第37話「支えているもの」

 父親を打ち明けられたときと同じ、いや、それ以上に衝撃だ。大勢が尊敬の眼差しをもってかしずく上座かみざと? お金を出す男となら誰とでも……な妓女ぎじょが? ちょっと待ってそんなことありえないでしょ。だいたい妓女の子どもなんて……。

「妓女の子どもなんて父親が誰だかなんて分からないって思っただろおまえ」

「ごっごめんなさい!」

 図星過ぎて反射的に謝ってしまい、これまた無意識に両手で口を押さえたが、珂惟かいはそんな茗凛めいりんの様子に頓着することもなく、「まーそりゃそうだよなー」と空に向かって言いながら、膝を抱えていた腕を解いて足を地に下ろし、

「母さんには散々『おまえの父親は偉い方だ』と言われてたけど、どこのどいつか知らないが、女孕ませといて姿くらますようなロクデナシのどこが偉いんだってずーっと思ってたからな俺だって。――でもさ、あの人分かったんだよ。洛陽らくようで、たまたますれ違った俺を一目見て、『自分の息子だ』って。ちょうど母さんを亡くしたばかりの俺は、それで親父に引き取られる形で寺に入ったってわけ。今から八年くらい前のことだな」

 そういや琅惺ろうせいさんは珂惟との付き合いは八年になるって言ってた。じゃあ琅惺さんが先に寺に居たってことなのかな。

 茗凛が必死に考えているのに気づかぬように、珂惟は続ける。

「母さんは、自分に子どもができたって知ったとき、親父に言ったんだと。『さる貴人に身請けされることになったから、お別れだ』って。きっと親父の足を引っ張りたくなかったんだろうな、自己犠牲心ありまくりの人だったから。てか俺はお荷物扱いじゃね? ひでえ話だよな、まったく。――で、親父は親父で仏教のことしか知らないボンボンだから、その言葉を真に受けて、母さんの幸せのためならと泣く泣く諦めたって言ってた」

「じゃあ、お父様って、珂惟が生まれてたこと知らなかったの?」

「らしいぞ」

「なのに、会ってすぐに珂惟を寺に引き取ったの?」

「実際問題、母さんが死んだことで俺が妓楼にいられなくなったからな。――いや、いれないことはなかったが、あんまりよろしくない道を行くことになったと思う――年端のいかない俺をほっとけなかったんだろ。誰にも言えなかった母さんの話もしたくてたまらなかったらしいしな。おかげで道で足を挫いていた母さんを助けて云々という馴れ初めは、一言一句違うことなく覚えた」

 いやいやちょっと待って。存在を知らなかったのに、一目見て自分の息子だって分かるもの? てか珂惟の存在がバレたら上座の地位が危ないってのに、わざわざ自分の寺に引き取る? 黙ってれば全て丸く収まることなのに。だって誰も知らないことだったんだから。

 でも――だからかもしれない。

 小さい頃から周りに気を使ったり(そりゃ私だって多少は使ってたけど)、お母さんが早くに亡くなったりして(てか、あんまりよろしくない道って一体)大変だっただろうに、妙な暗さが彼にないのは。

 つまりそれだけ珂惟は――。

「珂惟って……愛されてるんだね」

 茗凛が思ったままを口にすると、「何だおまえ、いきなり何馬鹿なこと言ってんだよ!」珂惟がいきなり立ち上がり、なぜか赤くなって大きな声を出す。そこへ、

「はいお待たせ」

 隣のおばさんがお盆にお茶を二つ載せて運んでいた。

「あ、ありがとおばちゃん。おばちゃんもいただきなよ」

 珂惟は取り繕ったように笑うと、立ったままお盆を受け取る。おばさんは、

「家でゆっくりいただくことにするよ。ごちそうさん」

 言いながら、茗凛と珂惟を交互に見やる。そして意味深に笑うと、

「ごゆっくり」

 言い残し、二人に背を向ける。今度は茗凛が立ち上がる番だった。

 そこで思わず顔を見合わせた二人は、揃って立ち上がっている不自然さに気づき、どちらからともなく座る。

 「熱いぞ」と言いながら渡されたお茶は綺麗な薄緑色。確かにいつも飲んでいるものよりは高級そうだ。口に含むと甘い。

「本当に美味しいなこれ。おかみさんに感謝だな」

 茗凛の思いと同じことを口にしながら、珂惟は通りの向こうを眺めている。 

「にしても遅いなあいつ、何やってんだろ」

「そうよね。おかみさんがこれ包むの待ってたから、私のほうが遅いかと思ったのに」

「だよなあ。俺、ちょっと見て来ようかな」

 そう珂惟が後ろのお盆にお茶を置いたとき、茗凛が気づく。「あ、来た」

 その声に、「なんだよ遅いよ」と振り返った珂惟が眉をひそめる。茗凛も同じだった。

「あいつ、何やってんの?」

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