第11話 ゴールドラッシュ

「増渕先生は、武本教授のご意見をどう思われますか?」

 古賀は武本の隣に座る、増渕に話を振った。

「私もほぼ同意見ですが、『IMF以外の組織』という部分だけは妙に引っ掛かります。救済は飽くまでIMF主導で行われるはずです。ただし、IMFの演じる役回りがこれまでと違うのだろうと私は思います」


「そう思われる理由は何なのでしょう?」

「IMFによる緊急会見が予定された時点で、既にIMFが救済を主導という路線は明らかだと思います。別の組織が動くのであれば、まずは国連がそれを発表するはずです。しかし、そうではなかった。会見内容に中身が無かったのは、恐らく会見が計画されてから、実行されるまでの時間に、予想外の何かが起きたのだと私は見ています」


「予想外の何か――、どうして、そうお考えになるのですか?」

「先日の特番の中でもコメントがありましたが、IMFの会見の当日に、ホワイトハウスに米国の主要閣僚が集まりましたね」

「その通りです。バウアー副大統領、ボーフォート国務長官、コレット国防長官、エドワーズ・エネルギー長官、ブレイク首席補佐官、グレン財務長官が相次いでホワイトハウスに入ったと、現地特派員のレポートがありました」

「恐らく、顔ぶれからして、国家安全保障会議が招集されたのだと思います」


「国家安全保障会議?」

「米国の最高意思決定機関と考えれば良いでしょう。主に米国の安全保障に関する決定を行う場です。私の手元にある情報では、同じ顔ぶれの会合が3日後の12月27日にも行われ、年が明けてからも3日、4日と連日招集されています。

 そこにはミラー統合参謀本部議長と、ブラウン国家情報長官も加わっています。この二人はそれぞれ同会議の、軍事アドバイザーと情報関係アドバイザーです」


「そこで何が話し合われたのですか?」

「最高機密ですから、私ごときには内容を知る術がありません。ただ、タイミングからして、ギリシャの一件と無関係だとは思えませんね」

「米国の安全保障と、IMFの活動が連動しているのですか?」

「言うまでも無く、米国はIMFの理事国の中でも最大の出資比率を誇り、影響力は甚大です。

 ここから先は推測になりますが、恐らく米国のリーダーシップで、IMFを中核とした、ギリシャ救済の新しいスキームが既に用意されているのだと思います。そしてそれは米国の国力を背景にしたものなのでしょう。

 しかし昨年のクリスマス・イヴに、米国の安全保障を揺るがすような重大な何かが起きてしまった。今は事態の収拾が最優先で、ギリシャ救済にまで手が回っていない。これが私の読みです」


「なるほど」

 そう古賀が言った直後、局のADが古賀の隣の女子アナにメモを渡した。

「古賀さん、お話の途中ですいません。ワシントン支局から今メモが届きました。先程から話題に上っている国家安全保障会議ですが、現地時間の昨日午後から、5回目の会合が行われた模様です。

 顔ぶれはカワード大統領、バウアー副大統領を筆頭に、ブレイク首席補佐官、クリスマス・イヴの時と同じ5名の閣僚。更に増渕先生から先ほどお話のあったミラー統合参謀本部議長とブラウン国家情報長官もホワイトハウスに入っています」

 アシスタントはメモを読み終えると、古賀に視線を送った。


「増渕先生のお考えが正解なのかどうか、これからも注意深く見守る必要がありそうですね。それでは一旦CMを挟んで、今日の本題であるポルトガルのデフォルトの話題、そしてこのところ加速している金価格の高騰に話題を移していきたいと思います」


 TVの画面は、デフォルトの話とは無縁の、高級ドイツ車のCMに切り替わった。


「相変わらず古賀さんのコメントは、無責任で尻切れトンボね。それに比べ、今日の増渕のおやじの発言、あれは良い切れ味だと思うわ」

 矢倉の横で玲子が言った。

「どうしたんだ、藪から棒に」

「さっきの増渕発言は、私の読みと一緒だという事よ。ギリシャ救済のスキームは、既にもう決まっているのよ」


「なぜ君に、そんなことが分かるんだ?」

「あの特番以降、妙に胸騒ぎがして、独自に情報収集をしているの。一連の動きは、ギリシャ救済という小さな話に止まらない。

 背景には世界的な金融体制を作りかえるような、大きな流れがあるわ。調べれば調べる程、色々と面白い事が分かってきたの。ある程度裏が取れたら、どこかの局に企画を持ち込むつもりよ」


「大きな流れって?」

「まだ秘密よ。もう少し情報の確度が上がったら話すわ」

「それじゃあ、ギリシャの救済スキームが決まっているというところだけでも教えてくれ。なぜそう思う?」

「発想は単純よ。IMFが緊急会見をすると言った以上は、少なくともその時点でIMF理事国には、既に根回しは終わっていたはずよね。そう思わない?」

「そう言われてみれば、確かにそうだな」

「だからその仮説に沿って調査をしてみたの」


「確か、日本もIMFの理事国だったな」

「そう、日本のIMFへの出資比率はアメリカに次いで2位。IMF内でもとりわけ発言力が強い任命理事国の1つよ。事前に何も知らされていないなんて事は有りえないわ。

 個人的な取材ルートを辿って、財務省と外務省を中心に、妙な動きがないか当ってみたの」


「それで結果は?」

「今回、外務省は蚊帳の外。でも財務省と日銀が水面下で動き始めていたわ。昨年の12月20日に田上財務大臣が、閣議を途中で放り投げて、急遽ワシントンDCに飛んでいるの。徳永事務次官の他に、三田村日銀総裁を同行させていたわ」


「そんなことくらいで、財務省と日銀が動いたことにはならないだろう」

「話には続きがあるのよ。何とその渡米には、政府専用機が使われたの。よほど緊急で、しかも極秘性が高くなければ、そんなことはしないわ。

 現地で田上財務大臣は、グレン財務長官と通訳抜きで極秘会談。徳永事務次官と三田村日銀総裁は、終日IMF本部ビルに籠りっきり。そして3人とも1日だけ滞在して帰国」


「その渡米について、政府からは何も発表は無いのか?」

「何もないわ。それどころか田上財務大臣は不在の間、過労で療養していたことになっているの」

「状況から察して、確かに日本に対して、何らかの根回しは進んでいたと考えられるな。君はIMFから何も対策が発表されない理由も掴んでいるのか?」

「そこはまだ。これから探るところよ」

 いつの間にか、玲子の目は、獲物を狩る猫のように光を帯びていた。矢倉はその目の輝きに、ジャーナリストの片鱗を見た思いがした。


「3人の帰国後には、政府に具体的な動きはあったのか?」

 矢倉は続けて玲子に訊いた。

「日銀がすぐに、世界中のマーケットで金買いに動き始めたわ。日銀だけじゃない、IMFの理事国を中心に、主要国の中央銀行がこぞって金を買いまくっているの。特に中国はなりふり構わない様相よ。さっきもCMの前に古賀さんが、金価格が高騰しているといっていたでしょう。

 今の金のレート知っている?」


「知らないよ。金なんて買った事さえないからな」

「東京マーケットで、一グラム8100円よ。田上財務大臣が渡米する12月20日の時点では3400円。ここ数年間は3千円台の中ほどで安定していた金価格が、わずか2週間で2.4倍。恐らくまだまだ上がるわ」


「何で金なんだ? 個人投資家が安定資産の金に走るのならまだ分かるが、中央銀行がそれをやる理由がわからない。今更金本位制に先祖がえりでもないだろう」

「そうとばかりも言えないわよ。ニクソン・ショック以降、金融資本主義が急拡大していて、最早誰も手が付けられなくなっているというのが、今や世界中の金融関係者の本音だと思うわ。

 最近は金本位制のメリットが見直されているらしいから、回帰の流れがあっても不思議ではないでしょう。ただ、グローバル化がここまで進んでしまった今となっては、もう完全な後戻りはできないでしょうけどね」

「何れにせよ金は買われ、世界は新しい流れに向けて動き始めているということだな」


 二人が話す先では、まだ古賀の『報道トゥナイト』が続いていたが、先程とは打って変わり、明るい声の新人女子アナが、Jリーグの自主トレのレポートを始めていた。


 矢倉と玲子は話をやめ、玲子はバスルームに消えた。

 矢倉は来週向かう予定になっている、ポルトガルのガイドブックをめくった。


 ニュースで耳に入る重大事は、頭では理解しているものの、所詮は遠いヨーロッパで起きた対岸の火事だ。実感が湧かないというのが正直な感想だった。

 わずかに矢倉が関心を持っている事と言えば、訪問先のポルトガルがデフォルトすることで、滞在中の行動が何か制約を受けはしないかと言うことだけだ。


 何れにせよ、明日以降はユーロに対して円高が進む。現地での矢倉の食生活だけは、格段に向上するに違いない。矢倉はそう漠然と、しかし期待を込めて考えていた。


――第三章、終わり――

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