正義の正体
どういった経緯があったとはいっても超人的な能力を得た事でこの様な裏稼業もこなせているわけで、それ故に日々の生活が何とかなっている事に異論はないだろう。
葉巻を銜えながら私物のスマートホンの電源を入れると、通知が溜まっていた。
仕事の際には身元を隠す目的から毎回、用意されたものを使用しているし、入院中もそれを私物と同じアカウントに切り替えて使っていたので基本的なメール等は受信して、プライベート関係と連絡は取り合っていたのだが、一つのアカウントで複数の端末が使え無いことがあるからしかたのない事ではある。
とりあえずは再起動してアカウントの同期を取って様子を見たが、バックアップがちゃんと取れていた為、作業自体は数分とかからずに終了した。
とはいえ、アナログ人間の彼としては、やはりデジタル機器に関してはどうしても苦手意識は否めない。
特にスマートホンやタブレット端末などのこういう精密機器なら尚の事である。
銃器の類に関して言えば、戦場でも排莢不良や弾詰まりを起こしたところでボルトハンドルを動かしたり、部品を外すなどして物理的に問題解決が可能であるし、刃物の類も刃毀れを起こしたり、折れたとしても一応は使い道がある。
それに対して、精密機器の類は専門的な知識や工具類、基盤等の新規の部品が無いと分解修理は不可能である他、物理的なトラブルが無くとも、コンピューターウイルスやデータの不具合などの電子的なトラブルで動作不良を起こすので、非常に困る。
科学技術の進歩は確かに生活の利便性を高めはするが、一方でアナログの方がいい事もある。
嘘か真かは別にして“NASAが無重力空間でも使えるペンを開発するのに巨額の研究費用を投じていた頃、ソ連の宇宙船では鉛筆を使っていた”という話があるが、わざわざ巨額の費用を投じなくとも既存の技術で対応出来るものはそれで充分だと彼は考えている。
そういった事から、バリケードを破るのに関しても彼の場合、最新型の誘導弾発射兵器よりも、骨董品といえる類の大砲の方を好んでいるし、彼の身体能力をもってすれば仕事内容いかんでは、明治時代に旧大日本帝国陸軍で採用されていた銃剣搭載型のボルトアクション式カービン銃である四四式騎兵銃でも事足りるのだ。
そういう事もあって、最低限の装備として日本刀とマシンピストルを2丁携行しながらも、故障に備えて、それと同じ弾薬に対応させるように改造したリボルバー拳銃を使っている。
しかしながら、実際のところは状況に応じた得物が本人の意向に関わらず用意されるために、最新型の銃火器や個人携行誘導兵器に留まらず、ヘッドマウントディスプレイ照準システム等の最新の装備類を使う事が多い。
ただ、そういう類の物はバッテリー等の付属物のせいで重量はもとより、体積も嵩張る他、ケーブル等が邪魔になる事もあるだけでなく、それらを実際に配備している国々の軍でも実戦での使用履歴が浅い事から信頼性の問題もあり基本的に好んで使ってはいない。
極端な言い方にはなるが、仕事の為に用意された得物が他に無いために仕方なく使っているともいえよう。
それでも毎回必ず指定した最低限の装備品を用意している辺りは石塚も理解を示してはいるとは言えよう。
もっとも、彼の場合は日本刀を攻撃だけでなく防御でも使っているが故に短刀の一振りも無ければ、それこそ文字通り“死活問題”であるのだが。
とりあえず、葉巻を吸い終えると風呂の支度を始める。
そして、浴槽の湯に浸かるが本当に心地いい。
やはり6週間ぶりに帰宅した事もあるのだが、自宅という場所はやはり落ち着くものだ。
風呂からあがると、布団を敷いて横になった。
色々と気になる事は往々にあれども、やはり、自宅にいるという安心感からかほどなくして眠りについた。
そして、久しぶりに夢を見た。
夢の中は何もかもが無かった事の様な世界で、超人的な能力も無ければ、危険な裏稼業に従事している事も無い。
そこには誰もが望むいわゆる“普通”の日常を送る自分がいた。
現実世界の自分は大学を卒業して、普通に就職したが、その劣悪な環境で色々と感覚が狂い、一般人が言う“普通”とか“常識”というものが何なのか解らなくなっていた。
ただ、学生時代に法学を専攻していた他、社会学等の講義も受けていた為、法律や条例といった杓子定規に当て嵌めた形での感覚は残っていた。
裏稼業に関して言えばI.C.P.O.の要請があっての超法規的な事で無ければ、明らかに法に抵触しているし、いくら犯罪者相手の仕事とは言え、後ろ盾の石塚がいなければ、彼も法的には犯罪者以外の何物でもない。
そういう硝煙臭い仕事をしていると夢の中という場所は非常に居心地がよく、出来ればそこに留まっていたい気持ちになる。
ただ、訓練を受け始めた頃に至っては、いつ訪れるかわからぬ“死”の恐怖から酷い悪夢にうなされ汗だくになって飛び起きる事がざらであったが、世界中の紛争地域や戦場を渡り歩いているうちにその恐怖にも慣れ、水神によって与えられた超人的な能力と相まって、いつしか“死”の恐怖を忘れてはいたのだが。
―――だが、それでも、現実は辛い。―――
同世代の友人達は次々に所帯持ちになって行くし、自衛官や警察官、消防士といった危険を伴う仕事をしている者もいる事はいるが、それでも彼ほど危険な目に遭う仕事もしていない。
言ってしまえば彼は、自ら生命を投げだすに等しい事をしているとも言えるし、その様な事をしていると、普通の人より一層“隣の芝生は青く見える”のだ。
マイナス思考かもしれない事だが、そういう背景からも現実世界にいるときよりも夢の中の方が余計に居心地がいいだろう。
むしろ、現実世界では“裏稼業”をしているよりも、余程のブラック企業で無い限りは、世間一般のサラリーマンの方が金銭面でも安泰だ。
それでも彼が“裏稼業”を続けている背景には、司法や行政が手を出せない悪党をその手にかける事で彼の求める“正義”が執行できるし、組織に属さない事で無駄な派閥争いや政治ゲームに付き合わされて苦労する様な事もないといった利点もあるからなのだ。
正直な話、民間企業だろうと官公庁であろうと“組織”に属するとどんなに小さい組織でも、そこではほとんどの場合、派閥争いや出世レースといった面倒事が付き物だし、能力主義を謳っていても努力の一つもできない様な無能な人間が嫉妬心から邪魔をしてくるのは確実だ。
その背景としては、資本主義からくる利権争いや学歴主義という就労差別が横行し、無能な人間を有能な人間に育成するためのシステムが法的にも社会的にも構築されていない事もあるのだが。
そういうモノに気付いてしまうと本当に世の中が嫌になってくる。
そして、そういったくだらない事が積み重なった結果、格差が広がりその結果として、富める者はより財をなし、貧しい者はより貧しくなり、搾取する者と搾取される者の二極化が起こっていた。
先のネフィリムによるテロもそういった事から起こるべくして起きたのかもしれない。
インターポール等の後ろ盾が無ければ、法的に見れば彼も“犯罪者”であると言えるが、だとしてもそれは司法機関に依頼された事であるし、その行為自体“超法規的処置”という事で“不問”に処されているというか実質的には、法による行為と似通っている。
そういうところからネフィリムの言う“正義”にも共感する部分はあったとしても、その行為は彼にとっては到底許せるものではない。
―――眠りについてからどのくらい経っただろうか。―――
窓から入ってくる太陽の光で目が覚めた。
枕元に置いている電波式のデジタル目覚まし時計に目を向けるともう昼を回っていた。
今さら食事を摂るのも準備が面倒だし、時間的に夕食の時間が遅くなる為、食事は抜いて軽く出掛ける事にした。
特に行き先といえる場所も無いのだが、街中をぶらぶらと散策し、ウィンドウショッピングをしたり、古本屋で掘り出し物の文庫本を探したりしてから行きつけのコーヒーチェーン店を訪れる。
2階建の鉄筋コンクリート造りで若者向きの様相をしているこの店は1階フロアこそ全席禁煙であるものの、2階フロアが全て喫煙席になっている他に、サービスで無料のカードマッチを配布していることで、近年“禁煙ファシズム”とも揶揄される“健康増進法”の施行により肩身が狭くなった彼の様なヘビースモーカーにとっては非常に居心地がいい。
他にも、系列店でしか使えないのだが、会員カードを兼ねたプリペイドカードで支払いをすると通常料金から割引が課されるし、キャンペーン等で更に割引特典がある事もある他、フリー電源もある事から度々訪れている。
さらに、近隣に系列店が数店舗ある為、満席でも近隣店舗の空き状況を店員が把握している為、空きのある店舗を案内してくれる事も魅力である。
割引適用後の値段より10円程度安い他のチェーン店も存在はするのだが、そちらはフリー電源も無ければ、喫煙席の数も少ないし、恐らくは業界最安値であるために、店員のサービスの質も低ければ、客の民度も低く、マナーの悪い客も度々いるし、他の客に迷惑をかける客がいたところで、店員も積極的に注意したりなどは全くない。
そのため、いくら10円程度安く、塵も積もればとは言っても、そちらにはあまり行く事はないのだ。
セルフサービスなのでレジでコーヒーを注文し、適当な席に座るとポケットからいつものリトルシガーとオイルライターを取り出し、コーヒーを片手に火を着ける。
店内のテレビモニターでは音声こそ切られているのだが夕方のニュース番組が映し出されていた他、周囲を見渡すと、読書をする人や、ノート型やタブレット型の移動端末で作業をする人、スマートホンを操作する人など様々な客がいる。
こういう風景を見ると自分が“裏稼業”で置かれている状況がいかに異常な物か再認識させられる。
それに、こういう平和な環境を見ることは、彼の行為を自己肯定する事にも繋がる。
彼にとって“裏稼業”は『悪党に裁きの鉄槌を下すのは自身の存在を肯定する』という手段に過ぎないのだが、こういうものを見ると『自分が汚れ仕事をする事でこの世界が守られている』と自身に言い聞かせる事ができる。
人には言えない“裏稼業”を仕事にしているという事はそれだけで社会から浮いてしまうし、そうでもしないと実際問題、超法規的措置として処理はされていても、非合法な部分がある以上は後ろめたさが残ってしまうためとも言えるのだ。
店内のモニターにふと目を向けると、先のネフィリム関連のニュースが相変わらず流れていた。
傷が疼くので、入院中はテレビもインターネットニュースも見ないようにしていた為に情報不足だったし、店内のモニターは音声も字幕も出ないのでテロップだけ見て判断するが、あれ以来、世界各国で同様の事件が発生していた様だ。
だが、それらは手口こそ類似の事件とはいえ、反資本主義を掲げるものだったり、過激派が起こした宗教テロだったりといった具合で、手口だけ真似た模倣犯に過ぎず、ほとんどの犯人が逮捕されている様だった。
そうなるとネフィリムのメンバーを未だに逮捕できていないどころか目星すら付いていない日本の警察の無能さを実感するが、それはもう彼の知った事ではない。
とりあえず、のんびりとコ―ヒーを口にしながらリトルシガーを数本吸い時間をつぶす。
そして、コーヒーを飲み終えると、返却口にカップと灰皿を戻し、家路についた。
夕食時とあってか街中の飲食店からは人が忙しなく出入りし、周囲には様々な料理の匂いがたちこめていた。
それと同時に居酒屋の店前にはメニュー表や看板を持った呼び込みが立ち始め、夜の繁華街を形成し始めていた。
この街は駅を中心にして東西南北に分割される形で学生街と大型商業施設、繁華街と住宅地という4つのエリアに別れている。
そのためか、繁華街の治安は決して良いとは言えない一方で住宅街や学生街は至って平和である。
言うなれば、犯罪者は繁華街に封じ込められているとも言えなくもない。
だが、地元警察もそれをわかっているのか、彼の生まれ育った田舎ではあり得ない程、交番が設置され、昼夜を問わず、頻繁に警官が巡回して犯罪の抑止を行っていた。
利三としてはこの10%の人員をネフィリムの事件に回せば解決に向けて進展がありそうに思えるのだが、相変わらずくだらない縄張り争いがある様で、やはり所属警察署が違うと関係は無くなるのだろう。
本当に日本の縦割り行政のシステムや縄張り、利権争いには呆れてしまう。
のんびりと歩いていたが思ったよりも早く帰宅できた。
一応、郵便受けのダイヤルキーを回して開け、中を見が特に何もなかったので、まっすぐ部屋に向かう。
そして、適当に夕食を作り、後片付けまで早々と済ませて風呂に入り床に就く。
翌朝は起きてから例のクルーザータイプのバイクで出掛ける事にした。
カバーとチェーンロックを外し、再びパニアケースに収納してシートに跨るとキーを回し、セルスイッチを押してエンジンをかける。
399ccの排気量の割に心地いいエンジンの重低音が鳴り響く。
そして、クラッチレバーを引きギアをニュートラルからローギアに変えるとスロットルを回して走りだした。
マニュアルトランスミッション車は速度に応じてギアを変える必要がありその分スクーター等のオートマチック車よりも操作が難しいのだが、一方でそれがまた面白いところでもある。
彼の所持している免許では普通と付けば特に縛りは無く自動車もバイクも乗れるし、免許の条件に眼鏡使用等を義務づけられてもいない。
これは彼が特別なわけではなく、同じ条件で免許を所持する者は多い。
ただ、彼の場合は運転が楽なオートマチック車が苦手で、マニュアルトランスミッション車を好んでいるという天の邪鬼な部分があるため、そこは他の者とは異なるのだが。
アパートのある入り組んだ路地から大通りに出て加速していくと風が気持ちいい。
よく晴れた青空の下を快走することはバイク乗りにとっては至高の時間といえよう。
目的地など元々決めていなかったが、気分に任せてとりあえず海を目指すことにして走行中に見た道路標識から脳内に地図を描くと共に大雑把にルートを決めながら走り抜ける。
日本の主要幹線道路、とりわけ江戸幕府によって制定された“旧五街道”に相当する国道は全て、東京の日本橋を起点に張り巡らされているため、おおよその現在地と方位を把握して幹線道路を走行すればだいたい合流するため、地図やカーナビを使わなくともおおよその目的地には到着できてしまう。
道路標識だけを頼りに幹線道路を走行してしばらく行くと徐々に潮風の匂いがしてきて思ったより早く海岸線に近づいていると認識した。
そう言えば江戸時代以前は現在の品川の辺りまで、もともと海の中だったが長い時間をかけて埋め立てを繰り返し、現在の地形になったとも聞いた事もあったが、電車を使うとお台場や汐留などの海沿いで観光地の様な場所でも乗り換えなどがあり、同じ23区内であれどもそれなりに時間がかかってしまう。
それに、電車内でじっと座っているのと自身で運転しているのとでは集中している事などもあってか体感時間にだいぶ差が出る。
誰かが読み終わった漫画雑誌に加え、新聞やゴシップ雑誌の類が電車内の網棚に放置されていて、それに目を通してみては戻したり、スマートホンを車内のWi-Fiに接続したりして、オンラインゲームやWebサイトにアクセスしたところで移動時間が退屈な事に変わりは無い。
そういう面では自身で運転する自動車やバイクは全く退屈しない。
まぁ退屈して居眠り運転などすれば、重大な事故に繋がりかねないし、そもそも彼の場合は警察の外郭団体が免許証の記録と照合して発行している無事故無違反の証明カードを所持しているいわゆる“優良ドライバー”であるため、検問や職務質問で停止要請を受けた経験こそあれ、そういった危険な運転は元からしていないのだが。
それに、こういうクルーザータイプのバイクは元々長時間の移動に適した設計がなされている事もあってか、乗員にとって負担の少ない快適な巡航を実現しているため、疲労が蓄積されにくいので、こういった外出には非常に適している。
その一方で、仕事用として用意されているスーパースポーツタイプのバイクは元々レース用に開発された車両をベースにしていたり、各メーカーがレース活動で得た技術を応用したりして作られたもので機動性やスピード重視の性格となっているため、急な加減速も容易に行える他、小回りも利くために狙撃による一撃離脱戦法もしやすい。
そういう理由からも、仕事用と通常の移動用がわけられている事は非常にありがたい。
とりあえずしばらく走るなり休憩するためにコンビニの駐車スペースにバイクを停めた。
一息入れるために店内に入り、缶コーヒーや清涼飲料水の類が陳列された冷蔵棚に向かい、色々と物色する。
色々と迷ったのだが、結果として店頭の機械で淹れるタイプのアイスコーヒーを購入して、ガムシロップとコーヒーフレッシュを大量に入れてかき回し、カフェオレもどきを作り、それを持って、店前のスタンド灰皿に向かった。
愛飲しているリトルシガーに火を着け、カフェオレもどきに口を着けた。
ガムシロップの入れ過ぎか、はてまたコーヒーフレッシュの入れ過ぎかは不明だが、口内を甘い味が占拠する。
その一方でリトルシガー特有の味も広がってその甘さは相殺されるのだが。
リトルシガーとカフェオレもどきを一通り味わい休憩するとコンビニのトイレで用を足し、再びバイクに跨り、エンジンを起動させる。
クルーザータイプ特有のエンジン音が鳴り響きエンジンを温めた。
それによる轟音で周囲の注目を集めている事は否定できない事実であるのだが、その様な事を気にする彼ではない。
コンビニの駐車場を出るなり、運が悪い事に10t トラックが後方に付き、煽られた為に嫌がおうにもスピードを出す羽目になったのだが、それでも法定速度で走るという対抗手段を講じて公道を進み、目的地の海を目指した。
その道中、海を目指した標識とすれ違ったのだが、そんなことは気にも留めず勘だけで目的地を目指した。
その結果、時間は最短ルートよりかかったのだが、予定通りに海岸に到達した。
欲を言えば、適当な駐輪場にバイクを停めて、海水浴などを楽しみたいところではあるのだが、思いつきで来た事もあってか運が悪い事にまだ海開きをしていないし、水着の類も用意していない。
そのため海水浴はもとより、ライダーブーツでは砂浜を闊歩する事さえ躊躇われる。
近くの自動販売機でコーラを購入し、リトルシガーを吹かしながら、なんとなくではあるが、ウェットスーツを着込んでサーフィンやヨット遊び、ボディーボードに興じて遊んでいる若者達に目を向けた。
海上は波も低く、静けささえある様相だが、こういった場所の方が初心者向けであるのかもしれない。
実際のところ、その道をそれなりに潜り抜けてきた人間はハワイのパイプビーチでサーフィンを楽しみながら技術を磨くとどこかで聞いた事がある。
利三はと言うとサーフィンやボディーボードの類に一切の興味は無いし、やれと言われたとしても全くやる気は無いのだが、見る分には一切の偏見は持っていない。
その為に、素人が練習でこういった平穏な海で技能を磨く事にはおおいに賛成だし、それを見て自身のモチベーションを上げている面も多少なりとも存在している。
さらに言うなれば、自身のおかれている状況から平和な一般人にフォーカスを当てれば、自身のおかれている状況がいかに異常な物かという事を再認識する事ができるため、麻痺している感覚をいわゆる一般人の“正常”に近付ける訓練にもなっている。
むしろ一般人が言うところのいわゆる“普通”の感覚がマヒしている事から監が見ても、絶対的に必要な話にはなってくる事に他ならないと言って過言ではないと言っても問題ないのであるのだが。
そんなこんなで数日を過ごしていったのだが、ある日帰宅して郵便受けを開けると、エアメールの封筒が入っていた。
先の人質事件の際は急務だったために石塚が直接彼のアパートを訪ねる事になったのだが、普段は世界各地の代行者がエアメールを送り、そこに記された暗号文を解読して指定日時に指定された場所で合流している。
封筒ではなく中の手紙自体に封蝋をしてある事を除けば、暗号文とはいっても決まった法則で読めば解読は容易なもので、書いてあるままの日本語の文章で読んでみると、さもない内容の旅行先からの手紙になっている。
そのため、解読後はシュレッダーにかけたりする必要もなく、普通の可燃ごみとして処分したところで何ら問題ない。
というより何らかの事で彼に嫌疑がかかり当局の監視対象となった場合でも、ごみの中からこのエアメールを発見して捜査員が見たところで、交友関係者が旅先から送ったもので、捜査資料としての価値は無いと判断するだろう。
今回の文章から読み解くと
“3日後の夜9時に繁華街の路地裏の地下にあるショットバー・イリスで第三者を交えて密談。”
といった内容だった。
場所もさることながら第三者を交えるというのは異例と言える。
差出場所と印璽の刻印もあらかじめ決められた表と対応しているものであるし、封蝋に使われている蝋に石膏が混ぜられているのでブラックライトを当てると蛍光を発する様に細工してある。
特殊な封蝋ではあるが、石膏自体は何処にでもあるし、たとえ鑑識などが成分を見たところで“偶然混入したのだろう”としか思わないだろう。
そういう事まで考慮して準備している辺りは、旧ソ連に存在した情報機関で秘密警察でもあったKGBやアメリカの諜報機関で現行のCIA以上だと言えるかもしれない。
内容も気になる事は色々あるが、当日までは大人しく過ごす事にし、当日の昼間に一度下見に行った。
そして、一度部屋に戻ると、鍵に付けられた十得ナイフを研ぎなおし、コンビニで購入した500㏄のミネラルウォーターの角型ペットボトルの中身が八分目まで入った状態にし、手には速乾性の接着剤を塗ってドライヤーで乾かして、指紋などが付着しないようにし、ペットボトルを尻のポケットに忍ばせた。
そして、潜入作戦での変装の為に覚えた特殊メイクを施した顔にサングラスをかけ、帽子を被って顔を隠して家を出る。
日本という国は銃や刃物はもとより、いくら護身用として販売されていてもスタンガンや特殊警棒、果てまた催涙スプレーの様な非殺傷型の護身用品ですら持ち歩きに対して過敏な所がある。
実際問題、市販の催涙スプレーは大半が主成分にカプサイシンを用いたトウガラシスプレーとも呼ばれるもので、暴徒や野獣の制圧に対して絶大な威力を持つ一方で、たとえ目に直接噴射されても後遺症などが無い安全なものであるのだが、悪用する者も度々いる故に、警官に見つかれば携帯しているだけで取締の対象にされかねない。
一方で、刃渡り6㎝に満たない十得ナイフもポケットに入れていると場合によっては取締の対象とされる様だが、キーホルダーとしてベルトリングから吊るしていた場合は刃渡りが法定内か否かの確認だけで済むといった矛盾もある。
もっとも、十得ナイフの様に多機能小型ツールはレジャーで使う事は多いし、大半の物は刃渡りが5㎝にも満たない他、キーホルダーになっている。
さらに、百円ショップでも相当数が販売されている他、殺傷能力はかなり低い為、それを全て取り締まり対象とする事は法的な問題だけでなく社会通念上不可能な話でもあるからなのだ。
実際問題、職業軍人やスパイでもその様な短い折り畳みナイフでの殺しは不意打ちでもなければ不可能に近いと言って過言ではない。
刃渡りが短い為に致命傷を与える事が困難である事もあるが、折り畳み式ナイフは構造上刃が薄く、本体と柄が繋がっていないため簡単に曲がったり折れたりしてしまうため、在りかが解れば間合いも狭く脅威にはならないと言える。
もっとも、利三の身体能力や受けてきた訓練をもってすればそんな物でもそれなりに使えるが。
ただ、それでも間合いの問題はあるため、水の入ったペットボトルは必要だ。
ぱっと見はただの水が入ったペットボトルである為、隠し持っていて見つかった所でどうこう言われる事も無いし、何処にでも転がっている何の変哲もない物だ。
だが、これが意外と強力な武器になる。
満水状態では、所詮はただの水入りペットボトルなのだが、八分目程度に水が入ったペットボトルは振り回した際に、遠心力で水が集まってハンマーの様になり、早く振り回せる他、質量がある事で相手を怯ませて一瞬の隙を作る。
その隙に次の手を講じて暴漢から逃げる事は普通の人間でも可能だし、利三の様に特殊な訓練を受けている人間ともなると相手が仮に文化包丁で襲ってきても“水入りペットボトル”で刃を受けとめて奪い取り、石塚仕込みの徒手格闘で制圧する事さえ可能になる。
刃物を受けとめられるのは中に水が入っている事で密度が増し、抵抗が増える事で出来る芸当だ。
そのため普段からキーホルダーの十得ナイフはベルトに吊るしているし、深夜の繁華街の裏路地の様な場所に向かう時は水入りペットボトルを尻のポケットに忍ばせている。
警戒しながらとりあえずは時間通りにショットバーに入る。
昼の偵察ではシャッターが閉まっていた為に店内まで確認できなかったが、階段を下りていくとカウンター席と数席のテーブル席しか無い様な店で、店内は先客で賑わっていた。
「お客様、大変申し訳ないのですが、本日予約の方がおられまして、予約席を除きますと、只今満席となっております」
「そうですか。一応お伺いしておきますが、予約者の名前は九十九でしょうか? 」
「はい。お連れ様でいらっしゃいますか? 」
「まぁ。そんなところです」
「では、こちらに。九十九様は既にご到着されています」
そういって案内されたのはカウンターの奥に隔離され、出入り口の扉と注文用に設けられた開閉式の小窓を閉めると完全な密室になるV.I.P.ルームの様な所だった。
「九十九様。お連れ様がご来店いたしました」
マスターが声をかけると石塚が中から現れた。
「おう。よく来たな。とりあえずもう一人が来るまでしばらく待て」
席に座る様に促したのでそれに従う。
促されるままに座るのだが、人の真横に座らされるのは学校の三者面談の様であまり好きではない。
いくら先に到着していたとはいえ一人で水煙草とブランデーを楽しんでいる辺りはこれが目当てでここを指定したのかもしれない。
「予想通りサングラスと帽子で顔を隠したか」
「念のため、この下には例の特殊メイクもしていますし、接着剤で手のひらは覆ってありますよ」
「そうか、なら問題ない」
「どういう事です? 」
「今度の相手は公安ではないからな。同業者だが、広義で言えばヤクザやマフィアに限りなく近いし、サングラスで顔を隠していると信用できないとか言いかねないからサングラスは外しとけ」
「わかりました」
サングラスを外してジャケットの内ポケットにしまうと石塚がメニュー表を渡して好きなものを頼むように言ってくるのだが、なかなか種類が多く迷ってしまう。
こういう時の支払いは100%石塚持ちなので値段の問題は無いのだが、こういう店では何を飲むか非常に迷う。
とりあえずマスターにテキーラの事を尋ねると、メニューには載せていない珍しい銘柄が丁度入ったところで味を見るのに水割りで飲む事を勧められたのでそれを注文した。
普段ならストレートのものをショットグラスで一気に飲む為、残り香を味わうのだが、飲んでみると水割りも悪くない。
水割りのテキーラをちびちびと飲みながらリトルシガーを吸い、待つ事数分、マスターが再び人を連れてきたので、挨拶をするために二人で立ち上がる。
その男は物腰の柔らかそうな見た目の60代手前ぐらいに見える恰幅のいい男だった。
「はじめまして。君が石塚秀人の弟子の“ベルクト”君か?色々と噂は聞いているよ。ワシは“
そう言いながら男は握手を求めてきたので応じるが、見た目に反して力強く、一瞬身構えてしまう。
こういう仕事をしていると握手するふりをして暗殺対象を油断させ暗殺を決行する事もあったため逆に自身が狙われた際の事を考え過剰反応してしまう。
「君の手はずいぶん荒れている様だね。接着剤塗れだし、来る前に模型でも作っていたのかな? 」
やはり相手もプロだ。
笑いながら冗談めかしているが、握手しただけで手に接着剤を塗って指紋が付かないようにしている事を見越してくる。
「まぁ。そんなところですね」
平静を装ってはみたが、小田切と名乗ったこの男は全てお見通しと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべている。
そして、席に着くと小窓を開けてマスターを呼んだ。
「マスター。コニャックのストレートをダブルで、あとキューバ産のプレミアムシガーをフラットカットで頼む。」
「葉巻の火はこちらでお点けしますか? 」
「そうして頂けるとありがたい」
ものの数分程度だろうか、マスターがコニャックの入ったグラスに葉巻用の灰皿と葉巻のセットを持って現れる、
マスターはテーブルにグラスと灰皿を置くとポケットからシガーカッターとライターを取り出して、手際良くラッパーをカットし、着火して小田切に手渡す。
渡された葉巻を一口吸うとコニャックを口にする。
利三の様にそれなりのスキルを持った相手を前にして尚、この余裕があるのはそれなりに修羅場を経験してきたからなのだろう。
葉巻とコニャックで一息つくと、カバンから最新型のタブレット端末を取り出して唐突に話を切りだした。
「今回の話だが、まずはコイツを見ていただこう」
そういうと、端末上に4人の人物写真を表示させた。
「これらの人物に見覚えは? 」
「いいえ」
「では、この声に聞き覚えは? 」
そういうと音声ファイルを開いたのだが、その声に聞き覚えがあるか否かを聞かれると、非常に答えづらい。
思い出そうと考えを巡らせていると、小田切はこちらの表情を見て、何やら音声解析ソフトを起動させ、再生しなおした。
するとどうだろう。
先日の立て篭もり事件で聞いた犯行グループのリーダー格と思しき男の声とかなり似通っていた。
あれだけの目に遭わされたのだ、あの時聞いた声は忘れたくても忘れるはずが無い。
「一体どういう事で? 」
「元の音声ファイルから、一般的なトランシーバーのマイクで拾える周波数帯の物だけを抽出して再生したものだが、こちらは聞き覚えがある様だね?」
「まぁ、そういう事になりますが、これをどこで? 」
「この声の主は先ほど見せた写真の中の人物の一人で、表向きは労働問題専門の弁護士をしている」
「表向きと言うからには別の顔がありそうですね…」
「警察はまだ掴めていないが、彼はブラックマーケットに出入りしていた様でね。それと、彼は過去に弁護した人間と未だに連絡を取り合っている様だが、その中には元軍人や元傭兵も含まれている。そして、この間の事件を引き起こした張本人でもある様だ」
「つまり“黒幕”って事ですか? 」
「恐らくは」
そう言いながら再び小田切はタブレット端末の画面を切り替えてその男の写真を表示する。
「それで、今回の要件は? 」
「この男が先ほどの声の主で、名を“
「小田切さんのところでそこまで突き止めたのなら、その情報をリークすれば放っておいてもそのうち警察が逮捕するのでは? 」
「それがそうも言っていられない状況でね。その男達は再び同じ様な事をやろうと画策しているらしい」
やはり、前回の事件は序章に過ぎなかったということか。
だが、前回の一件では、要求は無かったし、結果的に起こった事と言えば、世論が変化し、悪徳企業や監督省庁に対するバッシングと大臣の更迭、そういった悪徳企業の商材の積極的なボイコット運動、大弁護士団による度重なる告訴と訴訟が起こったことで、悪徳企業が損をする風潮が広がった。
そして、関係団体からの要請もあり、沈静化を謀った政府が監督省庁に指導対象としていた企業と訴訟案件が過去にあった企業の公表と今回の事件で表沙汰になった問題企業への実態調査に踏み切ったのだが、それらは決して犯行グループにとって直接の利益になる様な事では無かった。
強いて言うならば標的とされた企業は計り知れない損害を受けた他、役員達はおろか管理職に至るまで全員起訴されて廃業に追い込まれた事で怨恨による復讐という事態が起こったと言うのなら理解できなくはないが、廃業に追い込んだ側の人間が第二の犯行を企てていると言う事であれば、話は変わってくる。
どう考えても利益が無い事をしているし、わざわざ法を犯してまでやる意味が解らないからだ。
だが、先の一件でこちらも傷だらけにされた事で犯行グループに対しては心穏やかではないため、依頼を引き受ける事にした。
「後で詳細データは送るが一応、他の3人の名前を教えておく」
そういうと小田切はタブレット端末の画面表示を最大にしてそれぞれの写真を指さしながら説明を始めた。
「リーダー格の“長谷川 竜太郎”は先ほど説明したから省くとして、まずは、この眼鏡の男が“
今回小田切の提示した作戦は簡単にいうと以下の様になる。
・まずは買収して二重スパイに仕立て上げた人物を数名、依頼者として長谷川のもとに送り込み、小田切の商売敵の法令違反やその秘匿情報を流して企業犯罪を長谷川に認知させた後に、小田切の傘下で動いている私立探偵による幹部メンバーの行動監視を個別に行う。
・そして、ブラックマーケットでの武器弾薬の調達の証拠を固める。
・行動を起こそうとした当日に長距離からの狙撃で車のタイヤを破壊し計画の変更を行わせる。
・再度、計画に移った場合も何らかの妨害工作を行い、こちらの存在に気付いては業を煮やして大胆な行動に移るまでは繰り返す。
・大胆な行動に出た場合も極力生け捕りにする様に減装弾を使用し、確保を前提に配慮した反撃に留める。
・ギリギリまで弱らせ最後は警察隊が到着次第引き上げる。
どうやら“別件逮捕”によって別の犯罪を暴きだすという作戦になる様だ。
ただ、利三としてみれば狙撃や減装弾を使った作戦というのは、警官隊の仕事で自分たちの様な汚れ仕事の人間にはあまり馴染まない。
と、いうより“裏稼業”の世界では常々殺るか殺られるかといった仕事になるので言ってしまえば“殺らなければ殺られる”環境であり手加減をすればそこで殺られてしまうのである。
とはいえ、第二、第三の事件が起きる前に止められるのならばそれに越したことは無い。
何にせよ今は小田切の策に乗ってみる方が良さそうではある。
「成功を祈る」
一通り説明を終え端末を回収すると、小田切はグラスを持ち上げそう言った。
こちらもグラスを持ち上げて返礼する。
「とりあえず後で詳しい情報は送るから大まかにそれに従って動いてくれ。細かいところはそちらに任せるが。あと、ここの支払いはワシに任せてくれるか?一応は依頼主という立場になる以上はそのくらいはしても問題ないだろう」
「こちらとしてはお言葉に甘えさせていただきますが、ベルクトの装備品はこちらで決めさせて頂いて構いませんね? 」
「あぁ。問題無い。必要とあればブラックマーケットの商人の意地でどんなものでも用意する」
「では。お願いします」
そう言うと石塚がグラスを空にして立ち上がったので慌てて一気に中身を飲み干し後に続いた。
店を後にして表通りに出ると、そこには“迎車”表示のタクシーが待ち構えており、乗る様に促される。
どうやら石塚がいつの間にか手配していたらしい。
そして、そのまま自宅付近の路地裏で降車して石塚と別れ、次の連絡を待った。
詳しい事はタクシーの中で渡されたスマートホンに転送される他、必用な連絡はそこに繋がる様に設定してあるらしい。
どういう事になろうとも連絡は翌朝以降になる筈なので、とにかくシャワーを浴びて寝る事にした。
そして翌朝、渡されたスマートホンの着信音で起こされる。
画面を見ると石塚からの着信で、何事かと思い通話を受ける。
「起きたか?どうやら小田切の予想外の事が起きた様だ!とにかくすぐに準備してアジトに来い!」
用件だけ伝えると、こちらの話など聞く事無く通話は切れた。
とにかく、何か不測の事態が起きた事に変わりは無いので急いで身支度を整えてバイクに跨りアジトに向かう。
しばらくこういう仕事をしてきているのだが、先の人質事件もそうだし、今回の件にしてもこういう事は初めてだ。
それだけネフィリムという組織の行動は破天荒極まりない。
公安組織の手に負えない事例は今までもいくらかはあったのだが、こちらが依頼された内容の任務さえ遂行すれば最終的には解決してきた。
森江 利三という一個人の挙げた成果やその存在が表に出る事は無いし、最終的な手柄は全て表側の公安組織に奪われてしまうがそんな事はどうでもよかった。
彼自身、表に出て注目される事は望んでいないし、この世界に足を踏み入れた時には失うものは何も無かったし、新たに欲する事も無い。
唯一、彼が望むのは彼自身を作り出した世の中に蔓延る悪に対して、自身の正義の鉄槌を下す事だけ。
言ってしまえば“私恨の念”の他に理由などは存在せず、その為だけにこの仕事をして自身の存在の証明をしているに他ならない。
とにかく、なにが起きたのか全く想像出来ないのだが、先を急いだ。
そして、アジトに到着するなり、飛び込むようにドアを開けた。
そこでは石塚が様々な機器を操作し、忙しなく動いていた。
「一体、何が起きたのですか!」
現在何が起きているのかという疑問の言葉が開口一番に口をついて出た。
「どうやら連中が動きを見せた様でな。前々からメディアに叩かれていた所が何ヵ所も早朝から続けざまにサイバー攻撃を受けてデータが流出している。しかも、今回はサイバー攻撃のみで、前回の様に人質を取ったりしていない」
「それって、自分たちの管轄外というかネットワーク上の事はサイバー部隊にでも任せとけばいいのでは?」
「いや、それがそういうわけにもいかなそうでな。単なる偶然やも知れんが、どうやらサイバー攻撃と連動してそこの重役共が次々と交通事故を起こしてる様でな。そこらじゅうで大騒ぎだ」
「“事故を起こした”って事は加害車両に乗っていたって事ですか?重役ともなれば運転手が付いている事も多いですけど、そういう運転手って秘書と兼任してる事が多い分、そうそう変わるものではないですから、常識的に考えて事故を起こす事は少ないのでは? 」
「まぁ。一応のところ中央分離帯に突っ込んだとかそういう類の物損事故だけで死者は出ていないと聞いている」
「なら、単なる偶然なのでは? 」
「だといいんだがね。サイバー攻撃の犯行声明が出ている以上は、またいつ何が起きても不思議じゃなさそうだ」
「じゃあ。何かあったらすぐに出られるように召集かかったという事ですか? 」
「そうなるな」
とはいえ、何か嫌な予感がしている。
それは経験から来るものなのか、それとも他の事が原因なのかは一切不明であるが、とにかく拭えないものである。
石塚が様々な方法で情報収集を試みているが、ネットワーク上の情報流出や糾弾する声明が出てくるだけで、前回の様な行動は現状起こっていない。
正直、こちらとしては前回の様に暴れられた方が目に見えるだけ動き易い。
このアジトのサイバー攻撃対策は攻撃を受けたとしてもその瞬間にコンピューターに取り付けられた爆薬が起動して自爆し、物理的にシャットアウトさせるというかなり極端なものになっている。
その為、使用時意外はハードディスクユニットを取り外しているし、ネットワークから独立した機械を使って複数のユニットを並列化してバックアップを常時行っている。
もっとも、複数のサーバーを経由しないとこのアジトのコンピューターには辿りつけない為、こちらはそう簡単にサイバー攻撃を受ける事はあり得ない。
―――アジトに着いてからどのくらい時間が経っただろう。―――
石塚の持つ様々な情報網を駆使しても入ってくる情報は全てサイバー攻撃の情報だけであり、先の人質事件の様な行動は一向に見られない。
それどころかこれらの情報流出で金融市場は大混乱となり多くの投資家が多大な損害を受けた他、付随する形で円相場も急激に悪化していった。
これは、下手なテロよりもタチが悪い。
宗教勢力の過激派武装集団による爆破テロなどは被害が目に見えるものであるし、その効果は限定的と言えるのだが、金融市場に対する打撃は下手をすれば世界規模に波及する。
―――サイバーテロ―――
そう表現した方が相応しいかもしれない。
たった数時間で国内はおろか海外に至るまで波及する攻撃を行ったあたり小田切から情報の上がった4人だけで起こした行動ではない事は間違いない。
もし、これがネフィリムの本当の目的だとしたら?
その為に世論を動かす必要があったのだとしたら?
あの時の犯行声明に書かれていた[腐った文明社会を浄化するための聖戦]というのがこのサイバーテロを示唆していたのだとしたら?
そう考えると全て合点がいく。
だが、誰一人その事に気付かずこの結果を招いてしまった。
とにかく利三としては今すぐにでもネフィリムの本拠地を叩いてこれ以上の被害を食い止めにかかりたい。
その一心で、気付くとキーハンガーからガンロッカーや大型銃火器の収納されている部屋の鍵などを手にしていた。
「まだ、連中の拠点が不明なのに武装してどうする? 」
石塚の一言で我に返った。
確かに石塚の言う通りに他ならない。
怒りの感情に任せて武器を手にしたところで敵の所在が不明である以上それは全く意味をなさない。
「確かにそうですね。とりあえず落ち着きたいので、近接戦武器の点検だけしますけど、構いませんよね? 」
「それは構わないが、分解はするなよ」
「わかってます」
そう言うと刀剣類の保管されている部屋の二重扉のロックを解除して入り、刀剣の選別していく。
この部屋には槍や薙刀、長巻に大太刀といった近代戦では文字通りに“無用の長物”と言える物から銃剣やサバイバルナイフといった近代的な物、果てまた短刀を改造して製作されたトレンチナイフとかナックルブレードと呼ばれる類の物に至るまでの刃物は一通り保管されている他、砥石や打粉といった整備道具も一級品を揃えている。
とりあえずはどんな状況でも使えそうな物を適当に選んで持ち出す。
そして、作業台として置かれている広いテーブルに置くと、鞘から抜いて刃の状態を確認する。
利三は元々、刃物が好きで趣味でナイフの収集や刀剣の展示会にも度々足を運んでいる。
その趣味が高じて、自宅で使っている刃物の研ぎ直しなどを日頃から行っており、独学で覚えたと言ってもその腕は下手な金物屋や刃物店の職人に匹敵するレベルであり、100円ショップの包丁が高級包丁に勝る程の切れ味に変わってしまう程だ。
それほどの腕ならこんな裏稼業をするよりも、そういった類の店で働いた方が良さそうだが、ほとんどの物が使い捨てにされる現代社会ではほとんど需要が無い。
むしろ、そういう仕事をしているのは伝統工芸レベルの職人を除くとほとんど存在しないのだが。
定期的に手入れを行っている為に錆や刃毀れといった類のものは無く、当然の事ながら今すぐにでも使える状態にある。
一通り点検を終えると元通りに収納した。
部屋を出ると石塚が近寄ってきた。
「コンビニ弁当で構わないからこれで二人分の適当な昼食と夕食をまとめて買ってきてくれ。釣銭はいらん」
そう言いながら石塚は裸の現金を渡してくる。
「飲み物はいつものお茶で大丈夫ですか? 」
「ああ。あと、スナックバーも忘れるなよ」
「了解です」
彼が点検をしている間に石塚は情報収集を引き続き行っていたのだが、相変わらずといった具合で変化が無かった様で、長期戦になる事は間違いなかった。
実際の戦闘にならないこの状況にあっては利三も得物の点検を済ませた以上、その場で待機していることくらいしかやる事が無い。
とりあえず、受け取った現金を財布にしまい、乗ってきたバイクで最寄りのコンビニに向かった。
そして、適当に買い物を済ませると再びアジトに戻った。
アジトに戻り買ってきた物を渡すと、石塚はすぐに電子レンジで温め始める。
どうやら腹が減っていた様だ。
自分の分を取り出して残りを冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫とはいっても食料品や飲料水の類は普段は入れられておらず、基本的には薬品などの保管庫として使っているのであるが。
基本的に長時間使う事の無いこのアジトではあるが、上下水道が完備され、トイレは勿論の事、小型旅客機のギャレー程度の設備は整っている。
もっとも、その設備が普段使われるのもほとんどが武器の整備関連かせいぜい湯沸かし程度なのだが。
とにかく、長期戦になるという事であれば、間違いなくソファーで仮眠をとる事になるだろう。
利三にしてみれば個人的にこういう長期戦は嫌いであるし、それ以上にこういう問題はとっとと片づけてしまいたい。
少なくとも小田切からもたらされた情報が真実であるなら犯人の顔は割れているので、所在さえ掴めばこんな事はすぐにカタが付く。
だがしかし、それが何故か出来ない。
実際問題、小田切の方でもありとあらゆるツテや情報網を駆使して情報の収集に当たっていると連絡は受けているのだが、公安組織ですら掴めなかった主犯格4人を突きとめた小田切の情報網を持ってしても何処からサイバー攻撃が仕掛けられているのか突き止められずにいた。
複数のサーバーを複雑に経由していたとしても理論上は逆探知する事が可能であるのだが、今回の件では、それに加えて、第三者のパソコンを何重にも遠隔操作していたりするなど複雑極まりないらしい。
さらに、次から次にサイバー攻撃が行われたのならなおの事、特定が困難になる。
―――そんな中、情報収集の為に電源を入れていたテレビ画面が突然切り替わった。―――
画面に映し出されているのはアナウンサーや著名な学者などではない。
コンピューターグラフィクスで作られた人物で音声合成ソフトを用いて作られたであろう声で淡々と話を始めた。
どうやら今度は電波ジャックを始めた様でスマートホンに内蔵されていたテレビで様々なチャンネルを確認していくのだが、全てのチャンネルで同じ映像が流れている。
さらに、小田切から再びもたらされた情報によるとキー局や衛星放送はもとより、地方のローカル局や街頭ビジョン、インターネット放送局や極小規模のラジオ局に至るまで徹底的に乗っ取られている様で、合成された音声は同じセリフを常に繰り返している。
「我々は“ネフィリム”天より下りし巨人なり。今ここに金の亡者と化し、悪行を繰り返す守銭奴とその手駒に裁きを与える。今、画面に映し出しているこれらは我々が正義である事の証明である」
そして、画面にはサイバー攻撃を受けた企業の行った企業犯罪とその証拠、違反している法令の羅列された文章がコンピューターグラフィクスで作られた人物の上を通る形で、次々とスクロールされて映し出されていた。
電波ジャックされているのでテレビの中継で街中の反応を確認する事は出来ないし、この状況では恐らく街中はパニック状態であるだろうから下手に外に出るのは危険極まりない。
とにかく、今はいつでも動けるようにして小田切からの情報と石塚の指示に従うしかない。
だが、頭ではそう理解できていても、気持は焦る一方だ。
それを察したのか、石塚は彼に地下の訓練場へ行くように勧めてきた。
―――地下訓練場―――
そこは石塚が作った訓練施設で石塚自身が銃器の試射を行っている場所であると同時に、利三も定期的に訓練を行っている場所である。
地下に作られているものの、その広さはなかなかのもので、一般的な体育館程度はある。
そこは鉄筋コンクリートの壁で半分に仕切られており片側が射撃レーンで残りが立体投影装置とセンサーを利用した戦闘訓練施設と格技場になっている他、洗濯乾燥機とユニットバスが申し訳程度に取り付けられている。
戦闘訓練施設では立体投影装置を利用した仮想空間での戦闘訓練が可能であるし、格技場には稽古で使う道着や防具、竹刀や木刀、刃引きの刀剣類はもとより、真剣や投げナイフ等の刃物類に加えて大量の巻藁が用意されている。
靴を脱いで一段高くなっている格技場に上がり板張りの床に巻藁を並べる。
そして、真剣が保管されているロッカーの鍵を開け、そこに並べられた真剣の中から適当な物を一振り選び手にする。
訓練用とはいっても、その切れ味は折り紙付きのもので、刀身の触り方を間違えると指の2、3本は簡単に飛ばされてしまうだろう。
剣道や居合道といった武道では道場内は基本的に裸足が原則で稽古の際は道着に着替えて道具を身に着けるのだが、実戦に近い形での斬り込み訓練を行う為に道着には着替えず、靴だけ実戦訓練用の上履きに履き替えると真剣はベルトに差して抜刀し、並べた巻藁を次々に斬り倒していく。
そして、感覚を掴むと今度は切れ端を蹴り上げて、それを空中で斬る。
彼の振るう真剣で斬られたそれは宙を舞いながらさらに斬られていき、最終的に細かな藁の残骸と化していた。
用意した巻藁を一通り廃棄物に変えると刀を鞘に納めてロッカーにしまう。
そして、その廃棄物と化した巻藁を片づけて、その場の清掃を済ませると、今度は隣の戦闘訓練施設に向かう。
この訓練施設は立体投影装置を用いて様々なプログラムの仮想空間をランダムに作り出すもので着弾、被弾などの判定は張り巡らされたセンサーによって行われ、一発でも被弾判定を受ければ即終了となるいわゆるサドンデス形式をとっている。
ここでの訓練は真剣や実銃ではなく、刃引きの刀や発火式モデルガンを使う。
見た目や材質はかなりいい加減で玩具にしか見えない様な作りではあるものの、形と重量バランスや激発時の反動等は本物と全く変わらない。
見た目がかなり粗雑なせいか不明なのだが、使用するヘッドギアに火薬式のダミーカート、詰め替え用の火薬等は湿気などで火薬が使い物にならなくなる事を防ぐ目的もあって、専用の保管庫に収納されているが、それ以外のものは扱いが雑になっており、拳銃や銃剣、サバイバルナイフの類はビールケースの様な箱に無造作に入れられているし、小銃や刀などある程度の長さがある物は傘立ての様な入れ物に無造作に収納されている。
とりあえずメインコンピューターの電源を入れ起動完了までの時間を使ってモデルガンのマガジンにダミーカートを装填する。
粗雑な見た目のモデルガンとはいえ、仕組みこそ実銃と大差が無いと言って過言ではない。
特にマガジンは実銃でもその内部構造は単純で言ってしまえば弾薬を込めたケースに弾薬を送り出す為のバネやゼンマイが組み込まれただけの物に過ぎない事から仕組みは改変しようが無い。
ただ、装填するダミーカートは実物とは異なっている為にスピードローダー等は使えないのだが。
そのため、ダミーカートを装填していくのは非常に骨が折れる作業である。
とりあえずは作業しながら時折、機械のつまみやスイッチなどを操作し準備を続けた。
そしてヘッドギアに電源を入れて本体との同期を無線通信で行う。
同期がとれた事を確認し、ヘッドギアを被った。
そして、模造刀をベルトに差し、銃剣付きの自動小銃にサプレッサー付きのマシンピストルのモデルガンを2丁手にして訓練場に入る。
防音扉を閉めてヘッドギアのバイザーを下すとそこにはかなりリアルな光景が広がっていた。
何度も使った事のある施設ではあるが、やはりこのグラフィックとリアルさには驚かされる。
コンピューターが作り出した仮想空間であるため、最初にバイザーには作戦内容とクリア条件、現在置かれている状況が表示される。
今回はテロリストに占拠された街中が戦場となり、ターゲットの殲滅が主な任務である様だ。
この部屋の床はどういう仕組みになっているのか不明であるが、床自体が全方位に稼働する為、前進しようが後退しようが、物理的に本人は一定の場所から動く事は無いのだが、バイザー越しに見る立体投影装置の作り出す仮想空間ではかなり移動している。
物影に隠れて様子を覗いながら前進し、警戒中のターゲットの死角から刀で一突きし、一撃で仕留める。
そして見つからない様に警戒しながら前進していく。
ヘッドギアからもたらされる視覚や聴覚の情報は人工的な物であるし、刺したり斬ったりといった感覚は無いのだが、銃の反動や床が動く事で非常にリアリティーがある。
その為どちらかというと、格闘訓練よりは動く相手に対する射撃訓練の方が向いているのかもしれないが。
とにかく、このまま訓練を続ける。
バイザーに映される映像では様々な場所からターゲットが現れては銃撃してくる。
実体は無いが見える壁を盾にして弾丸をかわし、反撃する。
次から次に現れるターゲットを倒しては進み、プログラムを遂行していく。
予備のマガジンは用意していないので一撃でターゲットを仕留める様にヘッドショットを心がけて攻撃する。
実際には空砲であり、銃口から弾丸は出ないためマズルフラッシュをセンサーが捉えて弾道をシミュレートして、命中判定が行われる。
そうやって訓練を行っていたのだが、被弾判定による終了ではなく、メインコンピューターから強制終了された。
バイザーを上げてコンピュータールームの窓を見るとそこには石塚が立っており、コンピューターのマイクを使い、ヘッドギアの通信機越しに話しかけてきた。
「小田切が持つ情報網と私の情報網を合わせて調査した結果、連中の居場所の特定に成功した。詳しい話があるから上に上がってくれ」
そう言い残すと石塚はすぐにその場をあとにする。
この混乱の中、ほんの数時間で居場所を突き止めたという辺り、石塚や小田切の情報網はそうとう優れているものだし、居場所が把握できたという事は少なからず状況が好転したと言えよう。
ただ、心配なのは前回の一件で連中と警察隊が衝突した際には警察隊は完全に面目丸潰れにされた事もあるわけで、ここで居場所が特定された事をリークした場合、それがどんな結果をもたらすかという事は想像に容易い。
名誉回復に向けて功を焦り、無謀な突入作戦や下手に追い詰めて自爆でもされたらそこでまた被害が発生する可能性すらある。
とにかく訓練で使っていた物を手早く片づけると、すぐにそのまま階段を上がる。
階段を上がり、もとの部屋に戻ると石塚はプロジェクターを起動させて色々と準備を行っていた。
「丁度今、準備が整った所だ。とりあえず、説明を始めるが問題無いな」
「もちろんです。自分はいつもの薬とお守りの葉巻さえあればいつでも出られますよ」
「ならばよし。だが、出るときはちゃんと食事を済ませてからだな」
そう言うと石塚は部屋の灯りを弱めプロジェクターに投影を始めた。
そこにはこのアジトの場所が青い点で示された地図が表示されていた。
このプロジェクターは石塚の手元の端末で操作され、同時に複数の情報が投影できる他、拡大や縮小、表示形式の変更も幅が広く、地図も地球儀の様な表示から三次元マップの様な表示方法まで様々だ。
「この数時間で色々と集めた情報によると、連中の前回の犯行は今回の件の第一段階だった様だ。それで、現時点で連中のメインコンピューターが存在しているとされるのはここから200km離れた山の中にあるこの赤い点が示す建物の様だが、その場所が非常に厄介でな。元々は企業の研究施設だった様だが十数年前に土地ごと個人に売却されている上、記録によると大規模な改修工事も行われている様だ。しかも、登記上の所有者は戸籍上だけの存在にも関わらず、他に違法行為は一切無く、確定申告などの手続きも毎年行っていた為に、現実に存在しない人間だという事は誰も把握出来なかった様だ」
「要するにそれだけの期間をかけて準備に当たっていたと? 」
「そう言う事になる。ただ、小田切からの情報で得た例の4人の経歴と比較すると、土地の売買や建物の改修に連中は関わる事は不可能であるから、元は別の人間がこの計画を立案したのだろう。
そう言うと例の4人の経歴がまとめられたデータが地図と同時に表示された。
「つまり、4人とは別に黒幕がいると? 」
「もしくは4人がその人物の意思を継いで犯行に及んだかといったとこだな」
「どっちみち、敵は4人では済まなさそうですね」
「そう言う事になる。この建物の内部に関する情報は皆無で、研究施設だった頃のデータも残されていないし、山奥ということもあって、人の出入りも把握出来ていない。」
「それじゃあどうにも出来ないのでは?単独で斬り込みかけるには無理がありそうですし」
「そこでだ。今回も“マールス”との協力戦になる」
「それ以前に警察は動かないのですか? 」
「あぁ。前回の件もあるしな。それに、恐らく警察もクラッキングを受けているのは間違いない以上下手な情報共有は危険だ。そういう事で小田切の案を軸に我々だけで突入作戦を行う。一応、インターポールにはこの作戦についての情報共有をアナログ回線での暗号通信で行っているから後始末は問題無い。」
「なるほど。と、なるとこの建物内の武器弾薬は片っ端から持ってく事になりますね」
「いや、お前さんの腕ならコイツで充分だろう? 」
そう言うと石塚は暗がりから軽機関銃を取り出した。
この分隊支援火器は通常は着剣用のラグ等は付いていないのだが、色々とカスタムが施されており、銃剣が取り付けられる様に着剣用のラグまで後付けされている。
ベルト給弾式のこの銃はマガジン式の物と違い、ベルトリンク同士を繋げば理論上は弾帯の長さの分だけ連射が可能である(もっともベルトリンクを収納するボックスの容量が200発という制限はあるのだが)。
個人的な意見としては銃身交換が非常に簡単であるし、下手に大容量マガジンの小銃を使うよりは弾帯を大量に身体に巻き付けて携行できるので大量に弾薬をばら撒けるこういう銃は独りで多数の人間を相手にするのには最適だと考えている。
ただ、極論を言ってしまうと、対戦車ロケット弾の使用もできる四連ランチャーを対人兵器として使用すれば大多数を一発で仕留められる事から、交換用の弾薬を持てるだけ持って人間戦車とでも形容した方がいいような装備でもすれば多勢に無勢といった状況でも、一応のところは問題無い。
だが、連射が効かないし、弾薬も嵩張るため携行可能な弾薬もあまり多いとは言えず、弾切れを起こせばデッドウエイトになりかねない短所がある。
とにかく今回の作戦では利三を中心にした突入部隊とアシスト部隊を編成し、奇襲をかけるという事になりそうだ。
しかし、本当に山奥の建物がネフィリムの本丸なのだろうか?
確かにこれだけの大規模なサイバーテロを行うには大規模なコンピューター設備が必要になる事は言うまでもないのだが、そこにいなくても操作する事は不可能ではない。
むしろ、場合によってはそこを物理的に破壊してトカゲの尻尾の様にする事も可能なのではないだろうか?
だが、そうだとしてもそこを攻略すればこれ以上のサイバーテロは防げるかもしれない。
対症療法と言っていいかもしれないが、現状で出来る事など他には無さそうである以上、やるしかないのだ。
アナログ回線での暗号通信でマールスと連絡を取り合い、合流する。
マールスの偵察部隊からの報告ではネフィリムの本丸と思しきその建物は高い塀で囲われ、ネットワーク回線以外は外部と完全に遮断され、ライフラインの類も全て自給自足している様だ。
つまり、奇襲とは言っても正面突破以外の選択肢は通常あり得ない。
だが、そうなると自爆を誘発するだけでなく、足止めを受けている間に更なる被害を生みだしかねないのだ。
とにかく、現地にも行かないでどうこうと言っていられる状態ではない。
状況が状況である為に、急いで食事を済ませるとトラックの荷台にありったけの武器と弾薬に加えて、コンテナにしまってあったオフロードバイクを引っ張り出して燃料を入れて積み込んだ。
そして、指定の合流ポイントでマールスと合流し、本丸と思しき建物に向かう事にした。
アジトを出ると予想通りと言った具合に外は大混乱の様相を呈しており、かなり労力を割かれた。
それはマールスも同じ事であった様で合流ポイントでしばらく待つ事になり結局合流できたのは明け方だった。
合流ポイントはいわゆるキャンプ場の様な所で、バンガローも並んでいてトラック数台が集結しても違和感が無い。
傍から見れば管理者がこの非常事態に際し、利用客の為にトラックで荷物を運んできた様にしか見えないだろう。
ついでにこの場所はネフィリムの建物よりも高い場所にある為、地の利がある。
確保していたバンガローで作戦会議が開かれた。
当初は正面突破しかないと踏んでいたが、到着するまでの間に偵察隊が掴んだ情報によると、ここから見えるエリアは目に見える様な形で人の行き来などの警戒はあまりされておらず、たまに人影が見えるだけになっている様だ。
恐らく、キャンプ場利用客がバードウォッチングなどで双眼鏡や望遠カメラなどを使った際に見えてしまう為、違和感を無くすための工作であろう。
人影があった事から考えて、地雷などは無さそうだがいくら人の行き来が少ないとは言っても監視カメラやセンサーの類はかなり強固に張り巡らされているであろう。
一般的なセンサーやカメラなどを無効化する為の電子戦装備はあるし、そのあたりは問題無いのだが、明るいうちでは目立つので、様々な形で偽装して監視を続けながら夜を待つ事になった。
その間にそれぞれで必要な装備の身支度に入る。
基本的な装備は前回とほぼ同じであるが、主武装を軽機関銃に変えた他、前回の屋内戦で最初こそ長尺の日本刀が真価を発揮できたが、狭い通路ではかえって邪魔になってしまった事もあったし今回は単独突入ではない為、大型火器や長尺の日本刀は置いていく事にした。
その代わり、予備弾のベルトリンクを4本身体に巻き付けた他、予備マガジンを前回より多く持って行く事にした。
―――日が沈み周囲を静寂が包み込む―――
運が良いのか、今日は偶然にも新月の様で空は晴れ渡り、夜襲には最適な環境だった。
ライト等は一切灯さず、暗視ゴーグルを頼りに前進していくと程なくして壁の下に辿り着いた。
集結ポイントに配置された狙撃部隊のスポットマンからの通信で人影が無い事を確認すると、各自でガス式の発射機を使い、壁の上部にアンカーを撃ち込んだ。
そして、ロープを伝って壁の上に登りきるとセンサーやカメラ類を用意した電子戦装備を駆使して探し、無効化させる。
問題無い事が判明すると巻き上げたロープを垂らし、手早く壁を下りると二手に別れてそのまま建物沿いに進み突入場所を探した。
混乱で警察が身動き出来ない事や夜間という事もあってか警戒が緩んでおり、難なく潜入に成功した。
潜入後はさらにそれぞれが二手に分かれ、計4チームでそれぞれ制圧に向かう。
元が研究施設という事があるからか建物内は非常に入り組んだ構造をしており、まるで迷路である。
各自ネックセットの無線機を使い、無線連絡を取り合いながらそれぞれの状況を確認するが、最初に仕留めた警戒要員以外のネフィリムのメンバーとはなかなか遭遇しない。
やはり、ここは本丸では無かったのか。
その様な疑念が頭を過る。
だが、しばらくすると様々な場所から銃声や爆発音が響き渡り、無線の向こう側から断末魔の様な叫び声が聞こえた。
(まさか!あの精鋭達がやられた!? )
考えたくはないのだが、状況柄そう判断せざるを得ない。
他のチームがやられたとしてもここは退く事は不可能だろう。
こうなった以上は、自分と行動しているメンバーで、何とかするしかない。
賭けではあるが、とにかく安全を確保する為に先へ進んだ。
そして、しばらく進むと無線に通信が入った。
「久しぶりだなBastard」
この声の主は忘れもしない。
間違いなく長谷川 竜太郎だ。
「お前は!?長谷川 竜太郎か?まさかあの精鋭を倒したのか? 」
「ほぉう?あれが精鋭とはね。しかし、そこまで辿りついていたのか?褒めてやるよ。それから安心しろ、誰一人、致命傷は与えていない」
「お前らの目的は何だ!? 」
「“正義の執行”それだけだ」
「テロリストが“正義”だと?笑わせるな!」
「ふっ。貴様とて“同じ穴の狢”ではないのかな?まぁいい。ここまで辿り着いた褒美にお仲間は全員解放してやろう。だが、貴様には独りで地下3階まで来てもらおうか」
そう告げると無線は途切れた。
とにかく長谷川の言う通り利三だけが狙いならマールスだけでも撤退させて、次のチャンスを狙った方が確実である為、行動を共にしていたメンバーに他のメンバーの救出と撤退を指示して単独で地下を目指した。
そして、地下1階に到達するとそこに二人の人影が見えた。
ネフィリムの人間である事は違いないし、少しでも戦力は削いでおく必要があるので、すぐに軽機関銃を構えて発砲する。
だが、中々当たらない。
アジトを出る前に一応試射していたし、石塚が調整した物であるから銃に問題は無い筈である。
「いきなり発砲とはご挨拶だなぁ」
「俺たちじゃなきゃとっくにお陀仏だ」
この声には聞き覚えが無い。
だが、その顔は小田切に見せられた写真の人物の“佐藤 明”と“中山 健”だった。
「佐藤 明に中山 健とはクラッカーコンビか?その動き、単なるクラッカーでは無さそうだな」
利三は銃を構えながら問いかける。
「名前と顔が知られているとは俺たちも有名人の仲間入りって感じかな?なぁケンケン」
「そうだね。まぁ執行猶予付いたとはいえ前科者だから知ってる人間は知ってるかもだけど」
当たっていないとはいえ大量の弾丸を浴びせられて尚この余裕である。
まるで弾丸の未来位置が予測できると言わんばかりだ。
いくらなんでも2対1というのは分が悪い。
とにかく体勢を立て直す為に、軽機関銃を撃ちながら一旦退き、柱を盾にする。
弾薬の残りも少ないため、身体に巻いていたベルトリンクを二本外して、残りの部分に繋ぐ。
その間にマシンガンの反撃を受けたが、幸い当たらずに済んだ。
(狙っても当たらないなら…)
“狙っても当たらない”その状況を打破する為に、利三は大博打に打って出た。
―――とにかく断続的に引き金を引き続けて狙わずに乱射する。―――
カタログ上は一分間に800発近い発射速度を誇るこの銃は400発少々の弾薬を使い切るのに時間は一分も要らなかった。
足下が空薬莢だらけになったが、乱射した銃弾が運良く二人を捉えた。
そして、怯んだところで一気に攻め込み銃剣の斬撃と銃底による打撃で追い打ちをかけて四肢を封じ、二人同時に戦闘不能状態にした。
関節を叩いて外し、腱を斬ったが、念のために結束バンドで拘束し、銃剣の切先を突き付けて問いかけた。
「お前らはなぜ奴に協力した?そして、奴の目的は何だ!」
「口が裂けても言えるかよ」
「殺すならとっとと殺せ。どうせ俺たちは死ぬんだからな」
「どういう事だ? 」
利三の問いかけに反応を見せる前に突然、二人とも苦しみ出しその場で事切れた。
「一体どうなっていやがる?関節外して筋を斬って行動不能にしたが、死ぬほどのダメージは与えていない筈だ…」
頭で考えてもその場の現実が変わるわけではないので、とにかく先に進む。
ベルトリンクを再装填して、警戒しながら先に進み、地下2階に到達すると再び人影に遭遇した。
先ほどの事もあったので、恐らくこの人物は残りの二人のうちのどちらかであろう。
今度は1対1のタイマン勝負であるため、先ほどよりマシだと言えそうだが、単独行動ができるという事は先の二人より戦闘能力がある可能性が高い為、気を引き締め、発砲体制を整えて問いかける。
「有村正か?それとも―――」
「あの場にいた長谷川や前科者の二人だけでなく、俺の名前まで把握できているとはなかなかやるな。まあいい、かかってこいよ。」
言うが早いか有村がベルトで肩から吊り下げて構えていたガトリングガンは次の瞬間に雄叫びを挙げて、その室内に弾丸が飛び交っていた。
ガトリングガンから止めどなく飛んでくる弾丸をかわしながら反撃をする形で応戦したため室内は大量の弾丸が飛び交っていた。
弾丸の発射速度や威力では有村のガトリングガンの方が大幅に上であるものの、電動式で複数の銃身を持つその特徴から初弾発射までの立ち上がりに若干のタイムラグがある事や本体とバッテリー、弾薬の重量が大きいために小回りが利かない事で利三も何とか対応できた。
だが、そのタイムラグを狙って撃ち返すのだが一向に被弾していない。
そうこうしているうちに、突入時は1,000発あった軽機関銃の5.56mm弾がついに尽きてしまい、デッドウエイトとなったが、それは相手を油断させる事に繋がったし、近接戦を得意とする利三には逆に好都合で、一瞬の隙を突いた着剣戦闘でガトリングガンの駆動部を破壊し、銃剣で両肩と脚を突き刺して行動不能に陥らせる事に成功した。
そして、身動きが取れなくなった有村の太腿に銃剣を突き立てて再び問いかけた。
「これは一体どういう事だ? 」
「…答える義理なんかない…ここで俺が殺られてもお前は必ず死ぬ…そして…俺たちの意思は…」
言葉の途中で苦しみだし、有村は最期の力を振り絞って腕を上げ、隠し持っていたデリンジャーを自らの頭に当て自決した。
それは一瞬の事であったし、腕をあげた時は最期の反撃だと考えて間合いを取ってしまった事が悔まれた。
だが、無線で地下3階まで来る様に言ってきた長谷川本人と遭遇していないという事は、長谷川は、テレビゲームのラスボスの様に待ち構えているだろう。
とにかく長谷川がこの場においては最後の敵となりそうなので、弾切れの軽機関銃から銃剣を外してその死体の衣服で血を拭き取ると鞘に収め、軽機関銃本体はデッドウエイトでしかないのでその場に投棄し、マシンピストルを両手に持ち先を急いだ。
そして、中枢部と思しき場所に到達すると不敵な笑みを浮かべた長谷川が立っていた。
その場の空気は独特で、今まで感じた事が無い不気味なものだった。
幹部を3人倒されてもなお、この余裕を見せているのは何か特異な能力を持っているか、単なるハッタリなのかは不明であるのだが、本当に不気味だ。
「長谷川竜太郎か」
銃を向けられているのに物怖じせず、武器を手にする素振りも見せないまま長谷川は答える。
「よくここまで辿り着いたなBastard。褒めてつかわそう。だが、その強運もここまでだ」
そう言うと長谷川は腕を上げ、どこからともなく不思議な輝きを放つ剣を取り出した。
とにかく状況が掴めないので、攻撃を受けない様にマシンピストルを乱射しながら間合いを保つ。
だが、何処から取り出したか不明な人の背丈程ある大剣を振りかざす長谷川は自身に向けて放たれる銃弾を次々に無効化してしまう。
その剣速は利三のそれを上回るかもしれない。
そんな長谷川に対して、銃を乱射するというその行為は尚更弾薬の無駄遣いに他ならず、予備のマガジンも次々と空になって弾薬も底を尽き始めた。
弾切れを起こしたその刹那、一気に間合いを詰められ危険な状況に陥ったのだが、弾切れの銃など邪魔でしかないので、投げつけて回避し、代わりに短刀を抜いた。
間合いや一撃での威力は一般的な日本刀のそれに劣るのが、短刀の二刀流の方が素早く多くの攻撃を繰り出せる利点がある。
幾度となく二人の刃がぶつかっては刀身が火花を散らした。
それでもなお長谷川の剣は折れる事無く健在で不気味な輝きを放っていた。
薄暗い地下の空間に金属が打ち合う甲高い音が幾度となく響き渡り、その火花が二人の顔を照らし出していた。
激しい打ち合いによって利三の刀は徐々に消耗し、刃毀れを起こし始めていた。
そして、何度目の打ち合いになっただろうか。
ついに両手の短刀が折れてしまい、とっさに抜いた銃剣も大剣相手に片手では簡単に弾かれてしまった。
(殺られる…)
そう思った瞬間、利三の肉体から眩い光が発せられ長谷川も予想外の事態に怯む。
その光と共に二振りの太刀が現れ、彼の手に納まると同時に頭の中に謎声が響き渡りこう告げた。
「選バレシ者ヨ、我ノ与エシ真まことナル“力”ヲ今ココニ覚醒めざめサセン」
全く意味が解らなかった…。
だが、それは彼の記憶から消されていたミズチが彼に与えた力に他ならず、その太刀は伝承にあるミズチの牙から作られたものが時空を超えてこの場に具現化したものだった。
「何なんだこれは…。まさか貴様も“魔剣”を手にしたと言うのか? 」
光に動揺した長谷川の方から間合いを広く取ったので何とか窮地は凌いだが、この二振りの太刀は一体どこから現れたのだろう。
「魔剣?一体何の事だ? 」
「そっちがようやく本気を出したというのならこの“グラディウス・レフェレンダリウス”の真価が問われる時が来たか…」
そう言うと長谷川は一瞬にして姿を変えると同時にその剣は先ほどと異なり禍々しい光を放ちだした。
その剣が放つ禍々しい光は長谷川自身を包み込みその見た目はまるで空想上の悪魔か魔物がこの世に姿を現わしたかのような様相で、おぞましい一方で不気味ではあるが美しさも兼ね備えていた。
―――“グラディウス・レフェレンダリウス”―――
ラテン語で“審判の剣”名の持つ“魔剣”を長谷川が手にしたのは些細な事がきっかけだった。
―――今から遡る事十数年―――。
長谷川がまだ弁護士となる以前、ネフィリムという組織を立ち上げるよりも前の話になる。
利三が偶然やった様に長谷川もまた“この世界の者ではない者”即ち神や悪魔、妖の類を召喚する事に成功していた。
ただ、長谷川の場合は利三の様に偶然、儀式を完成させたというわけではない。
元々、長谷川という男は大学院で考古学研究を行っていた。
その研究の中で当時は誰もが単なる御伽噺とか、言い伝え程度で研究の価値が無い物としていた伝承に心を奪われて、まるで何かに憑かれたかの如き様相でその伝承を解析していた。
―――その伝承とは―――
“古代文明では神や悪魔などがこの世に現界し、神々が人々に善たる行いを示し、その一方でそれに背いた悪行を行った人間を悪魔が始末する事で人々は平和な暮らしを送る事が出来ていた。
しかし、神の一族の中に反逆者が現れ、悪魔の力を宿した剣を授けた。
そして、その剣によって人間は自分たちを裁く事を命じられ、神々の行いである善行に背いた者をその剣によって次々と粛清していった。
それにより他の神々と悪魔の一族の怒りに触れ、人間達は神からも悪魔からも見放されてしまい、自らの意思で善悪の始末を付ける事になっていった。
その剣は神職となった者に代々受け継がれ、神職者とその師弟によって善悪の判断を行い、神から与えられたその剣で裁きを下す裁判が行われていた。
しかし、その剣の持つ力は絶大で持つ者を神にも悪魔にも変える程であった為に、神職ではない者が力を求めてその剣を狙い、動乱の時代が訪れてしまったという。
その為、剣を持った神職者達はそれ以上の騒乱を防ぐ為に剣の封印を決め、その剣の力で一度全てをやり直す事にしたそうだ。
そして、剣の封印と共にその古代文明は崩壊し、全てが無かった事になっていった。
その剣の封印は悪行を行う物たちを裁く意思を持つ者以外には解けず、また、その剣が必要とされない為に人々は宗教などの様々な方法で悪を封じ込めて来た。”
という口伝で語られてきた伝承で、古代文明の存在した場所や剣の封印されている場所などは一切伝えられておらず、それこそ誰かの作った寓話か御伽噺の様な物としか捉えられない内容だった。
だが、長谷川はこの伝承の語られている地域が複数存在した事。
また、神話や宗教の教えの中に神々から何らかの物を与えられたという記述が必ずと言って良いほどに存在している事、そしてそれと並行して文献に残されている古代の審判等の記述を元に独自の目線で解釈を行い、様々な研究を行い、数年の時を得てついにはその古代文明が存在したとされる場所を突き止める事に成功した。
だが、それは同時に考古学界を揺るがす大発見と言える物で、神話に出てくる神々やバベルの塔の存在までも肯定する事になる他、世界中の宗教を全て否定し世界を混乱に陥れる可能性さえあり得る様な物でもあった。
それ故に発掘調査は長谷川と数名の人間だけで極秘で行いその伝承にある剣の発見まで全てを隠蔽する事となった。
そして、発掘チームとして集められたのが長谷川 竜太郎、佐藤 明、中山 健、有村 正の四名で後に【ネフィリム】の幹部となる者たちだった。
極秘の発掘調査故にこの四人が集められたと言っていいのかもしれない。
そして、発掘調査では数カ月がかりであったものの、剣以外の様々な遺物が出土し、それだけでもかなりの成果があったのだが、剣を見つけなければ、それはまだ調査の過程でしか無く、調査は難航していた事に他ならない。
だが、調査の過程で発掘された遺物にあった石板と立体パズルの様な物が事態を好転させた。
そこに記されていた幾何学模様の配列を見ていた佐藤と中山が偶然にもその配列が二進法に基づいたものである事に気付き、他の遺物の幾何学模様も同じ様にして解読していき、石板に記された物を解読する事に成功した。
どうやら石板が遺跡の地図となっていたらしい。
そして、その地図の通りに発掘調査を行うと、神殿跡が判明した。
その場所を大規模に掘り起こすと地図にあった通り巨大な神殿跡がそこに存在していた。
そこは人工的に形成した様な立方体の岩が積まれていて、そこの中心は円の中に不思議な幾何学模様が施され、ギリシャのパルテノン神殿やエジプトのピラミッド、古代マヤやアステカの遺跡を全て合成した様な謎に満ちた物だったのだが、その内部は祭壇があるわけでもなければ床に幾何学模様が羅列され、祭壇のあるべき場所には直径2mに満たない円が描かれ、その中心に謎のくぼみが開けられていただけであった。
しかし、中山が偶然落とした立体パズルの様な物がそのくぼみに嵌まると、突然地響きが鳴り、円の部分が一気に沈降していく。
円盤と共に長谷川たちは地下に向かって吸い込まれていく。
ある程度落ちるとその円盤はスピードを落として安定し、ついには地下の空洞で停止した。
現状が全く不明なので、持っていたライトで中を照らすと奥に続いており、周囲を見渡すと鏡が設置されていたので、円盤の様な足場から降り。試しに穴から差し込む太陽光を鏡に反射させてみると、その光が複数の鏡に反射して地下の空洞の全貌を映しだした。
そこは地下神殿とでも呼んで差し支えない人工的な構造物で、数千年も前に造られたとは到底思えない。
まるで最近造られたかの様な様相で遺跡の一角とは到底思えないものだった。
「おい!あれを見ろ!」
突然、有村が叫んだ。
その指差す先に一同が目を向けるとそこには台座に刺さった一本の剣があり、格子で囲われていた。
それを見て一同は足下を確認しながらそこに向かった。
そこは何千年も人間が踏み込んでいない場所でありながらまるでつい最近造られたかの様な佇まいを呈していた。
足下を確認しながら剣が刺さった台座を目指す。
先ほどの仕掛けはもとより、今まで人が踏み入れた形跡が無い以上、人の侵入を防ぐトラップや何かの仕掛けがある事もあり得る為に数十メートル進むだけでもかなり慎重になってしまう。
一般的な成人の歩行速度はおおよそ分速80mだと言われているが、ここではその速度で歩く事はかなり危険であろう。
万が一に用心しながら前進していくが、その心配はまるで不要であったかのように何事も無く、台座の前に到達した。
台座を囲っている格子は不思議なもので、意を決した長谷川が触れてみると、その感触は金属や鉱物特有のそれではなかったし、かといっても、何かの樹脂や植物のものとも全く異なるもので、試しにポケットナイフを当ててサンプルの採集を試みたが、ステンレス製のナイフがボロボロになってしまう程のもので、それこそ“謎の物質”という言葉でしか、表現出来ない様な代物だった。
その未知の物質で出来た格子越しに見るその剣は格子が謎の材質で出来ているという事すら忘れてしまう程に不思議な魅力を備えており、その場にいた一同が何かに憑かれたかの様に魅入られていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
その場にいた面々が完全に時間を忘れて魅入られていた中、最初に触れた長谷川が我に返り声をあげた。
「おい。こいつはもしかして、もしかすると伝承にあった“裁きの剣”ではないのか? 」
その言葉でその場にいた者達も我に返り、慌てて手帳に書き写した資料を探した。
「もしかすると、その通りかもな…。だとしたら大発見じゃないか? 」
長谷川の問いに有村が答える。
「だとしても、この格子を何とかしないとあの剣には触れられないな。金属や鉱物では無さそうだが、サンプルを削り取ろうとしたステンレスナイフを逆に削ってしまう様じゃあ相当の硬度がありそうだな」
一般的に刃物を“研ぐ”というのは同時に刃を鋭くする為に、刃物を削る事でもあるので、その刃物の材質より硬い物を使う。
安物の砥石でもセラミックスなどが用いられる。
彼らの知識からして、この格子を構成している物質は、最低でもセラミックス以上の硬度がある事は想像に容易かった。
だが、一般的に硬度が高い物質は衝撃に対する耐性である靱性が低くなる、すなわち硬度と靱性は反比例する事が知られており、ダイヤモンドでもその硬さとは裏腹に、金属のハンマーで叩くと容易く粉砕されてしまう。
つまり、硬度が高いという事はそれだけ耐衝撃性が低いという事でもあるだろうから大型のハンマー等で叩けば、もしかすると何とか破壊出来る可能性があった。
そこで、近場に転がっていたレンガ程の大きさの石を渾身の力で有村が叩き付けて見るが、叩きつけた石が粉砕されただけで、格子には傷一つ付けられなかった。
「こうなるとそれなりの道具が必要か…」
長谷川の口から吐息が漏れた。
しかし、その不安はすぐに消えた。
諦めから足下に目を向けると、そこには古代から現代に至る複数の文明で使われていた文字が刻まれていた。
ヒエログリフ、ルーン文字、キリル文字、漢字の様な様々な字体が複雑に混ざって羅列され、何かの暗号の様になっていた。
その様相は文章というよりは模様として見た方がしっくりくる様な様相だ。
方膝立ちの姿勢になると調査の為に持ち込んでいた鞄から、ハケを取り出してそこにいた者たち総出で細部を可視化していく。
足下に刻まれたそれを隠していた砂埃を丁寧に取り払っていくが、隠れていたものを可視化すればするほど、謎が深まって行く。
発掘調査の過程で地層の中ではなく、遺物と共に約5億年前に当たるカンブリア紀の生物の化石も多数出土していた為、この遺跡の年代を知る方法は炭素年代測定等の科学的な方法で行っていたが、機器の異常は一切無い状態で複数の機器を用いて何回繰り返しても何故か結果に大幅なバラつきが出ていた為に、年代測定に確信が持てなかった。
ただ一つ、どの測定方法でも一致していた結果は、1千万年前より古代を示していた。
最古の人類である“サヘラントロプス”が生息していた年代が600~700万年前であるという事を考えるとこの数字は人類が現れる前であり、どう考えても整合性に難があった。
測定結果がもし、正しかったならば今目の前にあるもの全てが存在してはならない存在と言って良いだろう。
仮に旧約聖書における“バベルの塔”の記述通り太古の昔の人類が同じ言語を使っていたというのが真実だったとしても、この文字の羅列は普通の人間なら複数の言語の組み合わせの様にしか見えない。
だが、彼らは違った。
先ほどの格子に触れた事で何らかの知識が入って来たのか、読めてしまったのだ。
砂埃を全て払いのけ、全文が現れた時、誰が指示したというわけでもなく、それぞれが遺跡の仕掛けを作動させていた。
そして、格子が消えると共に長谷川が台座に刺さっていた剣を抜くと、辺りは眩い光に包まれた。
長谷川が手にしたその剣は先にもまして禍々しくも神々しい不思議な輝きを放っていた。
その光は柄を伝って長谷川の身体に流れて行き、ついにはその身体を包み込んだ。
光が長谷川の身体を覆い尽くしたその刹那、爆発の様な光が放たれ、遺跡を中心に数キロの範囲が飲み込まれた。
そして、爆心地である長谷川の身体に剣が吸い込まれると光は消え、辺りは静寂の闇が支配していた。
そこは、先ほどまでいた遺跡の内部ではなく、調査の為に乗って来たトラックの荷台だった。
四人が一斉に外に出て、月明かりを頼りに周囲を見渡す。
トラックの運転席に人影は無く、風景から見て移動したとは考えられないのだが、ベースキャンプや資材はおろか、遺跡すら消えていた。
「スベテハナカッタコトニ、コノ、ツルギ“グラディウス・レフェレンダリウス”トソノチカラハ、ヒキヌイタモノニ、テツダッタモノニハ、チカラノイチブヲサズケタ。ドウツカウカハ、ジブンシダイダ」
四人の頭の中に不気味な声が響いた。
「一体どういう事だ?誰なんだ? 」
堰を切った様に有村が叫ぶが、その問いに答える者はいない。
だが、彼らは感覚で把握していた事が一つだけあった。
その肉体には人知を超えた力が宿っていた事、そして、その力は身体的なものだけではなく知能的なものにまで及んでいたこと。
各々が顔を合わせ、先ほどの声の言う通りにその力をどう使うか各々が決める事にし、この事は四人だけの秘密としてトラックで空港に向かい帰国の途に就いた。
帰国後の動静は暫くの間はそれぞれだったが、各自の事情もあってか、その力に導かれたからか【ネフィリム】という組織を立ち上げ、再び四人で様々な行動を起こすに至ったというのが彼らの過去であり、超人的な力を得た背景なのだ。
そういった事から利三と今、対峙している長谷川や、先に交戦した三人は常人ならば回避不能な弾幕を意図も容易く回避してのけたり、かなりの重量がある銃火器を軽々と取り扱う事が出来たりした様だ。
先の三人より強大な力を誇りそれを解放した長谷川の刃とミズチから与えられた真の力を覚醒させた利三の刃が激しく火花を散らす。
どちらも人知を超えた力が与えた武器であり、その力が衝突するという事は、今までの闘いとは全く異なるものだった。
どちらの剣速も通常では考えられない速度で動いており、それに伴う形でその身体も残像が残る程の早さに達していた。
その戦いは徐々に激しさを増していき“力”の解放により利三も姿を変えていた。
身体に太刀が馴染んで行くのを利三が感じれば感じる程、彼に与えられた“力”は解放されていき、本人が気付かないうちにその身体は龍の鱗の鎧で覆われていた。
それに呼応するかのように、長谷川もさらに力を解放していく。
もし、普通の人間がこの闘いを見ていたら、異形の者同士の決戦に見えたかもしれない。
人知を超えた存在から与えられたその力による闘いは激しさとは裏腹に美しさもあったかも知れない。
だが、もし、そこに普通の人間がいたとしたら、その刃がぶつかり合う衝撃派でただ事では済まないだろう。
それは闘っている当事者である利三にも言える事で、鎧が無ければ彼の皮膚も大気との摩擦で灼かれてしまったかもしれない。
それ程に二人の動きは素早く、残像が幾重にも重なり、その剣速は常軌を逸していた。
各々が人知を超えた存在によって与えられた力を持ってして行われているこの闘いでは広義の科学で立証された物理法則など全く意味を成さず、この地下の部屋自体が異空間となっていると形容する他ない。
長谷川の剣も利三の太刀もそれを構成する物質は最新科学でも証明出来ない代物であるし、まして彼らの今の姿はシルエットこそ人間の姿ではあるものの、その実体はどう見ても怪異的としか言えず、それこそ妖怪絵巻や多数の悪魔を描いた絵画の中に紛れていても違和感が無い。
しかし、その一方でそれぞれの肉体からは光が放たれており、見た目とは裏腹に神々しさも兼ね備えていた。
その光と刃が散らす火花が相まって、闘いの衝撃で光源が破壊され暗闇に包まれていたこの部屋でも互いの存在を認識出来たし、間合いを取る際に壁や柱の位置を認識する事が可能となっていた。
しかし、いくら周囲の状況を把握出来る状態になっていると言っても、互いに殺るか殺られるかという状況であると、仮に一瞬でも周囲の状況を確認できたとして、使える時間は1/1000秒も無いだろう。
その時間で周囲の状況を把握出来る人間は常人ならばまずいないし、人知を超えた存在から与えられた力を持ってしてもせいぜい視野にある柱の位置を把握するのが限界だった。
人知を超えた力と言うのは不思議な物で人体に係る負荷でさえ相殺し、通常であれば何らかの肉体的なダメージが出る程の動きをしても何ら変化は無く、まるで永久機関でも取り込んだかと思うほどだ。
それ故、この闘いに於いては、どちら一方の体力が尽きて勝敗が決まるという結末はあり得ず、どれだけ与えられた力を解放して相手を圧倒するかという事でしか決着は着かない。
その点で長谷川は利三よりも力の扱いに慣れている事からして有利であり、それ故に意識的に自身の姿を変える事が可能だった。
長谷川は状況に応じて姿を変える事でその力を最大限に引き出し、攻撃方法も単なる斬撃に留まらず、その剣速から強力な衝撃波を発生させ、飛び道具の様に使用したり、残像を盾にしたりするなど多種多様な攻撃を繰り出していた。
その攻撃はかすめただけで鉄筋コンクリートの壁が抉られ、中の鉄筋がむき出しになる程の威力があった。
それだけの威力を持つ斬撃武器は通常存在しえないし、もしもコンクリートに斬りかかれば大概は折れてしまうのが関の山だ。
だが、利三の目の前にいる長谷川はそれを容易くやってのけただけでなく、一振りでコンクリートの床に巨大な切り傷を残した。
この様な怪物は利三の裏稼業でも今までに遭遇した事はなく、対処の仕方などわからないし、どんな状況だとしても結果というのは努力や思考、経験などというものでそう易々と変わる物ではなく、それこそ“なる様にしかならない”のだ。
最善の策として、今の利三にとっては目の前にいる長谷川という強敵に対して自身の持てる力と過去の仕事で培った能力を駆使して闘う以外に方法はなかった。
だが、いくら長谷川がかなりの強敵となっていっていても、闘いの中でミズチの力を解放し、その太刀を手にして闘いの中でその力の扱いを習得していった利三にとって、その脅威は徐々に薄れていき、予期せぬ長谷川の攻撃を受け流して回避し、激しく打ち合っては何度となく追い詰める事に成功していた。
だが、いくら追い詰めてもその度に長谷川とその剣は姿を変え、人間のものとは思えない様な攻撃を繰り出してくる。
いくら力の使い方を闘いの中で習得していったといっても、長谷川がその姿を変える度に間合いも変化し、予期せぬ方向からも斬撃が降り注いでくる。
水神に与えられた力が覚醒していても、二刀流でなければその攻撃は確実に利三の身体を捉えていたかも知れない。
しかし、石塚から叩き込まれた格闘術や紛争地帯での経験、そして彼の持つ“正義”への執着心がその“力”をより強い物に変えていた。
そして、何度とない激しい打ち合いの果てに長谷川の剣は折れ、ついに打ち倒すに至った。
そして、ようやく観念したのか利三の問いかけに対して長谷川は薄れゆく意識の中でこう答えた。
「貴様の信じた正義に我々の正義が屈する事は無い…。私はあくまで“概念”であり、この世界がこのまま、搾取する者とされる者の二極化を続けて行く以上、私は何度でも蘇る…」
「どういう事だ? 」
「………………。貴様にもいずれ解る時が来る…。だが、“貴様の正義”と“我々の正義”が正しいのであれば…“本当の正義”であれば我々は共闘する事になるだろう…」
「テロリストの片棒なんざ担ぐ気は無いな」
「長谷川竜太郎という存在はもう、この世から消えてしまうが、私はあくまで一つの正義としての“概念”に過ぎない…。貴様は我々以外の黒幕の存在を危惧しているやもしれんがその様な者はいない。そして、ここで、この存在は朽ちたとしても、この意思は繋がって行くだろう…。貴様が果たして、どこまでその“正義”を執行出来るのか再びの受肉の時まであの世から見させて貰うよ…」
そう言い残すと長谷川は元の姿に戻っていき、最後は光の粒となって爆ぜるように消えてしまった。
そして、利三の手にしていた太刀も気付くと姿を消していた。
今、利三も目の前で起こった事に関しては恐らく科学で解明する事は不可能だろう。
それに長谷川の最期の言葉の意味など理解出来ない。
だが、これだけは言える。
自身の信じる正義が何であれ、その反対に位置しているのは必ずしも悪ではない。
こちらから見てそれが悪だったとしても別の方向から見たらたとえそれが不法行為であっても正義となり得る。
もしも長谷川の意思を継ぐ者が現れることがあっても彼はその身が朽ち果てるその時まで戦い続けるだろう。
そして、それは彼の運命なのかも知れない。
それが、利三の運命だというのなら最後まで立ち向かおう。
どんなに困難が待ち受けていたとしても、そこに何があったとしても未来は自身の手で切り開いて見せる。
そう胸に誓うと彼は現場を去る。
だが、来た道にある筈の死体は尽く消え去っており、この闘いの謎がさらに深まっていった。
だが、そんな事は気にしている余裕は無いし、後の始末は石塚に任せるのが妥当といえよう。
とにかくこの場を出てベースキャンプに戻る方が先決だ。
ベースキャンプに戻り、石塚に事の頓末を報告する。
「認めたくは無いがやはり、科学でも解明出来ない事は存在するか。あとの事は任せておけ」
予想に反した回答だった為、拍子抜けしたが、それでいいのかもしれない。
石塚に全てを任せ利三は帰路に着きその後は元の生活に戻って行った。
長谷川との闘いで水神の力を扱った事もあってか、今までの生活に戻った後は裏稼業の方もいくらか楽になっていたのか少し余裕があった。
そして、今日もまた、石塚から依頼を受けてバイクに跨り仕事に向かった。
Mad Justice 皐月芽依 @MaySatuki
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