第76話 刻に縛られた者/見捨てられた者⑲
月の光がアパートの窓から差し込む。
ベッドの上でぐったりとルナが横で寝息をたてていた。
時刻はとっくに深夜を回っているだろう。
しかしルージュの目はハッキリと冴えていた。
何度も淫らなことをした後だったが、時間が経っていたので体は乾いていた。
ルージュはベッドから起き上がり、スリッパを履く。
そっとルナに掛け布団をかけてあげた。ルナの目にはまだ涙の痕が残っている。
ルージュは切ない気分でそれを眺め、ハンガーにかけてあったライダースーツに向かう。
それを着て、ショルダーホルスターを身につけそこに呪印銃を納める。
その上から黒いレザージャケットを羽織った。
最後に黒いミリタリーブーツを履く。
足音をたてないようにドアまで歩いた。
「ごめんね……」
小さくそう言ってドアを開いた。夜風が頬に当たる。
ルージュはできるだけ静かにアパートの階段を降りた。
歩道に出て、道沿いに歩き出す。
レザージャケットの内ポケットからデバイスを出して情報を確認しようとした。
「ルージュ」
低い初老の声が背後からやってきた。
「何よ?」
ルージュは立ち止まり振り返る。
そこにはサイファーの姿があった。
本当に神出鬼没な男である。
「行くのか?」
「……当たり前でしょ」
「ルナ君がどんな想いでお前を助けたと思っている?」
「そんなの……わかってるに決まってるでしょ」
「ならば何故行く? 彼女の必死の願いを断ち切ってまで命を捨てに行くのか?」
サイファーは淡々と喋る。
感情のない、事実だけを述べるように。
「お前のいないベッドを見たら、きっと彼女はまた泣くだろう」
「……私は!」
ルージュは睨むような縋るような、そんな気持ちでサイファーを見上げた。
「私は戦うためにノワールになったの! 戦うためにここに来たの! 戦うために生きているの! 戦わない私に何の価値があるって言うわけ!?」
「……組織の一員として、お前のその生き方は肯定する。個人としても、だ。しかしルナ君はどうかな?」
「そんなのわかってるわよ!」
声を荒げ、八つ当たりのようにサイファーに言葉を吐き出してしまう。
「私の過去をまともに知ってるのなんてアンタくらいなんだからさ――」
どんどん語気が弱まってしまう。
「アンタくらい私の気持ちわかりなさいよ……」
最後はほとんど風に吹き消されるほど、か細い口調になってしまった。
「ルージュ、今なら別の道もあるぞ?」
サイファーがアパートをチラリと見て、諭すようにそう言った。
だがルージュの答えは一つだった。
「そんなものは……ありはしないわ。私の前にある道は一本だけよ」
「……ならば何も言うまい」
サイファーのその言葉を聞いて、ルージュは踵を返した。
「ルージュ、死ぬなよ」
「私は死なない。目的は果たすまで、絶対に」
強い意志を込めて、ルージュは歩き出した。
目的地は当然――魅惑ノ巨蟹――キャンサーとの再戦の場。
*
ルージュは富裕層の居住区域にある高級アパートの中に入る。
午前中にも来たキャンサーの現在の居住場所でもあった。
中にはあの特徴的な四角い螺旋階段が聳える。天井のシャンデリアは深夜だったので沈黙していた。
ルージュは足音を殺して階段を昇っていく。
そして三階、キャンサーの部屋のドアの前に立つ。
「…………」
ドアの前には置き手紙のようなものが落ちていた。
『ノワールの狂犬ガールへ』
そんな宛名が書いてあった。
――狂犬、そう言えばサイファーにもたまにそんな風に呼ばれるわね。
ルージュとしてはそのような渾名を付けられる覚えは全くないのだが。
しかしキャンサーがノワールと言うのだからルージュを指している可能性は高い。
ルージュはその置き手紙を拾う。
裏面を見れば、新たな記述があった。
『例の無人発電所にて待つ』
ここまで見れば、もうルージュに対しての手紙と思って間違いないだろう。
――ここに来るのを見透かされていた?
あるいはルナの行動を監視していたのかもしれない。
それでシードを手に入れたルナによってルージュが蘇るのを予想した。
しかしそれでは何故ルナを直接捕まえないのか。
疑問の残る推測ではある。
だが結局、今はどう考えても堂々巡りにしかならないだろう。
何にしてもルージュが来ることをキャンサーは予測していた。
その上で置き手紙を置いた。
ならばそこに行くしかない。
ルージュは置き手紙を元の位置に戻して、階段を降りるのだった。
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