第4話 朽ちた研究所④
腑に落ちなかったがこれ以上の追求は無駄だと判断してルージュは話題を変える。
「それでその子は何なの?」
カプセルで眠っている銀髪の少女をルージュは顎で指す。
「生物工学の権威、ワタナベ博士が生み出した傑作と言ったところか?」
「ワタナベ博士?」
「今し方お前が殺したカタストルの男だ」
「あの冴えない男がね……」
蜘蛛のカタストルの男だ。まさかそんなすごい人物だとは思わなかった。
「よく言うよ、戦後復興に大きく貢献した優秀な人物だぞ。大戦後に崩壊した現代医学をここまで持ち直したのはワタナベ博士なしではあり得なかったと言われるほどだ」
「でもカタストルにまでなったら終わりでしょ」
「良くも悪くも研究一筋だったんだろ。カタストルになったのも長く生きて少しでも知的好奇心を埋めたかった。それくらい狂ってなければ天才は名乗れまい」
「それで結局、こいつは何なの? 生物工学の権威さんが関係してるってことは人造人間とか?」
「その通りだ。よくわかったな」
「……冗談のつもりだったんだけど」
ここまで完璧と言える人間を生み出せるなんて聞いたことがない。
大戦前の技術が半分以上失われている現在、クローンすらまともに生み出せないと言うのに。
天才の称号は伊達ではないようだ。
「そしてただの人間ではない。超力を持った人間だ」
「ノワールってこと?」
「近いが、厳密には違う。彼女はクラウィス」
「何それ?」
ルージュもノワールとして生きて決して短くはない。
しかしそれでも聞いたことのない単語だった。
「鍵だよ。世界の」
「鍵? それって――」
ルージュの言葉が止まる。
視線がサイファーから逸れていってしまう。サイファーの視線もルージュと同じ方向に動いていく。
ゴクリとルージュは唾を飲んだ。
銀髪の少女が起きあがっていた。上半身がカプセルの液体の中から出てくる。
濡れた銀色の髪から雫がスーッと垂れる。それが光を反射して白く輝いていた。
困惑した表情で銀髪の少女はルージュ達を見上げてくる。
「あの悪いんだけど、ここはどこだい?」
ルージュが迷っているとサイファーが口を開いた。
「ここはお前の故郷で、お前の全てだ」
「ああ……そうか」
たったそれだけの言葉で少女は理解してしまっていた。
ルージュにはそれがどうにも不可解に感じる。
「今ので意味はわかったの?」
「全部がわかったわけじゃない。でも催眠学習によるインプラントメモリーで脳にはそれなりに知識はあるんだ。で、お前さんは誰だい?」
「あんたに名乗る名前はないわ。どうせもう会うこともないでしょ」
「そんなことはないぞ、ルージュ」
サイファーが会話の中に入ってくる。
ルージュは不機嫌を隠そうともせず、眉をしかめた。
「はぁ? それ、どういう意味?」
「お前にはそこの少女を組織の本部まで連れて行って貰う。それが次の仕事だ」
「ふざけないで。組織の本部ってどれだけ遠いと思ってるの。こっから交通都市を経由してさらに西まで行かなきゃ行けないじゃない。いくつのドーム都市を渡り歩くか知ってるでしょ」
この廃工都市ウーノは東の方に位置する。そしてノワールの組織の本部は西の果てにあった。気楽に行ける距離ではない。下手をすれば半年はかかってしまうかもしれない。
「ガキのお守りなんかやってられないわ。他を当たって」
「この件はノアが絡んでいると知ってもか?」
「なっ!?」
ある単語に反射レベルで反応してしまう。
ルージュの心が強く揺さぶられた。
目が見開き息が止まる。
さらにサイファーは言葉を続けた。
「ワタナベ博士はウィリアム=レストンの依頼で研究を行っていた」
「ウィリアム=レストン……」
ルージュのとてもよく知る男の名前である。
胸の中にどす黒い感情の渦が巻いた。
それを何とか表に出さぬように抑える。
「断るなら別のノワールに頼むが、他を当たって欲しいんだよな?」
「……やるわよ。やりますよサイファーさん。これでいいんでしょ」
「うむ、素直でよろしい」
白々しいサイファーの口調に「このハゲ」と舌打ちをしそうになる。
しかしここで面倒は嫌だったのでルージュは我慢した。
「ではこの少女としばらくは……少女と言うのも少し不便だな。キミ、名前は?」
「ないよ。ほとんど眠ってたし」
「ううむ……」
サイファーが悩んでいたので、ルージュが薄ら笑いを浮かべながら口を開く。
「ピッグちゃんとかどう? 頭空っぽで自分では何にもできない家畜同然の白豚ちゃんって意味で」
「ああ、それでいいよ」
「へ?」
少女は軽い調子でそう返してきた。
故にルージュも対応に困って目が泳ぐ。
「だってアンタが私のこと助けてくれたんだろ。だったらアンタが名付けてくれるなら私は喜んで受け入れるよ」
「え……」
少女のセリフに皮肉などが混じっている様子はなかった。つまり本気だと言うことである。
「ルージュ」
サイファーが非難めいた雰囲気を込めてルージュの名前を唱えてくる。
ルージュもばつが悪くなって、サイファーから目を背ける。
「わかってる、さっきのはジョークよ、悪かったわ。ちゃんと考えるから」
銀髪の少女をじっくりと観察する。見れば見るほど美の黄金比を司るような容姿をしていた。どことなく神秘的な部分に惹かれる。
そう思っているとある言葉が頭に浮かんだ。
「ルナってどう?」
「《月》か。お前にしては悪くないネーミングだ。本人としてはどうだね?」
「いいね。すごい気に入った!」
少女は満足げに頷いてくれた。
「ではルナ、いきなりだがルージュとしばらく同行してくれ。そうすれば生活には困らないはずだ」
「わかった」
ルナは傍から見ると不自然なほどあっさりと了承してくれた。
その無防備な対応にルージュは不思議な不快感があった。
薄汚れたドーム都市で生きた彼女には、あり得ない態度だったからだ。
「アンタ本当にそれでいいわけ?」
「何が?」
「こんな胡散臭い男の言うことにはいはい従って」
「じゃあ逆に私がどうすればいいのか、お前さんは知ってるのかい?」
どこまでも澄んだ瞳でルナはルージュを見てくる。
「どこに行けばいいのか、誰を頼ればいいのか、何をすればいいのか、教えてくれよ。私にはそれがわからないんだ」
「………………」
ルナは本当に生まれたての子供と同じなのだろう。
体と知識はそれなりにあっても、過去がない。
自分を支えてくれるもの、アイデンティティーがないのだ。
だが一方で過去に縛られない、自由に生き方を選択できるルナが少しだけルージュは羨ましくも感じた。
「ふん、まあでも賢明な判断かもね。治安警察なんかに頼ったら性玩具にされて売り飛ばされるのが関の山だろうし」
「そりゃ恐いねえ。よいしょっと!」
ルナはそう言ってカプセルから豪快に立ち上がる。その裸体が白い灯りの元に晒される。乳房が震えるのが目に入った。
ルージュは何となく恥ずかしくて顔を横に向けてしまう。
見かねたサイファーが己のコートを脱いでルナに被せた。
身長差のおかげか、それはルナの体をすっぽりと覆う。
「キミの分の衣服はすぐに送ろう。取り敢えず今日はそれを着てルージュと一緒に行きなさい。そこがしばらくキミの住みかとなる」
「わかった。ありがとさん」
すっかりコートを着込んだルナはカプセルから完全に出てきた。
そしてにっこりとした笑顔で、ルージュの前に立つ。
「改めてよろしくな、相棒」
「……どうも」
馴れ馴れしい奴だ、とルージュは内心で毒を吐く。
けれど数ヶ月は共に過ごすことになる相手にそこまでは言えなかった。
こうして謎の少女ルナと出会い、ルージュの黒い運命の車輪が加速し始める。
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