Mad Justice

皐月芽依

狂った正義

―――ごくごく一般的で何処にでもある様なワンルームアパートの一室で、男は手にした得物の確認を行っていた。―――


 そこにあるのは9mmパラベラム弾に対応するように改造したリボルバー拳銃のコンバットマグナム、同弾薬を用いるオートマチック拳銃にサプレッサーと33発入りマガジン、フルオート射撃機能を追加したマシンピストル、ナックルブレードの様な見た目の改造日本刀から、多機能型銃剣まで様々で、その場所とはかなり不釣り合いである。

 鼻歌まじりに作業をしている様子からして、どうやら彼の元にそれなりの仕事が入り気分が高揚しているようにも見える。


 彼の名は【森江もりえ 利三としみつ】。


 表向きは無職で、ぱっと見は何処にでもいるような平凡な青年である。

 だが、彼にはもう一つの顔があった。

 ロシア語でイヌワシを意味する“ベルクト”をコールサインに用い、世間一般で言うところの〈殺し屋〉とか〈便利屋〉と呼ばれる類の仕事を生業としていた。


 ―――〈殺し屋〉とか〈便利屋〉と呼ばれる裏稼業を生業にしている。―――


 その情報だけ聞くと裏社会と深く関わる危険人物の様だが、彼の場合はそれが全く当てはまらない。


 何故なら、『どれだけの札束を積まれようが悪党に対する依頼しか受け付けない』というものが彼なりのルールであり、彼にとっては『悪党に裁きの鉄槌を下すのは自身の存在を肯定する』という手段が他に無かった事に他ならないからだ。


 そして、彼の能力の高さとその信念から裏社会の人間達は彼に対する皮肉も込めて〈殺戮の聖者〉とか〈殺し屋殺し〉などと呼んでいる他、表沙汰に出来ない人物の警護や人質事件等の際には警察や司法当局といった場所からの非公式の依頼も請けており、それも含めて彼に対する依頼の全ては、彼の師であり、現在は“ガンスミス”と一般的に呼ばれる銃の整備士として名を馳せて活躍する傍ら利三のパトロン兼マネージャーをしている【石塚いしづか秀人ひでと】という人物を通じてのみ行われている。

 表向きは世界屈指のガンスミスとして銃器メーカーや各国の軍、はてまたインターポール(ICPO)=国際刑事警察機構からも仕事を請けているのだが、過去には某国の陸軍の外人部隊に在籍しており、そこでは特殊部隊の指揮官や教官を歴任し、最終的に准将の階級まで昇進し、様々な功績から複数の勲章を授与されていた。

 某国の陸軍の外人部隊を退役した後は退役軍人やならず者を集めて傭兵部隊を組織し、様々な戦場に赴き、依頼主と敵対する勢力に大打撃を与える程の活躍を見せていた。

 その中で特に彼自身がゲリラ戦を得意としていた事から『死の急襲者デスレイダー』と呼ばれて恐れられていた経歴を持っている。

 そう言った経歴の持ち主だからなのかは不明だが、情報管理はかなり徹底している他、依頼主から下手な詮索をされない為に利三の素性を完全に秘匿している。

 それ故に、裏社会はもとより、公安関係者でも利三の顔は知らず、表も裏も彼の素性を知る者は現在のところ石塚秀人ただ一人だけである。

 そういった事情からコールサインである“ベルクト”という存在自体が半ば都市伝説の様なものと化しているし、様々な方面からコールサイン以外に幾多の異名が付けられているのだが、その能力は裏社会の情報筋や様々な国の諜報機関でさえ把握できず『一匹狼』とするものから『生まれる時代が異なれば歴史は変わっていた』とするものまで様々である。


 しかし、唯一つ『引き受けた仕事は何があっても完遂する』事と『契約違反をすれば、たとえ一国のお偉方だったとしてもタダでは済まない』という事だけは認知されている様である為に裏社会の組織の幹部クラスや大国の諜報員達からもその存在は非常に恐れられている様ではあった。

 ただし、その存在が半ば都市伝説と化している事で、本当に存在しているかどうか解らないという部分がある為に、下っ端の使い走りレベルの者たちからは『あくまで噂話』という事でしか認知されていない為、あまり気にされていない様であるのだが…。


 今回の仕事も《立て篭もり犯の確保と人質の救出》という明らかに警察組織の特殊部隊が行うような内容なのだが、犯行グループは何処で手に入れたか分からない最新型の軍用火器で武装しており、人質を盾にして突破口になりうる場所にも対策が周到になされていた。

 さらに、犯行声明はあっても、要求は一切無い“異様な事件”で警察当局では手も足も出ない程の状況となっていた為、世界中のテロリストの情報を公安調査庁が収集していく過程でインターポールを介して緊急で依頼が舞い込んだらしい。

 これから緊急性のある仕事に行くのであるにも関わらず鼻歌まじりで準備を続けている彼に対し初老の男性が急かす様に

「最低限のチェックを終えたら早く車に乗れ」

となげかけた。

 この初老の男性こそが石塚秀人である。

 確かに屈強な面影は残されているが、ぱっと見では過去にかなり物騒な通り名で呼ばれていた男だとは到底わからないだろう。

「そんな事を言われても手作業じゃあ時間が掛かりますよ。それより、そろそろ頼んでおいたスピードローダー用意して下さいよ」

 急かされていようと利三は相変わらずの調子である。

「とりあえず使えそうなデカブツの類は私の責任の下でぬかりなく整備して車に乗せてきたから終わったらすぐ出発だ」

「わかりましたよ、死神先生」


 ―――死神先生―――


 石塚秀人という人物のかつての通り名の『死の急襲者デスレイダー』と利三の師匠である事から石塚の事を死神先生または先生と呼んでいる。

 利三が鼻歌交じりに準備を始めた頃、事件現場では特殊作戦班の指揮官たちがその威信にかけて膠着状態の現状を何とか状況を好転させようと躍起になっていた。

 しかし、どの策も失敗に終わり、文字通り八方塞がりとなっていた。


 ―――事件の発端は今から遡ること数時間―――


 都心の一角にあるごく一般的なオフィスビルの四方をこの街には不釣り合いな大型の貨物トレーラーが囲い込んだ事から始まった。

 トレーラーが建物を囲い込むこと自体は事務所移転作業などで、あり得なくはない話ではあるのだが、囲い込んだと同時にコンテナが開いて中から大勢の武装集団が降りてきたかと思えば、屋上からも輸送用の垂直離着陸機から降下してきて瞬くもの間に建物を占拠してしまった。

 その手際の良さから通行人や近隣のビルからその様子を見ていた者たちは警察組織の訓練か、はてまた映画の撮影でもしている様に見えたかもしれない。

 だが、建物が完全に占拠されたとき、そのオフィスビルから報道各社と警察組織に【ネフィリム】と名乗るグループの犯行声明のFAXと電子メールが一斉送信された。

そこに書かれていたのは


・我々は“ネフィリム”天より下りし巨人なり。


・本日、この時を以て聖戦の第一歩を踏み出す為にここを占拠する。


・我々は腐った文明社会を浄化するための聖戦を行う者である。


 箇条書きのたった三行の犯行声明文。

 “聖戦”という言葉や、組織名に旧約聖書における墜天使と人の間に生まれたとされる巨人【ネフィリム】の名を冠すなど所々に宗教関係の影が見受けられる為、国際テロ組織の一部の様にも思えるのだが、大規模な組織の一部であれば、そちらの名を出す方が事を進めるには理にかなっているし、人質を取る以上は何らかの要求があって当然なのだがそういった“要求”ととれる文言は全くない。


 ―――そう、大規模な犯行声明はあっても要求が一切無いのだ―――


 これが如何に異常な事かは素人目に見てもわかる事であるのだが、人質を含めた事件関係者の目にはより一層異常に映っていた。

 人質の中には何とかして犯行グループの目的を聞き出そうとする者もいたのだが、得られた回答は、どのメンバーからも一貫して


「教える必要も無いし、知る必要もない」


 その一言だけだった。


 宗教系過激派テロ組織は歴史的にも様々な場所でいくらでもあるのだが、こういった人質事件を起こす場合はテロ組織に限らず、まず何かしらの要求が存在し、要求に応じない場合は人質の殺害を仄めかす事は共通しているのが一般的だ。


 ―――要求が無い事で建物を占拠した目的もわからない。―――


 それ以外の事は犯行グループ以外の人間には何もわからなかったのだ。

 その為、特殊作戦班は様々な策を講じて人質の解放作戦に乗り出したのだが、犯行グループの装備は一端のテロリストが持つ様な、紛争地帯で容易に入手できる様なコピー版の銃などではなく、大国の精鋭部隊が使う様な最新鋭の物だった為に警察では全く歯が立たず、まるで手の内を読まれているかの様に尽く失敗に終わっていた。

 例えるならそれこそ、警官隊と正規軍での戦闘と言っていいくらいに差が存在していた。

 ただ、不幸中の幸いか、それとも意図的なのかは不明だが、実弾を使用しているにも関わらず、警察側に軽傷の負傷者はいても重傷者と死者は0だった。

 こういった状況から何とか情報を収集しようと試みていた最中、インターポールを通じて石塚に白羽の矢が立ったのだ。


 ―――ところ変わって、現場に向かう大型トラックの車内では石塚が用意した大型の銃火器を利三がいじくり回していた。―――


 それらの得物はどれも個人が持てるような代物ではなく、それこそまさしく“兵器”と呼ばれた方が相応しいものばかりで、短機関銃や自動小銃等の個人携行火器に止まらず、分隊支援火器と呼ばれる類の物から分類上は対物ライフルとされるが、いわゆる“大砲”と呼んだ方がしっくりくる様な20mm口径の超大型火器まで様々である。

「ところで、先生。今回の仕事だけど突入に使う想定で、個人携行型の四連装ロケットランチャーに対戦車無反動砲を用意した事はまだ理解できるとして、この数の携行型地対空ミサイルとか20mm対物ライフルなんか持ち出して使うとこある?長距離狙撃なら12.7mm対物ライフルで充分だろうし、地対空戦仕様の物もあるけど?むしろ、ベトナムやフォークランドでの前例見れば12.7mm重機関銃にスコープ付ければ連射効くからどっちもいけるでしょう? 」

「あぁ、そいつか。今回はアシストで何名か呼んでいる。デカブツはいくらかそちらの連中に途中で渡す事になっているから、お前さんは気にしなくていい」

「先生が呼んだ人間なら能力は大丈夫でしょうけど、こっちと連携取れる連中ですか?あと、いつもの薬とお守りの葉巻は何処に? 」

「安心しろ。傭兵部隊“マールス”の連中だ。お前さんも名前くらいは聞いた事あるだろう?幹部連中は私が傭兵をしていた頃の仲間だし、構成員は全員幹部の直弟子しかいない完璧主義の連中だからな。葉巻と薬はお前さんが座ってる椅子の中だ」

「なら安心です」

 一度立ち上がり椅子の座面を上げると中には金属製の筒に入った葉巻と何種類かの錠剤をまとめたビニールの小袋、水の入ったペットボトルが入っていた。

 薬を飲み、内ポケットのファスナーを開けて葉巻の入った金属製の筒をしまうと再び座り運転席の石塚に話し掛けた。

「この“身体強化薬”って一体何ですか?効果は抜群ですし、禁止薬物反応とかは出ていませんけど? 」

「なぁに。お前さんは気にしなくて大丈夫だ。大事な弟子を廃人にする事はしないからな」

 そう、薬の成分は気にする必要が一切ない。

 名目上は“身体強化薬”とは言いつつも“プラシーボ効果”という、ただの水でも薬と言われて飲んだ時に効果が表れる心理効果を狙ったもので、中身はビタミンやミネラルの錠剤、いわゆるサプリメントに過ぎないのだから。

 そんな話をしているうちに合流ポイントに到着する。

 しばらくすると彼らのそれと同じようなトラックが集まり、中からはいかにも傭兵といった風貌の男たちが降りてきた。

 運転席の石塚がリーダー格と思しき男と合言葉を交わし、ドアを開けるよう利三に促した。

 仕事用のフルフェイスマスクで顔を隠し安全を確認しながら後方のドアを開け、男たちを招き入れた。


―――傭兵部隊【マールス】―――


 オリュンポス十二神の一柱で戦神【マールス】の名を冠したその組織は、大国の一個師団に匹敵する戦力を有しているとも評され、世界中の軍隊から依頼が殺到している他、傭兵というその性質から各国の要人の警護なども行っている腕利き集団である。

 構成員の全てが元軍人や特殊部隊のエリート出身という肩書を持っており、典型的なピラミッド型の指揮系統の中でも各個人の裁量における行動が大きく認められているという、少し風変わりな集団でもある。

 それ故に、構成員の装備は最低限の物だけが統一された支給品であり、それ以外は各々が使いやすい物を選択している。

 その様相はさしずめ多国籍軍であると言うか、ドイツ製の自動小銃を持ち、ベルギー製の自動拳銃とアメリカ製の手榴弾を懐に入れている者さえいる。

 そういう“一人多国籍軍”の様な構成員さえいても作戦に支障が無いのは各国家間で弾薬の共通化が行われている現代だからこそだとも言える。

 そんな彼らが今回、アシストにあたるとの事から彼は余程の大仕事であることを覚悟した。

 石塚からの指示で重火器を彼らのトラックにいくらか積み替え、マールスのリーダーが助手席に乗り込むと残りのメンバーは再び別行動に移った。

 それからしばらくすると規制線が張られ、通行止めとなった場所にさしかかり、案の定、警官から制止要請を受けたが、インターポールより渡されていた許可証を渡すと恐ろしくすんなり通過する事が出来た。

 警察関係の仕事であれ、いつもは大体こういった規制線の通行時に一悶着あるのが常であったと言うか、規制線で誘導をしている警官は管轄が異なるため、無線による確認作業等を経なければ通行できない、いわゆる“縦割りの弊害”に邪魔されていた。

 だが、今回はそういう事が全くない。

 つまりはこちらが来るのを待っていたということになる。

 いくらインターポールから派遣されたとはいっても、本来、利三達は警察からすれば、法律上は犯罪者の類に分類されかねない者であると同時に、得体の知れない存在であるため、歓迎されないことは当然であるが、かなりの厄介者で国際機関を通していても協力関係にある事は一部の人間以外は知ってはならないことである。

 仮に、仕事が今まで書類上“超法規的措置”として処理されていたとしても、表沙汰になった時に様々な場所からの反発は間違いなく起こるであろう。

 捉え方次第では、警察組織や政府が犯罪に屈したとも言われかねないし、下手をしたら警察が白旗を挙げた事に等しいとされ、犯罪を増長させるだけでなく、一般市民に不必要な不安を与えかねない事になってしまうからだ。

 規制線からしばらく行くと対策本部の野営に到着し、トラックを止めた。

 そして、トラックから降りると、いかにも司令と思しき風格の男がわざわざ出迎えに来ており、野営本部まで案内される。

 そこは、テントが並べられ、折り畳み式の机をいくつか繋げた上には占拠された建物の見取り図や、指揮系統が書かれた図面が並べられ、電源車や移動指揮車が横付けされ、交渉班や特殊部隊の面々が先の作戦失敗にも屈せず、士気高く臨戦態勢を取っていた。

 特殊部隊の面々もその仕事柄、フルフェイスのマスクで顔を隠しているため、石塚やマールスのリーダーと共に、司令官から説明を受けていた利三もこの場においては同じ様にフルフェイスのマスクで顔を隠していても、その存在の違和感がいくらか緩和されている。

 一通り説明を受けるとマールスのリーダーは別行動しているメンバーに無線で指示を出した。

 彼らの中での公用語なのか、傍受されたときの対策なのかは不明であるのだが、英語や日本語ではない、あまり聞きなれない言語を用いていたため、警察関係者の多くが一瞬耳を疑ったのだが、無線を切るとすぐに

「人質解放作戦のために、狙撃手と対航空機要員、突入時の支援要員の配置指示を出しました。配置完了次第、ベルクトと警察は“仕事”にあったてください。我々が全面的に支援します」

と日本語で報告してきたため、表情の曇りはなくなった。

 配置完了の知らせが来るまでの間、石塚と警察関係者で突入の算段を協議しており、万が一の時にも万全とするために様々な策を用意していた。

 警察隊が出来ない単独突入は利三が行う一方で、警察隊は組織的な突入作戦を並行して行う事で合意した。

 その頃、建物内では、ネフィリムのメンバーが社内のコンピューターをクラッキングし、社員の勤務実態や給与の支払い履歴に始まり、帳簿のチェック等、税務署や労基署がやる様な事から、この建物の使用電力の推移データ、防犯カメラ映像の解析等のデータ収集を始めていた。

 そして、得られた客観的な証拠を元に従業員一人一人に対する未払いの時間外手当とその類計額、所得隠しによる脱税額を計算していた他、この会社が行っていた様々な違法行為をまとあげていた。

 そう、この会社は俗に言う“ブラック企業”だったらしい。

 しかし、なぜそのような情報を武装集団がリストアップしているのか?

 こういう事は本来、監督官庁が行う事であって機能しているのが当たり前でなければならない事だ。

 誰がどう考えても立て篭もり犯が行う事としては甚だ疑問が残ってしまう。

 ネフィリムによってそのような事が行われている事など、人質ですら知る由もなく、その間も着々と突入準備が行われていた。

 マールスの配置が完了したことから突入の合図が出され、四方から警察隊の突入が開始された。

 しかし、いくら傭兵部隊からの支援があるとはいえ、人質を抱えた相手には無理が効かず“一進一退の攻防”といった具合である。

 さらに間の悪い事にネフィリムがまとめあげた『“ブラック企業”たる客観的な証拠』が様々な場所へ流されたことでネフィリムを擁護する声がそこかしこに上がり、いくら相手がテロリストであるとは言え、強硬手段による制圧作戦がおおっぴらにはとれない、言ってしまえばネフィリムの策略にはまってしまっているのである。

 その一方で、利三は電話線や電気ケーブルの敷設された設備坑を通り、マンホールから地下の駐車場に上がって単独での侵入に成功していた。

 背中に四連装ロケットランチャーと日本刀を背負い、銃剣とレーザーサイトを付け、通常の30発用から分隊支援火器用の100発用マガジンに換装したアサルトライフルを抱え、腰のホルスターにはフルオート機能を追加した2丁の改造自動拳銃と各銃火器の予備マガジンに各種手榴弾、そして、切りつめてナックルブレードの様に改造した短刀が二振、懐のホルスターには9mmパラベラム弾に対応させたリボルバー拳銃を装備している重装備だが、かなり身軽に振る舞っているあたりは超人的と言えようか。

 警察隊に目が向けられているため、恐ろしいほど簡単に侵入できたのだが、やはりそこは考えていたのか、防弾盾を装備したメンバー達にすぐに発見され、銃撃戦となった。

 だが、そこで違和感があった。

 ―殺気が無い―                 

 そう、銃撃してきても威嚇射撃の様に全く殺気が無い、いや、むしろ殺す気どころか当てる気が無いとすら感じるのだ。

 いくらこちらが壁を盾に隠れたとはいえ、その瞬間に銃撃が止み、手榴弾の一つも投げてこないというのは初めての事である。

 こういった裏の仕事は常に死と隣り合わせであるから、嫌が応にも殺気に敏感になってしまう。

 だからこそ尚更、殺気が無い事に“違和感”があるのだ。

 今まで何度となく銃撃戦の経験はしてきたが、殺さなければ殺されるもので、それこそ一瞬のミスで命を落とす。

 だが、ネフィリムのメンバーからはそれが感じられない。

まるで

「殺したくない」

とでも言いたげな具合だ。 

 だとしたら、それこそまさに

「当たらなければどうという事はない」

と言う事になる。

 だが、実弾が飛び交っている以上は当然、被弾する確率が0ではない。

ネフィリムのメンバーが防弾盾を装備しているにしても、こちらは最低限のボディーアーマーのみであるから尚更被弾するわけにはいかないのだ。

 仮に、もし、威嚇射撃だったとしても、流れ弾や跳弾に被弾する確率はかなり高いのだから。


(…殺しに来てない?それともド素人なのか? )


 壁を盾に隠れ、短刀の刀身を鏡の代わりにして様子をうかがいながらそんな事を考えていた。

「だったら試してみるか…」

 そう呟くと彼は短刀を鞘に収め、背負っていた四連装ロケットランチャーを床に置き日本刀を腰のベルトに差す。

 そして、次の瞬間、勢いよく飛び出すや否や抜刀した。

利三が飛び出した瞬間、再び銃撃が起きるが案の定当たらない。

それどころか、弾丸を日本刀で斬り落とす“弾斬り”をする必要もなかった。

勿論、“弾斬り”は彼の超人的な身体能力を持ってこそ可能である事なのだが、被弾する確率が低い為に使う必用が無かった。

「…やっぱり…」

 そう呟くと、彼は不敵な笑みを浮かべて突進していく。

 距離が縮む事で集弾性が増し、一歩、また一歩と進んでいくうちに“弾斬り”の必要性や回数は増えていったのだが、彼の“弾斬り”は最大で一秒間に100発の発射速度を誇るガトリングガンですらものともしない。

 そう、彼にとっては当てに来ない集中砲火などは何ともない事なのだ。

 勢いよく防弾盾に斬り込むや否や、間髪入れずに次々に峰打ちで次々と気絶させていった。

 そして、最後に残った一人に刃先を突き付けて、こう言い放った。

「お前達の目的は何だ?殺す気がない奴は殺すに値しないから生かしておいてやるが、目的は話してもらうぞ。」

 だが、その人物も彼が言い終わる前に気絶してしまった。

「仕方ないか…」

 そう呟くと、日本刀を鞘に収め、ポケットから結束バンドを取り出して気絶している人間を拘束していく。

 一通り拘束し終えると、装備品を剥ぎ取り離れた場所に山積みにしていく。

 その中には4連ランチャーの様な形のペッパーボックスピストルと呼ばれる物や2丁の自動拳銃を水平に繋げた様な形の水平二連自動拳銃等の珍品が多い事に気づき、ついつい溜息が漏れた。

「ハァ…。見た目重視のド素人か? 」

 とりあえず先を急ぐ為、装備品の山の中からトランシーバーや自身の得物に対応している弾薬、その他の使えそうな物を選別して持ち去り、日本刀と四連装ロケットランチャーを再び背負い先を目指した。

 歩きながら無線を開き対策本部に現状を伝える。

「こちらベルクト、本部応答願います。繰り返す。こちらベルクト本部応答願います。」

「こちら対策本部、ベルクトどうぞ」

「現状報告、只今第一関門突破。遭遇した犯行グループのメンバー10人全員の武装解除と拘束に成功。尚、犯行グループからこちらに対して明確な殺意は見られない模様。繰り返す。遭遇した犯行グループのメンバー10人の武装解除と拘束に成功。尚、犯行グループからこちらに対して明確な殺意は見られない模様。」

「対策本部了解。引き続き救出作戦に着手願います」

「ベルクト了解。拘束メンバーの回収作業願います」

「対策本部了解。タイミングを見て作業開始します」

「ベルクト了解。通信を終了します」

 無線を切った直後、奪い取ったトランシーバーに通信が入る。

「第3ゲート、第3ゲート、銃撃が止んだ様だが国家権力の犬共は下がったのか?正面ゲートは未だ戦闘継続中だ」

「“国家権力の犬”ってのは、警察隊の事か? 」

「誰だ!?貴様は!!」

「なぁに。名乗る様なものじゃないさ。間抜けの大足さんよぉ」

「貴様!まさかっ…!」

「珍品好きのお仲間10人は仲良く並んでおやすみ中だ。早く親玉の顔が拝んでみたいところだなぁ」

「何だと!?まあいい、貴様が大口叩いていられるのも今のうちだけだ。すぐに我らの正義の鉄槌を下してやる」

 そう告げると通信の相手は乱暴に無線を切った。

 そして、それから犯行グループが人質を集めているとされる6階まで階段で上がった。

 ドアを開け、廊下をしばらく進みエレベーターホールを過ぎると再び犯行グループと遭遇したのだが、場所が非常に悪かった。

 殺気が無い事から不覚をとり、かなり近づいてしまっていたのだ。

 (この距離じゃランチャーは使えない…)

 あまりにも“近すぎる”事でランチャーを使えば、その爆炎が自身にも襲いかかってしまう。

 更に間の悪い事にエレベーターホールを中心にH型にはられた通路は幅が狭く、先ほどの様に日本刀を振り回す事も不可能だった他、背後の階段からも降りてきていた。

 アサルトライフルのセレクターをフルオートに切り替えて弾幕を張り、何とか牽制し、エレベーターホールまで戻るとボタンを押した。


「一か八か…」


 そう呟くとアサルトライフルを左手に持ち替え、背負ったままの日本刀を無理やり抜き、ドアに斬りかかった。

 そして、勢いよくドアを蹴破るとそのままエレベーターシャフトに飛び込んだ。


「うわぁぁぁぁぁぁあ!」


 いくら超人的な肉体を持っているとはいえ、さすがの彼も雄叫びを上げた。

 少なく見積もって5メートル以上は落ちた様だが、ドスンという鈍い音と共に上昇してきたエレベーターの天板に難なく着地した。

 そしてすぐ、緊急用の上部扉を開けると、今度は中から銃撃された。

 被弾こそしなかった為、すぐにスタングレネードを数発投げ込み、エレベーター内を無力化すると同時に、上からの攻撃に対抗して足元を狙った弾幕を張り牽制する。

 いくら利三が超人的な身体能力を持っており、殺害する気が無いとはいえ、相手を全員負傷させずに倒せるほど器用な真似は不可能であり、何名かは脚に被弾し倒れていった。

 エレベーターの上昇に伴い、距離は縮んでいったが、タイミングを見計らい、スタングレネードを投げ込めた為、何とか難を逃れた。

 エレベーターが6階で停止すると、ワイヤー伝いにエレベーターシャフトをそのまま上がり7階でドアを蹴り開けた。

 先ほどの戦闘でネフィリムの警戒態勢が更に強化されたのは言うまでもない為、こちらも必要以上に警戒心を強めなくてはならなくなってしまったが、ロッカールームの様な場所を見つけた為、そこに潜んで一時、様子を見る事にした。

 中に入ると万が一にも見つかるわけにはいかない為、火災報知機やら何やらのセンサーの類を銃床で叩き壊すように次から次に潰していき、一通り終えると無線で対策本部と交信する。

「こちらベルクト、本部応答願います。繰り返す。こちらベルクト、本部応答願います」

「こちら対策本部、ベルクトどうぞ」

「こちらベルクト、現在7階に潜伏中、先ほど6階にて交戦。多数の相手を一時的に撃退したものの、無力化並びに拘束はできず。尚、内部にもかなりの人数が確認できる模様。繰り返す。先ほど6階にて交戦。多数の相手を一時的に撃退したものの、無力化並びに拘束はできず。尚、内部にもかなりの人数が確認できる模様。」

「対策本部了解。そちらで開いてもらった突入口より突入に成功し、現在、地下並びに3階まで制圧せり。しかし人質の安全確保の都合上、4階から先には進めず。繰り返す。現在、地下並びに3階まで制圧せり。しかし人質の安全確保の都合上、4階から先には進めず」

「ベルクト了解。こちらはこちらで作戦を継続する」

「対策本部了解。健闘を祈る―」

 通信を終えると、普段から愛飲しているリトルシガーを取り出し、愛用のオイルライターで火を点けた。

 交戦したネフィリムのメンバーを“珍品好き”と評していたが、彼もまたコンビニやスーパーなどでは殆ど取り扱いが無く、専門店などでしか入手できないリトルシガーの中でもマイナーな銘柄を好んでいる“珍品好き”である。

 背中に担いでいた得物を置き床に座ると、部屋の隅に缶コーヒーの入った未開封の段ボールが積まれていた事に気付く。

 恐らくは従業員用に用意されていたものであろう、

 状況が状況であるし、喉も渇いていたので開封し、中身を失敬することにした。

(このメーカーは広告塔にアイドルを起用して広告費を掛けている割に味はたいしたことないから嫌いなんだが、この際贅沢は言えないか…。)

 一息ついていると奪い取ったトランシーバーに通信が入る。

「よう。Bastardバスタード。また派手にやってくれたじゃないか。スタングレネードで気絶していた奴らも回復して、お前を倒そうと息巻いているぞ」

Bastardバスタード”それは侮蔑的な意味で“できそこない”を意味している。

 先ほどの戦闘で殆どの相手を再起可能な状態で撃退した事から彼を“出来そこない”と認識したのだろう。

「“出来そこない”とはなかなか言ってくれるじゃないか。巨人さんよ。おたくらからして俺は“阪神”じゃないってか? 」

「日本のプロ野球に例えるとはなかなか面白い事を言ったつもりの様だが、そういう事だ。ここまで邪魔をされた以上、貴様には人柱になってもらう事にしよう」

「ほう。本気で俺を殺しに来るならいつでも来な。そんときは遠慮なく始末させてもらうがな」

「まぁいい。本当の意味で我々の力を目の当たりにすればそんな口は二度と叩けなくなるだろう」

 そう言い残すと通信が切れた。

「…まったく、本気で殺りにきてくれねぇと困るぜ…」

 トランシーバーの向こう側にいるネフィリムから殺害宣言をされたにもかかわらず、かえって溜息交じりに漏らすあたり肝が据わっているというか、どこか頭のネジが抜けているというか…。

 それは利三が今まで潜り抜けてきた修羅場が相当のものだったからであるからなのか、本当に余裕がある。

「仕事終えたら先生に飯でもねだるか。最近は節約で曜日感覚を維持するための、金曜日のカレー以外は毎日ちゃんこ鍋だったからな。やっぱ腹に溜まるものがいいから“すたみな丼”のドカ盛りサラダセットか?それともラーメン、炒飯、餃子の3点セットにしようか? 」

と、独り言を言っている具合に…。

 もっとも、この余裕の裏には武器、弾薬にまだまだ余裕があった事もある様だ。

「ランチャーを持ってきたのは間違いだったか?数的不利を考慮して持ってきたはいいが、文字通り“無用の長物”になってるな。まぁ“無用の用”って言葉もあるからいいか…」

 缶コーヒーとリトルシガーで一息つくと、再び得物を背負って警戒しながら部屋を出で上層階を目指した。

「ったく。先生も人が悪いぜ。毎回毎回こんな仕事ばっかで、報酬もかなりピンはねしてんだから、装備の代金とか色々差し引いても、そろそろ新型戦闘機1機分くらいの貯金はあるんじゃないか? 」

 彼は殆ど知らないが、彼が言う通りで彼の仕事に対する報酬は同業者の中でもかなり高額な部類に石塚が設定している。

 彼の超人的な身体能力や彼の得物にかかる高いコストを考慮しても、その金額はそう断言できるレベルである。

 ただ、そのような高額な報酬を打ち出しているのにはいくつか理由があり、その中には暴力団やマフィアの類が抗争で安易に依頼してくる事を防ぐ他、内部での粛清に利用されない様にする目的がある。

 独り言で愚痴を漏らしている割に彼の表情は相変わらず陽気だ。

 こういう状況に慣れてしまったのか、それとも生死を掛ける事で気が狂ったのか、単純に状況を楽しんでいるだけなのか?

 それは、彼自身ですら理解していないし、傍から見ればやはり異常としか言いようがない。

 警戒しながら再び階段をしばらく進んでいるが、彼に対する先ほどの殺害宣言とは裏腹に全く人の気配が無い。

 屋上にはネフィリムの垂直離着陸機が泊まっている為、常識的に上層階にもそれなりの数はいるはずである。

 ともかく屋上に一度、意識を向けさせる事を考え、無線でマールスのメンバーからの情報を貰う事にした。

「こちらベルクト、マールス応答願います。繰り返す。こちらベルクト、マールス応答願います」

「こちらマールス本部、ベルクトどうぞ」

「こちらベルクト、現在、屋上に向け進行中。屋上の状況の解説求む。繰り返す。現在、屋上に向け進行中。屋上の状況の解説求む」

「こちらマールス本部、配置した20mm対物ライフルとそのスポットマンからの報告では屋上に人影は見受けられないものの、垂直離着陸機はすぐに稼働できる状況にある模様。繰り返す。配置した20mm対物ライフルとそのスポットマンからの報告では屋上に人影は見受けられないものの、垂直離着陸機はすぐに稼働できる状況にある模様」

「ベルクト了解。垂直離着陸機に対して対物ライフルでの一斉射撃を要請します」

「マールス本部了解。これより一斉射撃の指示に移る。各自、通常マガジン装弾数の3+1発のみで大丈夫か?」

「こちらベルクト、問題ない。射撃終了を確認次第屋上に突入する」

「マールス本部了解。射撃終了時に連絡する」

 無線が切れてから数秒後、轟音と共に20mm口径の弾丸が屋上の垂直離着陸機に向けて合計64発撃ち込まれた。

 この対物ライフルは全長が1795mmに及び、もともとは航空機関砲の弾薬として作られた弾薬を使用し、秒速720mの銃口初速と1500mの有効射程を誇る怪物である。

 その威力は凄まじく、数発で自動車を鉄くずに変えてしまう。

 一応の分類上は“個人武装用対物ライフル”とはなっているが、その威力や見た目は明らかに“大砲”と呼ぶに相応しい。

 そんな“大砲”の一斉射撃を浴びたとしたらそれが分厚い装甲を施した戦車であったとしてもひとたまりがない。

 まして、兵員輸送用の垂直離着陸機であるなら当然、被弾直後に大爆発を起こし、一瞬でスクラップと化した。

 着弾による轟音とそれに伴う爆発音や振動は、屋上から2階下で利三がいる9階の階段の踊り場でもこれでもかと言うほどはっきり聞こえた。

 その直後、マールスから通信が入り一斉射撃の終了が伝えられた。

 そして、一気に階段を上がって屋上に向かうと、そこには文字通りに“鉄屑”と化した機体の残骸が散乱していた。

 いくら一斉射撃が加えられた直後とはいえ、コンクリート壁の影など、どこかに潜んでいる可能性は捨てきれない為、慎重に進んでいく。

 ある程度見回すが、何処を見ても人影が無いどころか、死体すら見当たらない。

 とにかく彼は、制圧したか否か確認する為にアサルトライフルを乱射した。

 そして制圧出来た事を確認すると、制圧完了を示す緑の発煙筒を点けて合図を出した。

 屋上の制圧が完了した合図に発煙筒を足元に置くと、階段を引き返し再び人質の救出に向かった。

 救出に際しても何も、先ずは犯行グループの無力化が必要であるため先ほど飛ばした10階から9階へと捜索していく。

 しかしそこは、静まり返りサーモセンサーを使っても空調などの設備機器類を除く熱源は確認できなかった。

 利三が捜索をしている頃、ネフィリムが占拠している6階の金庫室では幹部と思しき面々がロックを解除するために暗号解析等を行っていた。

 いかにもクラッカーといった風貌の人物達が忙しなく移動端末を操作し、コンピューター内に仕掛けられた障壁を次々に突破していた。

 しかし、そこはやはり金庫室である故に、幾重にも積み重なる厳重なロックと障壁で守られており、相当優秀な技術を持っていると思われる彼らでも一筋縄に突破できるような代物ではなかった為、なかなか扉が開かなかった。

  そうしている間にも屋上での爆発音や利三が放った銃声が聞こえてきていたため、リーダーと思しき男が苛立ちを見せ始めていた。

 「お前ら一体いつまで時間掛けてるつもりだ!上から爆発音や銃声が聞こえたって事はあの出来そこないが上を押さえたって事だぞ!!」

 苛立ちを見せて怒鳴り散らしているあたりは、やはり森江 利三という存在に対して危機感を覚えていることは否めない様子であるのだが、危機感を覚えてなお、この金庫室に執心しているのは一体、何故なのだろうか。


 ―――金庫室に執心している―――


 そこだけ見ると、目的や要求を明らかにせず“聖戦”などという言い回しでの声明文しか出さなかった一方で、やっている事はどう見ても“強盗”でしかない。

 だが、ここは銀行の金庫ではなく、一企業の金庫室だ。

 その様な場所に保管されているものなど、世間一般的に考えて有価証券の類や重要書類といった物が大半であるはずで、ここまでして手に入れる様な物ではない。

 むしろ有価証券の中で自社の株式などはこういう形で奪った場合は間違いなく価値が暴落し、記載された額面に関わらず紙屑同然になってしまうだろう。

 仮にたとえ、現金があったとしてもそれこそいわゆる“見せ金”程度である。

 金銭目的の犯行ならばこれだけの事をやってのけるだけの装備があるなら常識的に考えて銀行を襲った方が手っ取り早いし、銀行の金庫破りを行った方がリスクも少ない。

 それでいてなお、この金庫室に執心するのは何故なのか、これほどまでに厳重なロックを掛けている中に入っているものが一体何なのか、そしてそれがネフィリムに何をもたらすのか?

 本当に謎である。

「持ってきたC4爆薬のセットはとっくに終わってんだ!目的の物を中から出したらすぐに次のフェイズに移行しないと間に合わないぞ!!」

 いくら当たり散らしていても状況が進展することはないことくらい怒鳴った当人も頭の中では理解できている。

 だが、そうせずにはいられない。

森江 利三という不測の存在が現れてしまった今、完璧と思えていた、途中までは間違いなく成功していた計画が頓挫しかかっているのだから…。

 そうこうしているうちに最終ロックのパスコードの解析が終わり眼鏡姿の男が叫んだ。

「パスコード解析成功!パスコードは〈DESTROYERデストロイヤー HIBIKIヒビキです!!」


 ―――“DESTROYERデストロイヤー |HIBIKI《ヒビキ”―――


 英語で“駆逐艦 響”を示すそのパスコードは旧大日本帝国海軍の“駆逐艦 響”が、戦火により3度の甚大な被害を受けてもなお沈む事は無く、賠償艦として旧ソ連に引き渡された後、老朽化から標的艦として沈められるまでの40年以上稼働し“不死鳥”と呼ばれた事にあやかって使われたのだろう。

 だが、金庫室のロック解除キーのボタンにアルファベットは無い。

 そこにあるのは0から9までの数字に0を挟んで“・”と“-”の記号を合わせた12個のボタンだけであり、入力も2桁毎となっている。

 これではいくらパスコードが判明しても入力できなくなっている。

「一体、どういうことだ!」

リーダーと思しき男が再び怒号をあげた。

「恐らく、数字とアルファベットが対応しているものかと…」

恐縮しながら先ほどの眼鏡の男がそれに答える。

「なるほどな…。最後の最後にアナログで対抗しているわけか…」

 そう漏らすなり手帳とペンを取り出し、“00=空白、01=A、02=B…26=Z”と書き込んでいった。


 そして、メモを見ながら


 “04(D)05(E)19(S)20(T)18(R)15(O)25(Y)05(E)18(R)00(空)08(H)09(I)02(B)09(I)11(K)09(I)”


と打ちこんだ。


 だが、扉は開かず、ボタンの上部に備え付けられたモニターに“ERROR”と表示された。

「馬鹿な…」

落胆しながらボタンを見つめていると、ある事に気付く。

 そう、一般的にこういった3列×4段でのボタンの配列では電話機のボタン配置と同じく“・”と“-”の位置に“#”と“*”が入っている

「いや、まさかな…」

そう呟くと男は指先でコツコツと扉を叩き始め、再びメモを取った。


“文字間/=3・、語間7・、-・・/・/・・・/-/・-・/---/-・--/・/・-・/ /・・・・/・・/-・・・/・・/-・-/・・”


 そして、男はとぱっと見は何の事かわからないメモを見ながら再び入力を始めた。


“-1、・2、3・、・1、3・、・3、3・、-1、3・、・1-1、・1、3・、-3、3・、-1、・1、-2、3・、・1、3・、・1、-1、・1、7・、・4、3・、・2、3、・-1、・3、3・、・2、3・、-1、・1、-1、3・、・2”


 その様に入力するとモニター上に“CLEAR”と表示されて扉が開いた。


「やはりな…」


 先ほどとは打って変わって男は不敵な笑みを浮かべている。


「どういう事です? 」

 恐縮していた男を含め、その場にいた一同が不思議そうな顔をしていた。

「欧文モールス符号だ。言うならば、どうやら裏の裏をかいていたといったところだ」

 そう。

 この金庫室のロックは解除コードが流出した際に備えて、欧文モールス符号で最終的な対策を施していたのだ。

 そうすれば万が一にも解除コードが漏れて何者かがロックを解除しようとしても、キーボタンは数字と記号の16個のみであるため“DESTROYERデストロイヤー HIBIKIヒビキ”がパスコードだという事に疑念が出るし、眼鏡の男が言った様に数字とアルファベットが対応しているという事まで気付いたとしても解除は出来ない。

 リーダーと思しき男が“-”と“・”のボタンの存在から解読したようにモールス符号であると知らなければ解読できないし、モールス符号だと気付いても対応しているそれぞれの符号を知らなければ“開かずの扉”なのだ。

 ここまで厳重にロックされている事に甚だ疑問が出るのは当然の事ながら【ネフィリム】のメンバー達は何故、爆薬や特殊工具を使わずに開けた事にも疑問が残る。

 最新の武装を装備し、移動端末だけで幾重にも重ねられたパスコードの防壁を突破するだけの能力があるなら特殊合金にも対抗できる爆薬や特殊工具の類くらいは用意できそうな気がするが、それらを使わなかった事に金庫室の中身が関係しているのであろう…。

 金庫室に入ると様々な書類を綴じたファイルや有価証券の類が入っているであろう手提げ金庫などが所狭しと棚に置かれており、一番奥には旧式ではあるが大型の据え置き金庫が鎮座していた。

「例の物はあの中か? 」

リーダーと思しき男がそういうと他の物には目もくれずに工具箱を持った男に開けるよう促した。

 いくら金庫といえどもそこは旧式、力技で無理やりこじ開けたとしても中身に傷を付けずに扉を開けることは専用工具さえあればド素人でも可能だ。

 高速カッターを使い金庫のデッドボルトを切断すると、いとも簡単に扉が開いた。

「さて、中身とご対面といこうか…」

 リーダーと思しき男がそう言いながら扉を開くと、その中には粉飾する前の様々な書類と共に隠し口座の通帳や金塊と共に広域指定暴力団や海外マフィア、更には国際テロ組織との繋がりや数多くの企業犯罪を示す客観的な証拠書類がぎっしりと詰め込まれていた。

「写真撮ったら証拠品を全部持ち出せ。あとは手筈通りにこの証拠品をリークしたら人質開放後の爆発に紛れて高跳びだ!」

 金庫室を出て人質を集めた部屋に向かうとネフィリムの残りのメンバーが姿勢を正して男達を出迎える。

「みんなご苦労だった。途中不測の事態はあったが予定通りに事は運んだ。人質の皆さん、ご協力に感謝します!」

 リーダー格の男がそう言うと、ネフィリムのメンバー達は一斉に人質の解放作業に移った。

 人質の解放が始まった事で対策本部から利三に待機する様に通信が入った。

 その為、7階まで下りて、とにかく様子を見る事にした。

 人質の解放が完了すると再び通信が入った。

「こちら対策本部。こちら対策本部。ベルクト応答願います」

「こちらベルクト。対策本部どうぞ」

「こちら対策本部。犯行グループが人質を全員解放し、ビル内に残るのは犯行グループだけの模様。繰り返す犯行グループが人質を全員解放し、ビル内に残るのは犯行グループだけの模様」

「ベルクト了解。後は好き放題やらせてもらって構わないな? 」

「対策本部了解。出来るだけ犯人は確保してもらいたい」

「ベルクト了解。努力はしてみる」

 通信を終えるや否や彼は階段を上がり、最上階のエレベーターホールに向かうと、背負っていた四連ランチャーの撃発準備に取り掛かった。

「ようやくコイツの出番と来たか」

そう言うと再び無線で対策本部に呼びかけた。

「こちらベルクト。こちらベルクト。対策本部応答願います」

「こちら対策本部。ベルクトどうぞ」

「これより犯行グループの退路を断つため、エレベーターの破壊を行う。4階までを制圧している部隊に、エレベーターには近づかない様に通達求む。」

「対策本部了解」


―――犯行グループの退路を断つ。―――


 そのために4基あるエレベーターの扉を先ほどと同じく日本刀で切断して蹴破ると各エレベーターシャフトに一発撃ち込むと同時に身を避ける。

 エレベーターシャフトというのは言ってしまえば煙突の様なものであり爆発物を投げ込めば規模に応じた爆炎が上に上がってくるために、特に強力なサーモバリック爆薬を使用しているこの兵器の威力を考えると、尚更そうしなければ自分自身が火だるまになってしまうからだ。

 最後の一発を撃ち込むと、弾切れのランチャーはそれこそデッドウエイトでしかないためエレベーターシャフトに投棄した。

 そして、再び階段を下りて行くのだが全く人の気配が無い。

 念入りに各階を見て行くが、それこそゴキブリ一匹見かけないのだ。

そのまま、例の6階に到達するがそこにも誰もいなかった。


―――“誰もいない”―――


 念のためスタングレネードを投げ込んだ事で、その理由に気付くのに時間は要らなかった。

 そう、ネフィリムが占拠していた金庫室や周辺には武器類が放棄され、C4爆薬、すなわちプラスチック爆弾が仕掛けられていたのだ。

 それも、制圧の為に警察隊が大勢で突入してきた際にセンサーが反応して爆発する様にして。

ここまでの仕掛けがあるならば他にも仕掛けているに違いない。

 もしも、スタングレネードを投げ込んで煙が出ていなければセンサーに気付かなかっただろう。

 逃走を許してしまったが、人質に死傷者はいなかった様だし、依頼にあった人質の解放は一応成功した以上、逃走犯の確保は警察が行えばいい話だ。

 しかし、これではわざわざエレベーターを破壊した意味がないだけでなく下手をしたら突入した警察隊が全滅しかねない。

 さらに言えば、人質に紛れて逃走に成功しているという事は利三と対策本部の無線を盗聴して、リモートコントロールで爆破する事も考えるに容易かったので、とにかく階段を駆け下りて突入していた警察隊と合流を計った。

 一度は銃を向けられるものの両手を上げ

「こちらコールサイン“ベルクト”!要請に応じて参上せり!」

 そう叫ぶと同時に、野営本部で渡されていたバッジを見せると一斉に銃を下した。

 そして、間髪入れずに

「犯行グループはすでに逃走した模様!なお、上階には大量の爆薬が仕掛けられており、直ちに撤収しなければ危険である!」

 そう言い終わるか否かのところで突入隊の指揮官が割って入る。

「聞いた通りであるなら即、撤収だ!なお、撤収を悟られぬように無線は封鎖!対策本部への通達は撤収後に伝令にて行う!」

「「了解!」」

指揮官の男の命令を聞くや否や返答するあたりはさすがである。

「ちょいといいか? 」

利三が割って入る。

「なんだ? 」

 いくら上が呼んだといえ部外者が口を挟むのはあまり気分がいいものではないからか、少々怪訝そうな顔をしている。

 もっとも、同じくマスクを被っているため表情はわからないのだが、声色に出てしまっているといった方が相応しい表現なのだが。

「そっちが撤退するにしても陽動が必要だろう?上の階で銃を乱射する一方で、また“大砲”を撃ち込ませるから一番先頭の隊員は銃声聞いたら出て行ってくれ。それから、しんがりが出てったら“こいつ”を打ち上げて合図してくれ。骨董品だが、基本的な使い方はシングルアクション拳銃と同じでハンマーを指で起こして引き金を引けば発射出来る。ただし、ちゃんと真上に向けて撃ってくれよ?でないと気付かないからな。使い終えたら俺から渡されたって事で対策本部の指揮官にでも渡しといてくれ」

 そう言いながら利三は旧式の信号拳銃を差し出した。

「よかろう。私が責任を持ってしんがりを務めるからそっちは任せた。副長!先頭での指揮は任せた!他は撤収準備に入れ!」

「「了解!!」」

 突入隊が撤収準備に入るや否や利三は再び階段で上層階を目指し、無線でマールスの狙撃隊に合図と同時に8階に対して一斉射撃を加えるよう指示を出した。

 そして、7階に着くと合図として3連射を3回、一呼吸置いてから3連射、単発、3連射の射撃を2回繰り返し行った。


 この撃ち方は単発射撃を“・”3連射を“-”とモールス符号に置き換えると“OK”となる。


“合図”である事を知らなければ、ただ乱射している様にしか見えない為にこういうときの“合図”として使用するには打ってつけなのだ。

 この、合図を確認するや否や“大砲”こと対物ライフルによる一斉射撃が敢行された。

 そして、その轟音を合図に警察の突入隊がビルからの撤収に取り掛かり、撤退完了と同時に信号弾が打ち上げられた。

 信号弾を確認すると利三も脱出準備に取り掛かった。

適当な場所にロープを縛ると、窓を壊してロープを投げ、降下する。


―――ここまでは順調だった。―――


 だがネフィリムのメンバーがどこかで気付いたのか利三が降下を始めるや否やビルが段階的に大爆発を起こした。

 2度目の爆発で彼は吹き飛ばされ、近くに植えられていた樹木に向かって落下し、枝を折って地面に叩き付けられ、一度気を失ってしまった。


 何度目の爆発だろうか、爆発の轟音で意識が戻る。

「ベルクト!応答求む!繰り返す!ベルクト!応答求む!」

 無線通信の声色から安否確認をしばらくしていた様だ。

 とにかく全身の痛みを堪えながら声を振り絞り無線に応える。

「…こ…こちら…こちらベルクト…なんとか…生還…生還出来たようだ…」

「了解した。所在は確認しているからすぐに回収に向かう」

その直後、再び意識が遠のき気を失った。

 しばらくすると石塚が回収要員を連れて訪れ、気絶している彼を担架に乗せて運び去った。

 そして、的確な応急手当を施し、そのまま病院に搬送していった。

 いくら彼の肉体が超人的であり、樹木がクッションの役割を果たしたといえ、爆風に飛ばされて地面に叩きつけられたとなれば、命に別条は無くともただでは済まない。

 もっとも、それだけの状況で死なない利三の方が異常であるのは言うまでもないのだが。

 搬送先の病院では石塚が呼び出した腕利きの医者が待ち構えており、すぐに治療に取り掛かかった…。

 気を失ってからどのくらい時間が経っただろう…。

 麻酔が切れたためか利三は痛みで目を覚ました。

 その目の前には病院らしい純白色の見知らぬ天井が広がっているものの、気を失う直前の記憶との差が酷く、状況が呑み込めなかった。

 痛みを堪えて身を起こすと見舞客用であろうソファーに座ってテレビを見ていた【死神先生】が振り返った。

「ようやくお目覚めか? 」

「…? 」

「見ての通り病院だ。気絶して目覚めたら先ずはその場で置かれている状況を眼だけで確認しろって教えた事を忘れたか?」

 先ほどまで意識を失っていた怪我人に対してもこのスパルタぶりはやはり元軍人といったところか。

「いや、ここはどう見ても病院じゃ? 」

「正解だ。まぁ不正解はあり得ないがな」

 石塚は半笑いでそう言うとテーブルの上のファイルに手を伸ばした。

「…にしてもだ。お前さんの骨は鉄筋か何かで出来てるのか?いくら樹木がクッションになったとは言え、あれだけの高さから吹き飛ばされて脱臼はあっても骨折箇所がゼロとは驚いた。回収時に見たときは色々刺さってギリ―スーツでも着てるかの様相だったが、傷はたいしたことはなかったらしい」

「で?全治どのくらいです? 」

「医者の見立てじゃ大体6週間ってところらしいが、麻酔のせいかお前さんは5日起きなかったからな、医者に言って起きるようにわざと切ってもらった。さすがにもうそのくらいならまだ、耐えられるだろ? 」

 ここまで来るとスパルタというよりサディストである。

「そりゃあ、まぁ何とか…。せめて鎮痛剤の錠剤くらい無いのですか?あと、腹減ったんで何か食わせてください」

「とりあえず飯はもうしばらく待て。先ずは一度医者に見せてからでないとな」

 そう言うなり、医者から渡されていたのであろう院内用携帯電話を手にしながら鎮痛剤の錠剤と水の入ったペットボトルを渡してくる。

 とにかく痛みから解放されたかったので石塚が通話をしている横で点滴のチューブが邪魔をする中、痛みに耐えてペットボトルの蓋と錠剤を開封し、一気に飲み干した。

 それを確認してか石塚はまた唐突に話し出す。

「この間の仕事だが、まぁギリギリ及第点だな。人質は全員無事に解放されたし、お前さんも生還したからな」

「殆どに逃げられましたが、一部のひっ捕らえた連中は何か吐きましたか? 」

「問題はそこなんだ。依頼内容は人質の解放のみで、犯人の確保及び殺害はこちらの裁量で、捕り逃がしても警察組織で対応できるから構わないということだったから依頼自体は遂行した事になるが、お前さんが確保に成功した10人全員が留置所内で自殺した上、身元を示す様な所持品は一切無かっただけでなく、採取した指紋やDNAも前歴者リストやら失踪者リストに加えて、その他のデータベースの全てと照合したが、どのデータにも一致、若しくは近親者となる者が存在しなかった。それどころか保護した人質全員に捜査協力依頼と称して硝煙反応検査や指紋と口腔細胞の採集をして、同じようにデータとの照合や様々な質問を行ったが、一部に前歴者やその近親者はいたものの、今回の件に関しては全員シロだった上に犯行に使われたトラックも全て同じ車種の盗難車を分解して組み直したもので、盗難場所も全国にまたがっていてそこからの犯人の特定は困難だし、犯行グループのメンバーとあの状況からどうやって逃げたのかという謎だけが残る結果になった」

「地下から4階までは制圧済みで、連中の乗ってきた垂直離着陸機は鉄くずにしましたからいくら人質解放の混乱に乗じて逃げたとしても難しい話ですね」

「お前さんが潜入したのと逆で設備坑から脱出するのを考慮してそこも押さえてはいた様だが、そこも全くだったらしい。とにかくまぁ、あれを見ろ」

 そう言うと、石塚はテレビ画面を顎で指した。

 テレビ画面に目を向けると事件についての報道が流れていた。

 事件から5日経つものの現場となったビルには未だに規制線が張られており、現場検証が続いている様だ。

 現場の中継映像が流されるその一方でコメンテーターの男性が犯行グループを捕り逃がした警察に加え、事件現場となったビルの企業が行っていた様々な企業犯罪を糾弾する持論を展開していた。

 そして、次に映された映像を見て驚愕した。

“反ブラック企業”を掲げる市民団体が行っているのであろうデモ行進が各地で行われた模様を映したのだろうがネフィリムを擁護しているとさえとれる横断幕を掲げ、監督省庁である厚生労働省や管轄の労働基準監督署は当然槍玉に挙げられているのだが、人質だった者達さえも非難の対象としていた。


 ―――ネフィリムが公開した企業犯罪の数々を社員の誰かが労働基準監督署に内部告発し、適切な行政指導が行われていたのならばこの様な事件は起こらなかった、知っていて告発しなかった、あるいはおかしい事に気付かなかった、気付いていても告発しなかったのなら同罪である―――


 各地のデモ隊が声高に叫んでいるシュプレヒコールも理屈ではその通りかも知れないが所詮は“たられば論”でしかない。


 企業犯罪を暴く事で世論を味方につけるのがネフィリムの策略通りであったとしたなら目的が不明であった事にも合点がいくのだが、これは忌々しき事態である。


 さらに言えば、世論が味方している上、犯人は捕まっていない事から第2の犯行や模倣犯の登場、類似の犯罪がいつ起きてもおかしくないと言える状況だ。

「一体どういう事ですか!“見ての通り”とかじゃなく、ちゃんと説明して下さっ…っうぅぅ…」

自分が怪我人である事を忘れてつい、怒りを露わにしてしまった。

 いくら頓服薬の鎮痛剤を飲んだといえど、それほど即効性が高く無い為、傷に障り蹲ってしまった。

「お前さんが怒るのも無理は無いし、気持は解るが今は少し落ち着け」

 そう言っているうちに部屋に医者が入って来た。

「さすがは“死の急襲者デスレイダー”の弟子だな。目覚めたと思えば騒ぐだけの元気があるとはね」

「自分でも見る目の無さを恨むよ…。」

蹲っている横でそんな会話が交わされていたので痛みを堪えて見上げると石塚と瓜二つの白衣姿の男が立っていた。

「はじめましてだね。ベルクト君。私は【石塚秀人】の双子の弟の【石塚いしづか 佳樹よしき】という者だ。軍医上がりで普段はフリーランスの医者だけど“こっちの世界”じゃ【Dr.アスクレピオス】とも呼ばれている。まぁ面倒だから君の事は“ベル君”と呼ばせてもらうし、私の事は【佳樹先生】と呼んでくれ。それにしても、今回は兄貴がまた無茶をさせた様だね」


―――“アスクレピオス”―――


 ギリシャ神話に登場し、優れた医術で死者すら蘇らせたとされる医神である。

その名を通り名に持つという事は余程優れた医者なのだろう。

 かなりフランクな接し方であるこの佳樹先生は、兄とは見た目以外の全てが正反対だ。

「早速だけどベル君。色々とやることあるからまた仰向けに寝てくれ」

言われるがままベッドに仰向けになると空になった点滴や包帯、ガーゼの類を外された。

 そして、傷の経過観察をすると佳樹先生は消毒や包帯の巻きなおしを手際よく行った。

 その間、ものの10分程度だろうか?

 それこそ、短時間での適切な治療が求められる軍医上がりとはいえ手際が良すぎるくらいであった。

「これでよしっと。に、しても君は本当に超人的な肉体をしてるね。普通ならまだ動くのもキツイ筈だし。もしかして脳筋兄貴の無茶苦茶な訓練で根性の塊にされちゃった? 」

 そんな調子でいると石塚秀人の拳骨が佳樹先生の頭を捉え鈍い音がした。

「いって―な!いきなり何すんだよ!脳筋馬鹿兄貴!」

「誰が脳筋だ。このド変態外科医!」

「事実を言っただけだろ?この脳筋!」

とまあ、怪我人の横で兄弟喧嘩を始めるあたりこの双子は仲が良いのか悪いのか…。

「兄弟喧嘩するのは構いませんが、他でやってくれます?それと、もう起き上がっていいですか? 」

 いくらなんでも横で兄弟喧嘩されていたら休まるものも休まらないので、首だけ動かして割って入る。

「あぁ。馬鹿兄貴のせいで煩くしちゃってゴメンネ。身体を起こせるなら起こして大丈夫だよ」

 弟の発言のせいかどうかは不明だが兄の方は珍しくふくれっ面である。

「ところで、何か口にしても大丈夫ですか?さすがに点滴だけじゃ腹減りました」

「そうだね。胴体はボディーアーマーで保護されてたお陰で無傷だったし、内臓にダメージは無かったからね。医者としては胃に負担の少ない物からと考えていたけど、それだけ元気がある様だし、とりあえず食事の時間まではこれで我慢してね」

そう言いながら包帯やら消毒薬を乗せたワゴンの引き出しを開け、中からレジ袋を取り出して渡してきた。

渡された袋を開けてみると、中には様々なゼリー飲料のパックが入っていた。

「これって…」

「見ての通りゼリー飲料だよ。兄貴から電話で君が空腹な事は聞いていたけど、売店も閉まってたし、看護師に頼んでも他にすぐ用意出来なかったからね」

「そうですか…」

確かに、無いよりマシではあるが、少し期待したため尚更がっかりしてしまい言葉が出なかった。

「まぁ。そんなもんだな。なぁに、退院したら食いたいもん食わせてやるから早く回復する様に大人しくしとけ」

間髪入れずに弟のフォローをしっかりするあたりこの双子の兄弟関係は何だかんだで良好であるのだろう。

「なら、退院までに食いたいものを考えときますよ」

 そんな会話をしている横で片づけを終えた佳樹先生が思い出したかのように割って入ってきた。

「そうそう。鎮痛剤が効いて動けるようなら動いていいよ。そこに車椅子と松葉杖があるから好きな方を使ってね。あと、君の私物は全部そこの棚に入ってるから。それと、煙草吸うなら屋上に喫煙所があるからそこで吸ってね。まぁ医者としては、まだそこまで動けるとは思わないけど。あと、病院内での君はそこのネームプレートに書いてある偽名で登録されてるから私以外の病院関係者からはそう呼ばれるし、他の患者にも名前を聞かれたらその偽名を使うようにね」

そう言い残すと佳樹先生はすぐに部屋を出て行った。

 振り返ってネームプレートを確認する。


 そこには“九十九つくも はじめ”という偽名にしては少々目立ちすぎる様な名前が記されていた。


 全て漢数字で記される偽名である事は何かしらの書類にサインを求められた時には都合がいいのだが“九十九”という姓はそこまで多い姓ではないので印象に残ってしまう。

 そのため、偽名にはあまり向いているとは思えない。

「この名前、誰が考えたんですか? 」

「それか?私が昔使っていた偽名だ。かえって目立つ事で印象について撹乱に向いていたからな。特にこういう場所は記録が残されてしまうから尚更だ。漢数字だけの名前なら間違いようもないしな」

「そうですか」

逆転の発想というやつか、ちゃんと理由があって、以前に石塚が使っていた偽名であるならば安心だ。

 とりあえず今は余計な事を考えても無駄である様だし、佳樹先生から渡されたゼリー飲料を大人しく口にすることにした。

 双子の兄弟喧嘩やら何やらあった事で気にしていなかったのだが、ふと、目を向けるとテレビでは相変わらずネフィリム関連のニュースが流れていた。

 繰り返されるデモの映像に始まり、被害企業の重役達による会見、地検特捜部等による関連先の捜索といったものまで放送され、天気予報以外に他のニュースは無いと言わんばかりだ。

 実際に現場にいた側の人間としては早く忘れたい事であるし、報道機関が遠まわしにネフィリムを擁護して、世論を煽ってしまっているように感じるくらいだ。

「自分が気絶してた5日間もこんなでしたか? 」

「あぁ。これでもまだ落ち着いてきた方だがな。何にしろお前さんはもう気にしなくていい。捜査関係者の話じゃ全国規模で相当な数の人間が投入されてる様だから次に仕事が入る頃には解決してるだろうしな」

「次はもう少し安全な仕事を引き受けてくださいよ」

そう言いながら半分ふて腐って仰向けになった。

「安全な仕事など回ってこないと思うが、考慮しておこう」

そう言い残すと石塚はテレビを消して部屋を出て行った。

 それからしばらくして、いかにも病院食という見た目の食事が運ばれてきた。

見た目はもとより当然ながら味も病院食のそれといった具合にかなりの薄味で、お世辞にも美味いとは言えないものだったが、それでも無いよりマシだった。

 ちょうど食事を終えた頃、タイミングを見計らったかの様に石塚が部屋に戻ってきた。

「飯は食えた様だな。動けそうか? 」

「無理やりならなんとか」

「なら、とりあえず車椅子に乗れ」

「はい? 」

「とりあえずついてくれば解る」

何が何だか理解できないが、車椅子に乗り石塚の後に付いていく。

 院内を進んでいくとその規模に驚いた。

 どうやらかなりの大病院に入院させられていた様だ。

「こんな大病院で費用の方は大丈夫なんですか? 」

「ちゃんと報酬は貰っているからその辺は心配するな。むしろ医療費は追加料金請求しなくとも今回の依頼主が負担してくれるそうだからな」

 依頼元が公安関係というのはこういうときだけはありがたい。

 利三達が関わったという事が明るみに出ると色々と問題となる事はもとより、報酬支払を下手に拒否して揉め事を増やしたくないというのが本音だろうが。

 しばらくすると会議室の様な所につれていかれる。

 それこそ怪我人には場違いで、本来は病院関係者以外立入禁止だと思われる場所だ。

 中に入ると、待っていましたと言わんばかりに佳樹先生がプロジェクターを動かしてスクリーンに投影した。

 そこに映し出されたのは報道機関に公開されていない事件現場の当時の状況や爆発で廃墟と化したビルの内部などだった。

「いまさらこんなもん見せてどうしたんですか? 」

「うーん。そうだね。私の個人的な意見で言えば、君が今生きている事が本当に不思議だって事かな?歴史上の人物だったら“ハンス・ウルデリッヒ・ルーデル”やら“船坂弘”に“シモ・ヘイへ”といったバケモノ扱いで語り草になってる様な人間達は瀕死の重傷から生還したなんて話も聞くけど、私が実際に診た限りで言えば、ここまで頑丈な肉体を持っていたのは、そこにいる馬鹿兄貴以外では君だけだからね。それこそ、なぜこの程度で済んだのかという医者としての興味だね」

そう言いながら佳樹先生は機械を操作し利三の怪我の状況が書き込まれた図面やMRIなどの画像に変えた。

 そして、スクリーンをレーザーポインターで指しながらこう続けた。

「まず、十数メートル飛ばされて骨折箇所がゼロ。飛行機事故で森に落下して密集した樹木がクッションになった事で大怪我を免れたという事例は稀に聞くが、君の場合は一般的な街路樹だったから逆にダメージになる可能性もあった。それから、内臓も全て無傷。腕や脚の所々で枝や飛散物が貫通していたけど、それこそ軽く縫合する程度で済んでいるし、いくらボディーアーマーを着ていても内臓へのダメージまでは完全に防げないからね」

「そうは言われても、こっちが聞きたいくらいですよ」

「うーん。じゃあ質問を変えよう。覚えている範囲でいいから吹き飛ばされたときの状況を教えてくれるかな? 」

「そうですね。陽動を終えて降下用ロープを使って7階から脱出を試みていたところでした。たぶん、5階辺りまで降下したところで爆風にのまれて飛ばされ、気付いたら地面に倒れてました。」

「そうか。だとしたら余計に不思議だね。君の怪我の具合にしても縫合箇所は見ての通りだし、普通の患者より回復もかなり早いかな?全治6週間と言っといてなんだが、普通はもう少しかかりそうなものなんだよね。いや、君の場合はもっと早く回復しても不思議じゃないとさえ思えているくらいさ」

「そうは言われても、昔から傷の治りが人より良かったってくらいしか思い当たりませんね」

 利三の超人的な肉体は佳樹先生をしてみれば興味の対象であり、それこそ研究に値するものなのだろう。

 好奇心から患者を研究対象の様に見てしまうこの無茶ぶりが双子の兄に“ド変態外科医”と呼ばれる由縁なのだろう。

 だが、こちらとしては研究対象として扱われてはたまったものではない。

 それこそ、研究対象としてモルモットの様に扱われて様々な実験に付き合わせられたり解剖などされたりした暁には目も当てられなくなってしまう。

 とにかく、横で聞いていた石塚に目で合図し助けを求めた。

だが、何を勘違いしたのか、

「6週間より早く退院出来そうだという事か?なら回復次第即退院だ」

こちらの気持ちなど全く理解していない。

 これでは、退院してすぐにまた別の仕事を持ってくるとでも言っているかのように感じてしまう。

 実験台にされるよりは余程マシであるのだが、やはりあれだけの大仕事の後では退院後もしばらく休暇がほしいのが本音だ。

 かといって他に選択肢も無さそうであるが。

 会議室を出てから石塚は何やら用事が出来たとの事で帰って行ったので利三はそのまま病室に直行した。

 会議室で色々聞かされている間も、頓服の痛み止めの効果が切れる頃合いを見て服薬していたため、とりあえずのところは痛みに悩まされるといった事は無かった。

 病室に戻るなり棚を開けると、私物のオイルライターに普段愛飲している銘柄のリトルシガー、事件当日にお守りとして持っていた葉巻といった物に加え石塚が用意したのであろう替えの下着にタオルといった入院中に必要な物や漫画雑誌に紛れて、ティッシュ箱程度の大きさの何やら怪しい包みが入っていた。

 中を開けて確認すると、銃身とグリップを外したリボルバー拳銃にナックルダスターを取り付けた様なものと世界中で広く流通している銘柄の煙草の箱が入っていた。

 煙草の箱の中には十数発の9mmルガー弾と小さく折り畳まれた紙切れが入っていた。

 紙切れには“9mmアパッチ・リボルバー説明書”というタイトルと共にイラストと使用方法が手書きで書かれていた。

 弾が入っていない事を確認し、説明書を見ながら少し弄ってみた。

 完全に展開するとその見た目は、ナックルダスターがグリップとなっている銃身を欠いたリボルバー拳銃に稚拙なナイフが取り付けられたもので、恐らくはペッパーボックスピストルの類になるのだろう。

 使い方としては展開して拳銃として使うだけでなく、折り畳んだままナックルダスターとして、稚拙ではあるがナイフだけ展開して使用する事が出来る様だ。

 説明書の文末には病院の警備は万全にしているが万が一襲われた際にはこの銃で乗り切る様に書かれていた。

「リボルバー拳銃で装弾数6発ってところだけは“デリンジャー”や連中が持ってた四連のペッパーボックスよりはいいが、銃身が全くないんじゃ精度に期待できないわな。まぁ無いよりマシな万が一の保険だな」

 とにかくあってほしくはない“万が一の事態”に備えて、一応は弾丸を装填して隠し持っておく事にした。

「一応調べてみるか…」

 彼は目線の先の起動したままの端末に向かった。

 恐らく石塚がスイッチを入れていたのだろう。

 その端末は患者の為にインターネット回線に繋がれた端末が備え付けのもので、入院中でも様々なインターネットサービスを使う事が出来るようになっている様だ。

 とりあえず検索エンジンを開いて検索窓に“アパッチ・リボルバー”と入力してみた。

 すると、フリー百科事典やミリタリーマニアの個人ブログなどの様々なページが表示された。

 一番目に表示されたフリー百科事典を開くと、この“アパッチ・リボルバー”という銃は1900年代初期に主に犯罪組織などで使用され、第二次世界大戦中にはイギリス軍の特殊部隊“ブリティッシュ・コマンドス”で9mmルガー弾を使用するモデルが採用されていたらしい。

 恐らく彼が持たされた物はこのモデルだろう。

「何でまたこんな骨董品を用意したんだか…」

 そう、いくら新品の部品で新規に製作していたとしても、言ってしまえば“100年近く前に作られた骨董品”の“レプリカ”止まりなのである。

 それどころか、他のページではいわゆる“コレクターズアイテム”という扱いさえ受けているくらいであった。

「これで何とかしろってかなり無理が無いか?ましてやこっちは怪我人だぞ…」

怪我人の護身用には本当に心もとない。

 装弾数こそ劣るが、精度だけ考えたら“デリンジャー”の方が銃身を持つだけまだ良さそうな気さえする。

 一通り調べ物をすると、端末の電源を落としてベッドに戻った。

「こんなもん持たされたらかえって安心して眠れないな…」

仰向けに寝そべって、そう呟きながら折り畳んだ状態で手に持った“アパッチ・リボルバー”を眺めていた。

「まぁ。警備は万全だって書いてあったし、割り切るか…」

 そう、こうなった以上は割り切るしかないのだ。

 とにかく考えても埒があかないので、弾丸の入った煙草の箱と銃をマットレスの下に隠して眠りに就く事にした。

 どのくらい時間が経っただろうか、傷が疼いて目が覚めた。

 ベッド脇のスイッチを押して灯りを点け、鎮痛剤を探した。

 周囲を見渡すと寝ている間に佳樹先生が気を利かせて置いていてくれていたのか、すぐ手の届く所に数本のペットボトルと共に鎮痛剤の入った白い紙袋が置いてあった為に苦労せずに済んで助かった。

 だが、あくまでも麻酔ではなく鎮痛剤に過ぎない為、結局のところは何度か痛みで目覚めた為にろくに眠れないまま、朝食の時間になり病院食が運ばれてきた。

 運んできた病院関係者が部屋を出て行った事を確認してから箸をつけたのだが、やはりというか何というかという味である。

 正直な話、いくら警備が万全で一流の医者が付いているとはいえど、病院食が口に合わないから退院したいとさえ思えているくらいである。

 食事を終え、病院関係者が食器を下げに来るタイミングで佳樹先生が病室に現れた。

「やぁ。調子はどうだい? 」

「調子も何も、薬が切れる度に傷が疼いて寝た気がしませんよ」

「なるほどね。まぁ、あと数日もすれば治まると思うけど。とりあえず消毒と傷の具合見るからまた仰向けになってね」

「はい」

言われるままにまた仰向けになると相変わらずの早業で処置をしていく。

またさほど時間がかからないものだと考えていると、それまで手早く動いていた佳樹先生の手が突然止まった。

「どうかしましたか?」

「いや。やっぱり君は回復力がなかなかのものがあるね。何箇所かもう抜糸できそうな感じだね」

「まだ、6日でも抜糸できるもんですか? 」

「何か所かはたぶん抜糸しても問題は無さそうだけど、君の場合は馬鹿兄貴の手前、また動いて傷が開く事が他の患者よりも余計にあり得るから一般患者より慎重にさせてもらうよ。あと、この事は馬鹿兄貴には黙っててね」

「わかってます」

首だけ動かして佳樹先生とそんな会話をしているうちに処置が終わった。

 処置を終えて、佳樹先生が部屋を出て行くと入れ違いに石塚が入ってきた。

 それこそまさに“噂をすれば何とやら”といったタイミングである。

「で、傷の具合はどうだ?昨日は言わないでいたが、この間の一件絡みかどうかは不明ではあるものの、また色々と仕事が入ってきている。無論、今は断っているがな」

「そうですか。傷の具合の詳しい事は自分には何ともってところですが、どんな仕事が来てるんですか? 」

「元から受け付けない事になってる類の暗殺依頼もあれば、反社会勢力関係者の粛清、はてまた成金の護衛まで色々だ」

「反社会勢力関係者の粛清は未だしも、成金の護衛なんか警備会社のやることでしょう?むしろ警備会社の手に負えない様な話なんですか? 」

「そんな事ではなさそうだがな。この間の一件から警備を強化するとどうしても、色眼鏡で見られるらしい」

「まぁ。今まで役人が仕事をサボってたツケが色々と回ってきたんですかね? 」

「恐らくそういうことだろうな」

 確かに先の事件のあらましや世論を考えれば成金たちの側からしたら何も悪事を働いていなくとも標的にされる可能性が出てくるし、かといって警備を強化すればかえって怪しまれて標的としてマークされかねない。

 警察に依頼したところで事件性が無ければ動けないだけでなく、それ以前に現状の状態では人員が不足気味である。

 そうなると彼の様な裏稼業の人間に頼らざるを得なくなってくるのが必然的なのだが。

 そうは言っても、同じ様な仕事をしている人間は少なからずいるわけで、なぜ依頼が来ているのかが疑問であるのだが。

 とりあえず、ドアが閉められた密室に二人きりである事を確認した上で隠していたものを取り出してその事について切りだした。

「ところで、こいつは何なんですか?そこの端末で調べたら骨董品だってことらしいじゃないですか? 」

「お前さんがいつも使ってるマシンピストルやら何やらでも良かったんだろうが、この狭い部屋じゃあ接近戦にしかならないだろうし、短刀じゃあ邪魔になるだろう?使う事はまずあり得ない体ならそんな骨董品で充分だろう? 」

「それなら、まぁお守りって事にしときますが」

「安心しろ。病院の内部には警備員や見舞客に紛れて【マールス】の連中が交代でうろついてるからな。連中には今回の警備対象を病院内の全ての患者という事にして、しかも訓練扱いだから怪しい人物がいたらすぐに対応するさ」

「訓練って事は無料で病院の警備に当たってるって事ですか? 」

「そうだな。私が警備を依頼しようとしたら病院内で警戒訓練を実施することを条件に向こうから言ってきた話だ」

「なるほど。確かにこの病院なら訓練には丁度よさそうですね」

「連中もこういう世界のことはよく解っているからな。お互いに利益しかない条件にして今後もパイプを作っときたいんだろ?特に、この間の一件でお前さんの能力を目の当たりにしているからあわよくば勧誘したいとも考えての事かも知れん。まぁお前さんが入院している事は伏せてあるし、私がここに来ているのは“弟から患者の警護を依頼されたからだ”ということになっているし、お前さんを警護している理由も表向きは治験患者で新薬の情報漏洩の防止目的の見張り番も兼ねているという事になっているから安心しておけ」

「なるほど。それじゃあ完璧と言っても差し支えなさそうですね」

「そういう事だ」

 とにかくこの状況であれば、確かに安心できそうではある。

 だが、先の事件でいくら混乱に乗じていたとはいえど、犯行グループの殆どのメンバーはあの状況下でなお逃走に成功しているし、自分がここにいる事を嗅ぎつけられたら警備を掻い潜って来るであろう事は容易に想像できた。

 昨夜は考える間も無かったのだが、いざ考えると、その様な状況に置かれている事からか冷や汗が出た。

 しかし、現実は意外にも穏やかなもので、二週間、三週間と経っても何も変化が無かった。

 いや、細かい事を言えば、傷が回復して抜糸したり痛みに悩まされたりする様な事が無くなり、杖やら何やらが不要になったといった変化は当然あったのだが…。

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