第32話 精神科産後カウンセリング

春馬がお昼寝している間に、電車で精神科へ。時間が読めないのが、心配の種。搾乳しておいた冷凍母乳を湯煎して飲ませる方法も、一応母に伝授してきた。高温で、急に溶かすと母乳の成分を変化させてしまうらしいのだ。


出産後、春馬が新生児科に入院している最中に夫に付き添って貰い、すでに一度は精神科に通院した。授乳中でも、使用可能な薬を相談して手元に置いていたのだ。


今回の通院では、何よりも産後の義母の酷い仕打ちと、それにより震えが止まらず布団で過ごしていた日々について先生に聞いて欲しかった。私は、悪くないと家族以外の誰かに言って欲しかった。「なるほど。それは、辛かったでしょう。旦那さんは、そのことちゃんと知っているのかな?」

私は、コクリと頷いた。「ただ、義母に何も言わないんです。知らんぷりっていうか。嫌いになりそう。」

先生は、話しの軸がブレてしまっていることを見逃さなかった。


「この間は、旦那さん付き添ってくれたね。春休み中だったのかな?どこの大学?」

「N大学です。」

日本で一番卒業生が多いマンモス大学の名を挙げた。「僕も、そこの御茶ノ水の校舎で先生をしているんだよ。同級生だっけ?あれくらい落ち着いてる子は、なかなかいない。」

大学3年生になったばかりだけど、夫だけ社会人に見られるのだというと笑っていた。


「出産前、一時通院していない期間があったけどどうしてたの?薬なくても済んでたんでしょう?前の恋人とも別れたんだもんね。」

先生の興味が、ポンポンと口から溢れ出す。この落ち着いた白髪交じりの先生の時々見せる無邪気さが、人間味があって好きだ。信用せずにはいられない。


「元彼とは、別れました。長年の歳の差恋愛にも疲れちゃった。私が大学を辞める時もなんだか他人事のようで…決定的な事件もあったんです。精神的に参っていたのは、あちらも同じだったみたい。不眠症と動悸を訴えていました。」

ここではあえて書かないが、別れには決定的な事件があった。先生は、穏やかに「後腐れなく別れられたのは良かったね。」と子どもをなだめるように言った。


「旦那さんとは、別れた頃に出会ったの?」言わずとも、わかったようだった。恋の終わりに、メンタルに支障を来さなかったのは、次の出会いがあったから。私が、通院せずにいた半年強の間に妊娠が発覚し、精神的にはすでに落ち着きを取り戻していた。先生は、謎を解明したいようだった。


「私が、ひきこもっている間、毎日おしゃべりしに来てくれました。柴又に行ったり、江戸川の土手でサイクリングしたり、最初は近場から連れ出してくれました。そのうち、ディズニーランドなんかの人混みにも行けるまでになって。」

先生は、ずっとうんうんと頷いていた。


「私の話を否定せず、ただ聞いてくれました。そしたら、自然に元気になれたんです。」

知らず知らずのうちに、夫がカウンセリングをしてくれていたのだ。

「そんないい人いないじゃない。旦那さんのお母さんは、大変だけど一緒に暮らしているわけじゃないし、距離を置かせて貰えばいい。旦那さんは、いい人なんだから。」


そうなのだ。私は、知らず知らずのうちに問題の根源が夫にあるような気さえしていた。でも、違う。板挟みになっているのは夫。問題は、義母なのだ。それなのに、すべてから逃げたくなっていた。大好きな夫が、私より義母を優先する日が来るならその前に逃げたかった。

私は、いつもずるい。自分を守ることに、必死すぎる。変わりたい。次は私が、夫の力になりたい。そう強く思った。




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