始まりの出会い

一か月もすると殆どの傷は癒えており、いわゆる普通の状態になっていた。

 その間に、各種メディアからの情報を見ている限りでは、事件後に模倣犯が現れたり、同様の犯行がネフィリムによって行われたりする様な事は無く、喉元過ぎれば熱さ忘れるとでも言った具合に報道も沈静化の一途を辿っていた。

 無論、断った仕事に成金の警護があった以上、報道統制が敷かれて類似犯罪が起きていたとしても報道されていないだけである可能性は大いにあり得るのだが…。

 そんな心配をよそにして気付けば、退院の日を迎えていた。

 石塚の車で病院を後にすると一旦、アジトに向かう。

 アジトと言っても普段はそこで何かしている様な場所ではなく、石塚が武器庫としている倉庫であり、仕事の依頼があった時に使う。

 その性質から見た目に反して、SF映画に出てくる秘密基地よろしく、偽装したコンテナに垂直離着陸機やらヘリ等の滑走路が必要の無い航空機の格納庫が隠されていたり、大型トラックが停められていたりする他は、やたらとセキュリティーが厳重になっている事を除けば、何処にでもある様な、それこそ、外見だけ見たならば自動車整備工場の様な建物でしかないのだが。

 中に入るとひとまず私物の入ったカバンを置き、入院中に持たされていた例の銃から弾を抜いて、個別にガンロッカーに放り込んだ。

 ロッカーの鍵を閉めていると唐突に石塚が切りだした。

「とりあえずお前さんが入院してる間に仕事用のスーパースポーツタイプと普段用にクルーザータイプのバイクを用意しておいた。お前さんの免許で乗れるようにどちらも登記書類上の排気量は399㏄にしてあるから、検問に引っかかっても問題が出ないようにしてある。とりあえずしばらくはリハビリがてらクルーザー乗り回しておけ」

「了解です。帰りはそいつで家まで向かう事にします」

「クルーザーのキーはお前さんの部屋の鍵にくっつけてあるが、もう1台は別にして鍵置き場に置いてある。そっちのキーも判りやすくバイクのイラストが描いてあるアクリルキーホルダーを付けてキーハンガーにあるから把握しておけ」

「了解です」

 ガンロッカーの鍵をキーハンガーに持ってくついでに新しくバイクのキーが取り付けられた自宅の鍵と仕事用バイクのキーの存在を確認した。

「新しくバイクを用意してもらえたのは有難いんですが、この前言ったスピードローダーは用意してくれました? 」

「あぁ。そいつなら全種類用意してある。また急な仕事でお前さんの部屋に色々持ち込むのはあまりよろしくないからな。こっちの世界に片足突っ込んでいるとは言え、一応お前さんは堅気の人間だから堅気らしくしていてもらわないとな。とりあえず飯に行くぞ。約束通り退院祝いに食いたいもん食わせてやる」

「じゃあ“神話のすたみな丼”のドカ盛りサラダセットか“天上逸品”のラーメンと炒飯、餃子の大盛セットで」

「お前さんはホントに…。チェーン店のそんな安もんじゃなくもう少し欲張ったらどうだ?1,000円そこらのもんならいつでも食えるだろ?」

「いやぁ。病院食が量少なくて薄味過ぎたんで…」

「まったく。なら、柳亭の鰻丼特盛なんてどうだ?」

「やっ、柳亭ですか!?柳亭っていったら創業100年を超える老舗で著名人はもとより各国のV.I.P.も御用達の超高級店じゃないですか!?そもそも特盛なんてできます?それにジャケットにシャツといったこんなカジュアルな服装で大丈夫ですか?」

「確かに、あの店はお前さんの言うように超が付くほどの高級店だが、今の店主と私達兄弟は幼馴染でな。電話一本入れれば色々やってくれるさ。むしろ、あそこに気取ってスーツで行くのは一部の奴らだけだよ」

たまにこの様な事を突然言ってのける辺り、本当に石塚秀人という人物の人脈の広さには驚かされる。

 ともあれ、自分の財布では絶対に行く事が無いというか、自分の財布では絶対に行く事が出来ない様な超高級店に行けるというのなら断る理由は何処にもない。

ましてそれがV.I.P.以上の特別待遇であるなら尚更に生唾ものだ。

「…っそれで決まりです!」

「鰻は何匹がいいんだ?普通は一匹だが2、3匹は食えるだろう?確かお前さんは普段1食に色々作って更に米だけで2合は食ってたよな?まぁいいや、景気よくその感じでいくか? 」

こちらの返事など聞く気も無かったのか、殆ど独り言の様な勢いで言うや否や電話をかけ始めた。

「…あぁ。私だ。久しぶりだな。最近、弟は顔を出してるか?…そうか。で、今日は店の感じはどうだ?よかったら助手を連れて行きたいんだが大丈夫か?…そうか。なら特注で鰻3匹と米2合の超特盛ってできるか?助手が如何せん大食らいでな、常識的な値段ならそっちの言い値で大丈夫だぞ。…そいつはよかった!じゃあそれと大盛1つ用意してくれ。大体2時間ちょいくらいで店に行くから、頼んだぞ」

珍しく陽気な顔をしている辺り、単純に自分が行きたいだけの様にも見えてしまうのだが、触れないでおいた方が良さそうである。

 フリーランスの医者である弟がそういう店を度々訪れるのは職業柄あり得る事で全く違和感は無いが利三の事を“助手”と形容している辺り、当然と言えば当然なのだが、一般人には職業を偽っているのであろう。

 電話を切るなり、早く車に乗る様に急かしてきた。

いつも、仕事の後はこの倉庫でトラックから乗り換えているが今回は同じ車で出入りする形だ。

 倉庫を出るなり少々飛ばす様子を見るに表情にこそ出さないものの相当上機嫌な様だ。

 いつもこの様な様子なら本当に何処にでもいる気のいい紳士なのだが。

「どうした?私が陽気になるのがそんなに不思議なものか? 」

こちらの気を即座に読むのを見ると、やはりその様な生易しい人物ではないと再確認させられる。

「そうですね。あまり記憶に無いので」

「確かにそうかもな。お前さんとはそれなりの付き合いになるが、こういう風に出かけるのは下手をしたら初めてかも知れん」

「そうですね。色々と叩きこまれた頃から今まで、こういう事は無かったですし」

 そう、この二人がこうやって食事に出かけるという事は本当珍しい事である。

 出会ってからそれなりになるが、そこからして普通で無かったのだから。


―――そもそも二人の出会いは本当にちょっとした事がきっかけだった。―――


 利三は大学を卒業後、民間企業に就職していたのだが、入社前に説明があった内容やハローワークの求人票といった公的書類に記載されていた事業内容と全く異なる業務を担当することになった事や劣悪な労働環境に耐えかねて仕事を辞め、労働局に訴えを起こして法に基づいて支払われた慰謝料を得て、元の職場を廃業に追い込んだ解放感からショットバーで独り酒を飲んでいた。

 そんなところ、運悪くその後ろで客の酔っ払い数名が喧嘩を始めた。

 そういう事は店員が始末を付けるか、店で警官を呼んで何とかするのが常識であるし、無関係の人間がわざわざ割って入る事でも無い。

 それ故に、最初は店員が仲裁に入ったのを確認すると大人しく飲んでいたのだが、何を間違えたのか酔っ払いが彼を目掛けて酒のボトルを投げ、彼がテーブルに置いていたグラスを直撃して砕け散った。

 仲裁入っていた店員とは別の店員が慌てて彼のもとに駆け寄り粉々になったグラスや飛び散った酒を片づけながら色々とフォローをしていたのだが、いつしか大乱闘になっており、そこにまた同じようにボトルが飛んできた。

 彼はそれを後ろ向きのまま掴み取り、テーブルに置いたのだが、それが気に食わなかったのだろうか、喧嘩をしていた酔っ払いが罵声を浴びせながら再びボトルを投げつけてきた。

 相変わらずの反射神経と言うべきか、容易くボトルを掴み取ったのだが、三度目となるとさすがに彼も黙ってはいられなかった。

 むしろ、だいぶ酒が入っていたし、見ず知らずの他人に飲んでいた酒を台無しにされたのだから尚更だ。

 「ドタマに来たぜ…」

 そう呟くや2本のボトルの首を持ち大乱闘の中に割って入るとボトルを刀の様に振り回し、たった一人で十数名を倒してしまった。

 しかも、倒された人間も命に別条は無いどころか外傷は殆ど無く、気絶しているだけだった他、ボトルも無傷で警官が駆け付けた時に彼はその中の酒を飲んでいた。

 その為に利三も傷害や過剰防衛の疑いで捕まりそうになったのだが、同じく店内にいて一部始終を見ていた見ず知らずの客や店員の証言と防犯カメラの映像から念の為、管轄の警察署に向かう事になった。

 その後、喧嘩を始めた酔っ払い共はといえば、取り調べをしていくうちに粗が出て、殆どの者が別件逮捕からの実刑判決という事になっただけでなく、関係元に色々と捜査のメスが入り逮捕者が芋づる式に挙がった様だ。

 利三に関してもいくら防犯カメラの映像や証言があったとは言っても過剰防衛等で事情聴取が行われたのだが、状況が状況だった事もあり“厳重注意”という形でとりあえずは済んだ。

 事情聴取を終えて警察署を出た時に彼を待っていたのが石塚秀人その人だった。

 当初は利三が酒のボトルに傷を付けず、大乱闘状態の群衆をものの数分で全員気絶させた事から興味を抱いての事で単なる気まぐれからの行動だったらしいが、色々と話を聞くうちに専属の仕事人に育て上げるのに相応しいと考えたらしく、金銭面で生活の面倒を見る代わりにまずは弟子として訓練を受けるという取引を持ちかけてきた。

 その後、様々な技能や知識を叩き込まれ、気が付くと元々心得があった剣術は我流ながらにも大幅に進歩しただけでなく、銃器の取り扱いにも精通し、その頃には訓練と称して月に一度、一週間程は世界中の紛争地帯の戦闘地域のど真ん中に放り込まれてはたった一人の第三勢力として、文字通り孤軍奮闘する様になり、気付けば師弟関係から仕事人とマネージャーという現在の関係が構築されていた。

窓の外を眺めながら、何の気は無く昔の事を思い出して物思いふけっていると石塚が唐突に切りだした。

「まるで、何か思い出に浸っている様だな」

運転している為こちらを見ることは出来ないのだが、まるでこちらの顔を見て心情を察しているかの様な口ぶりだ。

 この辺りはやはり、軍人や傭兵として、今まで何度も死線を潜り抜けてきた経歴からか、それとも、単純にこちらの心情を察しているだけなのか、本当に謎が多い。

 ともあれ、相変わらず上機嫌な様子で、傍から見れば親子で外出の様にも見えるかもしれない。

「ところで、さっき電話で“助手”って言ってましたけど、一般人に対しての表向きは何の仕事をしている事にしてるんですか?少なくともキナ臭い仕事じゃないって事は想像出来ますけど、万一にも話を合わせられなかった時の為に…」

「それか?なぁに、簡単な事よ。普段の“表向き”はガンスミスだが、一般人には傭兵時代から“戦場カメラマン”を名乗っている。実際、傭兵をやりながら撮影した写真やお前さんを紛争地帯に放り込んだときについでに撮影した写真はいい副業になったからな」

「なるほど。それなら傭兵だった頃も、今の表の本業のガンスミスとしても海外を転々としていたところで“取材”という事にしておけば一般人には誤魔化しが効きますね」

「まぁ。あまり目立つ事はまずいから殆どを本業のカメラマンに売りつけて“戦場カメラマン”の肩書が付く程度の物しか、私の名義では報道機関に発表してないがな」

 つまり石塚から写真を買ったカメラマンは石塚のスケープゴートである一方、カメラマンからするといわばゴーストライターの様なものであるのだろう。

 聞いたところで答える事はないので聞くだけ無駄であるから聞きはしないが、腕は良くとも鳴かず飛ばずであったカメラマンが石塚から買った写真をきっかけに、名を馳せる事になった事も恐らくあったのは想像に容易い。

 むしろ、実際に紛争地帯に放り込まれて現場を見てきたからこそなのだが、今になって思えば、どう考えても一端のカメラマンには危険過ぎるというか、護衛付きの従軍記者だったとしても行く事は難しい最前線で撮影された写真が出回っている事から余計にそう考えてしまう。

 とはいえ、どちらにとっても利益しかない事であるし、撮影した本人からしたら、アリバイ工作である他、物事のついでにした割のいい副業で、口ぶりから察するに戦場写真には全く興味はないのだろうが。

 そうこう話しているうちに、駐車場に止まった。

 車を降りて少し歩くと、目の前には老舗高級店らしい荘厳な趣の門構えが広がっており、場違い感をどうしても感じてしまう。

 こちらの気を知ってか知らずか、石塚は相変わらずの上機嫌で、何のためらいも無く表門の暖簾を潜って行く。

 まぁ助手という事で話はついているし、何も悪さをしているという事でも無いので、大人しく後に続く事にした。

 入口の扉を開けると、和服姿の従業員が出迎えに現れた。

 そして、店の主人に電話で予約をした事を伝えるとそのまま奥座敷に通された。

 入ってみればそこはかなり広い部屋で、小規模な宴会なら行えそうな具合だ。

 わかりやすく言ってしまえば、テレビドラマなどで悪い政治家や官僚が利害関係にある相手とそういう話をする際に使われる料亭の個室の様な所だと言っても差し障りない感じの趣の部屋で、窓からはライトアップされた純日本庭園風の中庭が見渡せる様になっていた。

 中庭には大きな池があり、いかにも高そうな錦鯉が泳いでいて時折、水のせせらぎに加えてししおどしの音が響き、程良いBGMとなっていた。

 和座椅子に座ると従業員からおしぼりとお茶を差し出された。

 注文は既に電話で済ませていた事もあるからか、注文の品が来るまで少々かかる事を告げると下がって行った。

「やはり高級店だと色々違いますね」

「そりゃあな。下手にミシュランの星付きの料亭や寿司屋行くならこの店の方が従業員教育もしっかりしているからな。それに、解りづらいが、窓は全て防弾ガラスになっているし、各所に防犯カメラが仕掛けてあるだけでなく、小型の盗聴器発見器とその電波を妨害する機械を従業員全員に常時携帯させて情報漏洩に細心の気配りをしているらしいからな」

「なるほど。一般客に紛れてV.I.P.狙いのパパラッチやら何やらが入ってくればすぐにわかるって事ですか」

「そういう事だ」

 いくら高級店とはいえ、ここまでセキュリティーの厳しい店は恐らく存在しないであろう。

 要人が訪れるときにはS.P.が下見をして従業員の身元確認に盗聴器の捜索、狙撃可能ポイントの封鎖等を行う事は何処の店でもある事ではあるが、あくまで一時的なものであり、常時行う事はまずあり得ない。

 そもそも会員制の店でもなければ、高級店でもいわゆる“一見さんお断り”の店では無いのでそこまでする必要は無い。

 何気なくスマートホンでこの店について調べると店のホームページに辿りついた。

 ホームページの情報によると、極端な話、この店は味で勝負して代々続いた店で、原材料に拘っている他、高級旅館並みの優れたサービスと従業員を確保する為に人件費を惜しまなかった結果、それらの物が値段に反映されて、気付けば高級店となっていた鰻屋でしかないという。

 そして、店側のスタンスとしては、来る客がたとえ一国の国家元首だろうと、基本的に特別扱いはせず、通す席は予約の有無や人数に応じて決めているという。

 防犯カメラは元々保安目的だった様だが、要人が訪れる様になってからは少しでも多くの客が来られるようにという計らいからS.P.が他の客を追い出す様な真似を極力しないように防弾ガラスや盗聴器発見装置を導入したのだという。

 情報通りならどうやら、この奥座敷に通されたのは単なる偶然の様で少しだけ安心した。

 そんな事を調べていると前もって注文していた料理を店主自ら運んできた。

 それはまるでチャレンジメニューかとでもいった大きな器に盛られたものと、大きめの器に盛られたもので、この場においては違和感があったが、特注である故のものだからと言えば納得できなくは無い。

 鰻丼以外に肝吸と香の物がと茶碗蒸しが付いておりどれも高級感が漂っている。

 料理を運んできた店主は利三を見るなり

「お前さんが例の大食いの助手か?そういう客は大歓迎だから、いつも以上に腕が鳴ったよ。本当はそういう客にたくさん来て欲しいから他の店より量は多くしているし、本当は安く出来たらいいんだが、赤字出して質を落とす事はしたくないからその辺で葛藤があってね。どうしても高くなっちまうんだが、今日は腹いっぱい食ってってくれな!」

と話しかけてきた。

 どうやら料理人としては自分の作った料理で客が喜ぶ顔を見る事を生きがいにしている様で、高級店と呼ばれる事は好んでいない様子である。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」

そんな会話をしている横で石塚は既に箸を付けているあたりマイペースなのだが。

 巨大な丼の蓋をあけるとかなりの量のものが入っていたが無理やり詰め込んだという訳ではなく美しささえある辺りはやはり大衆店とは一線を画している。

 店主が下がったタイミングで料理に手を付け始めた。

 個人的な食べ方で最初に茶碗蒸しに手を付けると今まで口にした事が無い、優雅な味が広がり、それだけでも笑顔がこぼれてしまった。

 それから丼の蓋を開けテーブルに置かれた山椒を程良くかけて口にする。

 さすがは高級店と言うだけあってか本当に味が良く感動の念さえ覚えた。

 そんなものを腹いっぱい食えるのだからこんなに嬉しい事は無いだろう。

 どれも絶品で、少々値段は気になるが自分で支払う訳ではないし気にしていたら味がわからなくなりそうなので気にする事はやめて箸を進めた。

 食事を終えて店を後にすると、再びアジトに向け車が走り出した。

 GPSによる位置特定等を避けるためこの車にはナビ等は付いておらず、会話が無ければ聞こえてくるのはエンジン音やらロードノイズの類だけで相変わらず静かである。

 運転している石塚はともかく、そんな車に乗っていては眠気が来てしまう。

 まして、食後ともなれば尚更だ。

 若干ウトウトしてきたのを抑える為に窓を開けて空気を入れ替える。

 時間的な事もあってか夜風が気持ちいい。

 そして、ふと、空を見上げるとそこには満点の星空が広がっていた。

 思えばこうやって夜空を見上げるのはいつぶりだろう。

 石塚秀人という人物に出会う前の自分はというと、田舎から抜け出したい一心で上京したはいいが、特にやりたい事も無く、ただただ無駄に時間や金を消費する日々を過ごし、メディアからの情報を鵜呑みにしていた結果、さらに多くの物を失い“意識を持った個人”ですらない、それこそ“傀儡”。

“傀儡”と言えば聞こえは悪くないかもしれないが、言ってしまえば、社会という“傀儡回し”に操られるだけの“操り人形”でしかなかったのだ。

 それ故に、今こうして石塚の下で悪党を始末するこの仕事は、この腐った社会を作り出した悪党共への報復であり、過去の自分を否定する作業でもある。

 そういった面ではネフィリムのテロ行為に対しても共感出来なくはない。

 だが、だからこそ、尚更に彼らの行為に憤りを感じている。

 夜風を浴びながら車窓から夜空を見上げ、その様に物思いに耽っていると、アジトに着いた。

 アジトに着くと荷物をまとめ、キーハンガーから自宅の鍵やら何やらの付けられたキーホルダーに手に取り石塚が用意したクルーザータイプのバイクに向かおうとすると

「言い忘れていたが、クルーザーの件はお前さんのアパートの大家に伝えてある。向こうからの話だと、7番の駐輪スペースに停めるようにとの事だ。あと、左側のパニアケースにバイクカバーやチェーンロックを入れてあるからそれを使っておけ」

と石塚が話しかけてくる。

こちらに背を向けてパイプをふかしている辺り相変わらずであるのだが。

「了解です。では、お先に失礼させて頂きます。今日は御馳走様でした」

「構わんよ。とりあえずお前さんが乗りやすい様にクラッチやブレーキレバーは堅めに調整してあるが、初めて乗るバイクだから気を付けて乗って帰れよ。それと、今のところは仕事の予定は無いからいつもの方法で連絡入れるまではゆっくり休め」

「わかりました。では」

 右側のパニアケースに荷物を収納してキーを差し込みスタータースイッチを入れ、のんびりとアジトを後にした。

 V型エンジン特有の重たいエンジン音と振動が心地よく感じる。

 色々と調整されているお陰で初めて乗る車体でも非常に乗りやすかった為、特に危なげも無く無事にアパートまで辿り着いた。

 アパートに着くと指定された駐輪スペースに停めてパニアケースからカバーやチェーンロック、私物の入ったカバンを取り出し、チェーンロックとカバーを掛けて部屋に向かった。

 しばらくぶりの帰宅だったので階段下の郵便受けを開けると、投函されたダイレクトメールやチラシの類がかなり溜まっていた。

 単身者向けのワンルームタイプのアパートである為、ピザや寿司などのデリバリーのチラシが高頻度で投函されるのは理解できるし、気には止めないのだが、分譲住宅や建売マンションのチラシを投函してくる不動産業者には正直な話、腹が立つ。

 家が買えるだけの財力があればこんな安い賃貸物件になど住んでいないのが本音であるし、今までピンはねされた報酬を考えたらとっくにそれだけの資産はあったはずであるから尚更だ。

 まぁ、現在の様にしていた方が法的に見て資産はほぼゼロだし、役所の杓子定規に照らし合わせて収入も無いという扱いから税金や社会保険料などは安上がりであるのだが。

 とりあえず投函されていた物を選別し、不要なチラシの類はゴミ箱に入れ、ダイレクトメールや割引券の類に目を通し階段を上がって自室に向かう。

 自室のドアポストを見ると6週間も部屋を空けていたからか、公共料金の請求書と共に督促状も入っていた。

 止められるまでまだ期限が2週間近くあったので、翌日にコンビニのATMで現金を引き出すついでに支払うことにして、コーヒーを入れる為にやかんをコンロにかけながら荷物の整理を始めると、私物のオイルライターが傷だらけになっている事に気付いた。

 入院中、動ける様になったところで、色々と警戒して、広く流通している銘柄の煙草と使い捨てライターを売店で購入して使っていたし、喫煙も極力控えていたので、全く気付かなかった為、気付かなかったが、新しい傷がこれでもかという位に付いていた。

 このオイルライターは元々、量販店の会員カードのポイントで入手したおまけの様な物で、本来の定価も千円ちょっとであり、たいした事が無い物ではあるが、一応は一流メーカーの製品で、戦車に踏みつぶされても修理対応という永久保証が付いた逸品ではあるし、素材も強度が高い物が使われているため、傷は付きにくい物ではあるのだが、ここまで傷が付くと自身がいかに金属片やら何やらに曝されていた事に改めて気付かされた。

 まあ、傷だらけでも、機能的には一切問題が無いのだが。

 元々さほどの物が入っていたわけではないのでほとんど時間はかからなかったが、荷物の整理が終わると同時にやかんが鳴ったのでコーヒーを淹れた。

 コーヒーを飲みながら葉巻の入った金属ケースのキャップを開けた。

 このケースにもやはり傷や凹みが付き、塗装も剥げていたが中身は無事であった。

 いつも“仕事”の際にお守りとして持っている葉巻はラッパーと呼ばれるたばこ葉で吸い口が閉じられておらず、元からパンチカットという切り方で吸い口が切られている為、そのまま着火出来る。

 この葉巻はいつも無事に帰宅したときに吸っており、自宅に置いている電熱式のライター以外の物では着火しない。

 葉巻の愛好家と言うわけではないが、やはりガスや電熱式ライター以外で着火すると、燐の匂いやオイルの匂いが混ざってしまうし、それを嫌がっていること以外に、無事に帰宅してからでなければ吸えない状況をあえて作り出す事で、自身の気を引き締め、生還率を上げる様にする目的もあるのだが。

 とにかく、葉巻をふかした事でようやく自身が無事に帰宅したのだという事を実感した。

 安堵した事もあるが、コーヒーを飲み終えると今度はテキーラのボトルに手を伸ばし、ショットグラスに注ぎ、一気に飲み込む。

 原産国であるメキシコでは、食塩を舐めライムやレモンを口へ絞りながら楽しむのが正統な飲み方とされている様だがここは日本であるし、食塩を舐める事は高いアルコール度数から喉を守るためとされるが、その効能が無い事を知っているので、ストレートをショットグラスで一気飲みするのが彼流の楽しみ方となっている様だ。

「ふぅー」

一気飲みした事から溜息が漏れた。

 そして、空になったグラスを置くと再び葉巻を口にした。

 葉巻に関しても、今口にしている太巻きの物や細巻きで紙巻きたばこと同様のサイズのシガリロにしろ、普段愛飲しているフィルター付きのリトルシガーにしろ、広義では葉巻として扱われる物は本来であれば全て、口の中で煙を転がしてその香りを楽しむ物であるのだが、彼の場合、普通の紙巻きたばこ同様に、深く吸い込み肺に煙を入れている。

 シガリロやリトルシガーならまだしも、大半の人間は葉巻を初めて吸った際、誤って肺まで吸い込んでしまいむせ返るのが普通であるのだが、彼の場合は健康診断で計った限りで言えば、肺活量自体は成人男子で非喫煙者の平均値の2倍近い数値がある。

 だが、解剖したら恐らく彼の肺はタールで真っ黒になっているだろう。

 それでも、高山では慣らし無しで激しい運動が出来たり、長時間素潜りで活動出来たりするだけの肺活量があるからなのか一般的な吸い方は無視している。

 その一方、舌は敏感な様でしっかりと香りも感じとっているらしい。

 その為か否かは別問題となりそうではあるが、かなり薄めの水割りにした焼酎やウイスキーも一口飲めば、消去法で大体の銘柄は解ってしまうし、食品の熟成度や痛み具合に止まらず、大雑把ではあるが、使われている添加物や調味料も把握できてしまう。

 そういう能力も“裏稼業”では時に役に立ち、護衛など“仕事”の際には暗殺を企てて毒物を盛った物を警護対象の口に入る前に除外出来るなどといった事では重宝している。

 ただし、彼も人間である事に違いはないため、いかに毒物や劇物に対する耐性が一般人よりあるとしても、それなりにダメージを受けるため、石塚が用意している万能解毒剤は必須であるのだが。

“万能解毒剤”というとかなりの効能のある薬の様に感じられるが、実際のところ漢方薬の様に効果がある様々な薬物を合わせて作られた物であるので、摂取した毒物や劇物に対応してない成分は効果が無いというか場合によっては、副作用が大きく出ることもある両刃の剣でもある。

 ただし、副作用といっても“仕事”に支障をきたすレベルのものではなく、軽い片頭痛や酷くてもせいぜい油脂などの消化が悪い物を大量に口にしたときの様に腹を下す程度のものである。

 しかし、ここまでの特殊能力を得たのは本人も理由は解っていない。

 身体能力に関して言えば、幼少期からしばらくの間、町内のスポーツ少年団の柔道教室で鍛えられていた他、10代の頃に学校の部活動で剣道を始め、友人の誘いから道場に弟子入りして段位を取得してはいたのだが、出来るだけ真剣に近付けた模造刀を借りて演武で使った経験こそあれ、居合の経験は無く、真剣は記憶にある限りでは偶然立ち寄った教育委員会主催の刀剣の展示即売会で拵えを外した刀身のみの物を専門家の案内の下で触れた程度だし、それはあくまで美術的な鑑賞目的での事で、実際に使用する様になったのは今の裏稼業を始めてからの事である。

 ただ、彼が真剣を使いこなしている背景としては、独学で覚えたナイフ戦闘術や杖術、槍術の他、武道における師弟関係のあり方の一つで、まずは師匠に言われた事と型を守り、その後、その型を自身と照らし合わせて研究し、より良いと思われる型を作る事で既存の型を破り、最終的には型から離れて自由になり、型から離れて自在になる事が出来るという“守破離”の概念の中で“破”の部分が突出した結果、彼なりの“我流”が出来上がった部分での賜物なのかも知れない。

 その結果なのか、大長巻と呼ばれる全長が2mを超え、刀身とほぼ同じ長さの柄を持つ大太刀から拵えを改造してナックルブレードの様にして改造した短刀まで様々な日本刀の扱いに長ける様になっていた他、独学で覚えたナイフ戦闘術に杖術と槍術の応用で銃剣道の真似事が出来た為に、必要に応じて自動小銃には銃剣を着脱して使用している。

 それ故に接近戦に関しては特に得意分野になっているのだ。

 さらに、色々と石塚から叩き込まれた事もあり射撃もオリンピック選手並みの腕を持っている。

 ただ、この辺りに関していえば訓練を重ねればある程度は会得出来る事であり、超人的な身体能力を得る事には必ずしも繋がらない。

 むしろ生まれつきはどちらかと言うと貧弱だった為、生まれつきのものでもない。

 かといって、ドーピングなどの事も無いのだが。

 実際のところ“仕事”の際に飲んでいる錠剤もビタミン剤などの単なるサプリメントでしかないし、スポーツ選手が受けるドーピング検査や様々な薬物検査を受けたとしても、陰性反応しか出ない。

 その為、薬物による身体強化は行われていない事は明白だ。

 そもそも、彼の超人的な能力は訓練や薬物による身体強化によって得たわけではない。

 だとしたら、いつ、どの様にしてこの超人的な身体能力を手に入れたのか?

 本人も知らなければ、仕事人として彼を育てた石塚ですら知らない。

 この能力に関して言えば、実を言うと本人が知らないと言うのには実は語弊があり、正確な事を言うと“忘れさせられているだけ”なのである。


―――遡る事、十数年前、彼がまだ10代前半の頃の夏休み―――


 夏休みと言っても特段な変化も無く、毎日を退屈に過ごしていた事に嫌気がさし、年齢的に車両免許も取得でき無かったので、たまに夜な夜な家を抜け出しては、スポーツ用品店で部品を調達して、彼好みに改造を施したマウンテンバイクで人の気配のない神社や、何かしらのいわれがある場所などに懐中電灯を片手に訪れて、神秘的超常現象の類と遭遇しようという下らない遊びを独りでしていた。

 いくらそう言った昔話が残されている場所とはいえ、所詮は山の中にある寂れた神社だったり、ただの大岩に注連縄飾りが施されていただけの場所だったり、年月を経て風化し、原型が崩れかけている石像だったりといった物で、実際問題、神秘的な超常現象などと遭遇する事は無かった。


 ―――ただ一か所を除いては。―――


 街の中心地にひっそりとあり、高山からの雪解け水が湧きでている小さな泉。

 古くは水源として重宝され、この街の人々の生活を支えていたもので、それ故か水神伝説や様々な信仰のある場所で、上下水道が整備された現在に至ってもこの泉の湧水を使う者も多くいる他、パワースポットとしても有名で、観光資源にもなっていた。

 彼は知らなかったのだが、実は彼の行動は、この泉を中心に彼が住んでいた街を一つの巨大な召喚陣にした儀式を知らず知らずに行っていたのだった。

 彼が最後に訪れた場所、町の中心地にあるその小さな泉こそが儀式の完成地であり、そこには伝説に語り継がれてきた様に、強大な力を宿した水神がこの街の守護神として祭られていた。


 語り継がれてきたその伝説によると、遥か昔、この地は幾度となく神々の戦場となり、度重なる戦乱から荒廃し、この世のありとあらゆる災いが渦巻く悪意の巣窟で、邪神が統治し妖怪や魔物が蔓延り、この世の終焉の地獄絵図を具現化した様な有様であった。

 その様な地にも人々の生活はあり、村を形成していたのだが、邪神に服従する形で何とか生きてきた。

 ある日、容姿が良く、純粋無垢で穢れの無い人間の娘を一人、二回目の新月の晩までに生贄に差し出す様に邪神が要求してきた。

 日没後は生贄の祭壇に一人にし、祭壇周辺に人の立ち入りは一切禁止し、もし、二回目の新月の夜までに差し出さなければ、村を全て焼き払い根絶やしにすると警告したという。

 その恐怖から、村人たちは必死に協議し、一人の娘を差し出す事にした。

 その娘は、大半の村人が絶望しながら生きているこの様な地に生まれて尚、希望を持ち続け、他人を疑う事を知らず、男勝りに気と腕っ節は強かったが、騙されても人を恨む様な事はしなかった他、容姿も良く非の打ちどころの無い良く出来た娘だった。

 そして、約束の二度目の新月の夜、娘が座る祭壇のもとに邪神の遣いとして一匹の龍が降り立った。

 その龍は百鬼夜行の妖怪や霊獣の群れを一撃で消し去る程の力を持ち、目にした者はその恐ろしくも美しい姿に魅入られて身動きが取れなくなってしまうといわれていた。

 しかしながら、生贄とされた娘はその純真故か、恐怖を覚える事は無くその龍に対して慈しみを持って接した。

 その為、龍はたじろぎ、娘のその純真さに魅了されていった。

 今まで力と恐怖による支配しか知らず、邪神の言葉を鵜呑みにしていたが故に、その純真さから投げかけられてくる娘の言葉から邪神の悪事を知り、娘と村人を救う事を決意し、邪神に反旗を翻す事にしたらしい。

 そして、娘と共に村を訪れた龍は村人と娘を安全な山中に連れて行き自らの張った強力な結界で保護したという。

 夜が明けても龍が娘を連れてこなかった事に憤慨した邪神は自身の懐刀で自らの軍勢の中で最強であった龍が万一にも倒された事を鑑みて戦力を整え、翌晩、宣言通りに村を焼き払いにかかる為、自ら指揮に当たってその軍勢を差し向けたのだが、あろうことか、腹心の龍が反旗を翻していた為に、物量で勝っていても天下無双の一騎当千攻撃に遭えば当然の事ながら怯んだものの、その圧倒的な物量で押し通し、戦いは、昼夜を問わず繰り広げられた。

 その結果、さすがの龍も疲弊していたのだが、龍が保護した娘が結界から出てきた事で事態は再び変化した。

 当の本人も知らなかったのだが、人間として生まれたものの彼女の真の正体は慈愛の神がこの世に遣わせた巫女であり、この状況下で覚醒して、疲弊していた龍に癒しと力を与えた。

 その後、龍に乗って共闘し、邪神が生み出す圧倒的物量の軍勢を駆逐し、数か月に及ぶ戦いからついには邪神を倒したという。

 結果、村人に一人の犠牲者を出すこと無く、村への損害も軽微なものとなった他、邪神から解放され、地獄絵図としか形容出来なかった地からは、その影は無くなり平和となったのだそうだ。

 そして、龍と娘が結ばれた後、龍は自らの今までの行いを悔い改める為に、水神となって村人の為に泉を作り、自らの牙と鱗で鏡と二振りの太刀を作った他、その地と泉を守る水神となったのだという。

 そして、正しき力を求めて召喚儀式を行った者の中でも、ある一定の条件を満たした者で、水神が与えた試練を乗り越えた者には力を与える様になったのだという。


 この伝承では、鱗から作られた鎧と牙から作られた二振りの太刀がそれぞれ分祀された場所、村人達が匿われていた山、生贄の祭壇の場所は泉を中心に正五角に位置している。

 そして、それぞれの場所を五芒星の書き順で回り、泉に到達する事で召喚陣が完成する。

 それらの場所は数多の時を経た現代においては、迷信の類のみが残される形となっており、儀式の事もほとんど忘れ去られてしまっている。

 それもそのはずで、たとえ儀式に成功して召喚陣を完成させられたとしても、伝承にある様に一定の条件を満たす事が出来た者でなければ水神を喚よび出す事は出来ない他、喚よび出せたとしても、水神が与えた試練を乗り越えた者にだけ力を与えるため、この儀式を完璧に成功した者は皆無であるし、伝承には残されていないのだが、成功した者は水神から力を与えられる一方で、水神と接触に成功した時の記憶を消されてしまう。

 そのため、現代では、儀式の事を知っている一部の者からも迷信とされており、儀式の存在自体が半ば忘れ去られていた。

 儀式によって彼が意図せず水神を喚よび出した時、龍の姿で姿を現した水神はその姿を歓喜の表情で見つめる少年にこう言った。

「悠久ノ時ヲ経テ、我ヲビ出シセシ者ヨ、何ヲ望ミ何ヲ欲スル?欲スルノナラ、ソノ“力”ヲ我ニ示セ」

 そうは言われても、意図せずび出してしまったし、願う事は山ほどあるが唐突に聞かれては答えられない。

 それよりもU.M.A.(未確認生物)の様なものとして認識しているため、その様なものが日本語を話しているという状況の方が彼の好奇心をくすぐり、願い事なんかよりもかえってこの状況の方が彼にとっては望ましかった。

「あんた、人間の言葉が解るのか?ていうか願い事って、まるで昔話に出てくる泉の精霊だな」

「成程。貴様ノ心ノ内ヲ読ト、ドウヤラ貴様ハ召喚陣ノ事ハ知ラズニ此処マデ辿リツイタト言ウ訳カ。ソノ強運ハ、ナカナカ面白イ」

「確かにあんたの言う通りだけど、こっちの質問にも答えてくれ。心の内が読めるなら、こっちが何処の誰かお見通しだろうし、自己紹介は要らないだろ? 」

「我ノ姿ヲ目ニシテ尚、物怖ジセズ、我ニ問イ返ス、ソノ度胸ニ対シ答エテシンゼヨウ。我ハ、コノ地ヲ守護スル水神【ミズチ】デアル。我ガ試練ヲ乗リ越エ、ソノ“力”ヲ示セシ者ニハ我ノ“力”ヲ与エル者ナリ」

「成程ね。要するに俺はあんたを召喚する儀式を意図せずにやってたって事か。なら、その試練とやらに挑ませてもらう事にするよ。どうせ考えてる事は筒抜けなんだろ? 」

「貴様ハ本当ニ面白イ」

そう言うと水神は何処からともなく一振りの太刀を取り出して彼の前に投げ置いた。

「これは? 」

「今カラ貴様ハ我ノ創リシ結界デ、試練ニ挑ンデモラウガ、丸腰トハイカヌ。貴様ニハ、コノ太刀ガ向イテイルノデハナイカ? 」

「成程ね。まぁ、剣道は段持ちだから丁度いいか。欲を言えば、模造刀とはいえうちがたなの方が使った事がある分、いいんだがな。聞くつもりは無いが、それを出さない辺り何かあるんだろ? 」

 懐中電灯を左手に持ち替え、脚元に投げ置かれた太刀を手に取ると、異変は何の脈略もなく生じていた。

 音も無ければ光も無い。

 ただ一瞬にして、彼の周りに見える風景の全てが入れ替わっていた。

 そう、まるで色彩を反転させた写真の様でそれまで見えていた風景とは真逆の風景といって過言ではない。

 うす暗く、黒い霧がたちこめていて視界は数十メートル程度しかないが、それでも先ほどの夜闇と比べれば段違いに明るい。

 そこで見える風景を形容するならば活火山の噴火口の様なゴツゴツとした岩肌の大地で、草の根一本生えてはおらず、所々から蒸気の様な物が噴出している。

 さらに、空を見上げれば不気味なほどの茜色に染まっており、そこには何も無く、ただただ永遠に不気味な茜色の空があるだけだった。

 手元を見ると左手に持っていた筈の懐中電灯は無くなっていた一方で、右手に持った先ほどの太刀はちゃんと存在していた。

 そして、何処からともなくミズチと名乗った先ほどの龍の声が聞こえてきた。

「コノ場所ハ、我ガ固有結界。貴様ノ目ニ映ル物ハ、コノ地ノ過去ノ姿」

 どうやらここは固有結界内で目に見えているのはミズチの心象風景の様だ。

 言ってしまえば、ここは仮想空間で現実ではない様である。

「成程ね。要するにここは、テレビゲームの中みたいなもんって事か。だったら、ちょいと遊んでいってやるとしようか」

 そう呟くと彼は手にした太刀をベルトに差して、抜刀の準備にかかる。

 模造刀とはいえ、演武で日本刀を使った事がある経験からか、本で仕入れた知識からなのかは不明であるが、ベルトに差すにしても世間一般で日本刀の代表格になっている“打刀”の様に刃を上向きにしているという事では無く、ちゃんと刃を下向きにした“太刀”の正しい差し方をしている。

 状況は呑み込めた様で呑み込めていないが、武器を渡されたという事は何かしらの相手をさせられるのだろう。

 鯉口を切ると同時に周囲を見渡してすぐに抜刀した。

 初めて手にする太刀の刀身の正確な長さや重量バランスは鞘から抜かなければわからない。

 それ以前に、いつ何が襲ってくるかわからないという事もあるし、太刀の抜刀方法は知識の上ではあっても実際にやるのとでは異なってくるため、早々と抜刀して構えていた方が確実である。

 とにかく、抜刀しなければどうしようもない事だけは確かだった。

 抜刀と同時に軽く振り、基本である正眼の構えを取り重量バランスの確認を行った。

 そして、一度構えを解くと再びミズチの声が聞こえた。

「貴様ハ鞘ヲ捨テヌカ。マズハ合格ダ」

「今まであんたを喚び出した奴らは終わったら刀身を収める事を考えてなかったのか?鞘を捨てたならその時点で敗北した様なもんだし、だとしたら俺から見ても生きて帰れたとは思えないが」

「…」

今度は返事が無い。


 まあ今はそんな事はどうでもいい。


こんな地獄絵図の様な固有結界からはとっとと、おさらばして夜明け前に帰らないと抜け出して遊んでいたことがばれて大目玉を食らってしまう。

 とりあえず抜刀したままの太刀を片手に前に進みだした。

 一歩、また一歩と進んでいくのだが、一向に変化は無い。

 相変わらず目に映るのは荒廃した大地と不気味な程の茜色に染まった空だけである。

 動きやすさを重視して、ジーンズとTシャツにスポーツシューズといった軽装のいでたちで家を抜け出していたため、歩きづらいという事は無かったのだが、何も無い事は退屈だ。

 とりあえず、慣らしも兼ねて退屈しのぎに軽く太刀を振り回してみた。

 するとどうだろう。

 勢い余って近くの岩に強く当たってしまった。


「あっ」

(やっちまった。)


 そう思ったのだが、当たった手応えと同時に岩が斬れていた。

 慌てて刀身の岩に当たったのであろう部分を確認するのだが、僅かに砂などの付着物こそあれ、刃毀れや傷の類は一切無い。

 鞘に納められていた段階で反り具合は把握できたし、抜刀した時に刀身の長さこそ目視してはいたが、刃紋や地肌はもとより刀身の見た目は一切見ておらずここで初めて見たのだが、柾目肌と呼ばれる種類の地肌を持つ刀身は磨きあげられた鏡の様に輝きを放ち、刃紋は広直場と呼ばれる造りであり、計算されたかの如く程良く付いた反りと相まって、ある種の美しさすら醸し出していた。

 まるで美術刀ですら凌駕する見た目は神々しくもあるだけでなく、意図せず岩を斬ったとしても傷一つ付かない

 いくら優れた刀匠が作成した最上大業物でも、これほどの物は存在しない。

 というよりも日本刀の素材で使われている玉鋼の強度を考えると傷の一つとて付いてもおかしくないはずだ。

 だが、今、目の前に存在するそれは、一切その様な事は無いのだ。

 固有結界内だとはわかっているが、手応えは確実にあったし、斬れた岩を手にするとそこには確かに大きさに見合った質量があった。

 その断面を改めて見返してみる。

 誰がどう見ても不自然な程に一部の面が研ぎ澄まされた鏡面の様に滑らかで、SF映画のワンシーンで見られるレーザーで斬り裂いた物の断面の様にも見えた。

「なんて切れ味してやがる。これじゃあ下手こいたら自分が斬れちまうな」

 そう、勢い余って当たっただけでこの様な切れ味なのだ。

 もし、手を滑らせれば、普通の日本刀以上に自身の肉体を傷付けかねない。

 そんな事を考えているとまた声が聞こえた。

「安心セヨ。ソノ太刀ハ操ル者ヲ傷付ケル事ハ無イ。ドウヤラソロソロ扱エソウダナ。デハ、本番トシヨウ」

 声の主に問い返そうとしたと同時に地響きが起きバランスを崩したが、太刀を地面に突き立て踏ん張った。

 そして、顔を上げるとそこには巨大な怪物が仁王立ちしていた。

「コレハ、我ガ創リシ土人形。サア、思ウガママ戦ウガヨイ」

声の主が言い終えるか否かのタイミングでその怪物は巨大な腕を振りかざし襲いかかってくる。

 とにかく体制を整えないと話にならないので、何とかして一度、距離を置いた。

 離れて見るとその怪物に頭部は存在せず、その代わりに阿修羅の様に三対六本の腕があり、一対は人間の物と同じ様な構造をしているものの他の腕の先端部はそれぞれが独立して事なった姿をしている。

 蟹の鋏の様なもの、アイスピックの様なもの、棘付き鉄球の様なものに盾の様な板状のものといった具合だ。

 更に、バランスを取る為か長い尾を二本振りかざしており、その先端は三又に開いたり閉じたりを繰り返していた。

 恐らく地面に突き刺してアンカーとして使うのだろう。

 その辺まで考えて土人形を創る辺り、それなりの経験がミズチにもあるのだろう。

 だが、感心している暇は無い。

 何せ自分は渡された太刀こそ持っているにしろ怪物と対峙しているのだし、ここを抜け出すには怪物を倒さなければならないだろう。

 とにかく、一度、呼吸を整えると太刀を構えなおした。

 そして、襲い来る巨腕を受け流しながら斬りかかる。

 だが、盾で阻まれ、僅かな一部分に傷を与えられても、有効と言える一撃は何度やっても与えられていない。

「やっぱりただの岩と違って頑丈に創ってやがる」

 さらに言えば、頭部が無いし、眼と思しき物が見当たらず、何処に眼があるのか解らない。

 そう、すなわち死角が解らないのだ。

 むしろ、六本の腕と二本の尾がある以上、同時に八方向に攻撃出来る。

 それ故、一度攻撃をかわしてもすぐに次の攻撃にさらされるし、今の自分はアクションゲームのキャラクターの様に立体的な動きは出来ないため、攻撃を受けた時は、防ぐなり受け流すのが第一の防戦一方の戦い方になる。

 とにかく、まずは一本でも腕なり、尻尾を斬り落とさなければ、一対一でも多勢に無勢と言って相違ない。

「竹刀で出来ても太刀で出来るかどうかは解らないが、竹刀で出来て太刀で出来ない通りは無い」

 そう呟くと再び正眼に構え、怪物の正面に向きあう。

 そして、太刀で怪物の攻撃を受け流すと共に、切っ先で螺旋を描く要領でそのままの勢いに任せて斬り込んだ。

 その結果、腕を一本破壊する事に成功した。

「あと七本。いけるか…」

とにかく、これで死角は出来つつある。

 だが、相手も単なる土人形では無い様で、壊された腕の部分の隙を隠す様に、そして、こちらの攻撃を学習したかのように、攻撃モーションを次々と変えてくる。

 だが、彼も一応は段位を持っているレベルだ。

 その様な事も想定の範囲内であるため、引き際に反撃したり、攻撃を攻撃で打ち返したりと様々な方法を組み合わせては攻撃パターンを変え、時間をかけて何とかして腕や尾を破壊していく。

 そして、半分まで破壊に成功したところで、一気に斬り込みをかけた。

 土人形が避けようとしたことにより怯んだその一瞬の隙を突いては更に攻勢に転じた。

 そして、胴体を左上方から右下方に向けて斬り裂いた。

 その勢いで土人形は大地に倒れ込んだのだが、まだ完全に倒せたわけでは無く、倒されてなお、攻撃を繰り出してくる。

 だが、それは悪あがきの様な攻撃であり、回避は容易くそのまま胴体の上に乗り太刀を突き立てて止めを刺した。

 この時には、体力も尽き果てて、突き立てた太刀の柄頭にしがみつきながら辛うじて型膝立ちを維持していた。

 太刀を突きたてられ、止めを刺された土人形は彼の下でその原型を崩していき、最後は土くれと化していった。

 その様を見届けていると、再び声が聞こえた。

「上出来ダ。貴様ノ能力ヲ認メヨウ」

声の主がそう言うと、土くれの中から水晶玉の様な見た目の光り輝く球体が浮き出して来て浮遊していた。

「サア。ソレニ触レルガヨイ。ソナタニハ更ナル力ヲ与エヨウゾ」

 気力だけで、何とか立ち上がり、言われるがままその球体に触れてみる。

 すると、土くれに刺さっていた太刀が抜けて宙に浮きその球体と一つになった。

 その刹那、凄まじい衝撃と轟音、光を放ち目が眩んだ

 そして、気付くと辺りは元通りの暗闇であったが、先ほどの球体が光を放ちながらミズチと彼の間に浮遊し、周囲を照らしていた。

 そして、見るとベルトに差していた筈の鞘は消え、脚元には懐中電灯が転がっていた。

「“力”ヲ示セシ者ヨ。我ハソナタヲ認メヨウ、ソシテ、貴様ニハ約束通リニ我ノ“力”ヲ授ケヨウ」

 ミズチがそう言うと光りを放つ球体は彼の身体に吸い込まれていった。

 光源が脚元の懐中電灯のみとなった事でとりあえず懐中電灯を拾い、再びミズチと対峙する。

「あんまりオカルト的な物は信じたくは無いが、あんたの“力”とやらで何か変わるのか? 」

「ソノ“力”ハ、イズレ貴様ヲ護ル物トナル。ソシテソレハソノトキニ解ル物ダ」

「よくわからんけど、要は即効性は無いって事か。まあいいが」

「ソレカラ、今回ノ事ハ貴様ニハ忘レテモラワネバナラヌ」

「要するに記憶操作って事か? 」

「安心スルガイイ。儀式ヲ完成サセタ事デ、我ト出会イ、試練ヲ乗リ越エ“力”ヲ得タトイウ記憶ヲ消スダケダ。他ノ部分モ整合性ガトレル様二シテオクノデナ」

「まぁ、水神様にもそれなりの都合ってものがあるから仕方ないか」

「デハ、始メヨウ…」

 ミズチの言葉と共に周囲が漆黒の闇に包まれた。

 そして、次の瞬間、目覚まし時計の音で目覚めた。


 目覚めると記憶から昨晩出掛けた事もミズチの事や与えられた“力”の事は消え去っており、服装も普段寝る際の物に変わっていた。


 彼はその様な経緯で水神から力を得たため、その部分の記憶は消されている為に、その超人的な身体能力を持った由縁を覚えていない。

 だが、その力によって彼の肉体が守られている他、その力が無くては彼の信じる正義を執行することは出来ないであろう。


 そうなれば、当の本人からしてみれば力を得た経緯や記憶を操作された事などは全く意に介していない様だが、いくら水神によるものとはいえ記憶を操作された事で所々に矛盾は生じている為、不都合が生じてしまうことも稀に起きてしまってはいるのだが、この“力”が単に物理的なものだけでなく、強運や回復なども併せ持つ事で何とかなってはいる。

 ただ、強運や回復を併せ持つとは言っても“宝くじで高額当選する”とか、“連日の徹夜で疲労困憊でも仮眠を取れば問題ない”という様な事はさすがにない。

 まあそこが、いくら水神から超人的な能力を与えられても、記憶操作された本人はもとより周りの人間もその事がわからないという事のからくりの一端を担っているのだが。

 それ故に、彼がどうしてこれだけの超人的な能力を手に入れたのかは、水神の記憶にしかない他、明確な物証も無い。

 さらに言うならば超常現象によってもたらされた能力では、薬物などで後付けされたものの様に、化学物質などが検出されるなどの不自然な点が一切ない為に、科学的にも解明出来ないのである。

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