第61話「夜明け」
飛び込むようにして懲罰坊に入ると、奥の部屋から
「痛えよ!」
珂惟の声!
転がるように茗凛が部屋に入ると、辺り一面に鈍く白光する玉が散らばっていた。それが数珠だと分かったのは、珂惟の姿を見たときだ。千切れた数珠の残骸が、彼の首にかろうじてひっかかっていた。僅かに残った珠が、やはりぼんやりと白く光っている。
彼は壁に背を預けながら「だから痛えって!」と、傍らで自身の左腕を取っている琅惺を非難していた。その二の腕からは血があふれている。琅惺はというと、破った自分の袖を細く裂いたものを傷口の上で硬く巻きつけていた。「おまえ、わざとやってるだろ!」悲鳴をあげる珂惟を琅惺は睨みつけ、
「――どうして君は、いつもそうやって自分勝手に……」
言うなり、布を両手で思いっきり引っ張り、珂惟はさらに情けない声を上げた。しかし琅惺は「自業自得だ!」と容赦ない。思按は琅惺の背後に立ち、部屋を見回していた。
かけつけた僧たちが、一人残らず床に伸びている賊どもを縛り上げ、廊下に引きずり出した。やはり倒れていた上座は、潰れた蝦蟇蛙のようだった。「それも出しておけ」思按の言葉に、縄をかけられた蝦蟇蛙は、数人がかりで廊下に引きずられていった。
がらんとした薄暗い室内に散在する、鈍く光る白玉を眺めながら、「これが、あの経の力なのか……」思按は茫然と呟いていた。
部屋に散らばった珠は、さきほどの強烈な光の名残をみせるように、白い光をおぼろげに放っている。それは琅惺が首から提げていた珂惟の数珠も同様だった。数珠の異変で琅惺は目を覚まし、思按を呼びに行って、揃って境内を見に回っていたのだという。
珂惟が茗凛の姿に気づいた。
笑いかけようと僅かに口角を上げ――たちまち顔をしかめる。
「いってえ……」
近づいてみると、首に引っかかっている数珠の残骸が映し出す彼の顔がおぼろげに見えた。唇の端は切れ、頬は腫れている。髪は乱れ、所々に色濃い染みが散らばっている衣もあちこちが破れていた。
ひどい……。思わず口元を覆った。多勢に無勢だった割には、ひどくないのかもしれないけれど。あんな、図体のでかい柄の悪い男たち相手に、よく生きていたって思うけれども。
そんな茗凛の気持ちを察したように、珂惟は言う。
「さっすが霊験あらたかな数珠だった。こいつが飛び散ってあいつらを蹴散らしてくれてたんだ。すげえ光だったろ? おかげで助かったよ」
その笑顔に、止まっていた涙がまた溢れ出した。
「珂惟!」
茗凛は珂惟に駆け寄り、抱きついた。
「おまえっ――」
「思按さま」
身を乗り出しかけた思按を、琅惺が手で制する。
抱きつかれた瞬間は息を呑んだ珂惟だったが、やがて大きく息をつき、「ごめん」小さく言って、茗凛を右手でしっかりと抱き寄せた。
それから。
深夜に放たれた光を城内を巡回していた兵士たちが目撃し、ただちに法恩寺に駆けつけた。同じく光を見た近隣の者たちが続々と寺に集まり、大衆の面前で蝦蟇蛙たちの悪行が、閉じ込められていた上座によって暴かれた。泣きくれる胡姫たちの姿が彼女たちの辛い監禁生活を物語っており、大衆の哀れを誘った。この、言い逃れのできない状況を証拠として、蝦蟇蛙たち一味は、揃って兵士に引っ立てられていった。
夜明け前、思按の計らいで
寝不足の上に走らされ、意味なく怒鳴られるという散々な目に遭った沙弥はげんなりとした様子を見せ、そう言った。
珂惟は琅惺の部屋で寝かされている。上座は方丈に戻り、今は医者の診察を受けているところだ。女たちは役所に保護されていった。
茗凛はというと、思按の部屋で経緯の説明を求められ、それが終わるとずっとお小言をちょうだいし続けていた。神妙に聞いていたつもりだったが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。使者が出て行ったところまでは記憶にあるのだが、気づいたら彼は戻ってきていた。ぐったりとした様子で。ぼんやりと彼の言葉を聞いていた茗凛だったが、それが夢でないことに気付き、慌てて飛び起きると、かけられていた思按の上衣がはらりと床に落ちた。
「起きたのか」
入り口に立ちふさがる形で、沙弥の報告を聞いていた思按がおもむろに振り向いた。沙弥にねぎらいの言葉をかけて帰らせると、茗凛に再び休むように告げる。
「もうすぐ夜が明ける。
思按は口角をあげながら、茗凛に滑り落ちた上衣を再びかけた。仕方ないなあ……ぼんやりと思いながら茗凛は小さく頷き、再び目を閉じた。
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