も大きな謎です。ミサイルの着弾はワシントンDC郊外の人里離れた森の中、化学弾頭も内容物が水だったということは、攻撃が目的ではなく、我々に対する何らかの警告だったと考えるのが妥当です」


「きっと、いつでも我が国を攻撃できるぞという、亡霊たちのデモンストレーションだったんだ。それ以外に考えられない」

 またしても口を挟んだバウアーの言葉に、カワードは湧き上がる怒りを隠そうともせず、血走った目でテーブルを叩いた。

「亡霊のデモンストレーションだと! そんなもので、私の管理金準備制度が台無しか? ふざけるな!」

 カワードは怒りにまかせて、ローズウッド貼りの会議室の壁を、思い切り蹴り上げた。



――2018年1月5日、18時00分、小笠原――


 ホテルに戻った矢倉と玲子は、真っ先にダイビング機材の点検と手入れをした。自分が命を預ける道具は自ら面倒を見る。それが矢倉の身に染みついた流儀だった。それが終わると矢倉は、地元の専門業者を呼んで、ヘリオックスガスの再充填を依頼した。


 外の食堂で夕食を済ませ、部屋に戻ってTVを点けると、画面には『報道トゥナイト』というタイトルが大映しになった。玲子がクリスマスに登板した報道特番で、メインキャスターを務めた古賀太一が、月曜から金曜までの帯で持っている報道番組だった。

 画面が切り替わると、古賀の神妙な顔が映り、一拍置いてから口を開いた。それは重要なニュースを報道するときに、古賀がいつもやる演出だった。


「昨年12月のギリシャに続き、ポルトガルがデフォルトを宣言する事が、ほぼ確実となりました。今日は番組の予定を一部変更し、このニュースを中心にお伝えします」

 カメラが引くと古賀の右側には、レギュラーでアシスタントを務める女子アナがおり、左側にはいつもそこに座っている新聞社の報道委員ではなく、二人の男が映った。


「本日は国際経済がご専門でいらっしゃいます、慶応大学教授の武本平太郎さん、そして国際政治学者の増渕洋介さんをお招きしております。

 それでは早速、武本教授、ポルトガルはやはりギリシャのデフォルトの影響を受けたと言ってよろしいのでしょうか?」

「疑う余地はありませんね。それというのも、ギリシャのデフォルト以降、IMFが何も手を打たないために危機が連鎖しているのです。このままですと次はスペイン、イタリア、アイルランドとデフォルトが続くでしょう」


「IMFと言えば、クリスマス・イヴに緊急会見を開くと言っていながら、蓋を開けると『ギリシャの危機は世界経済の危機である。IMFは事態を大変に憂慮している』といった、肩すかしの発表しか行いませんでしたね。その後もIMFは何の発表も行っていません。一体どうしたというのでしょうか?」

「異常な事態としか言いようがありませんね。現状はギリシャからIMFに、救済要請が出された段階で流れが止まっています。通常ならば早急に債権国が集まって、パリクラブで支援プログラムが検討されている時期です」


「パリクラブとは?」

「フランス財務省で毎月行われる、主要債権国会議です。債権国と債務国で支援の具体的な内容を協議するのです」

「それがまだ行われていないとは、現在IMFの内部で、何かが起きていると考えてよろしいのでしょうか?」

「そうとしか考えられませんね。IMFの理事会が救済を検討していないとは考えにくいです。可能性としては、何らかの理由によって、理事国の中に救済決定を拒否、または引き伸ばししている国があると思って良いのではないでしょうか」


「武本教授が仰っている内容が理解できません。ギリシャを救済したくない国があるという事なのですか?」

「そうは言っていません。事態の放置は有り得ない事です。恐らく、従来のIMFとは違うスキームで、救済をしたいと考えているのではないでしょうか」

「これまでのようなIMF主導による融資と、返済期間の繰り延べとは違う方法という事ですね?」

「そうです。ことによると、IMF以外の組織でそれを行おうとしているかもしれません。ただし今の段階では、私も憶測で言っているに過ぎません」


 武本はいつものような、平坦で淀みのない口調で言った。

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