第20話 バオム教⑧
「はぁ~穴蔵の中は退屈だったわ」
薔薇のカタストルがウンザリした口調で喋り出す。
緑色をした人間態の部分は、若い女性の形をしていた。前髪を上げて、豊満な乳房を惜しみ隠そうとせず、全面に露出させる。
「さて、お腹も空いたし。おいしそうなご飯もたくさんあるのね」
カタストルの女の眼が怪しく光る。
ルナ達を、料理のメニュー選ぶかのように品定めをしてきた。
「いただきまぁす」
狙いは子供のエリーだった。怯えて足が震えていた。
「エリー!」
ルナはスカートの中に隠してあったサイコダガーを抜く。
そしてエリーの前に立った。
迫り来るカタストルの触手を何とか短剣で受け止める。
重い一撃。体ごと持っていかれそうな圧が押し寄せてくる。足が後方に押し出されて、地面を擦った。靴の痕が地面に残る。
それでもルナは超力をサイコダガーに込めて何とか耐えた。耐えなければルナ諸共飲み込まれるだけだ。
カタストルの触手が切れて、何とか勢いを殺すことに成功する。
「クソッ!」
触手のトゲがルナの頬を掠める。
そこから一直線の傷が生まれ、血が流れた。
「あら、貴方ノワールだったの。それにしても弱いわね。魔眼も使えそうもない」
実力は完全に見透かされていた。ハッタリの通じる相手ではない。
しかも触手は一本ではない。あれが何本もくれば防ぎようはなかった。
それに攻撃は触手だけとは限らない。
何よりこっちの攻撃手段が皆無なのが辛かった。
サイコダガーだけではあの巨体に近づくことすらままならない。
――こいつはヤバいな。
ルナは短剣を構えながら、口を開く。
「エレナ、エリーを連れて逃げろ!」
全員で逃げるのが唯一の生き残る道。
幸い、機動力のある相手には見えなかった。
「どうしてですか?」
「は!?」
エレナの予想外の反応に、ルナは困惑する。
「どうしてって、このままじゃ殺されるからだよ。アンタ、自分の子供が死んでもいいのか!?」
「殺される? 違いますよ。私達はユグドラシル復活の為の糧となれるのです。私達の命がユグドラシルのエネルギーになるのです」
「それでエリーが死んでもいいってのか?」
「その子も汚れた運命から生まれてしまった命。ユグドラシルに一度浄化された方が幸せなのです。貴方にもわかるでしょ?」
「てめぇ……」
ルナは生まれて初めて強い怒りを覚えた。エレナの態度はとてもではないが狂っている。
エリーよりも教義の方を優先する態度が、何より気に入らなかった。
だがそんなことを言っている場合でもない。
「エリー、お前さんだけでも逃げろ」
「でもママがぁ」
泣きそうにエリーはそう応える。
「このままじゃ死んじまうぞ!」
「だって一人じゃどうしたらいいかわかんないよ。ママがいなくちゃ嫌だよ」
「くっ……」
このあとエリーはどうなる? それに責任なんて持てないのは事実だ。こんな子供がこの廃工都市でまともに生きていけるわけがない。
しかしだからと言って見捨てるわけにもいかない。
「エリー、だけどな――」
「無駄よ」
カタストルの女が喜劇でも楽しむように、ニヤニヤしながらそう言った。
今までのやりとりを上から見物していたのだ。
「何を言っても時間の無駄よ。だってここの連中、私達に食べられるのを待っているんですもの」
「何だと?」
「実は私、一度ノワールに殺されかけたの。それで何とか逃げ延びたんだけど、もう命は風前の灯火。そしたらここの連中が助けてくれて、お腹一杯になれたわ。それで気が付けばこんな強い体になってたわけ」
長く生きれば生きるほど、カタストルは強くなっていく。
ルナはそれを聞かされていた。
「アンタだけでもさっさと逃げれば良かったのに。本当にお馬鹿さんね」
「こんな状況で放っておけるか」
「そうよねぇ。好きよアンタみたいな子」
カタストルが再び触手を伸ばしてくる。
避ければエリーに当たる。ルナはサイコダガーで受け止めるしか選択肢はなかった。
サイコダガーに超力を込めてさっきと同じようにギリギリで触手を止められた。摩擦から生まれたオレンジ色の火花が刃から漏れいく。
「!?」
だが二本目の触手がすぐに差し向けられる。
それがルナの右を通り過ぎ、エリーの体に巻き付いた。
そして宙に浮かされる。
「させるか!」
ルナがサイコダガーでエリーに巻き付かれたそれを切り落とす。
それが最大の隙だった。
三本目の触手がルナの体を縛り上げる。
強い力で足を浮かされた。
「いやー楽しかったわ。久々にまともな人間の反応を見た気がするもの」
「うるせえ、化物が!」
「それよ、それそれ。それがいい。それが正常、そして正解。アンタわかっているわねぇ」
ケラケラとカタストルは笑いながらルナの反応を楽しんでいた。
絶対的優位だからこその笑いだろう。
「けどここの連中の言い分にも一理ある。今の世の中は間違いなく地獄よ。一%にも満たない、ごく一部に幸せな上位層がいるだけで、残りはろくな人生じゃないわ。天国に期待するのも仕方がないのね」
「天国なんて期待するもんじゃない」
「その通り。私もそう思う。やっぱりたまには普通の人間の感情を見ないとね。感覚がおかしくなっちゃう」
カタストルはそう言ってルナではなく、エリーの方を見た。
ルナはその仕草で最悪を直感する。
「お前、まさか……」
「アンタ、エリーって子供に随分と入れ込んでたじゃない。じゃあその子が目の前で死んだら、どんな感情を見せてくれるのかしら。怒り? 悲しみ? それとも憎しみ? 負の感情はとても美味。おいしいスパイスになりそうね」
「やめろ!」
「や~だ♪」
黒い触手が高速で伸びる。
それは瞬く間にエリーを捕まえて、宙に浮かした。
触手のトゲでエリーの腕から血が流れる。
「痛いよぉ、ママぁ!」
眼には涙を滲ませ助けを求め、母親の名を叫ぶ。
「よかったわね、エリー」
だが母親の言葉は無情だった。
それをカタストルはつまらなそうに眺める。
「最初は新鮮だったけど、もうこの反応は飽きたわ。諦めの感情はおいしくないの。だから――」
「だったら今度は自分の絶望した声を聞きなさい」
紫色の光線が二つ疾る。
ルナとエリーを縛っていた触手のツタが切れた。二人の体が重力に従い、落下する。
紫線はカタストルの後方にあったステンドグラスをも破壊。
色とりどりのガラスが雨のように床に降り注ぐ。
解放されたルナが後ろを振り返った。
「相棒!」
そこには呪印銃を構えたルージュが立っていたのだった。
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