0歳児との生活〜親になって親離れ〜

第21話 傷口と赤ちゃんと…

翌朝、看護師さんの声で目が覚める。「今日から、歩いてもらうよ。帝王切開でも、癒着することあるから、トイレまでゆっくりでもいいからがんばって!」

と、カーテンを開けながらハキハキと話す看護師さん。あぁ、赤ちゃん無事に生まれたんだ。そういえば、お腹の傷は?


興味本位で見てしまった帝王切開で出来たお腹の傷は、焼き豚を作る時の紐でくくられた状態にそっくりだった。赤黒い、生々しさも気持ちが悪い。私は、看護師さんの前で突然に泣き出してしまったのだ。こんな傷見られたら、夫に嫌われちゃう。咄嗟にそう思った。


起こしに行ったら、急に泣き出すもんだから看護師さんも心底驚いたことだろう。傷を見て驚いたことに納得すると、「面会前だけど、家族の人に電話して、来てもらいな。」

と優しく言ってくれた。


母と夫は、朝ごはんも食べずに、慌ててやってきた。「今日、たまたま個室が空いたんですけど、家族の方一緒に泊まってあげられませんか?今日から、トイレも自分でお願いすることになりますし…個室料金が別途かかりますが、市立病院なので、市内の方なら負担も少ないかと思います。」

完全看護ではないのだから、こんな手の掛かる産後うつ一歩手前の患者は預かれないということなのだろう。


私は、家族が到着する前に、早速バルーンを外し、点滴台を頼りにトイレに連れて行かれた。痛み止めも、朝には切れていたので、一歩足を進めるたびにお腹が引きつる。朝起こしてくれた看護師さんとは、また別の人だったので、「転ばないようにね!ちゃんと歩かなきゃ、癒着しちゃうよ。オナラが出て、腸が動いてることが確認されなきゃ、何も食べられないんだから。母乳の指導だって、明日から始まるよ。」

思うように動けないのに、今後の話をどんどん詰め込まれていき、私はパニックだった。


夫は、「個室が空くなんて、ラッキーだね。隣を気にしないで、一緒に居られるよ。」

と、私を励ましてくれた。「お金が、かかるけどね。」とブツブツ言う私には、「市立病院選んどいて、よかったんだよ。赤ちゃん新生児科ですぐに診てもらえたし、個室だって他の病院の普通の部屋より安い。」

デメリットばかりが、目につく私をどうにか前向きにさせようとしてくれた。


夫が、こんな感じで、一日中ナーバスでも、トイレに付いて行ってくれたり、飲み物を取ってくれたり、寝返りを助けてくれたりと親切だった。


私は、夫と付き合いたての頃、パニック障害で大学も辞めて、ひきこもっていた。動悸やめまい、吐き気でフラフラして乗り物に乗れなくても、練習だとたくさんの場所へと連れ出してくれた。その頃のことが蘇り、いくら傷口が生々しくたってこの人が私を嫌いになるなんて思ったのだろうと、恥ずかしくなった。弱っている時ほど、側にいてくれたのに。


午後になると、気持ちも少しずつ前向きになってきた。息を深く吐き、痛みを逃しながらトイレに行く術も身につけた。「そろそろ、新生児室で赤ちゃん見てきなさい!」

看護師さんは、私が落ち着いたのを見計らって声を掛けた。


赤ちゃんに会いに行く道のりも遠い。エレベーターに乗り、外来の患者さんの間を抜け、またエレベーターに乗り継ぎ地下に入る。秘密基地のような所に、新生児室はあった。夫に手を引かれ、赤ちゃんのところに行ったが、そこに赤ちゃんは居なかった。


「あぁ、箱入り息子くんは移動したんだよ。2300gあれば、基本的に大きな心配はないから。お腹が空いていて、飲みたがるのがわかるから、一旦口からもミルクをあげてみたけど、そこはまだ鼻から吸入していく方が良さそうだ。」

先生は、常に笑みを浮かべながらゆったりとした口調でそうお話しされた。

「ママは、何よりゆっくり休んでね。母乳だけは、出るようにしておいてくれると助かるな。やっぱり、何と言っても小さいからね。」

母乳の話をされても、この先生の穏やかさゆえに焦ることもなかった。


赤ちゃんは、本当に小さい。目を閉じて、うつ伏せになって、ムニュムニュしている。なんだか、違う星の生命体のようだ。でも、一生懸命生きてるっていうのは伝わってくる。見てるとがんばろって思えた。同時に、もっとお腹にいられたら良かったのにという気持ちも湧いてきた。


だからって泣いてなんか居られない。やっと、オナラも出て、腸が動いたのも確認された。オナラが出たかどうかなんてわかるの?なんて心配していたが、それはとてもはっきりとしていた。腸が、急に動き出すようになると金魚の酸素ポンプのように絶え間なくオナラが出てくるのだ。


私は、赤ちゃんに母乳をあげるために、まずは消化のいい牛乳プリンを一つ食べた。帝王切開後、はじめての食事はご褒美のプリン。長い一日だった。そして、その日、私は母に付き添ってもらい一度も目を覚ますことなく眠った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る