第33話 酔った父の本心

生後2ヶ月、新生児室から退院して1ヶ月経ったゴールデンウィーク中、はじめてパパとママで春ちゃんをお散歩に連れ出した。目と鼻の先にある公園へ、買ったばかりの中古のチョコレート色のベビーカーに乗せて。赤ちゃんと一緒だというだけで、新鮮な気持ちになる。


バネが付いたゆらゆら揺れるシマウマやライオンの乗り物が、いつの間にか増えていた。顔を近づけてあげたら、ライオンの時だけ顔をしかめた。おめめよく見えているのね。まだ、首の座らない我が子をギュッと抱いて乗り物に揺られているといつの間にかうとうとしている春馬。私たち夫婦は、顔を見合わせてくすくす笑った。


そんな幸せなひと時とは、真逆の出来事がその夜起こった。春馬を沐浴させていると、酔っ払った父がいきなり怒鳴りだしたのだ。母が、呼んでもすぐに来なかったのが気に入らなかったのだろう。「お前のせいで、お母さんの血圧が上がったんだ。旦那は、何もしない役立たずだしよ。」


母は、新しい生活が始まってからたしかに持病の高血圧を悪化させていた。私は、晩御飯の買い物に行ったり、サラダや汁物など料理が出来ないながらもアシスタントの役目を全うしようと必死だった。父のように、自分のことさえ自分でやらず口だけの大人に何も言われたくはなかった。


私の夫は夫で、大学に通いながらも最短で自動車免許を取りつつ、バイトに行ったり、春馬の新生児室に通ったりと出来ることはやっていた。沐浴も、オムツ替えもお手の物。休みの日は、半日春ちゃんを見てくれているので私は安心して休息を取った。育児書を開き、私に言われずとも出来ることを探しているようだ。父親が、新生児にしてやれることは限られている。よくやっている方だろう。


母は、静かに「みんなやれることやってるんでしょ。」

と言った。私だって、言い返したいことは山程あった。ただ、上手く言葉が出てこない。出てくるのは、涙と叫び声だけ。私が、発狂すると、父は「おまえらの金は、俺が払ってるんだ。俺ばっかり大変で。それなのに、俺をないがしろにして。」

とテーブルにあったコショウを私に投げつけてきた。


私が、泣きじゃくって外に出て行こうとすると「おまえらの全員出てけ!」

という声が追いかけてくる。夫は、すぐに寝室へ春馬を避難させた。その後、降りてくることはない。


もうどうでもいい。すべて、私がいなければ済むのだろう。父は、他にも好き放題喚き散らしていた。「娘の育て方間違いやがって。あいつはもう終わりだ。」

そう切り離した。20年間、たいして褒めてもらったこともない、他人にかわいいと言われた時だけ自慢気だった父は、私を自分の”モノ”だとしか考えていない。その自分の”モノ”が、知らぬ間に奪われたことで気が触れたのかもしれない。


私は、外に飛び出した。持っているのは、ケータイ電話だけ。すぐに、連絡して誰かに側にいて欲しい。でも、そうする相手が思い浮かばない。私のスイッチは、プツリと切れた。道の真ん中で、へたり込む。「何やってるの!車来てるでしょ!」

結局、いつも私を迎えにやって来るのは夫なのだ。逃げる場所さえない。私は、夫にお姫様抱っこをされ家へと戻る。


父は、次の日コショウを投げたことも、皆を罵ったことも忘れていた。だからと言って、許せない。酔った勢いではなく、それこそが本心だとしか思えなかった。負のエネルギーが、我が家を満たしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る