第62話「謝罪」

 開門をまちかねていたように霞祥かしょうが寺にやってきた。

 怒られることを覚悟していたが、霞祥は「あんたって娘は……」と言うなり絶句。あげく泣かれてしまった。なじられるよりもはるかに申し訳ないという気持ちになってしまう。なにより、柔らかい霞祥の姿と声に触れたとたん、茗凛めいりんの目からどっと涙があふれてきた。茗凛は「ねえさんごめんなさい」と声を絞り出しながら、霞祥に縋りつく。優しく背をなでられ、涙はとめどなく流れた。

 ようやく落ち着いた茗凛が着替えを済ませ、霞祥とともに寺を出ようとしたとき、「お待ちを」背後から思按しあんに呼び止められた。

 思按は霞祥に深々と礼をすると、

「――私も参ります。私からもおかみに説明をしなければなりません」

「俺も行きます」

 珂惟かいの声だった。明るい場所で見た彼は、着替えて髪も結い直していたのでボロボロ感はなかったものの、手足には白布が巻かれており、顎の辺りが腫れ、口角がどす黒い色に沈んでしまっている。霞祥が思わずとばかり両手で口元を覆い、小さく悲鳴を上げた。

「大丈夫なのか?」

 思按が背後に立った珂惟に心配げに目を投げる。珂惟は大きく頷き、

「休んだおかげで、だいぶ楽になりました。骨は大丈夫だったみたいだし」

「なんてことなの! 珂惟さん、いい男が台無しじゃない!」

 霞祥が側に駆け寄り、綺麗な眉をしかめた。珂惟はそんな霞祥に穏やかに笑いかけ、

「柳眉を曇らせることができて光栄です」

 しれっとそんなことを言ってのける珂惟が――別にいつものことなのだが――ひっじょーに腹立たしい。茗凛は思わず珂惟の足を踏んづけてやった。

「――いってえ!」

 珂惟の悲鳴が境内に響き渡ったが、茗凛は「ふん」とそっぽを向いてやった。

 

「なんてことだい、いい男が台無しじゃないか!」

 宿に着くなり飛び出してきたおかみは、珂惟を見て開口一番、声を張り上げた。それからキッと隣の茗凛に目を向け、

「あんたって娘は、勝手に宿を抜け出してどういうつもりなんだい! まだ嫁入り前なんだよ、何かあったらあたしゃあんたの母さんに顔向けできないよ!」

「すみません、俺が無理やり……」

「な、ワケないだろ! この子が無理を言ってついていったのは百も承知さ。それにしたって、縄でくくりつけてでも留めといて欲しかったもんだね。あんたくらいの腕がある男ならこんな小娘一人、どうにだってできただろうにさ」

「やめておかみさん、本当に私が無理を言ったの。珂惟が私を守ってくれたおかげで、私は怪我一つせずにいられるの。お願い、珂惟を責めないで」

「しかも裙子スカートまで破って――もう彩花さいかはいないっていうのにさ、とんだ出費だよ」

 憤懣やるかたないおかみの口から、一座では暗黙の了解で禁句になっている名前が飛び出し、一同をひやりとさせる。しかしおかみはまったく気づかないように、 「まったく! あんたがしっかりしないから!」と、今度は座長に毒を吐きまくっていた。そこへ、

「おかみ、まことに申し訳ございません。されど二人のおかげで上座たちは命拾いし、気の毒な西域の女たちが救われたのです。怒らないでやって欲しいと言付かっております。衣装については、新しいものを用意させておりますので、どうぞご安堵を。――愚妹が大変な迷惑とご心配をおかけして、誠に申し訳ございませんでした。よく言って聞かせましたので、今後もどうぞよろしくご指導ください」

 思按がそう言って、申し訳なさそうに深々と頭を下げるものだから、おかみは言葉を飲み込むしかない。イライラと身体を揺らしていたが、再び茗凛に一瞥を投げると、

「兄さんをこれ以上心配させるような真似、するんじゃないよ! 今度こんな真似をしたら、ただじゃおかないからね!」

 吐き捨てるように言うと、「まったく!」と何度も呟きながら、宿の入り口に続く階段を上っていく。

 茗凛は、霞祥と珂惟と顔を見合わせ、小さく肩を竦めてみせた。そうしておかみの後を追おうと足を踏み出したとき、背後から声がかけられる。

「衣装をお届けに参りました」

「おや随分と早い……」

 振り返ったおかみが絶句する。茗凛も慌てて振り返ると、そこには両手に紙に包まれた衣装を捧げ持った彩花の姿があった。

「彩花……」

 呟き、立ち尽くす茗凛に、彩花は持ってきた衣装を両腕で胸に抱き、

「茗凛、ごめんなさい!」

 深く、深く頭を下げた。彼女は頭を上げないまま、

「私、自分がどれだけ甘やかされてたか、全然分かってなかった。茗凛に『さようなら』って言われて初めて、自分の身勝手さに気づいたの。――今日、茗凛の新しい服を持ってきて欲しいって思按さまに言われて……せめて謝りたいと思って……」

 最後は、振り絞るような声だった。彩花が顔を上げると、涙が滂沱と流れている。

「茗凛、本当にごめんなさい。私がひどいこと言って。私の親が、あなたを傷つけて。許してなんてとても言えないけど――」

 皆まで言わせず、茗凛が抱きついた。

「……新しい衣装って、どんな?」

「黄色の上衣に、タマリスクで染めた襟をつけて、裙子と同色にした」

「……私が好きな色じゃない」

「そうだよ」

「じゃあ許すに決まってるじゃん。――私も、ごめんなさい。いっぱいひどいこと言った」

「茗凛―」

 二人はしばらく涙に暮れて抱き合っていたが、

「いつまでそうしてるんだい、あたしゃ寒くてこごえそうだよ!」

 階段途中に立ったまま、腕を抱いて暖を取っているおかみの声に、二人は慌てて離れて、顔を見合わせて笑う。そして、

「はい」

 彩花が差し出した衣装を、茗凛が受け取った。すると彩花はおかみに近寄り、

「今はまだ、父さんを説得するのに、時間がかかりそうだけど。……またいつか、お世話にならせてください!」

 再び深々と頭を下げた。おかみは笑って、

「いいさ。いつでも待ってるよ。この一座の女はみんな不器用だから、繕い物がいっぱいでね、困っていたところだったんだ」

 そう言うと、「おお寒っ」と呟きながら、階段を駆け上がっていった。

 再び振り返った彩花が、茗凛の隣に立つ珂惟に気づいた。

「何それ、痛そう……」

「あ、結構もう大丈夫」

「……。あの……珂惟さん」

「何?」

「お願いが、あるんだけど。――琅惺さんに、あの、『ごめんなさい』って」

「――伝えておくよ」

 珂惟はゆるやかに微笑んだ。



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