第3話 朽ちた研究所③

「そこで何をしている!?」


 少女に気を取られて超力の気配に気が付かなかった。

 逆に言えばそれだけの小物でもある。


 ルージュが振り返ると冴えない中年の男が立っていた。

 眼鏡をした顔を真っ赤に、額には青筋を浮き上がらせている。


「勝手なことをするな。ここは私の研究所だぞ!」

「ここは廃棄されたって聞いているけど。行政府の許可はあるの?」

「それは……今はない」

「あらそう。でも私にはどっちでもいいのよね」


 ルージュは呪印銃を男に向けた。


「許可があろうとなかろうと、貴方のことは殺すつもりだったし」

「貴様、ノワールか!」


 ルージュが引き金を引く。

 男は右に大きく飛び出した。おかげで一発目は壁に埋まったコンピューターの液晶を無駄に焼き壊してしまう。


 男の体内から巨大な影が湧き出てくる。

 影は男を飲み込み、やがて巨大な蜘蛛へと変わった。


 毒々しい斑な文様、人間を十人は詰められそうな丸丸太った腹部。それが八本の足で壁に器用に張り付いていた。


 蜘蛛のカタストルとなった男はもう逃げはせず、黒い複眼で殺気を放つ。


「生きてここから帰れると思うなよ、ドブネズミ!」

「そりゃこっちのセリフよ」


 ルージュが銃を構えながら右方向に移動。

 床を疾走しながら、カタストルに二発撃ち込んだ。

 超力の籠った紫の熱線が射出される。


 二発とも、蜘蛛の丸い腹の部分に捩じり込み、貫通。

 しかしその傷は即座に黒い肉泡に包まれ、再生されてしまった。


 ――頭か。


 シードの位置はカタストルごとに違う。

 心臓にある場合もあれば、頭部にある場合もある。

 極まれにだが、全く予測できない位置にある特異個体も存在する。


 例外でないことを祈りルージュは走り、新たな狙いを定める。


 カタストルが複眼をキョロキョロと小刻みに動く。

 カッ――と、その牙を孕んだ顎が唐突に開いた。

 すると口から白く長い塊を吐き出してくる。


 それは直接ルージュを狙ったものではなかった。

 しかしルージュの進行方向を妨害するように塊がまき散らされる。

 粘着性のあるそれは蜘蛛の対面の壁まで飛び、固定された。


 蜘蛛の吐きだす糸だと気付かされる。


 進路を妨害され、ルージュは一端ブーツを地面に擦りブレーキにする。

 カタストルの目的はそれだった。

 止まったルージュに、今度は大質量の糸が吐き出された。


 当たればただでは終わらないだろう。

 酸性で体が溶かされるかもしれない。

 そうでなくとも、十メートルはある蜘蛛の吐く糸を喰らえばまともに動けなくなるのは目に見えていた。


 ――その辺の雑魚じゃないってことね。少し舐めていたわ。


 急激なブレーキのせいで通常の回避行動は難しい。

 ルージュの左目が疼く。


「魔眼解放――」


 刻魔眼、ルージュの持つ力が真価を発揮する。


「超感覚」


 スローモーションの世界がやってくる。

 全てが限りなく速度を落とす。その中でルージュの知覚だけが正常に働いていた。


 魔眼、それはノワールだけが持つ異能の力である。

 カタストルに比べ明らかに非力なノワールが戦えるのはこれのおかげだった。


 その世界でルージュは思考をフルに回転させる。


 スローの世界でルージュはカタストルの吐く糸の軌道を演算。

 そしてその後の反撃もシミュレーションした。


 そこで超感覚の時間が終わる。


 時間の戻った世界でルージュは左にワンステップして体を一回転させた。

 糸が髪に掠る。

 少し遅れて頬が歪む程の風圧が、顔面を通り過ぎていく。


 避けながら銃口をカタストルの頭部に向けた。

 そして超力の圧縮弾を撃つ。


 カウンターショット。


 魔眼で敵の攻撃を完全に読み、カウンターの一撃を放つルージュの得意技だった。カタストルに限らず多くの者は攻撃中だけは無防備である。

 そこを突いた攻撃手段だった。


 それは演算通り、カタストルの頭を貫く。


 同時にそのシードの破壊にも成功した。

 黒い種が弾け、割れる。


「馬鹿な……」

 それが男の最後の言葉となった。


 カタストルは黒い気体となり蒸発していく。

 影が天に昇り、気体の中に消えていった。

 後に残るものは何もなかった。


「ふぅ……」

 ルージュはレザージャケットの内側にあるホルスターに銃を納める。


 予想より手強い相手だった。

 超力の強さだけで敵を判断するのは危険だと初心を改めて思い知らされた。


 魔眼があるとは言え基本的にはノワールよりもカタストルの方が強いのだ。


 ルージュが先程のカプセルの方に戻ろうと歩き始める。


「ご苦労だったな、ルージュ」


 スキンヘッドの男、サイファーが現れた。

 入口からズカズカと侵入してくる。


「見てたの?」

「途中からな。結構危なかったじゃないか。一歩間違えれば死んでいたぞ」

「一歩間違えれば死んでいた……そんなのいつものことじゃない」

「それもそうだな。だが油断をしていたのは事実だろ?」


 痛いところを突かれ、ルージュは苦い顔になってしまう。


「……途中からって嘘じゃない。最初から見てたんでしょ」

「気にするな」

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