8、スイ子の言い分

 結局、立佳がなぜ深美にそんな格好をさせたのかは分からないままだったが、今日は紅茶に合う水を持って来たという先輩の指示に従うままに、服装ゆえか深美が淹れてくれたカップを受け取って三人でそれを口にした。スーパーの安売りティーパックだったが、案外美味しかった。でも終始、深美は空太の方を向いてはくれなかった。

「あの……怒ってる?」

 校舎を出たところで、自転車をとってきた立佳はさっさとそれに乗って帰っていってしまい、空太は立佳とふたりで帰路を歩き始める。三人でいたときには、先輩が話をリードして微笑み、それを受けて深美が拗ねたり不承不承頷いたり、はたまた空太が戸惑いながら女子ふたりの会話の聞き役に回っていたりして、訊ねられずにいたことを、ようやく空太は投げかけてみた。

「……べつに」

 言葉とは裏腹に、声には棘がある。なんと言って謝ったらいいだろうか、と空太が考え始めたところで、小さな呟きが聞こえてきた。

「……恥ずかしかったんだから」

「あ、うん、ごめん」

 実のところ、部活の終わりにメイド服から制服に着替えるというので、立佳が勝手に教室の窓から取ってきたカーテンで部室の中を区切り、空太をおいてふたりでその向こうに居るとき、先輩はいろいろと後輩を触っていたらしく、聞こえてくる声に空太はひとりどぎまぎしていた。そのあたりも含めての空太の謝罪に、深美は短いため息で応じる。

「いいよ、もう。おもに立佳先輩のせいだし」

「そりゃあ、まあ」

 元々、空太以外の部の後輩や同級生でさえも、立佳に過剰に愛でられる傾向にある。愛情深い先輩ではあるので、いつも通りの那須立佳ではあるけれど、まあ確かにそもそも深美にあんな格好をさせた立佳が原因ではある。

「それにしても」

 よく風宮もメイド服着るって承諾したよな、と言いそうになって、待てよ、と空太は思いとどまった。これを言ったら、また深美が不機嫌になりそうな予感がしたのだ。

「しても?」

 不審がって続きを促してくる深美に、ええと、と間を繋ぎながら空太は言葉を探す。

「そだ、裕斗から聞いたんだけど」

「ああ、その話」

 ようやく思いついた話題をそのまま口にしてしまうと、深美の返答は低く硬い声になってしまった。

「いや、その。心配で、さ」

 言い訳するように空太が言うと、ついっと深美は顔を向こうに背けてしまう。

「えっと、あの、知り合いの人だった?」

 スーツ姿で深美のあとをつけているようだった男のことを訊ねてみるが、少し横に首を振ったように見えただけで、何か答えてくれる様子はない。

「その。なんだったら、シャリアまで送っていくし。今日だって」

「いい」

「終わったら迎えにいくんでもいいし」

「大丈夫だから。もう池野君、ハナスイのことに関わらない方がいいよ」

「でも」

 なおも食い下がろうとした空太だったが、それ以上は言葉が出てこなかった。無言のまま、ふたりはしばらく歩き、ようやく深美が空太に顔を向けた。片手で長い前髪をわずかに掻き分けて、片目だけ覗かせる。彼女のそれと空太は正面から目を合わせていた。

「わたしの顔、見たでしょ」

「うん」

「わたしのハナスイ、出てるの見たでしょ」

「うん」

「秘密にするって言ったでしょ」

「うん」

「今日も、その、あんな格好、見たでしょ」

「かわいかった」

 思わず言うと、深美の靴が空太のふくらはぎを蹴ってくる。反射的に、いてっ、と言ったものの、言葉ほどの衝撃は無く、ちょっと小突かれた程度のものだった。

「もう、それ以上はいいから。これ以上はわたしに関わらなくて大丈夫だから。ハナスイのことも、できれば忘れて」

 それだけ一方的に告げると深美はまた前髪を下ろして、さっさと先へと歩いていってしまう。彼女に肯定の返事をすることも、かといって、そうまで言われてなお食い下がることも、どちらもできずに空太は迷った末に、とりあえずシャリアまでは深美に付いていくことにした。あの謎のスーツ男のことが気になることだけは、どうにもならなかったからだ。けれどその間、ふたりには全く会話は無かった。


 ハナスイバー・シャリアの従業員用出入口から中に入ると、深美は昨日とは違う控え室の扉をノックした。若い女の返事があって、すぐに内側から扉が開けられる。顔を出したのは深美と同じくらいの年齢の少女だった。長い茶髪をゆるく巻いている。

「深美ちゃん。来てくれたの?」

 シフトに入っているわけでもないのに深美がシャリアに顔を出したのは、彼女に会うためだった。彼女は深美と同じくシャリアの登録スイ子でもある飯田姫菜という。空太たちとは別の私立クリストリア女子高校に通う一年生でもある。

「姫菜ちゃん。昨夜電話した話だけどね」

 深美が切り出すと、うん、と姫菜は少し悲しそうに目を伏せた。彼女の腕はそっと深美の腰を抱き寄せて、応えて深美も姫菜の背をゆっくり撫でる。

「大丈夫?」

 姫菜が囁くと、深美は頷いて答える。互いの耳元に口を寄せるように抱き合ったふたりは、小声と仕草を全身で感じあうことができた。

「深美ちゃんは優しすぎるよ。もう他人にハナスイをあげたりしないでね」

「うん。なるべくそうする」

 深美がそう応えると、ようやく姫菜は腕を解いて身体を離す。正面から見詰め合って、

「絶対だよ」

 と念を押した。深美は言葉にせず小さく頷きを返す。それで悲しそうだった姫菜の顔は明るさを取り戻し、微笑んで深美を部屋に入れようとした。そのとき、ふたりのやりとりを立ち尽くして眺めていた空太に初めて姫菜の視線が合った。

「誰?」

 口元を片手で隠しながら、姫菜は小声で深美に訊ねる。

「昨日の……」

 と深美が言い出したところまで聞いただけで、姫菜の顔に怒りの色が満ちた。空太に向かって一歩踏み出しながら、力ずくで深美を自分の背後に押しやり、大声を上げる。

「なんなのアンタ! まだ深美ちゃんから何か取ろうとしてるわけ!?」

「いや、全然そんな」

 あまりの剣幕に驚きながらも、必死で否定する空太だったが、姫菜は全く聞く耳を持ってくれない。

「出てって!」

 叫びながら突き飛ばされる。数歩よろけながらも、空太はなんとか転ばずに踏み止まった。

「とっとと出てってよ! あたしたちのハナスイは、あんたなんかのために、あるわけじゃないんだから!」

「そんなこと思ってないけど」

「じゃあ何だって言うわけ!?」

 空太が後退した分を踏み込んできた姫菜に、また突き飛ばされる。

「あんたなんかにハナスイの何が分かるっていうのよ! あたしたちの何が分かるっていうのよ!」

「ま、待って」

 よろめきながら言う空太に、姫菜はさらに追撃してこようとする。それを深美が後ろから彼女の服を掴んで止めた。

「いいよ姫菜ちゃん。もういいから」

「良くない! あたしたちは特別なの! こんな何でもないヤツに飲ませるハナスイなんて無いんだから!」

 空太を突き飛ばすことはやめたものの、勢いは変わらずに姫菜が叫ぶ。そんな彼女から距離をとろうとして空太がさらに数歩後ずさると、背中に何か大きな人らしきものが当たった。慌てて謝ろうと振り返るよりも先に、背後の人物は空太を羽交い絞めにするように捕まえる。

「やぁねえ。大きい声出さないでちょうだいよぉん」

「ごめんなさい、ミケさん」

 姫菜の向こうから深美が、空太の背後に声をかけた。どう見ても男のものである太く筋肉が浮き上がった腕に拘束されて、野太いのにくねくねした口調が頭の上から降ってくるのを空太はもがきながら聞く。

「もぉう。ほら深美ちゃん、姫菜ちゃん連れてって」

 手首から先だけを使ってミケは女子ふたりへ姫菜の部屋に入るように促した。続けて、

「この子はアタシが貰って、お・く・か・ら」

「ちょっ」

 より激しくもがいてみるが、全く空太の力ではミケには敵わず、ビクともしなかった。その空太を睨み続ける姫菜を抱くように引っ張って、深美は部屋へと入っていく。

「あ、風宮」

 呼びかけてみるが、それには応じられることが無かった。ただ、閉まる扉の最後の隙間から、彼女の顔が一瞬だけ空太を見た気がした。相変わらず長い前髪とマスクに覆われた表情は、全く見えはしなかったけれど。

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