第80話 刻に縛られた者/見捨てられた者㉓

 ルージュは目の前が、暗い色彩の渦で歪み満たされる感覚がした。

 もはや打つ手は残されていない。


 六魔将、同じ手が通じる程甘い相手ではない。それはカプリコルヌと死闘を繰り広げたルージュだからこそよくわかることであった。


 思い返せば、カプリコルヌに勝てたのも、ほぼ偶然に偶然と奇跡が重なった産物に過ぎなかったのだ。


 ――それでも!


 ルージュは論理的思考から湧き上がる勝率零の虚無感を、何とか振り切る。

 そして呪印銃を堅く握り、前に走り出した。


 だがそれに意味などはなかった。


 ただの無意味ながむしゃらでしかない。あるいは空元気か、それとも最後まで戦うことで得られる自分への言い訳か。


 何にせよ万策はとうに尽きているのだ。


 ただただ――無意味。


「貴方は強かったわ」


 キャンサーがルージュに視線を合わせてくる。


「魔眼の異能に頼り切りなノワールが多い中、よくぞ体術射撃術中心の戦いであたしをここまで追いつめたものよ」


 マグナムで負った外傷が黒の肉泡を吹き出し、見る見る内に再生されていった。


 しかしルージュに追撃は許されない。

 マグナムを一度使えば、次に撃てるまで十秒のクールタイムが必要だからだ。今の呪印銃は何の意味もない黒い塊である。


「認めて上げる、貴方の女子力は間違いなくあたしの出会った中で間違いなく最強。敬意を表してあげるわ!」


 キャンサーが鋏を広げて構える。

 その魔獣の顎が開放された。


 ルージュは本能的に止まった。体が恐怖で一気に冷え込む。

 来る、最悪の攻撃が。


「でもこれで終わりよ。楽しかったわ、狂犬のノワールちゃん!」


 キャンサーが空間を支配する程大量の泡を吐き出す。虹色の屈折が景観を歪ませた。

 泡が最初は四方八方散るかのごとく無差別に拡散していく。


 しかしそこからハイエナを遥に凌駕する、執拗な追尾が始まるのだ。

 攻撃速度は決して早くない。

 所詮は泡の移動。

 むしろかなり遅い方に分類されるだろう。


 しかしそのダイナミックな超広範囲追尾攻撃から逃れる術はなかった。


 それはルージュの魔眼を持ってしても、である。それは前回の戦いですでに証明されてしまっていた。


 呪印銃の次弾発射まで、三秒は必要。

 いや仮に撃てたとしても、あの大量の泡の前にはほぼ無意味。


 ルージュは何もできず、思い浮かばず、ただ下がっていく。


 ――ここまでなの!?


 ルージュの中の絶望がさらに大きくなる。

 足が小刻みに震えた。


 もうすでに相手の勝利確定のパターンに入ってしまっている。


 ――私は、私はこんなところで……。


 歯を食いしばる。


 共に闘ってきたノワールの仲間が頭をよぎる。志半ばで散った者、ルージュに覚悟を見せた者、勝利を分かち合った者、様々だった。

 そして幼い頃に見た家族の姿が駆け巡る。父と母と姉と弟――穏やかな日々を過ごした。

 次にサイファーの無表情な顔が浮かぶ。腹が立つ。

 さらにその上、ルージュを地獄に追いやった《あの男》の顔も。


 ――私はまだ何も成し遂げてないの!


 強い後悔の念が浮かぶ。

 最後にルナの笑顔が頭をよぎった。


 ――ルナ……。


 もしルージュが帰らなかったら、ルナはどんな表情をするのだろうか。

 きっと泣いてしまう。


「クソォォォ!」


 諦めきれない。

 ルナに悲しい顔をさせるわけにはいかなかった。

 まだ最後に何か――


「魔眼解放!」


 超感覚では乗り切れない。

 ここではあの感覚の中で動けなくてはならないのだ。

 見切るのではなく、閉じた時間の中を動く。


「時よ――」


 最後の賭けはルージュの魔眼。


 ――刻魔眼、時を操る魔眼と言うなら――


 その進化しかない。

 本来キャリア的にはとっくに開花してもおかしくはないルージュの魔眼の才能。

 死ぬ前に出さず、いつ出すのか。


 出せたところで、このピンチを乗り切れる異能だという確証はない。

 それでも今はそれしかないのだ。


 ――私に応えなさいよ!


 左目が痛みに疼いた。


「――――止まれ!」


 魔眼の異能が発動する。

 波紋が広がるように世界の色がモノクロに変わる。


 そして時が止まった。

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